クソガキ
マリーンです。今は昼過ぎ。私はメアリー姫の屋敷に赴いていました。今日は家庭教師の初日です。
「あたしは勉強なんかやらないわよ!」
メアリー姫は開口一番、そう言いました。
「駄目です。姫には礼儀作法を学んで立派な淑女になってもらいます」
部屋の中を逃げ回る姫を私は追いかけます。
「どうせお父様からそう命じられたんでしょ!」
「そうです」
いくら王族用に作られた部屋と言っても、そこまで広いわけではありません。私は姫を部屋の隅に追い詰めました。じわじわと距離を詰めていきます。姫は身を守るようにぬいぐるみを正面に抱えていました。
「さあ、追い詰めましたよ。おとなしくしてください」
突如姫が椅子を投げてきました。あっぶな! 私はとっさにそれを避けました。その隙に部屋の外に逃げようとした姫を、後ろから追い付き羽交い絞めにします。
普通は王族にこんな事許されません。が、私には王命という免罪符があります。まるで野生の猿のように好き勝手する姫を相手に強硬手段に出る事も許されます。多分。
王都でどうだったか知りませんが、手が付けられなくなってここに追いやられたのです。どうせ同じように暴れたのでしょう。ならまずは力関係をはっきりさせます。これぞ調教の基本。
ですが、どうやら簡単には行かないようです。
「離しなさい! あーもう! “眠れ!”」
姫がそう言うと、私は次の瞬間には意識を失っていました。
〈状態操作 LV2〉、それが姫の持つ神級スキルでした。ステータスの状態欄を自由に書き換える事ができます。私が意識を失ったのは、睡眠の状態異常をステータスに貼り付けられたからでした。
私の目が覚めたのは数分後。姫の従者さんに起こされました。姫は屋敷を脱走して街に逃走したそうです。
王都でもよく街へ勝手に降りていたそうですが、一応王族なので安全を考慮しないといけません。衛兵隊とギルドに連絡して一大捜索網を形成。姫を探しました。街は大わらわです。
捜索の結果、姫は孤児院で子供たちと遊んでいる所を発見されました。
「私の遊び相手をした報酬よ。受け取っておきなさい」
発見された姫は孤児たちに金貨を渡すと、衛兵たちに護衛されながら屋敷に戻ったのでした。
次の日。私は麻痺を掛けられ姫は街に逃走。またも捜索騒ぎとなりました。
さらに次の日。今度は酩酊を付与されました。そして捜索騒ぎ。
そしてさらに次の日。今度は記憶喪失にされました。捜索騒ぎです。
次の日、石化、捜索。
ク! ソ! ガ! キ! め!
私はいい加減キレました。こっちは姫一人に構っていられません。ギルドの仕事も並行して行っているからです。暇ではないのです!
ギルマスに許可をもらって更なる強硬策を取ってやります! なんなら隷属の首輪でも付けてやりたいくらいです!
そんな訳でギルマスの執務室へ。
「それはお前、信頼関係を結ばないからそうなるのだ」
私はギルマスにそう返されました。ぐうの音も出ない程に正論です。
「王女の事をお前は理解できるはずだ。だからお前を任命したのだ。まずは話し合ってみろ」
「はい……」
窘められ頭を冷やされた私は、そう返事する事しかできませんでした。
理解できるはずと言われても、私は姫の事をほとんど知りませんでした。知っているのはギルマスから大雑把に聞いた生い立ちくらい。冷遇されたからと言って、ここまで性格をこじらせるものでしょうか。
姫の過去に、一体何があったのでしょう。私の中にそんな興味が湧きました。
次の日。またしても姫が街に逃走しました。というか、私が屋敷を訪れた時にはもう逃走していました。私が昼過ぎに屋敷に来ると学習したのでしょう。
もはや恒例となった捜索騒ぎ。駆り出された衛兵達からまたかよという目を向けられつつ、私たちは姫を探しました。
「お前にしてはずいぶんと手を焼いているな」
一緒に捜索していたエドガーさんがそう言いました。
「嫌味ですか。私はもうスキルを失ってただの人ですよ」
「……そうだったな。それにしても神級スキルだったか。王族な上にそんな大層な力に恵まれていながら、一体何が不満なんだろうな」
「一度平民として育ってしまうと、貴族の暮らしは息苦しく感じるのですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
そんな話をしている内に、道に行列が出来ているのが目に付きました。その行列は治癒院に続いています。
「なんだ? 事故で怪我人が出たのか?」
エドガーさんが首をひねります。私たちは治癒院を覗いてみる事にしました。行列が出来ているだけあって、治癒院の中は人で溢れ返っていました。
「居た……」
人だかりの中に姫がいました。並んでいる人に順番に手をかざしています。その姫を人々は崇めるかのように見ていました。
「何をしているのですか、姫」
私は姫の元に行きそう声をかけました。姫は横目で私を一瞥し、そして口を開きました。
「見ての通りよ。病気を治してるの。治癒院の人に許可は貰ってるわ」
そこに居る姫は、屋敷で暴れていた姫とはまるで別人のようでした。とても落ち着いた様子で作業を続けます。
「あたしの能力なら不治の病も直せるのよ。状態欄に表示される病でさえあればね」
「それは……凄まじいですね」
〈状態操作〉は予想以上に強力なスキルだったようです。きっと死亡状態も操作できるんでしょうね。どこぞの教会関係者に目を付けられないか心配です。
「まあ、ちょっとした持病の人とかが大半なんだけどね。ここに来てる人たち」
「王都でもこんな事を?」
「そうよ。意外だった?」
「ええ、まあ……」
そう言えば逃走初日は孤児院に行っていましたね。奉仕活動が好きなのでしょうか?
「あたしはまだ屋敷には帰らないからね」
姫が行列を見ながらそう言いました。私もつられて行列を見やります。姫のことを聞いて集まって来たのでしょう。まだまだ列は長いです。
「……仕方ありませんね。今日は特別ですよ?」
姫の治療活動は夜まで続きました。
次の日、私はいつもより早く姫の屋敷へやってきました。ちょうど昼食時。私は会食用のテーブルに座って姫を待ちます。私の分の食事は昨日家臣の人に言って用意してもらっていました。
執事に連れられ、姫がやってきました。
「な、なんであんたがもういるのよ!」
私を見た姫はぬいぐるみを盾のように構えました。警戒されています。
「今日は昼食にお邪魔させていただきます。いろいろ話したい事もあるので」
「説教は聞かないわよ!」
「しませんよ。それよりまずは食事にしませんか? せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
姫の視線が私と料理を行き来していました。テーブルの上には出来立ての美味しそうな料理。私という来客のためにコックが特別に作った品の数々です。
「うざかったら眠らせるからね!」
姫は渋々ながら私の対面に座りました。ここまでは予定通り。
そうして私たちは食事を進めました。どうやら姫はテーブルマナーを身に着けていないようです。食器はカチャカチャと音を立て、テーブルクロスには食べかすが散らばっています。そして大口で料理を頬張っていました。
一方私はテーブルマナーを修得しています。優雅に食事をして見せました。それを見た姫は対抗するようにテーブルマナーを意識し始めましたが、慣れていないためうまく出来ません。これが私と姫の教養の差でした。
「あなたのコックはいい腕を持っていますね。この腕なら王宮に残ることもできたでしょうに辺境まで付いて来るとは、姫は慕われていますね」
料理を前に四苦八苦する姫に、私はそう切り出しました。
「……うちのコックは昔病気で目が見えなくなったのよ。だからあたしが治したの」
「ええ、本人からもそう聞きました。あなたの家臣団はほとんどがあなたに恩があるそうですね」
「なによ。知ってて聞いたの?」
姫が上目遣いに睨んできました。私の手の平の上で転がされていると感じたのでしょう。
「まあそう睨まないでください。私は姫の事をもっと知りたいと思っているんですよ。だからこうして会食の場を用意してもらったんです」
「あんたに話す事なんてないわ」
姫がそっぽを向きました。
「どうして王都で問題を起こしたのか。どうして王族としての教育を毛嫌いするのか」
「……」
「理由があるのではないですか? 不満を感じる理由が」
姫は尚も答えません。しかしぬいぐるみを抱える手に力が入っていました。
「話してくれないのは後ろめたいからですか?」
「そんな事無いわよ!」
姫がこちらをチラ見し始めました。人は悩みがあれば打ち明けたくなるものです。恐らく姫の中で不幸自慢したい欲求が渦巻いているのでしょう。私は行けると確信し姫を直視し続けます。
「……分かったわ。そんなに聞きたいなら聞かせてあげる」
姫、陥落。思ったよりチョロかったです。所詮は子供ですね。
「教えてあげるわ! あたしがここに来るまでの出来事を! 聞き終わった時、あんたはあたしの境遇に涙するでしょうね!」
姫はそう前置きして自己語りを始めたのでした。




