エリカと田中さん
「山本先生、お久しぶりです~」
「やあリエちゃん、相変わらずだねぇ」
ニューハーフショーパブ『マスカレード』に勤め始めて1か月。私は先輩ニューハーフのリエさんと一緒に、常連らしいお客さんのテーブルに呼ばれた。
「先生、こちら新人のエリカちゃん。山本先生は、T大で教授をしてるのよ」
リエさんから紹介され、私はちょっと緊張しながら「エリカです。よろしくお願いします」と言ってお辞儀した。
「へー、かわいいね。彼氏はいるの?」
私が返事に困っていると、すかさずリエさんが「あらセンセ、私の前でナンパとは、やってくれるわねぇ」と言った。
山本さんとリエさんが二人で盛り上がってくれたので、私はホッとしてもう一人のお客さんのほうを見た。
「ああ、この人は生物学教授の田中先生。僕の同僚なんだけど、大学にはなかなかこの店に付き合ってくれる人がいなくてね。今日は無理やり連れてきちゃった」
私の視線に気付いた山本さんが、そう教えてくれた。
田中さんは、ぎこちなく「あ、どうも」と頭を下げた。リエさんと私も、「どうぞよろしくお願いします」と言って頭を下げた。
※※※
「ここのショータイムは、本当にレベル高いね。タマちゃんの漫才も面白いし」
ショータイムを終えた私たちがテーブルに戻ると、山本さんがほめてくれた。
「ありがとうございます~」
リエさんが息を切らせながら言って、「でも、さすがに若い子たちと一緒にダンスするのは、堪えるようになってきちゃったわ」と笑った。
一方、今日もショーの途中でダンスのステップを間違えた私は、営業スマイルを浮かべつつ、自己嫌悪に陥っていた。
「あの…… エリカ……さん?」
私が田中さんのグラスに水割りを注ごうとしていると、それまでほとんど口を開かなかった田中さんが、遠慮がちに声をかけてくれた。
「はい、なんでしょう?」
私は、さらに笑顔の営業度をアップして答えた。
「エリカさんは、植物に詳しいんですか?」
田中さんの質問が予想外だったため、私は「え……? いや、特には……」と、あいまいな返事をした。
「そうですか。……いや、僕は、生物学とはいっても社会生物学が専門なので、植物については専門外なんですけどね……」
田中さんが、恥ずかしそうに言う。
「その、エリカさんというお名前が、とてもよくお似合いだな、と思いまして」
田中さんが、つっかえながら話してくれるのを聞いて、私はなんだかうれしい気持ちになった。
「どうも、ありがとうございます」
私がにっこり笑って言うと、田中さんはなぜか困ったような顔をして、「いえ、そんなつもりでは……」と言った。
田中さんの意図がわからず、私が首をかしげていると、田中さんは「あ、すみません」と言って黙ってしまった。
「どうしちゃったんですか?田中先生。先生が女の子に話しかけるなんて、珍しいじゃありませんか」
山本さんが、水割りを口に含みながら言った。
「やあねぇ、山本先生。そりゃあ、私たちが『女の子』じゃないからに決まってるじゃないですか~!」
場の雰囲気が微妙になってしまったことに気付いて、リエさんが、あえて自虐ネタを繰り出した。
しかし、田中さんはますます恐縮して「いえいえ、決してそのような……」と言った。
いよいよ困ってしまった私たちは、田中さんが何か言い出すのを待った。
「……僕は、子供の頃から人付き合いが苦手で、一人で本を読んでいるのが好きな、引きこもりでした」
唐突に田中さんの昔話が始まったが、皆黙って続きを待った。
「大学教授になった今でも、やっぱり一人でいるほうが好きなんですが、山本先生はこんな僕にも明るく声をかけてくれて…… 今日も、本当はまっすぐ家に帰りたかったんですけど、勇気を出して、こちらに伺いました」
田中さんは、恥ずかしそうに笑った。
「なんというか、ここはいいお店ですね。こんなに大勢の人がいる中で、緊張しないで過ごせたのは、初めてです」
私は、「これで緊張してなかったんだ……」と思ったが、ほかの二人も驚いている様子だった。
「それで、落ち着いて皆さんのことを見てみれば、とても生き生きと働いてらっしゃる。雄だとか、雌だとか、そんな分類は大した問題じゃないとさえ思えてきました」
田中さんが男と女のことを、雄と雌と言うのを聞いて、やっぱり学者さんだな、と思った。
「ショーパブで働いている方たちのことを、自分とは住む世界の違う、特殊な人たちなんだと考えていた自分の、視野の狭さに気付かされた気分です。生物学の勉強をしてきて、生き物のことに詳しいつもりでいた自分が、恥ずかしい」
いや、そこは自信を持っていいところではないでしょうか、と突っ込みたいのを我慢した。
「働き始めて間もないというエリカさんが、一生懸命私たちをもてなしてくれる。まだお若いでしょうに、とてもしっかりしている。私の若い頃とは、大違いです」
田中さんの話の着地点が見えず、私たちは大いにとまどった。
「でも、そんな彼女にだって、見えない苦労や努力があるはずです。まったく共通点もないはずの彼女に、私は不思議とシンパシーを感じました」
そんな風に思っていただけたとは、私も不思議な気持ちです。
「そして、ふいに気付きました。風の吹きすさぶ荒野に自生するエリカの花言葉は、『孤独』であるということに」
※※※
「エリカちゃん、エリカの花言葉が『孤独』だって知ってた?」
田中さんたちが帰った後、控室で休憩中に、リエさんが私に聞いた。
「いいえ、全然」
ミネラルウォーターを飲みながら答える。
「でも…… なんか、田中さんっていい人だったわね」
リエさんが言葉を選びながら言った。
「はい。そう思います」
私も笑って言った。
「なんだか、エリカっていう名前が、もっと好きになれそうな気がしました」
リエさんは、お茶を飲みながら「え~、花言葉が『孤独』なのに? もっとこう、勢いのある花言葉のやつのほうがいいんじゃない? 『情熱』とか」と言った。
そりゃあ、リエさんなら、そういうやつのほうが合ってると思いますけどね。
私は、適当に笑ってごまかした。
拙著『医大に受かったけど、親にニューハーフバレして勘当されたので、ショーパブで働いて学費稼ぐ。』の、本編では語られなかったエピソードです。
『ダンジョンメンタルクリニック』シリーズと併せてご覧いただければ、さらに楽しめるかと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。