【17:リィンズベルフィードの能力】
七賢人選抜のために呼ばれた〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードと、その弟子〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは、選抜期間中は王宮内にある客室に滞在している。
そんなラザフォードの客室は今、ちょっとした溜まり場のようになっていた。
安楽椅子に座って煙管をふかしているラザフォードの前では、弟子のカーラがソファに座ってのんびりと紅茶を嗜み、その向かいの席では〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットがぐすぐすとしゃくりあげながら、紅茶をちびちびと啜っている。
「こっ、ここ、こっ、怖かった……うぅっ、うぅっ……えぐぅっ……〈ミネルヴァの悪童〉さん、怖すぎですよぅぅぅ……わたし、ころ、殺されるかと、おも、おもも、思っ……ひぅぅぅ〜〜っ……」
「いやぁ、流石に『殺される』は大袈裟なんじゃ……」
カーラが嗜めるように言えば、モニカは目を血走らせて首をブンブンと横に振った。
「あの目は、ほっ、本気でしたっ、本気で殺す気でしたよぅ……っ、うっ、ひぐぅっ……ふぇぇ……」
モニカが泣きじゃくりながら紅茶のカップを空にすれば、そばに控えた金髪のメイドがさっと新しい紅茶をポットから注いで、モニカの前に置いた。
モニカは鼻声で礼を言って、カップを両手で包み込むように持つ。
モニカは在学中に〈ミネルヴァの悪童〉について色々と噂を耳にしていた。
〈ミネルヴァの悪童〉は、北の国境沿いにある寒村の出身でありながら、優れた魔術の才能を持ち、ミネルヴァの在学中に上級魔術師資格を習得した天才児だ。
しかし素行が悪く、寮に酒を持ち込んだだの、先輩と暴力事件を起こしただのと、とにかく物騒な噂が絶えない。
この手の噂に疎いモニカは「怖い人がいたんだなぁ」ぐらいにしか認識していなかったのだが……まさかその〈ミネルヴァの悪童〉と魔法戦をすることになるなんて!
ラザフォードは「お前の無詠唱魔術があれば、余裕で勝てる。一発かましてこい」などと言ったが、無詠唱魔術を使っても怖いものは怖いのだ。その結果が、あの上級魔術の大盤振る舞いである。戦略も何も無い。
魔法戦では一応勝利をおさめたモニカだったが、その後の面接は散々だった。
七賢人を前にしたモニカは緊張のあまり、過呼吸を起こし、白目を剥いてひっくり返ってしまったのだ。
そうして気絶したモニカは王宮の一室で目を覚まし、ラザフォードの部屋に駆けこんだ。知らない部屋に一人でいるのが怖かったのである。
「……ひぐぅっ、魔法戦終わったと思ったら、今度は……めっ、面接があるし……ぐすっ」
「魔法戦で勝っても面接があのザマじゃあ、七賢人は無理だろうな……まぁ、お前に面接は無理だろうっつーのは分かってたことだが」
ラザフォードは煙管の灰を灰皿に落とすと、口元の皺を深めてニヤリと笑う。
「ルイスとアドルフは、お前に負けたショックで、自分は落ちたと思い込んでるみてぇだが……まぁ、あの二人にゃ良い薬だな」
ラザフォードは意地悪老人の顔でカッカッカと喉を鳴らした。
何を隠そう、モニカを七賢人に推薦したのは、この〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードその人であった。ラザフォードはモニカが面接で大失敗をすると確信した上で、七賢人に推薦したのだ……最近調子にのっている弟子の鼻っ柱を叩き折るためだけに。
もうやだ帰りたい。帰って、研究中の魔術式の再計算をしていたい。数字と魔術式の美しい世界に浸っていたい……とモニカは声に出さずに嘆く。
その時、今まで黙々と給仕をしていた金髪のメイドがおもむろに顔を持ち上げた。
人形めいた美しさをもつそのメイドの目は、真っ直に魔法兵団詰所の方に向けられている。
今更になって、モニカはこのメイドが人間ではないことに気がついた。てっきり城のメイドだと思っていたのだが、よくよく気配を探れば魔力の質が人間のそれではない。
(……上位精霊?)
上位精霊が何故、メイドの真似事をしているのだろう?
疑問に思っていると、メイドはスカートの裾をつまんで優雅に一礼した。
「……主人の呼び出しがありましたので、わたくし、これにて失礼いたします」
次の瞬間、メイドは宙に溶けるかのようにかき消えた。消える瞬間に感じたのは風の魔力だ。恐らく、風の上位精霊なのだろう。
モニカは恐る恐る、カーラとラザフォードを見る。
「あ、あの、今の精霊さんは……どなたの契約精霊ですか?」
「あれ、もしかしてモニカちゃん、知らなかったのかい?」
カーラがビスケットを咥えながら、あの精霊の主人の名を口にする。
その名前を聞いた〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは泡を吹いて卒倒した。
「おいこら、クソガキ。人の部屋で気絶すんじゃねぇ。カーラ、叩き起こせ」
「いやぁ、師匠。今日ぐらいは大目に見てあげようよ。疲れてるんだろうし」
短気な師をカーラが嗜めたその時、部屋の扉がノックされた。
カーラは気絶したモニカをソファに寝かせてやりながら「どうぞ」と声をかける。
「こんな時間に、ごめんなさいねぇ〜」
間延びした口調で言いつつ室内に足を踏み入れたのは、薄絹のローブを身に纏った長い銀髪の女性……七賢人が一人〈星詠みの魔女〉メアリー・ハーヴェイだ。
メアリーと顔見知りのラザフォードは、安楽椅子に腰掛けたまま、首だけを捻ってメアリーを見る。
「なんだ、七賢人選考の結果が出たか」
思ったより早かったな、と呟くラザフォードに、メアリーはゆるゆると首を横に振った。
「それがねぇ、ちょっと困ったことになっちゃって〜……」
* * *
ルイスが服の袖に隠している腕輪を掲げると、腕輪にはめられたライムグリーンの石が淡く輝いた。腕輪にはめられているのは、精霊と契約するのに必要な精霊石と呼ばれる物だ。
「……契約に従い、疾くきたれ。風霊リィンズベルフィード略して駄メイド」
最後に一言余計な言葉が入ったが、主人の声に応えてリンは即座にその場に姿を現した。
ルイスの目の前に金色の風が集まり、やがてそれは人の姿を形作る。
美しくまとめた金の髪、華奢な肢体にメイド服。
その姿はほんの少し宙に浮いていたが、リンは体重を感じさせぬ軽やかさで床に足をつけた。
そして、無表情にルイスを見つめて一言。
「カーラとの、めくるめくひとときを邪魔しましたね」
ルイスのこめかみに青筋が浮いた。
「やっぱり姉弟子殿のところに行っていたのですね、馬鹿メイド。ロザリーを見張れと、あれほど命じたのに」
「ルイス殿の命令と、カーラと過ごす至福のひととき……天秤にかければどちらに傾くかは一目瞭然でしょう」
「普通は主人の命令に傾くのですよ」
ルイスとリンのやりとりを見慣れているライオネルと、グレンは何も言わない……が、その顔には呆れが滲んでいた。
これが王国トップクラスの魔術師と、その契約精霊の会話かと思うと非常に嘆かわしい、とその顔が語っている。
ルイスは決まり悪げに咳払いをした。
「まぁ、良い。今はお前の不忠義には目を瞑りましょう」
今のルイスは日中の魔法戦で魔力が殆ど残っていないのだ。ロザリーの捜索に魔術を使う余裕がない。
そしてリンは風の上位精霊であり、その能力は人探しに向いている。
「リン、お前の能力を使って、ロザリーを探しなさい」
ルイスの命令に、リンはたっぷり十秒近く沈黙し、さも全てを理解したかのようにポンと手を叩いた。
「……逃げられたのですね。お可哀想に」
ルイスのこめかみに、また一つ青筋が増えた。
ルイスの大爆発の予兆に、グレンがあわあわと意味もなく手足をバタつかせる。
そんな一触即発の空気の中、マイペースなリンは机の上に置いてあるハサミを手に取り、ショキショキとハサミを動かした。
「失恋には断髪の儀式を行うものだと、書物で読みました。そのうざったい三つ編み、切り落としますか?」
ルイスはこめかみに青筋を浮かべたまま、優雅に微笑むという器用な離れ業をやってのけると、聖人君子の如く穏やかな声で言った。
「駄メイド。私は今、近年稀に見るレベルで頭に血が上っています。今ここでロザリーを見つけ出せなかったら、お前が二度とカーラと会えぬよう、地の底に封印するのも吝かではないのですが」
「ロザリー様の足音を拾いました。魔法兵団詰所を出たところのようです」
リンは音に敏感で、広範囲の音を正確に聴き分けることができる。
魔法兵団の詰所を出たところなら、今から追いかければ間に合うだろう。
ルイスが駆け出そうとしたところで、リンがボソリと付け加えた。
「ロザリー様に誰かが話しかけていますね。どうやら若い男性のようです」
「なんですって? どこのどいつです」
「わたくしの知らない人間ですね。聞き取った台詞を、そのまま再現いたします。
『……よぉ、ロザリー。久しぶりだな……おいおい、忘れちまったのかよ。オレだよ、オレ。アドルフ・ファロンだよ』
棒読み極まりないリンの言葉に、ルイスは限界まで目を見開き、息を飲んだ。




