119. 人質
暗殺者の襲撃を受けた翌日、私は教会を訪れました。フルーさんへの手紙を出すためです。司教のクルツさんに渡せば教会を通して教国のフルーさんに届けてくれます。
「こんにちはクルツさん。いつもありがとうございます」
クルツさんに会った私はクルツさんにそうお礼を言いました。ですがクルツさんの表情が固まっています。何かあったのでしょうか。
「マリーンさん、丁度いい所に来られました。今からそちらに伺おうとしていた所です」
申し訳なさそうにそう言うクルツさんに、私は不安を覚えました。嫌な予感がします。
「どうしましたか」
「フルーさんが誘拐されました」
クルツさんのその言葉に、私は強い衝撃を受けました。目眩すら覚えるほどの感情の揺らぎ。私はなんとか冷静さを保ち言葉をひねり出します。
「それは、一体、どうしてですか」
「ウォッチ教内にもマリーンさんを欲する勢力は存在します。ですがここは他国。簡単には手を出せません。しかしちょうどマリーンさんと親しい人物が教国に居ました。それがフルーさんです」
「つまり、人質ということですか」
この怒りを、どう表現すればいいのでしょう。怒気などといった表現では収まらない程の激情が私の中に溢れてきます。
「申し訳ありません。フルーさんの身柄を預かっておきながら、身内の手によって危険に巻き込んでしまいました。我々の責任です」
クルツさんが頭を深く下げました。誠心誠意の謝罪を受け、私はひとまずこれからの話をします。
「それで、誘拐犯はなんと」
「フルーさんの命が惜しければ自分の元に来い、と」
「何者ですか」
「オーブン・レングラム枢機卿。教国では革新派のトップとして知られる人物です。スキル研究の権威でもあります」
枢機卿といえば教皇に次ぐ教会の権力者。貴族で言えば公爵や大公に匹敵する身分です。
「フルーさんが誘拐されたのは近くても1ヶ月前ですよね。私が向こうに行くのにさらに2ヵ月。そんなに時間が経っていては、向こうに着いた時には事件が解決されているのでは。憲兵とかによって」
教国へは馬車を使って2ヶ月ほど掛かります。早馬でも1ヶ月。簡単に行ける国ではありません。
「いえ、フルーさんが誘拐されたのは昨日です」
「そんな馬鹿な」
「遠方と時間差なく連絡が取れる魔道具があるのです。それによりオーブン枢機卿から連絡を受けたのです。まだ事態は進行中です」
「そんな魔道具が……」
「さらに言えば、この事を知っているのはオーブン枢機卿側を除くと私とマリーンさんだけです。オーブン枢機卿はこの事をマリーンさん以外に話せばフルーさんの安全は保障しないと言っています」
クルツさんの話は続きます。
「それと移動手段についても問題ありません。教国で極秘に開発された転移魔法陣がこの教会と教国を繋いでいます。移動は一瞬で」
「え!? ちょ! そんな事話して大丈夫ですか!?」
私はクルツさんの言葉が終わるのを待たずそう聞きました。クルツさんの話が本当なら、教国はいつでも軍隊を各国の教会に送り込めるという事になります。バレたら国際問題に発展しかねません。
「この機密を話すのはマリーンさんへの誠意です」
……聞いてしまったものは仕方ありません。どうせ教国に行く時になれば知る事です。
「それでどうしますか? あなたがオーブン枢機卿に従い教国に来れば、それだけフルーさんに危害が及ぶ危険が減ります。来ないのであればこのまま憲兵に連絡してフルーさんの奪還に動きます」
「少し、時間を下さい」
私は答えを保留しました。本当はすぐにでも救出に行きたい所ですが、先にやるべき事があるからです。
「すぐ戻ります。返事はその時に」
「……分かりました」
私は教会を後にしました。
私はギルド横の訓練場にやってきました。中に居た冒険者を職員権限で追い出します。そして入口を施錠。
私は訓練場の中央に立ちました。そして虚空に呼びかけます。
「ニーモさん、姿を見せてください」
私がそう言うと、ニーモさんが正面に現れました。スキルによる透明化を解いたのです。ニーモさんはずっと私のそばにいたのでした。
「教会での話は聞いていましたよね?」
「行かせませんよ」
確認のために聞いた質問に、ニーモさんは端的にそう答えました。
「ニーモさんならそう言うと思っていました」
「……ヨハンがあなたを守っているのは、あなたがヨハンに属するという意思を持っているからです。神級スキルが他国の手に落ちるなど看過できない事態です。ヨハンどころかこの国を敵に回しますよ」
ニーモさんの言葉に私はうなずきます。言われるまでもなくそんなことは理解していました。それはニーモさんも承知の上。それでも口に出して言うのは、ニーモさんが私を引き留めようとしているから。
「フルーさんを救出したらヨハンに戻ると言ったら?」
「戻れる保証などどこにもありません」
「ええ、その通りですね。ニーモさんの立場からすれば行かせる訳にいかないとも分かっています。ですのでこれは私のわがままです。」
私はスリングショットを取り出しました。なぜなら次に言う事はニーモさんとの対立を意味しているから。ニーモさんとの戦いを避けられなくなるから。
「マリーンさん、止めてください。それ以上言えば私はあなたを殺さなければいけなくなります」
ニーモさんが制止します。私は一度深呼吸し、そして宣言しました。
「それでも、私はフルーさんを助けに行きます」




