第09話 八大界王との会食
生身での大気圏脱出と宇宙遊泳、大気圏突入を経験した事で、少し自分の肉体を自在に操るコツをつかんだレジーナは、しかし、ここで調子に乗ったりせずに、比較的安全な魔法を使用して魔法の発動に慣れる事にした。
その為に改めて選んだのは、最も基本的な下級魔法の一つである<照明>。空中に光球を生み出して周囲を照らす魔法だ。
『UPN』では、下級ダンジョンなどで暗闇を照らす際にアイテムを用意していない場合は必須となる魔法で、その習得方法も容易だった事もあり、ほとんど全てのプレイヤーが習得し、お世話になっていた魔法だ。
しかし、ダンジョンの難易度が上がるにつれて、この魔法では照らせない闇黒空間などが存在したり、光に反応する魔物が無限に集まって来て攻略が困難になったりした為に、より上位の光源魔法や暗闇を見通すタイプのスキルを習得するようになって行く高レベルプレイヤーからは、存在を忘れられがちな少し可哀そうな魔法でもあった。
それでも、ちょっと暗い所で便利に使えるので、ライトプレイヤーには良く使われていたのが救いだろうか。
レジーナも、種族特性で暗視系の能力を比較的早期に獲得した為にほとんど使用した事が無く、改めてスキルリストを眺めている時に偶然目に留まらなければ、この魔法の存在を完全に忘れたままだった事だろう。
そんな微妙に不遇な魔法である<照明>の発動を準備したレジーナは、不測の事態に備えて周囲に何も無い事を確認し、人の姿に戻ったルウェルにも注意を促す。
「ルウェル、今から魔法を発動するから気を付けてね」
「はい。かしこまりました」
ルウェルの返事を確認すると、レジーナは慎重に魔法を発動させる。
するとまるで閃光弾のように激しい光が辺りを照らし、眩しすぎてまともに視界が利かない程の状態となってしまった。レジーナとルウェルはそんな状況でも問題無く周りを見る事が出来たのだが、これが普通の人族や魔族であれば軽く数分は視覚が麻痺してしまっていた事だろう。
(あちゃー、これはやっぱり、魔力を込めすぎてるのかな? 今のところその辺は感覚に任せてやってるから、抑えようと思えば抑えられるはずなんだけど……)
ゲームの時はただ対象を指定して発動すると意識すればよかった魔法の発動が、どうやらこの世界ではかなりの部分に使用者の制御を必要としている感触なのだ。そのあたりをほとんど直観に従って行っている今のレジーナは、どうやら無意識の内にかなり大量の魔力を魔法に注ぎ込んでいるらしかった。
なので、それを意識して抑えられれば、ここまでおかしな威力の魔法が発動する事は無い筈だとレジーナは結論付けた。
(こんな感じ? ああ、こうかな? うん、だんだん分かって来た)
そのあたりを意識して魔法の発動を試行錯誤していく事を数回繰り返す。
それでなんとか魔法の規模を通常程度まで落とす事に成功すると、それからさらに数十回程の反復練習で、おおよその魔法制御の感覚を体得する事にも成功する。
その結果として、この世界では魔法に限らずスキル全般がかなりの範囲で使用者の任意に威力や範囲などの効果を制御出来ると言う事が判明した。
『UPN』の頃は、ある程度の制御こそ出来たものの、ここまで自由なスキル制御は出来なかった。例外として生産系のスキルはかなりの自由度で発動する事が出来たが、これはそんな程度の自由度では無い。
この世界での魔法は、虫も殺さない程度の小規模かつ低威力から下手をすれば惑星規模の天体を消し去る事すら可能な程に大規模かつ超高威力まで、注ぎ込んだ魔力の量次第で自在にその威力を変化させる事が出来てしまったのだ。
この現象は、魔法に限らずスキル全般に言える特徴であり、使用時における集中力や込めた魔力、消費された精神力などの様々な要素によって、その威力や効果が制御可能な事が確認されたのだった。
しかも、それだけでは無く、『UPN』のスキルやステータス、種族特性などの能力が現実化した事で発生した影響なのか、『UPN』の頃とは完全にその効果が変わっている能力が幾つか確認された。
その所為でレジーナは、自身の習得している能力の再確認をする必要に迫られていた。
幸い、情報収集系スキルの中でも自分の習得しているスキルなどの効果を確認する際に使い勝手の良かった<詳細閲覧>というアクティブスキルの効果が、『自分の習得している能力全般の効果を詳細に理解出来る』と言うモノに変化していたので、再確認の手間はかなり少なくて済んだ。
しかし、それでもレジーナの習得している能力の数は、スキルだけで六万以上と膨大だった。なので、レジーナはさしあたり自分の能力の中でも特に重要な種族特性と使用頻度の高いスキルの能力を再確認する事から始めたのだった。
◆◇◆◇◆
「レジーナ様。そろそろ休憩されては如何でしょうか?」
レジーナがおおよそ全ての能力の確認を終えたのを見計らっていたルウェルが、そんな言葉を口にしたのは、レジーナが能力の把握を始めて数時間が経過した時点での事だった。
レジーナが目覚めてから身だしなみを整え、謁見を経てからこうして能力の確認を終えた今、地球からの名残で一年三六五日、一日二十四時間の周期で時間を表しているこの世界では、既に夜の六時を回ってそろそろ夕食の時間である。
能力の確認は主に情報収集系スキルの力を頼ったので、実際に使用していた訳では無い。そのおかげで六万以上の能力を確認したにしては、それ程時間が経過してはいない。
それでも十分に長い時間をレジーナは能力の確認に費やしているので、ルウェルとしてはそろそろその作業を切り上げて欲しかったのだ。
ルウェルの提案を受けたレジーナも、もう一通りの能力把握は終わっており、肉体制御もスキル制御も問題無い程度には慣熟出来ていたので、その言葉に従う事にする。
「それでは、まずは湯浴みに参りましょうか。その後に、食事などで気分転換を致しましょう。料理長メイドのサーラがレジーナ様の為にと張り切っているので、きっとご満足いただけると思います」
レジーナの為に既に万全の段取りを整えていたルウェルは、魔法によって次元転移門を生み出すと、レジーナに向き直って次元転移門へとレジーナを誘導するように片腕を伸ばしながら頭を下げる。
「うん、ありがとう」
そんなルウェルの気遣いにお礼を言ってから、レジーナは次元転移門をくぐる。
この世界で初めて食べる食事の事に思いを馳せながら、レジーナはそれと同時に気が付いた自分の肉体の様子についても思案する。
(ルウェルに食事の事を言われて初めて意識したけど、そう言えばこの体になってから、全く空腹も睡魔も感じない。やっぱり、この体って生命活動に必要な行為が全く必要ないんだな。それはそれで便利だけど、少し味気ないかも知れないな)
そのように冷静に自分の変化を受け入れられているのも、この異形の体になった事で精神的にも変化があったからだろうかなどと考えているレジーナ。
そして、一概にそれは間違いとも言えなかった。
『UPN』において蜘蛛の魔族を極めたレジーナは、その到達点の一つである隠し種族、拘束の超越者へと至っていた。この種族は、蜘蛛などの拘束系の能力を持った種族が拘束の性質属性を極め、いくつかの条件を満たす事で至る事の出来る高みの一つだ。
その能力は超越者の名が示す通り、神をも超越する種族と言う設定が成されている。その為、超越者と付く種族には種族特性に生命活動に関するあらゆる行為が不要になると言う能力を持ち、さらに真空などの極限環境への高い適応能力をも持っている。
これらの能力は、『UPN』では特定の極限環境エリアでの能力ペナルティやスリップダメージを避ける事の出来る便利な特性だった。
しかし、それが現実になった事で、レジーナは限りなく不死身に近い異形の化け物へと変貌を遂げていた。
そして、その精神も、肉体に引っ張られるようにより強靭なモノへと変化を起こし始めていたのだ。
その事をまだレジーナははっきりとは認識してはいなかった。しかし、その変化は僅かではあるが確実に、レジーナの心にも影響を及ぼし始めていたのだった。
◆◇◆◇◆
大浴場には、レジーナを待ち構えるように数人のメイドが待機していた。その中には特殊本拠地防衛NPCの一人であり侍女長メイドのミーデスの姿もあり、彼女たちにされるがままにレジーナは服を脱がされ湯船へと導かれる。
その後、ルウェルから前回と同様に優しく全身マッサージを受け、メイド達にあれよあれよと言う間に前回以上に徹底した湯上りの体のメンテナンスを施されたレジーナは、そのあまりの気持ち良さにだんだんと魅了され始めていた。
完璧に身だしなみを整えたレジーナは、再びルウェルに案内されて今度は大広間に辿り着いた。大浴場から程近い場所にあるこの大広間は、流石に玉座の間には劣るものの十分すぎる程に豪華な装飾が施された部屋となっており、華やかでありながら落ち着いた雰囲気を漂わせた空間となっていた。
その中央にはかなりの大きさのロングテーブルが堂々とその存在感を主張していて、その未来的なデザインは部屋の雰囲気と調和して独自の威厳を放っているかのようだった。
そのロングテーブルに傍には、既に八人のNPCたちが立っており、レジーナの姿を確認すると一様にレジーナへと向き直って頭を下げる。
「レジーナ様。ようこそお出で下さいました」
八人の内の一人が代表するようにレジーナを出迎え、レジーナをロングテーブルの上座である奥の短辺に設けられた席へと導く。
そこにレジーナが腰かけると、次にルウェルがレジーナの右斜め前の席に座り、残りの八人も序列に従って順に席に付いて行く。
「クロノス。これはどういう事ですか? レジーナ様の本日のご予定は全て延期の筈でしょう?」
「ええ、その通りですルウェル様。本日の予定はレジーナ様の体調を鑑みて全て延期としておりました。しかし、レジーナ様の体調が無事回復された事と、八大界王からの強い要望もあり、八大界王との会食のみ予定通りに開催させて頂く事になりました」
レジーナはこの場に余計な者たちがいる事を特に気にする事無く食事を楽しみにしていたのだが、ルウェルは何やら険悪な様子でレジーナの横に立っている男を問い質した。
それに対して男――クロノスは、慇懃な態度で自分が予定を変更した事を告げる。
「随分と勝手な事をしますね」
「これは異な事を、レジーナ様のご予定の管理は私の職務とするところ。たとえルウェル様といえども安易な干渉は控えて頂きたいモノですね」
レジーナにも分かる程静かに怒っている様子のルウェルを、クロノスは相変わらずの丁寧でありながらもどこか無礼な態度で宥める。それはレジーナには煽っているようにしか見えなかったが、ルウェルは感情を爆発させる事無く引き下がると、渋々と言った様子で一応納得の言葉を口にした。
クロノスもこれでも特殊本拠地防衛NPCの一人であり、レジーナに仕える家令と言う役割を与えられている。その職責はレジーナの私生活の管理から普段の予定の調整など多岐にわたり、公式な立場ではルウェルの部下でこそあるものの、それに囚われない独自の権力を持っている。
「そうでしたね。しかし、今後はわたくしにも一言報告を行ってからにしなさい」
「ええ、畏まりましたとも。ルウェル様」
そんな事情がある為か、ルウェルとクロノスは仲が悪い。レジーナの前でみっともなくケンカこそしないものの、こうしてお互いの職責を利用した嫌がらせまがいの牽制を良く行うのだ。
一触即発とまではいかないが、それでも剣呑な雰囲気が漂っていた大広間は、一応の静寂を取り戻す。
そんな雰囲気を作り出した張本人であるルウェルとクロノスは、我関せずと言った様子で黙っていた。
そうして黙っていればクロノスはイケメンの部類に入るので結構様になる。その見た目も、頭にヤギのような角を伸ばし背中から蝙蝠の翼と蜥蜴のような尻尾を生やしていなければほとんど人間と変わりは無い。
だが、その纏っている雰囲気は確かに人外のモノで、燕尾服を丁寧に着込んだ執事然とした格好でありながら、誘惑と不吉をごちゃまぜにしたような奇妙な印象を見る者に与えていた。
「おいおい、空気が悪いぞ。これでは折角の食事が不味くなるではないか。オレのみの食事であれば許せるが、レジーナ様との会食をこのような雰囲気にするとは万死に値するぞ」
大広間を包んでいた張りつめた空気を、レジーナよりも支配者っぽい雰囲気を放つ女が、かなり不遜な態度の言葉で破壊する。
レジーナの左斜め前の席であり、ルウェルと向かい合う席に座っている事から、この場での立場がかなり高い事が窺えるこの女の正体は、八大界王序列第一位、最下層であり、レジーナの居城である虚空帝宮城塞プレアデスの存在する第八階層世界:真空の世界スバルビルゴの管理者を務める特殊本拠地防衛NPCの一人、虚空竜セレスだった。
その姿は、宇宙を思わせる漆黒の布地に星々のような輝きを持つ宝石が彩られた豪華なドレスに見合うだけの美貌を備えたモノで、その肌の一部を覆う闇色の鱗とのコントラストが更に彼女の魅力を引き立てている。半人化状態とも言える姿を取っているセレスは、自身の真の姿たる竜の特徴を全身に宿した竜人とも表現出来る見た目をしていた。
それ故か、本当にこの場の支配者になってしまうのではないかとレジーナが思ってしまう程に、その態度も言葉も不遜ではあるものの誇りと自信に満ち溢れたモノだった。
「メイド達よ。レジーナ様も待ち侘びているぞ。さっさと料理を運んで来い」
「セレス。言いたい事は分かるがもう少し言葉を選べ。それではレジーナ様の威を借っているようにも聞こえるぞ」
そんなセレスを諌めるように口をはさんだのは、セレスと同じく八大界王の一人であり、序列第二位、第七階層世界:大空の世界テークビルゴの管理者である男、グリフォンのヴァルナ。
今は人化して背中に翼のある翼人とも言える姿を取っている彼は、セレスと同様に背中に翼のある者専用の特殊な背もたれの椅子に腰かけている。
「ふむ、確かにそうだな。ははは、オレにそのようなつもりは無かったのだ。許せ、レジーナ様」
結果としてセレスの言葉で大広間の空気は弛緩し、それに合わせてメイド達が料理を運んで来た事で何とかレジーナと八大界王との会食が始まる事となる。
食事の形式はフランス風のコース料理を意識しているのか、テーブルには既にナイフやフォークなどの食器が並んでいた。
お通しは無いようで、まず前菜として燃えるような紅い葉野菜を用いたサラダが運ばれて来る。
その後も順にスープや魚料理が運ばれ、レジーナたちは適当に会話を楽しみながら食事を楽しんで行った。
「今日の料理は、余の管理する世界で取れた食材が主に用いられている。きっとレジーナ様の口にも合うだろう」
レジーナが給仕を担当してくれている給仕長メイドのウェンディから、順番に運ばれてくる料理の説明を受けていると、それを補足するように八大界王の序列第五位、第四階層世界:業火の世界マホメザイクの管理者であるフェニックスのウェスタが自慢げに話しかけてくる。
彼女もヴァルナと同じく翼人形態を取っているようで、背後の翼が嬉しそうに動いていた。
「暑苦しいのは貴方の世界だけにしてちょうだい。私が融けてしまったらどうしてくれるのよ」
「ふむ、嫉妬か? 余が羨ましいのならばそう言えば良いのだ」
「ふんっ、言ってくれるわね」
ウェスタに冷や水を浴びせようとして、逆に手痛い反撃を受けてしまっているのは、序列第六位、第三階層世界:凍土の世界シーボヴァルの管理者である雪女のセドナ。
本来の姿が人間と変わりない彼女は、そのままの姿のままでこの場にいるのだが、今日の料理の材料の出所の所為で、少々料理が口に合わず不機嫌になっているようだ。
「ああ、この毒の甘美な味わい、素晴らしいな」
「え? 毒なんて入っていて大丈夫なのですか?」
「大丈夫だよ。僕たちのレベルになれば、この程度の毒なんて毒の内に入らないからね」
メインディッシュとなるヴォルケーノボアと呼ばれる火山地帯に生息するイノシシの肉に舌鼓を打っているのは、第二階層世界:砂漠の世界テミテベレブの管理者であるミイラ女のパラース。
そんな彼女の言葉に驚いているのは、第五階層世界:雷光の世界ミテカザイクの管理者である雷狼のヒギエア。
ヒギエアの疑問に第一階層世界:猛毒の世界ミヤメベレブの管理者、スワンプマンのオルクスが飄々と答える。
レジーナもマナー良くそれらの料理を堪能し、この場にいるNPCたちとの交流を深めて行く。
ルウェル曰く、こういった行為はレジーナが倒れる前も日常的に行われており、それがレジーナの行う政務の一つと認識されているようだった。
確かにレジーナはこれでも一応女帝と言う立場に設定されている。それ故に、立場に伴う仕事や責務が色々とあるようだ。
そのあたりは、この世界が現実となる際に、レジーナがログアウトしている間に行っていた行為の一つと言う形で辻褄が合っているらしい。
ルウェルやクロノスによると、明日からはレジーナにもしっかりと予定通りに行動して欲しいのだと言う。
ゲームの頃は好き勝手に行動していただけに、そう言う事をいきなり言われても困惑してしまうが、レジーナの女帝としての責務だと言われてしまえば断る事は難しい。
レジーナが一日予定に穴をあけた事でその埋め合わせもしなければならないと言う事なので、しばらくは自由に行動出来ないだろう。
しかし、これも考えようによっては孤高の帝国の現状を確認するには都合がいい。
そう考える事でレジーナは取り敢えず納得する事にした。
その後も八大界王との会食はつつがなく進み、レジーナは料理のあまりの美味しさに食事を出来るだけ毎日取る事を決意するのだった。