86. マリーン惨敗
私が街に潜伏して数日が経ちました。私は今路地裏から表通りを窺っています。
事態は膠着状態です。子供たちの処遇は未だ発表されず。民衆は貴族に対しての不満を募らせていました。そして、黒幕の手がかりは依然として掴めていません。
表立って活動できないのがこんなにも多くの制限を受けるとは想定外でした。今まではギルドの後ろ盾があり冒険者をこき使う事が出来ていました。しかしそれがない今、私個人でできる活動はわずかです。身を落として初めて分かる、アウトローの肩身の狭さ。
潜伏してから一度しか体を洗えていません。私の髪は色がくすみボサボサです。露店で買ったフード付きのローブも汚れが目立ってきました。手持ちのお金は後1回しか宿屋に泊まれないくらいまで減っています。私の精神はたった数日で追い込まれていました。
衛兵の方は何か捜査に進展があったでしょうか。情報を満足に仕入れることもできないので分かりません。
エルーシャはどうしているでしょう。ここ数日、街では魔物騒ぎが続いているようです。冒険者を率いて対処に当たっているのでしょうか。私が抜けた分、仕事の量に押しつぶされていないか心配です。
いけませんね。嫌な予想ばかりが思い浮かびます。
早く黒幕を見つけなくては。私はそんな焦燥感に駆られて移動を始めました。
そうして街中を移動してしばらく経ったころ、私の目に広場へと集まっていく群衆が映りました。何でしょうか。私はそう思い物陰から観察します。
群衆の数はどんどん増えていきました。おおよそ200人ほどは居ますでしょうか。人が増えるに従ってガヤガヤと喧騒も大きくなっていきます。そして喧騒がピークに達したその時、広場に設置された壇上に一人の男が現れました。黒い髪の青年です。人々の注目がその青年に集まります。
「みんな聞いてくれ! 俺の名前はレイジ! みんなと同じ市民の一人だ!」
レイジとやらはそこで一旦話を止め、群衆を見回しました。群衆はレイジの次の言葉を待ち静寂が訪れます。
「皆もう聞いたと思う! 子供たちが貴族の悪口を言ったことで逮捕された! そしてもうすぐ処刑される! たったそれだけの事で子供たちの命を奪うなんて、非道だとは思わないか!?」
私は目を剥きました。こんな白昼堂々と貴族への怒りを煽る演説をするなど狂気の沙汰です。しかしレイジの演説は止まることなく、その内容はさらに過激なものとなっていきました。
「今こそ立ち上がる時だ! 貴族を倒し、俺たちの手でもっといい国を作ろう!」
間違いありません。あれが黒幕です。ついに本格的に行動を開始したのです。反乱が今まさに始まろうとしているのです。そうなれば市民と貴族の戦争となってしまいます。
許せません。反乱が起きればどれだけの血が流れるか想像もつきません。そんな事を黙って見過ごすことなど私にはできません。
私はフードを深くかぶり直すと群衆に向けて歩き出しました。
そもそも貴族を倒したところで国が良くなるはずがありません。職人の息子が幼い頃から修行をして家を継ぐように、貴族も国を治めるための教育を受けて後を継ぐのです。教育を受けていない市民に政治は勤まりません。
レイジが演説で民主主義を唱えていますが、民主主義を施政するには国家レベルの下地が必要です。まず第一に政治にかかわる国民全員が教育を受けている事が必要不可欠です。
そんなの無理です。教育には時間も金もかかります。子供が教育を受けるために家業を手伝う時間が減れば、生産性は落ち経済は停滞します。子供の労働力無しに成り立って行けるほどこの国は豊かではありません。
教育に時間を取られれば市民の収入は減り、さらに教育費を払わないといけなくなります。職人のような専門性が高い職業は技の伝承が阻害され衰退。議会の決議は多数決になるでしょうから、市民の人気取りのための政治が跋扈し少数派が割を食う、そんな未来が透けて見えます。
私は腰に下げた鉈の柄を撫でました。
『やっちゃう? 殺っちゃう?』
鉈が私にそう聞いてきます。それは甘美な衝動となって私の心を染め上げました。
もしかしたら、殺すべきなのかもしれません。知識を持つ者が行おうとしている悪事を止めるのもまた、知識を持つ者の役割なのではないでしょうか。
私が歩を進めるごとに、群衆との距離が縮まっていきます。レイジの表情もしっかり見える距離になりました。その顔を、私はなぜか憎らしいと感じました。
私の脳裏にレイジを倒す私の姿が浮かび上がってきました。反乱を食い止め、民衆を危険思想から救い、ついでに自身の潔白を晴らす、そんな栄光の未来がそこにはありました。
正義は我にあり!
「止まれ」
その時、背後から私に声をかける者が居ました。知っている声です。それは私より強い人の声でした。
「武器から手を離せ。フードを取ってゆっくりこちらを見ろ」
私は逆らえず、命令に従いました。振り向くとそこにはエドガーさんが居ました。衛兵の制服ではなく私服姿です。
「エドガーさん。どうして止めるのですか。あの演説を止めないといけない事は明白でしょう」
「分かっている。黙って見てろ。もうじき作戦開始だ」
エドガーさんがそう言うと同時に、笛の音が鳴り響き衛兵たちが現れ広場を封鎖しました。さらに数人の衛兵が壇上のレイジに飛び掛かり拘束し、口に猿轡を噛ませます。
そこへ隊長さんが現れ壇上に上がりました。
「聞け! 近頃子供たちが処刑されるなどという噂が流れているが、これはデマだ! 子供たちはもうじき解放される!」
その言葉に民衆にどよめきが起こりました。
「子供たちは確かに貴族に対し暴言を吐いた! しかし、それはある男にそう吹き込まれたからだ!」
「ある男って誰なんだ!」
隊長さんに向かって質問をした群衆の一人に、私は見覚えがありました。衛兵の一人です。私服姿で紛れ込んでいました。サクラという演説テクニックの一つです。
「この男だ!」
隊長さんはそう言ってレイジを指さしました。それを見た群衆に再びどよめきが起こります。
「この男が子供たちに貴族の悪口を言うように仕向けたのだ! そして子供たちが処刑されるなどとデマを流し、民衆の怒りを貴族に向けようとした! すべてはこの男の自作自演だ!」
それを聞いた人々のどよめきが、次第にレイジへの罵詈雑言と化していきました。隊長さんの演説が流れを変えたのです。
「諸君らはこの男に騙されようとしていたのだ! この男はこの国の平和を乱す反逆者である!」
人々の怒りは完全にレイジへと向かいました。レイジに向かって石を投げる人までいます。ついさっきまで反乱のメンバーとなる寸前だった群衆が、今では被害者ぶって反乱の首謀者への罰を望んでいました。人間って怖い。
「どうだ、お前が出る幕は無かっただろ?」
エドガーさんがそう言いました。ええ、まったくもってその通りです。私の出しゃばる要素などありませんでした。
「とりあえず来い。聞きたいこともあるだろう。隊長に無事な姿を見せてやれ。一応心配していたようだからな」
一応、ですか。あの人らしいですね。
こうして私はエドガーさんに連行されたのでした。




