【2:ルイス・ミラーの提案】
傷の具合を確かめたり、包帯を取り替えたりした後、ハウザーは今後のことについて丁寧にアドバイスをしてくれた。
ロザリーは自宅療養という形になるらしい。それもそうだ。ここは騎士団の医務室であって、医師のロザリーがいつまでもベッドを占領しているわけにはいかない。
休暇手続きもハウザーは快く引き受けてくれた。
「ゆっくりと休養をすれば、いずれ思い出せるさ。元々、君は働き過ぎだったからね。これを機にゆっくり休みなさい」
「はい、ありがとうございます」
と、ここまではすんなり決まったのだが、問題はその後だった。
説明の間もずっと壁際に立って話を聞いていたルイスが、いきなりこんな提案をしたのだ。
「ロザリー、良い機会です。これからは私の屋敷で暮らしましょう」
(何で?)
率直過ぎる本音を咄嗟に飲みこめる程度に大人のロザリーは、愛想笑いを浮かべながら言葉を選ぶ。
「あなたに迷惑をかけるのは心苦しいの。それに、自分のアパートにいた方が記憶も戻りやすいかもしれないし……」
「貴女に迷惑をかけられるのは大歓迎ですよ。何より、貴女は酷い怪我をしているのですよ? それならば、使用人のいる私の屋敷の方が療養向きでしょう」
(いや、できれば、一人でそっとしておいてほしい)
ロザリーが助けを求めるようにハウザーを見ると、ハウザーはヒゲを弄りながら「ふむ」と頷いた。
「確かにミラー団長の言うことも一理あるな。今の君は利き腕がほとんど動かせないし、歩きまわるのも辛いはずだ。それに何より……今の君は、一人にならない方が良い」
期待とは真逆の言葉だったが、まぁ当然かと納得してしまうのは、おそらくロザリー自身も医師だからだろう。ロザリーがハウザーの立場だったら、きっと患者に同じことを言っていた。
それでも、勝手に話を進められるのが不満で、ロザリーは反論しようと口を開く……が、彼女が声を発するより早く、バァァァン! と勢い良く扉を開く音と、大きな声が医務室中に響き渡った。
「ロザリーさぁぁぁぁぁぁんっ!! 大丈夫っすかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
駆け込んできたのは、ルイスと同じローブ姿の青年だった。ただ、ローブの裾はそれほど長くはないし、マントも羽織っていない。動きやすそうな服装は、おそらく訓練生のものだろう。背が高く、細身のルイスよりもがっしりとした体つきをしているので、魔術師よりも騎士見習いの方が似合いそうな雰囲気だ。
年齢は十代後半ぐらいだろうか。毛先の跳ねた金茶色の髪と明るい茶の瞳の持ち主で、人懐っこそうな顔立ちをしている。
青年はわぁわぁと叫びながらベッドに駆け寄ってくる。それを見たルイスが、笑顔のまま指先を青年の方に向けて、早口で何かを唱えた。
途端に青年は「ごふぅっ!?」と空気の塊を吐き出すような声をあげて、見えない拳で殴られたかのように医務室の外まで転がっていく。ゴロゴロと、ダイナミックに。
(……今の、風の魔術?)
しかも威力を最小限に絞った短縮詠唱だ。派手ではないが、誰にでも簡単にできるものではない。
密かに感心していると、ルイスは頭痛でも堪えるような顔で眉間に指を添えた。
「うちの弟子が騒がしくて、実にすみません」
「……あなたの、お弟子さん?」
優秀な魔術師が弟子を取るというのは、まぁ珍しいことではない。魔法兵団団長の弟子ともなれば、きっとあの青年も優秀な魔術師の卵なのだろう……あんまりそうは見えないけど。
廊下まで吹っ飛ばされた青年は、早くも復活して、チラチラと扉の影からこちらを見ている。その姿は悪さをして叱られた犬にそっくりだ。
「グレン、今から一言も喋らないと誓うのなら、医務室に入ってよろしい」
ルイスが声をかけると、グレンと呼ばれた青年はフンフンと頷いて、口を手で塞ぎながらそそくさとベッドサイドに駆け寄ってきた。
ルイスは自分よりも背が高い弟子を見上げ、淡々と告げる。
「良いですか、グレン。ロザリーは頭を強く打って、記憶を失っています。心配するのは結構ですが、あまり余計なことを言って彼女を混乱させないように……」
「えぇぇぇっ!? 記憶喪失っ!?」
注意されたそばから大声を出した青年は、師匠が絶対零度の眼差しを向けていることすら気づかず、ベッドで上半身を起こしているロザリーに詰め寄る。
「ロザリーさんっ! オレ! オレのことも覚えてないんすか!? ルイス師匠の弟子のグレンっす! グレン・ダドリー!」
「……ごめんなさい、思い出せないわ」
少しばかり殊勝な態度で申し訳なさそうに謝れば、グレンは髪と同じ色の眉を悲しげに下げた。
「ロザリーさん、ほんとにほんとに覚えてないんすか? オレがうっかり炎の魔術に失敗して山一つ吹き飛ばして生き埋めになった時も、風の魔術に失敗して竜巻に巻き込まれた時も、ロザリーさんが助けてくれたんっすよ!!」
「…………」
山とは「うっかり」で吹き飛ぶものだっただろうか。
ロザリーが苦笑していると、ルイスがまた早口で呪文を唱えた。そうして指先をスイッと動かせば、グレンは再び風の塊に吹き飛ばされ「ぎゃうんっ!」と悲鳴を上げながら、廊下をゴロゴロと転がっていく。
流石に不憫になって、ロザリーは恐る恐るルイスに声をかけた。
「……あの、だ、大丈夫なの、彼?」
ロザリーに声をかけられたルイスは、最初はパッと嬉しそうな顔を向けたが、話の内容が弟子のことだと分かるや否、目の笑っていない笑顔になった。怖い。
「あれは魔力に強い耐性があるから、問題ありません」
まさかの弟子を「あれ」呼ばわりである。
たとえ魔力攻撃に耐性があっても、床をゴロゴロと転がるのは相当痛いのではないだろうか。
ロザリーがオロオロと廊下の方を気にしていると、ルイスはふぅっと息を吐いて少し傾いた片眼鏡を直した。
「やはり、ここでは落ち着いて療養できませんね。すぐに私の屋敷へ向かいましょう」
そう言ってルイスは早速通りすがりの部下を呼び止め、馬車の手配をさせる。
彼の判断は間違っていない。けれど、ロザリーの意思を無視して、勝手に話を進めようとしているのが気に入らない。
「ちょっと待って! 勝手に決めないでよ!」
口をついて出た言葉は、自分でもびっくりするぐらい刺々しかった。正直、驚いた。
(……私、こんな風に癇癪を起こせる人間だったんだ)
そのことにほんの少しだけ戸惑っていると、ルイスは気を悪くした様子もなく、ロザリーに向き直る。
「貴女が自力で自分のアパートに帰るというのなら、止めはしませんが……アパートがどこにあるかは、覚えているのですか?」
「…………あ」
自分のアパートぐらいなら、どうにか思い出せないかと頭を捻ったが、結局、頭痛が酷くなっただけで、アパートの場所を思い出すことはできなかった。
今更だが、ロザリーは自分の記憶が酷く偏っていることに気づく。
(……今この場で役に立たないであろう知識は残っているのに、どうしてこうも大事なところだけ思い出せないの)
悔しさに拳を握りしめると、ルイスの手がロザリーの拳を包み込むように添えられた。愛しい人を労るように。
「意地悪なことを言ってすみません。ですが、酷い怪我をしている婚約者を放っておくことが、どうしてできるでしょうか。貴女の役に立ちたい、貴女の力になりたい……そう思うことは迷惑ですか?」
その言い方はずるい。
これで断ったら、まるでロザリーが彼の誠意を踏みにじったみたいではないか。
結局ロザリーは不承不承頷く。
「……怪我が治るまでの間なら」
不貞腐れた子どものような声になってしまったが、それでもルイスは、嬉しくて堪らないとばかりに顔を綻ばせた。