【14:ルイス・ミラーの誤算】
魔法戦とは特殊な結界の中で行われる、魔術を用いた模擬戦である。
結界内で魔法攻撃を受けても肉体が損傷することはない。だが、その代わりに受けたダメージ量に応じて被弾者の魔力が減る仕組みになっている。
無論、魔術による攻撃をするのにも魔力は必要なので、魔法戦ではガンガン魔力が減っていく。
最終的に魔力が最大量の十分の一以下になった者は、自動的に結界から弾き出されて敗北という扱いになる。
これは、魔力が完全に空になってしまうと人間は「魔力欠乏症」というショック症状を起こし、身体機能に異常をきたしてしまうためだ。だから、魔力が完全に空になる前に、結界から弾き出される。
(……重要なのは、いかに魔力を節約しながら効率よく敵を仕留めるか)
森の奥、なるべく木が生い茂っている場所まで移動したルイスは、索敵用の結界を張り巡らせながら思案する。
ルイスの最大魔力量はおよそ215、〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは170、〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは180だ。これは七賢人選考の際に再測定したばかりだから、間違いない。
七賢人になるためには最大魔力量150以上が絶対条件なので、当然に三者とも魔力量は高かった。
(……さて、どう攻めるか)
防御結界で敵の攻撃を防ぎながら、ちまちまと攻撃魔術を当てていくというやり方もあるが、それだとどうにも効率が悪い。できれば、敵の隙を突いて大技で一気に魔力を削っていきたいところである。
〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンが得意としているのは、遠距離攻撃魔術。
恐らくは、ルイスとモニカを戦わせて、その隙に体勢の崩れた方を遠方から攻撃する算段だろう。アドルフとは学生時代からの付き合いだからよく分かる。あれは、そういう漁夫の利を狙う戦い方が好きな男なのだ。
一方〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットに関しては情報が少ない。分かっているのは無詠唱魔術の使い手であるということだけ。
(ですが、彼女は……戦闘慣れしていない感じなんですよねぇ)
彼女だけが使えるという無詠唱魔術は、確かに実戦では非常に有利だ。魔術師の最大の弱点は、なんと言っても詠唱に時間がかかる点である。
一般的に詠唱にかかる時間は、初級魔術は三秒から十秒、中級魔術は十秒から二十秒程度、上級魔術は二十秒から三十秒以上……というのが相場だ。
ルイスは短縮詠唱という技術を取得しているので、初級、中級魔術に関しては、この半分の時間で詠唱を済ませられる。上級魔術も短縮詠唱はできるが、こちらはまだ完璧ではないので威力が八割ほどに落ちる。
(さて〈沈黙の魔女〉殿は、どの程度まで無詠唱で対応できるのか)
流石に上級魔術まで無詠唱で使えるとは考えづらい。恐らくは初級、中級程度まで無詠唱で使えると考えるのが妥当だろう。
まぁ、少人数の試合で上級魔術なんて、そうそう使うものではない。そもそも、上級魔術は消費が激しいから、魔法戦向きではないのだ。
魔法戦の基本は、自分は魔力を温存しながら、効率よく敵を消費させることにある。
(〈沈黙の魔女〉殿と攻撃魔術の撃ち合いをするのは、こちらが不利……隙を突いて始末するのが妥当なところですかね)
そこまで考えたところで、リンゴーン、リンゴーン……と鐘の音が聞こえた。
七賢人選考のための魔法戦が始まったのだ。
まずは、面倒なアドルフから始末しようと、ルイスはこの五分間で周囲に張り巡らせた結界に意識を向ける。
その結界は防御用ではなく、あくまで索敵用の結界だ。例えるなら蜘蛛の巣に似ている。蜘蛛が巣にかかった獲物を感知するように、この結界内で誰かが魔術を使っていると、ルイスはそれを感知することができるのだ。
(さて、魔力反応は………………は?)
──北北東、距離二百、大型火炎魔術発動の気配あり
ルイスは考えるより早く、防御結界を張り巡らせた。
それと同時に轟音が響き渡り、熱風が木々の合間を駆け抜ける。
魔法戦の結界の中では、建築物や森林の類は全て保護されているので、木々はそのままの姿を保っている……が、そうでなかったら辺り一面は焦土と化していただろう。
ルイスは唖然とした。今のは間違いなく炎と風の複合魔術……しかも、かなりの広範囲。間違いなく上級魔術だ。
「……〈沈黙の魔女〉の仕業か」
舌打ちした次の瞬間、索敵結界が次の魔力を察知した。
──北北東、距離二百、大型火炎魔術発動の気配あり
ルイスは迷わず防御結界を張る。
響く爆音、森を支配する凶悪な熱風。
ルイスの頭上を、青白い光が彗星のように飛んでいった。脱落者が結界の外に弾き出されたのだ。
(……アドルフが、落ちた)
まさかの開始一分で。
恐らく一回目の攻撃を防いで油断し、二発目をもろにくらったのだろう。
ルイスは頬を引きつらせる。また、索敵結界が同様の魔力を感知したからだ。
──北北東、距離二百、大型火炎魔術発動の気配あり
「馬鹿の一つ覚えですかねぇ!?」
ルイスは口汚く罵りながら、防御結界を張り巡らせる。
三たびの爆音と熱風。大した威力だ。本来なら詠唱に数十秒はかかる魔術……ポンポンと連発できるようなものではない。
(……まさか、これほどの上級魔術を無詠唱で連発できるとは……しかし、戦略としてはあまりに稚拙)
高威力の魔術は、当然それに見合うだけの魔力を消費する。
そして、魔法戦は魔力が最大量の十分の一を切ったら、自動敗北。つまり、ほうっておけば〈沈黙の魔女〉は自滅する。
〈沈黙の魔女〉の最大魔力量から逆算するに、あと二、三発も撃てば、魔力が底をつくだろう。
……しかし、そんな勝利の仕方は、些か盛り上がりに欠けるのではないだろうか?
この魔法戦は七賢人に実力をアピールするための場である。このまま防御結界を張っているだけでは、充分に自分の実力をアピールできたことにはならない。
──北北東、距離二百、大型火炎魔術発動の気配あり
四度目の熱風を結界で防ぎながら、ルイスは飛行魔術を起動した。
目指すは北北東。
ここはひとつ、〈沈黙の魔女〉殿に魔法兵団仕込みの戦闘技術を見せつけてやろうではないか。
* * *
上級魔術師になるための条件の一つに「魔術の同時発動ができるか否か」というものがある。
実戦では防御用の結界魔術を維持しながら、攻撃魔術を使わなくてはいけないからだ。
無論、ルイスも同時発動は当然にマスターしている。今も彼は飛行魔術で移動して〈沈黙の魔女〉に接近しつつ、彼女がぶっ放してくる凶悪な攻撃魔術を防御結界で防いでいた。
ルイスは途中で飛行魔術を解除し、索敵用の結界を再び起動する。やはり〈沈黙の魔女〉は最初の位置から全く動いていない。
いっそ、何かの罠なのではないかと疑いたくなるが、恐らく本当に実戦経験に乏しいのだろう。
ルイスは索敵用結界を解除し、再び飛行魔術に切り替える。
ルイスが同時に使える魔術は二つまでだ。だからこそ、常に防御用結界は起動できるようにしておかねばならない。
(……姉弟子殿なら、わざわざ切り替える必要もないのですけどねぇ)
ルイスの姉弟子にして、元七賢人〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルは、同時に七つの魔術を起動できる天才魔女であった。
ルイス・ミラーは己が天才であると自負しているが、世の中にはその上を行く化け物がいることも知っている。
七つの魔術を同時に発動する〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル。
弱冠十五歳にして、既に最大魔力量が250を超えている、弟子のグレン・ダドリー。
そして、無詠唱で上級魔術を連発する〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットもまた、天才の上を行く存在で間違いないだろう。
(……だが、それだけで勝てるほど、魔法戦は甘くないのですよ)
上空からモニカの姿を視認したルイスは、モニカに攻撃魔術を仕掛けるのではなく、彼女の周囲に結界を張り巡らせた。
それは外部からの攻撃を防ぐための結界ではない。内側からの攻撃を反射する結界である。
無詠唱で次の攻撃魔術を放とうとしたモニカは、さぁっと青ざめて、発動しかけた術を解除した。
「おや、勘の良いことで」
飛行魔術を解除し、モニカの前に降り立ったルイスは、杖を一振りしてにこやかに笑いかける。
「そのまま攻撃魔術をぶっ放していたら、全部貴女に反射する筈だったのですけどねぇ。はっはっは」
「ひ、ひぃっ……なっ、なっ、なんで、生きてるんですかぁっ!?」
なんとも失礼な小娘である。
ちょっとその頭を小突いてやりたいところだが、ルイスはグッと堪えて、大人の余裕に満ちた笑顔を向けた。
「それはですね、索敵結界で貴女が使う攻撃魔術の、威力、属性、距離を把握した上で、それに見合う防御結界を適切なタイミングで張っているからですよ」
上級攻撃魔術は当然にその威力も大きいから、生半可な防御結界では防ぎきれない。
だが、ルイスは索敵結界を駆使して敵の攻撃を事前に察知し、それに適した防御結界を張っていた。
防御結界は範囲、強度、持続時間等によって魔力の消費量が変化する。常に張りっぱなしというわけはいかないからこそ、ルイスは索敵結界を併用しているのだ。
この細かな結界の使い分け技術こそ、ルイスが〈結界の魔術師〉と呼ばれるゆえんである。
「頭の足りないお嬢さん、魔法戦が始まってから、上級魔術を何発使いましたか? もう魔力が切れる寸前では?」
「ま、まだ、だ、大丈夫……だと、思います……多分」
「……ほぅ?」
モニカは今にも卒倒しそうな顔色だが、降参する気配はない。喋り方こそどもっているが、本当に疲労している様子がないのだ。あれだけ威力の高い魔術を連発していたくせに。
今、ルイスはモニカの周囲に反射結界を張っている。これがある限り、モニカの攻撃は全てモニカ自身に跳ね返るため、モニカに攻撃手段はない。
あとは結界内に攻撃魔術の一発でも叩き込んでやれば、ルイスの勝利は確定……
……の筈だった。
後方から衝撃。風の魔術による攻撃だ。受けた衝撃の分だけ、ルイスの中の魔力がごっそりと削られていく。これが魔法戦でなかったら、死んでいるところだ。
魔法戦では体にダメージを受けることはないが、それでも魔力の衝撃は殺しきれない。ルイスは前方に倒れながらも、すぐさま飛行魔術を発動して、モニカとの距離を開けた。
追撃で風の刃がルイスを狙ったが、ルイスは素早く木の影に隠れて、それを回避する。
(……何が起こった?)
モニカの周囲には、彼女が使った魔術を反射する結界を張っていた。モニカが魔術を使ったなら、それは全てモニカに返っていたはずだ。
(なにより、こういうセコいやり方が好きなのは……)
『いいザマだなぁ、ルイス・ミラー!』
どこからともなくアドルフの声が聞こえる。恐らく、離れたところから風の魔術で拡声しているのだろう。
アドルフはそんな地味に面倒な魔術を使ってでも、ルイスを罵倒したくて仕方がなかったらしい。
『オレが脱落したかと思ったか。馬鹿め! あの光は、雷の魔術でそれっぽく見せたフェイクだ!』
魔法戦では、脱落者が出たことが分かりやすいよう、脱落者は光に包まれて上空を飛び、結界の外に離脱する。その仕組みをアドルフは逆手にとったというわけだ。
アドルフは脱落したと見せかけて、ルイスが隙を見せるのをずっと待っていたらしい。
(七賢人選抜試験だというのに、戦い方がセコい……が、それにしてやられたのも、また事実)
〈沈黙の魔女〉は上級魔術の連発で魔力がだいぶ減っているはずだ。そして、ルイスもまた、先程のアドルフの攻撃で魔力が半分近く削られている。
まずは索敵結界でアドルフの居場所を把握して、引きずり出さねば。
──南西、距離五百、拡声用風魔術発動中
──北北東、距離五十、超大型風雷魔術発動の気配あり……
「…………」
ルイスは迷うことなく防御結界を張った。
間髪入れずに、凄まじい勢いの雷撃が暴風と共に周囲を駆け抜けていく。
〈沈黙の魔女〉が、また上級魔術をぶちかましたのだ。
拡声されたアドルフの悲鳴が、森中に響き渡る。
『はっ、ぎゃっ、ぎゃああああああああっ!? うぉっ、あぶねっ、防御結界、間に合っ……た……』
──北北東、距離五十、大型火風魔術発動の気配あり
ルイスは無言で結界の対応属性を「風・雷」から「風・炎」に切り替える。
間髪入れず、今度は強烈な炎が森全体を駆け抜けた。その炎はまるで真っ赤な大蛇のように、木々の隙間から燃え広がっていく。
ラザフォードが張った魔法戦用の結界が無かったら、森は全焼確実だろう。
『またかよぉぉぉぉぉぉぉぉっ、ぎゃああああああああああ!!』
アドルフの悲鳴が響き渡り、そして上空を青白い光が飛んでいく。ルイスは咄嗟に遠視の魔術を使って、空を飛んでいく光を凝視した。青白い光の中には微かにアドルフ・ファロンの姿が見える。
今度こそフェイクではなく、本当に脱落したようだ。
しかし、恐るべきは〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットである。
どうやら彼女は、ルイスが張った反射結界の攻略方法に気がついたらしい。
基本的に魔術というものは、術者を中心にして発動するものである……が、魔術式に遠隔術式というものを組み込むと、術者から離れた場所で魔術を起動することができるのだ。
つまり、モニカは反射結界の外側で、攻撃魔術を起動したというわけである。そうすれば、反射結界で自身に跳ね返ってくることはない。
(だが、今しがた彼女が使ったのは、二回連続で上級魔術……あの規模の広範囲魔術に遠隔術式を組み込むと、詠唱に相当な時間がかかるはずですが……まさか、それも無詠唱で?)
再び、モニカが炎の魔術を放つ。ルイスはそれを防御結界で防ぎつつ、思考を走らせる。
(何故、魔力が切れない? あれだけ威力の高い魔術を連発すれば、流石に魔力切れになっていいはず……)
そこまで考えて、ルイスは一つの可能性を思いついた。
魔術を使う際に、消費魔力を節約する節制術式というものが存在する。
節制術式を組み込むと消費魔力が半分で済むという夢のような代物だが、そのかわり、恐ろしいほど詠唱に時間がかかるというデメリットがあった。
初級魔術でも節制術式を使うと、詠唱に三十分はかかるのだ。当然だが実戦で使う者は、まずいない。
……だが、もしそれを無詠唱で済ませているとしたら?
ありえない。不可能だ。それができたら人間じゃない。
ルイスは引きつった顔で、モニカに訊ねた。
「〈沈黙の魔女殿〉にお聞きしたいのですが」
「は、はひっ、な、なな、なんでしょっしょしょしょしょしょ……」
杖にすがりついて半泣きのモニカに、ルイスはやけくそのような気持ちで、美しい笑みを向ける。
内心「泣きたいのはこっちだ馬鹿娘」と舌打ちしつつ。
「あなたは……遠隔発動術式や節制術式も、無詠唱で使えるのですか?」
違うと言ってくれ、と祈るような気持ちのルイスに、モニカはガタガタと震えながら首を縦に振る。
「でっ、でででででででで、できっ、でききっ、できま、ふっ……」
ルイスは目の前が真っ暗になるのを感じた。
この、舌を噛みながらプルプル震えて泣きじゃくっている小娘は、こちらの常識を遥かに凌駕する化け物なのだ。




