【13:モニカ・エヴァレットの命乞い】
城門で正規の手続きを経て城内に足を踏み入れたルイスは、城の一室に通された。
比較的こぢんまりとしているが、品の良い調度品で整えられた応接間には、既に七賢人候補の二人が待機している。
「時間ギリギリに登場だなんて随分余裕だな? ルイス・ミラー」
早速噛みついてきたのは〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンだった。
ルイスはアドルフに冷めた一瞥を投げかける。
「えぇ、常に心に余裕を持つことは大事ですからね。おや、もしかして、あなたは余裕がおありではないのですか〈風の手の魔術師〉殿?」
余裕たっぷりの笑みを向ければ、アドルフは鼻白んで黙り込んだ。
正直、ルイスとしてはアドルフのことなどどうでも良かった。それよりも、もっと気になる存在が室内にいるのである。
応接間の一番奥にあるソファ。その端っこに、ローブのフードを目深にかぶって縮こまっている少女がいた。ともすれば見落としてしまいそうなほど、小柄で小さい。おまけに存在感が薄い。
彼女が〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットか。
本来なら年少者の彼女からルイスに挨拶をするべきところだが、あえてルイスはモニカの前に立ち、紳士的に一礼をしてみせた。
「〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット殿ですな。初めまして、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーと申します」
丁寧な挨拶に甘く美しい声、そして穏やかで優しげな笑み。
大抵の女性はうっとりと頬を染めて彼に見惚れるところなのだが、モニカはビクゥッと肩を震わせると、フードの下からビクビクとルイスを見上げた。
薄茶の髪を低い位置で二つに分けて結った、幼さの残る顔立ちの少女だ。十五歳と聞いているのだが、実年齢よりも二、三歳若く見える。これでは、まるで子どもではないか。
モニカは光の加減で緑にも茶色にも見える瞳に、じんわりと涙を浮かべてルイスを見上げ、血の気のない唇を振るわせた。
「みっみみ、みみみみみみみみみ……っ」
自分は死にかけの蝉に話しかけたのだろうか、とルイスは思った。
無論本音を口にしたりはせず、あくまで優しげな笑顔で話しかける。
「おや、顔色が悪いですね〈沈黙の魔女〉殿。緊張しておられるのですか?」
「み、みみっ、みねっ、みねねっ、みっ、みっ、み……っ」
モニカはヒィッ、ヒィッと喉を引きつらせていたが、やがてフードの上から頭を抱え、消え入りそうな声で懇願した。
「…………殺さないで」
これにはさしものアドルフも、ジトリとした目でルイスを見る。
「お前は、そいつに何をしたんだ」
「初対面ですよ。失礼ですね」
ルイスが些か怫然とした表情で返すと、扉がノックされた。
扉を開けてズカズカと大股で入ってきたのは、ルイスの師であり、ミネルヴァの教授でもある〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードだ。
ラザフォードはトレードマークの煙管を咥えながら、老人にしては鋭すぎる目で室内をぐるりと見回し、煙管を口元から外してふぅっと息を吐いた。
「おぅ、魔法戦の準備ができるから呼びにきてやったんだが……後輩いじめか、ルイス・ミラー?」
「……みんなして私への風当たりが強すぎませんか? ただ、話しかけただけですよ」
ルイスが不満そうに言葉を返すと、今まで小動物のようにソファで縮こまっていたモニカが、勢い良く立ち上がり、ラザフォードの元へ駆け寄った。そして彼女は、あろうことかラザフォードのマントの下に潜り込む。
ミネルヴァで一番おっかないと言われている老教授〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードのマントの下で、モニカは懇願した。
「ラ、ララ、ラザフォード先生っ、わた、わたわたわたししししし、むりっ、むりでででででで……こわ、こわわわわわ、怖いっ、帰る……っ……帰るぅぅう……うぇっ、うぇぇぇぇぇん」
哀れな〈沈黙の魔女〉は、とうとう泣きだしてしまったらしく、ラザフォードのマントは内側からじんわりと濡れ始めた。本当に十五歳なのか、非常に疑わしい。
ラザフォードは煙管を一口吸って、ふぅっと煙を吐き出すと、マントの上からモニカの頭に容赦なく拳を振り下ろす。マントの中から「ひぃん」と哀れな声がした。
ラザフォードは泣く子も黙るおっかない顔で、ギロリとマントの下のモニカを睨みつける。
「魔法戦のための結界を作んのが、どんだけ面倒だと思ってやがる。帰るんなら、魔法戦が終わってからにしろ」
「ひぃっ、うぅっ……うっ、うっ……」
モニカは目を真っ赤にして鼻水を垂らしながら、ラザフォードのマントから顔だけをのぞかせた。ただし、体にはしっかりとラザフォードのマントを巻きつけたままである。とても蓑虫っぽい。
正直、これが自分の競争相手なのかと思うと、ルイスは目眩がした。ここまでくると珍妙な異国の生き物にしか見えない。
くだんの珍妙な生き物は、ぐすぐすと鼻を啜りながら、か細く消えそうな声で問う。
「あのぅ……猶予は……何秒ですか?」
モニカの言う「猶予」とは、魔法戦における特殊な措置だ。
強者側は最初の数十秒だけ魔術の使用が制限されるというもので、上級生と下級生が魔法戦をする時などに適用される。
「おや、お可愛らしい。猶予が欲しいのですか?」
ルイスが物分かりの良い大人の顔でニコリと笑えば、今まで黙っていた〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンが嫌そうに顔をしかめた。
「曲がりなりにも七賢人の選抜で猶予が欲しいなんて、どういう神経してやがる。自分は弱いから手加減してくれってか?」
アドルフがギロリとモニカを睨むと、モニカはマントに包まったまま、ぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、あの、わ、わたしがっ……開始を遅らせないと………………勝っちゃう、から」
この一言に、ルイスとアドルフの空気が変わる。
二人の目が据わったのを見て、モニカは「ひぃぃぃ」と哀れな声をあげながら、再びマントの中に逃げ込んだ。
そんなモニカに、ルイスとアドルフは目が笑っていない笑顔を向ける。
「はっはっは、手加減は不要ですぞ、〈沈黙の魔女〉殿」
「あぁ、後輩にお情けをもらうなんて、そんなことするわけないだろ?」
ルイスの声もアドルフの声も朗らかだった……が、その奥に怒りが滲んでいるのは誰の目にも明らかである。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、余計なことを言ってごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃ……」
モニカがラザフォードのマントの下で悲鳴をあげれば、ラザフォードはやれやれとばかりに溜息を吐いた。
「今回の魔法戦は、猶予は無し。三人同時に開始だ。情けも容赦も手加減も不要だぜ……殺す気でやれ」
ラザフォードの最後の一言に、再びモニカは「いやぁぁぁぁ、怖いよぅぅぅ」と泣きじゃくり、ラザフォードのマントは涙と鼻水のシミで、ビショビショになる。
ラザフォードの拳が、再びモニカに炸裂したのは言うまでもない。
* * *
魔法戦は城から少し離れた森の中で行われる。
この森全体に魔法戦用の特殊な結界が張られており、結界内で行われたことは全て、翡翠の間に用意された大鏡に映し出される寸法になっていた。
今、七賢人達の会議の場である翡翠の間では、現役の七賢人と国王が魔法戦の開始を今かと待ちわびている。
〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードは、森の入り口まで候補の三人を連れてくると、早口で指示を出した。
「今から五分後に開始の鐘が鳴る。あとは、魔力が尽きるまで死ぬ気で戦え。以上」
ラザフォードが言い終えると同時に、〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーと〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは飛行魔術を発動し、森の奥へと飛んでいった。最初の五分間は、敵に対して攻撃を仕掛けない限り、魔術の使用は禁止されていないのだ。
だからこそ、最初の五分間でいかに有利な位置に立つか、どれだけの罠を仕掛けるかが、勝負の鍵となる。
ルイスとアドルフの姿が見えなくなってから、モニカは慌てて森の中へ駆け出した。
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは飛行魔術の論理は完璧に理解していたが、悲しいかな運動神経が悪すぎて、飛行魔術を使いこなすことができない。短時間飛ぶことはできるのだが、森のように障害物の多い場所で使うと、木に衝突する。
ぽてぽて、もたもたと、見るからに鈍臭い走り方のモニカの背中を見送り、ラザフォードは煙管の端をがじりと噛んだ。
そんなラザフォードに、結界の出力調整をしていた〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェルがのんびりと声をかける。
「いやぁ、なんだか可哀想にねぇ、モニカちゃん。ずいぶん怯えてたじゃないのさ。何を吹き込んだの、師匠?」
「ルイスとアドルフ……あの悪ガキどもの学生時代の悪行を、ちょいと聞かせただけだ」
「……わぉ」
ルイス・ミラーもアドルフ・ファロンも、かつてはラザフォードの教え子だった。
在学中にしょっちゅういがみあうルイスとアドルフに、ラザフォードはそれはもう手を焼いたものだ。
「あいつら、自分は超一流の魔術師ですってツラしてるがな、俺に言わせりゃ、どっちも尻に殻のついたヒヨッコだ」
紫煙とともに悪態を吐き出す師に、カーラは小首を傾げながら言う。
「うーん、でもさ、アドルフはともかく、ルイスが天才なのは事実でしょ。おまけにすごい努力家だ。姉弟子としての贔屓目を抜きにしても、あれは百年に一人の逸材だよ」
「ルイス・ミラーが百年に一人の逸材なら、モニカ・エヴァレットは千年に一人の逸材だ」
ラザフォードはヘーゼルの目をギラつかせ、皺だらけの顔にニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「傲りまくってる高慢なクソガキどもにゃ、良い薬だろうぜ」




