第03話 目覚めるとそこは……
気が付くと、レジーナは豪華な天蓋付のベッドに横たわっていた。
(あれ? どうして寝ているんだっけ? と言うか、ここ、どこ?)
混乱する頭でレジーナは意識を失う前の記憶を慎重に辿って行く。
(ああ、そうか、突然『UPN』がバグった所為で意識を失ったんだった)
そんな事を考えながらレジーナはベッドから上半身を起こす。その動作で自分の肉体に強烈な違和感を覚えたレジーナの思考はさらに混乱して行く。
(胸、おもっ! てか、何これ? 匂い? 目もありえないほどよく見えるし、視野広すぎ、真後ろが普通に見えるんだけど、て、あれ? 腕が普通に動かせる? 四本とも? ……これ、何でまだレジーナの体のままなんだ?)
とっくの昔にログイン時間は過ぎている筈なのに、いまだに自分がレジーナの体でいる事に疑問を感じながらも、今はそれよりも重大な違和感を与えて来る体の感覚について考えるべきだと判断したレジーナは、自分の体に付いて慎重に確認を行っていく。
まず、一番違和感が大きいのは、胸に感じる重量感だろう。そして、その割に信じられない程に体は軽く感じる。それと、五感からの刺激も信じられない程に細微に感じる事が出来た。
それらの理由を確認しようと視線をまず下に向けると、そこにはいつの間に着替えたのか薄手の女物の寝間着をこれでもかと盛り上げている大きな膨らみが存在した。それが自分自身の体に引っ付いている乳房であり、この体がレジーナのモノである何よりの証拠だと認識するのに、レジーナはしばらくの時間を要した。
もう一つの違和感は五感だ。『UPN』は五感も再現されていたので、元々ある程度は臭いなども感じる事が出来ていた。しかし、今レジーナが感じているのは、『UPN』の時とは比べ物にならない程に、繊細で微細な情報すら感じ取れるようになった五感の感覚だった。
レジーナが初めて見るこの部屋に漂う心地良い香か何かの香りからは、ただのにおいであるにもかかわらず、それがどこからどのように漂ってきているかすら、認識出来てしまう程に様々な情報が読み取れる。
目の方も、現実ではメガネの常用者だったレジーナには、たとえ数メートル先の人の顔すらぼやけて見えて、裸眼では正確に判別する事が出来なかった。
しかし今は、かなりの広さを誇るこの部屋の入口に設置されている扉に施された細微な彫刻すら、くっきりと見通す事が出来ている。視野もかなり広がっていて、周囲三六〇度の全てが正面を向いたままの状態で同時に見通す事すら出来てしまっている。
さらに触覚も繊細だ。肌が露出しておらず、甲殻に覆われているはずの四本の腕。その堅そうな手の平できめの細やかなベッドのシーツに触れてみると、まるで素肌で直接触ったかのようなつるつると滑らかな感触を感じられてしまったのだ。それだけでは無く、その生地を構成する糸の一本一本をしっかりと認識まで出来てしまっている。
また、ゲームの時は動かすのにコントローラーを二個同時に操作するような面倒くささがあった四本の腕の動作が、まるで初めからこの姿で生まれたかのようにスムーズかつ容易に行えてしまっている。
そして、何よりも異常なのは、そんな情報の洪水とも言える圧倒的な情報量を受けても混乱する事無く、しっかりとその能力を扱えていると言う事だろう。普通なら視野が突然広がったりすれば、酔ったりするのが当たり前に思えるが、全くそんな事は無く普通に周囲を認識出来てしまっている。
そして、そんな風に表面上は混乱していても、心の奥底ではまるで穏やかな水面のように波一つ立たない程に冷静な自分が存在している。その自分に意識を移して行けば、それにつられるように表層の自分も落ち着いて行き、何の支障も無く自分の体を受け入れる事が出来てしまう自分に気が付く。
そうして思考を重ねて行くと、今度はその思考そのものの速さにも驚く事になる。いや、これは思考の速さと言うよりも、体感時間と言う方がいいのだろうか? 意識を集中すると、まるで周囲がスローモーションになるように体感時間が物凄く引き延ばされて行くのだ。
先ほどからの思考と確認も、この体感時間の中で行えば一秒にも満たない時間で終わってしまうだろう。
その事を、レジーナはなぜかはっきりと認識出来ていた。
(どう考えてもこの体はレジーナのモノだ。だけど、だとするとここはどこなんだ? これだけ五感が冴えているのは、もしかしてアップデートの影響なんだろうか? でも、通常ならログイン時間が過ぎれば自動的にログアウトされるはずだし、時間が拡張している『UPN』の中で丸一日以上意識を失っていたとは考え辛い。まあ、それもログアウトすれば分かるだろう)
そう安直に考えたレジーナは、いつもの通りにメニューウインドウを開くと、ログアウトの項目を探す。
(あれ? ログアウトの項目が無い? そう言えば、意識を失う前から既に無かったような? これっていったいどういう事だ?)
状況が理解できないレジーナは、ログアウト以外に現実に戻る方法を色々と試して行く。こういった事態による事故を防ぐ為にも、コスモスへと入る為の装置には、ハード的にもソフト的にも何重もの安全対策が施されている。それを思いつく限り試していくが、結果は全て失敗。レジーナはどうやっても現実世界に戻る事が出来なかった。
(何をしてもログアウト出来ない。これってやっぱり、かなりの異常事態って事か。一体僕は何に巻き込まれたんだ? そう言えば、こんな事態に陥る状況ってみんなと話した時に出て来たな。確かゲームキャラ転生だったっけ)
どうやっても現実に戻れないと言う事態に、若干現実逃避気味になったレジーナは、ふと、以前友人たちとの話題に出て来た昔に流行ったライトノベルの内容について思い出していた。
(たしか、ゲームのキャラクターとして異世界やゲームの世界に転生するだったっけ、他にも、ゲーム内に閉じ込められてデスゲームなんてのもあった筈だよな。転生ならまだしも、デスゲームは嫌だな)
現状がそのライトノベルの内容と酷似していると言う事実は、レジーナの思考をその方向へと誘導して行く。レジーナ自身、レジーナと言うキャラクターになれるのならば、実はなってみたいと思っていただけに、その行動は少し期待を秘めたモノになって行く。
(デスゲームの方は確認のしようが無いから、ゲームの世界が現実になったかどうかの確認をして見よう。でもどうやって確かめる? ここがゲームとしての『UPN』だったら決して出来ない事、現実でなければ出来ない事って、……何があったっけ?)
そうして、暫く思考を重ねて行くうちに、レジーナはとある可能性を思いついた。それは、こうした状況で男から女のキャラクターに転生した者ならば、ある種のテンプレとも言える行為だった。
(よし、やるか。これで駄目なら諦めもつくし)
レジーナが行ったのは、自分の着ていたネグリジェのような寝間着を、思いっきり捲り上げる事だった。
それによってレジーナのかなり巨大な乳房は完全に露わになり、外気にその新雪のように白い肌を晒した状態になる。どうやら下着の類は最初から着ていなかったらしい。
(うわ、出来ちゃったよ。でもこれで、ここが『UPN』や大抵の仮想現実サービスじゃあない事は確実だな)
コスモス内において、十八禁に触れるような行為は、それ専用の空間を用意しなければ違法となっていた。当然、『UPN』は戦闘行為などの都合で十五禁ではあるものの、十八禁の行為が可能な空間では無かった。なので、『UPN』のキャラクターモデルには、裸の状態が存在しない。たとえどれだけ服を脱がし、露出を増やしたとしても、下着だけは決して脱ぐ事が出来ず、局所部分はデータとしてすら存在してはいない筈だった。
しかし今、レジーナはかなり危ない格好でその乳房を完全に晒している。そんな事は決して『UPN』の頃は出来なかった。と言う事は、この部屋は少なくとも『UPN』の中ではない事になる。
しかも、『UPN』のキャラクターデータを他のゲームに移植する事は、技術的にかなり難しく実現不可能な筈だった。そうでなくても、予告なくプレイヤーを別のゲーム空間に飛ばした上でログアウト不可能な状態に陥らせるなんて、犯罪以外の何物でも無く、そんな事を実行するだけで『UPN』の運営会社は破滅する未来しか存在しなくなってしまう。
そんな事を実際に実行するとも思えないし、仮に実行したとしてもハード的な安全策を突破して現在の状況を生み出す事は、ゲームの運営会社程度では技術的に不可能だ。いや、たとえこれが国家ぐるみの陰謀だったとしても、ここまでの状況を作り上げる事は出来ないだろう。
そう考えると、この世界は本当にゲーム世界が現実となった世界であるように思える。
仮に違ったとしても、取り敢えずはそう思って行動する方が堅実な判断だろう。
取り敢えず暫定的にこの世界は現実だと結論付けた所で、レジーナは寝間着を元に戻し、さらに思考を重ねて行く。
(ここが現実だとして、まず、一番大きな問題は、ここがどこかって事だな。僕はこんな所は知らないし、気を失う前に着ていた装備は……あ、ベッドの横に置いてあるな。良かった)
レジーナはベッドから降りずに、ベッドの横に設けられていたサイドテーブルに綺麗に畳まれた状態で置かれていた装備一式を確認する。
(うん、全部そろってる。これジュンさんの傑作だから、もし無くなってたらかなり痛かったな)
装備を作ってくれた困った友人の事を思い出しながら、装備を回収して取り敢えずストレージの中に入れておく。ちなみにストレージとは、『UPN』におけるプレイヤーの所持品全般を入れる空間の事で、所謂インベントリやアイテムボックスの事だ。
レジーナはストレージの中身の確認は後回しにして、簡単に使い方の変化が無いかだけを確認するにとどめた。
(よし、ストレージも問題無く使えるみたいだな。それにしても、ここがどこだかわからないと下手に行動も出来ないから、取り敢えずはここで状況の変化を待つとして、次に問題になるのはやっぱり僕が女の子になっちゃったって事だよな)
前にも説明したが、レジーナのプレイヤーはれっきとした男だ。『UPN』では、自分の願望を具現化したような姿のキャラクターになると言う一種の変身願望で、レジーナと言うキャラクターをキャラメイクしたが、その自意識は普通の男のモノだ。それに、多少の女性化願望はあったものの特に性同一性障害と言う訳でも無かった。
レジーナと言うキャラクターは異形の姿をしているが、その基礎となっているのはレジーナ自身の理想を追求した美女の姿だ。そして、その姿を取ろうと思えば、レジーナは人化する事で自由に人間の美女の姿へと変わる事も出来るのだ。
そんな訳で、そんな男がいきなり女の、それも自分が作り上げた理想の女性の肉体になってしまったのだから、当然そう言う欲望が湧いてくるのが自然な反応だ。しかし、そうかと思ってみても、レジーナにはそれほどそういう気持ちが湧いて来る事は無かった。
その事に、安心していいのか、がっかりした方がいいのかよく分からなかったレジーナだったが、取り敢えずは良い事なのだろうと前向きに考える事にした。
(僕の肉体の事はそれでいいとして、僕に起こっているこの状況は一体どれだけの規模で起こっている事態なんだろう? まさか僕だけがこんな事になっているはずはないし、もしかしたらあの時『UPN』にいた全員がこうしてゲームのキャラでどこかもわからない世界にいると言う可能性もあるのか? と言う事は、もしかしたらみんなもこの世界にいるかも知れないって事か)
レジーナが次に考えたのは、自分に起こった事態が友人たちにも降りかかっている可能性だ。レジーナは友人たちと別れた後、すぐに自分の本拠地世界へと戻ったが、他の友人たちはそれぞれに『UPN』を楽しむ為にどこかへと言ってしまったので、レジーナには詳しい行先は分からなかった。もしかしたら、レジーナが巻き込まれた事態に巻き込まれる前にログアウトしているかもしれないし、レジーナと同じようにこの事態に巻き込まれているかもしれない。そう考えると、ある程度行先を知っている数人以外の所在は、レジーナには分かりようの無い事だった。
しかしここで、レジーナの思考は完全に遮られる事になる。
それはこの部屋の扉が何者かによって突然ノックされた事が原因だった。
そして、その何者かの来訪によって、レジーナはこの世界が間違いなく現実であると思い知らされる事になる。