【完成させてはいけないモノ】
………不思議です。色々伸びました。
ちょっとだけホラー描写?があります。結構ヤバい系のイケメンがおります。想像したら負け。
蝉の鳴き声と風が雑木林の中を通る音が聞こえる。
グラウンドの方から聞こえた運動部の掛け声は少々の余韻を残しながら消えていく。
茜色がかった陽の差し具合や影の長さが少しだけもの悲しさを助長している様で、私は妙な息苦しさを覚えた。
体育館裏から唯一出入りできる、三段しかない階段に腰かけて、ぼうっと空と校舎を眺め続ける。
待ち合わせしている時に感じる独特の期待と不安が入り混じった心境に苦く笑う。
短く少し急いたような足音が聞こえてきた。
視線を向けると、葉山寮長が体育館の角を曲がる所だったようで目が合う。
彼は、学校指定の半袖Yシャツという比較的しっかりした格好だった。
肩にかかった学生鞄には古い御守りが揺れている。
やっぱり受験や就職が控えている三年生は他の学年とは少し違ってしっかりした服装なんだなぁ、なんて感心しながら寮長に駆け寄った。
「葉山寮長来てくれたんですね」
良かったと彼の正面に立つと、彼は少し意外そうに目を瞬かせた。
肩にかけた学生鞄を地面に置いた寮長はキョロキョロと周囲を見回している。
視線は主に窓ガラスのある方向や人が来そうな場所へ向けられているので、これからする会話が彼にとっても人に聞かれては不味い事であることはわかっているようだ。
「そりゃ、ちゃんとメッセやりとりしたんだから来るって。江戸川は一人か」
「はい。人にあまり聞かれたくはないので」
あははと笑えば少しだけ彼の体に力が入った。
無意識に一歩足を引いたらしく、ジャリッと砂と砂利が混じった独特の音が鳴る。
体育館横に広がる雑木林に目をやると枝が、葉が、盛大に騒めいていた。
「――――……で、話ってなんだ?まさかとは思うけど愛の告白とかじゃない、よな?」
どこか茶化すような声色で話す寮長だったけれど表情は硬いままだ。
こういう所は高校生っぽいな、なんて和みつつ返事を返した。
彼との距離は十分にとる様にと言われているので、手を伸ばしてもギリギリ届かないような距離を意識して立っておく。
いつでも連絡できるように、というか寮長が来てから直ぐスマホの無料通話アプリをオンにした状態でポケットに入れている。
繋がっているのは封魔のスマホだ。
私たちの会話は彼に筒抜けになってしまうので心苦しい。
(葉山寮長には悪いけど、こうでもしないと許可下りなかったし)
実は、直接本人に聞くっていうこの方法は須川さんにも反対された。
時間がなかったから会った時に口頭でちょろっと「例の件、本人に訊いてみます」って報告したのだけど即座に却下されて驚いたっけ。
(結局、放課後の打ち合わせしてた封魔と禪が色々条件提示してくれて、そこで予鈴なったんだよね。次の休み時間に職員室に会いに行ってみたけど須川さん凄く忙しそうで……返事は手紙っていうあんまりないパターン)
それでも手紙の文面からはどこか “仕方がないので、許可しましょう” みたいな雰囲気が漂っていた。
「違いますよ、流石に」
「だよな。ちょっと安心したわ」
知らず知らずのうちに漂っていた緊張が緩んだのが分かって、私も彼も少しだけ普段の調子を取り戻す。
相手の表情が和らいだところで私は単刀直入に疑問を口に出した。
「本題なんですけど、葉山寮長はもうわかってますよね。俺がここでしたい話のこと」
「―――……悪いな。これがさっぱり分からないんだ」
心当たりもないし、と嘯く彼に私は笑みを浮かべるのを放棄した。
多分、彼は自分が浮かべる笑みの種類が切り替わったことに気づいていないのだろう。
声色が変わらないのに貼り付けた笑顔。
笑っていない冷え冷えとした目。
どこか普段とは違う雰囲気。
さりげなく霊視をすれば、彼の全身を薄っすらと靄のようなものが覆っている。
一応、御神水は持ってきているけど突然振りかけたら怪しいよね……なんて悩みを抱えつつ、まずは“こちら”のことを話すことにした。
「俺はこの学校に仕事をしに来ました。生徒を護ること、それが仕事なんです」
「仕事、ね」
「はい。『正し屋本舗』という店の従業員をしています。業務内容に依頼内容を漏らさないっていう項目があるので詳しく話せないんですけど……目に視えないものや科学で証明しにくい事を取り扱っている会社です」
単刀直入に霊能者ですっていうのが早いかもしれない、とは思ったんだけど幽霊だけじゃなくて妖の類もいるしいつも表現に困るんだよね。
うーむ、と腕を組んで悩む私に、硬く冷たい声と敵意が滲んだ視線が向けられた。
「江戸川がそういうバイトしてるのはわかった。けど、その仕事のことで俺に用事があるっていうのがどうにもわからないな。関係なさそうだし帰ってもいいか?クラスの奴らと進路相談しようって話してるんだ」
そういって踵を返した先輩が足元の鞄を持ち上げたのを眺めながら口を開く。
「――――……岸辺 友志」
弾かれたようにこちらを振り向いた彼の顔は動揺で彩られている。
揺れる視線に申し訳なさを感じつつ、彼の想いを聞くために口を開く。
「わかりますよね、貴方の親友です。一年生の時に亡くなった」
「なんで、そんな」
「俺が知りたいのは貴方がどこまで知っているのか、どこまで関わっているのか……です。他にも色々聞きたいことはありますけど、最低でもこの二つは教えて貰わないと対処のしようがない」
対処、と何処か呆然とした声で繰り返す寮長は小さな子供のように見えた。
感情のこもらない声を心配しつつこちらが分かっていることを早々に話すことにする。
「貴方が三年前に起きた事件をきっかけに呪術を使い始めたことはわかっています。その対象は虐めの加害者。実際の効果の有無はわかりませんが、恐らく呪いの執行後、呪いをかけた人に何かしらの事故や事件が起こり、加害者に不幸が降りかかった」
違いますかと一度言葉を切る。
寮長は俯いたまま、ピクリとも動かない。
立ち竦んでいるというか人形みたいに微動だにしない姿に警戒を強めた。
「この後、貴方は文芸部に『栄辿七不思議について』という冊子を書いてもらっている。その内容は今現在伝わっている怪談を事細かに書き記したものです。自分の学校の怪談が書かれているなら、興味を示す生徒も少なくなかったんじゃないですか? だから、広まった。勿論書いた本人も広めたでしょうし、その友人、友人の友人……といった風に広まっていく。ああ、ネットやなんかを利用すればもっと簡単に広がったでしょうね。学校の裏サイトなんてものもあるようですし」
怪談は昔から口伝に伝わっていくのが一般的だった。
でも、今は口伝以外にもインターネットからの拡散というものもある。
噂が広まるのは昔よりも早い。
憶測だけど爆発的に、そして速やかに噂は広まった筈だ。
(まして、事件があった後だ。何かしらの“娯楽”を求めても不思議じゃない)
寮長は何も言わない。
「それと、初めて七不思議を聞かせて貰った時に『寮長が怪談を新入生に話し、次の寮長へ伝えることが義務の一つ』と貴方は言いました。でもあれは、当時の寮長が葉山寮長と話をして面白そうだから、という理由で始めたんですね。貴方の場合は“面白そう”という理由ではなく必要だったからしたんだと思いますけど」
まことしやかに生徒たちの間で怪談は広がり、徐々に不穏な空気を纏っていく。
この怪談を機に、夏休みの前後で必ず怪談・心霊ブームというのが起こるようになった、と数人の卒業生から得た証言もある。
新しい怪談が広まった年は殊更盛り上がっただろう。
「七不思議が広まると今度は『オマジナイ』が流行った。ただこのオマジナイは限定的で、当時事件にかかわっていた加害者に虐められていた生徒たちの間でだけ広まっています。これも、貴方がしたことですね」
被害に遭っていた人物は特定しやすかったはずだ。
大きな事件があった後で当事者は謹慎なりなんなりで学校にはいない。
溜まった感情を一気に噴出させるいい機会だっただろう。
オマジナイが『呪い』のようなものであると気づいていた生徒も恐らくいた筈だ。
それでも、止めなかったのは……――――
「その場にいた加害者は皆転校して行ったと聞きました。でも、その後は自殺や事故に巻き込まれていたり、自室に引きこもったり、病気を患っていたりしているそうです」
オマジナイの効果だとは言わない。
でも、少なくとも影響はあったんじゃないかと思う。
小さく息を吐いた私は一度視線を地面に落とし、再び顔を上げたんだけど思わず、息を飲んだ。
「っは……は、はははははっ!何人かが、死んだのは知ってたけど、そうか、あいつら全員“報い”を受けたんだな。なぁなぁ、どうやって死んだ?どいつが死んだ?自殺したのは?ああ、事故った後障害は残ったのか?それとどんな病気にかかったのか教えてくれよ、調べたんだよな?な?」
響き渡るような笑い声だった。
湧き上がる気持ちを人目も気にせずに嗤う姿は異様だった。
眼球が零れ落ちるんじゃないかと思うほどに目を見開いて、口が裂けてしまうんじゃないかという位に開けられた口からは絶え間なく、途切れることもなく狂気じみた笑い声が紡がれる。
霊視モードに切り替えたままの視界にも異常があった。
漂うだけだった靄が濃度を増して彼の全身に絡みついていた。
(ど、どうしよう?!これ祓った方がいい奴だよね!?)
寮長もどんどん様子がおかしくなっていく。
額には玉のような汗が沢山浮かんでいて、見開かれた瞳からは止めどなく涙が流れていて黒目の部分が落ち着きなく小刻みに左右に激しく動いている。
殺虫剤をかけられた蠅の様な動きに生理的な気持ち悪さを感じて後退れば、人らしからぬ動きでこちらへ足を一歩、踏み出した。
笑いすぎて口の端から涎を垂らした寮長が私を見た。
「ァは、あハハははぁはハハハ!江戸川ぁぁあぁあっ!なぁあと少しあと少しあと少しあと少しでぇぇ!!」
空いていた筈の距離が一気に詰められて両肩を掴まれる。
上腕二頭筋辺りをがっしり掴まれてるせいで、動きにくい。出来ても身じろぎ程度だ。
爽やかなイケメンがこうも狂気じみた顔になるのかと感心すらしながら、私は自然と及び腰に。
腰は引けているものの、どうにか掴まれた手を振りほどこうとするけれど全く歯が立たなくて気が急いた。
引きはがす為に両手を使って抵抗をしながら引きはがそうとしても、びくともしない。
「あははじゃないですよ、寮長しっかりしてくださいッ。乗っ取られてる場合じゃ……!?」
「ふは、ふははははっ!もうすぐ、もうすぐもうすぐもうすぐ完成するんだっ!たたたたくさん集めたからな、凄いのができるんだ出来上がったら生き残ったアイツら全部喰って友志や恵里の敵を討つんだ」
すごいだろういいだろう、と唾を飛ばしながら寮長は鼻と鼻が付くくらい顔を近づけてくる。
残念ながら『きゃっ!イケメンの顔がこんなに近くに!』なんてことにはならない。
白目剥いてるイケメンはイケメンにあらず。
なまじ、顔が整ってるだけ怖さが倍増だ。
正気じゃないのはまぁ表情と行動と言動を見ればわかるので置いておくとして、この状況をどうするかが問題だ。
「せめて腕から手をどけてくれればッ」
このままだとお祓いは出来ない。
精々祝詞を口にする程度だ。
せめて、少し距離ができれば御神水をかけて祓えるかもしれないのに!
そこまで考えてお祓いがあまり得意ではない自覚はあるけど、一応落とし方はわかっている。
(動物霊の類なら直ぐはなれてくれるんだけど、離れてくれないってことは確実に動物以外の霊ってことだよね)
抵抗をつづけながら、会話を試みる。
「完成って、何が完成するの?!完成したら喰うってどう考えてもあれなんだけど、それ完全ヤバい奴!」
同じ言葉を繰り返す寮長の体を押し返すことも出来ずに、バランスを崩して地面に倒れ込む。
伸し掛かられ、覆いかぶさる様に私を地面に押し付ける寮長はもう完全に白目をむいていた。
恐らく意識はもうないだろう。
首が前後にがくがく揺れているのに、拘束する力は一向に緩まない。
耳を澄ませてみても有用な情報はなくて、どうしたものかと考えていると寮長の行動が少し変化していることに気づいた。
「どこ、完成かんせいカンセイ何処、どこドコ完成どこカンセイ何処カンセイかかかかんか完成どこ」
首どころか体を小刻みに、がくがくと震わせながら私の体を見回している。
時々覗き込むように体を動かしているので、不気味さが増している。
寮長我に返った時むち打ちみたいになってるんじゃないかなぁ。
悟ったような表情をしている自覚はある。
(なんかもう、これどうしようもないような……?)
どうしたもんかなーと考えていると、微かに足音が聞こえてきた。
それはどんどん近づいてくる。
まぁ、比例するように寮長の力も強くなってきてるから、腹筋の辺りに足の裏を当てて思いっきり押し返してはいるんだけど成果はない。
「あ、封魔だ。ごめんちょっと助けてくれないかな。寮長ちょっと憑りつかれてるみたいでさ」
「ッ……アホかお前!笑ってる場合じゃねぇだろ、暢気にしてんだ!?何かあったら呼べっていっただろぉがよ!!」
地面に背を付けた私に伸し掛かり、奇怪な動きをしながら抑え込んでいる寮長と抑え込まれている私を見た封魔の第一声がそれだった。
お腹の底というか体の芯にビリビリ来る声量と迫力満点の重低音に身を竦めた。
力が緩んだ隙に、寮長の手が素早く腕から首に移動して思い切り締め上げられ、呼吸ができなくなる。
首の薄い皮膚に食い込む太い指。
男の子ならば喉仏があるであろう場所に親指を遠慮なく食い込ませて、雑巾を締め上げるように他の指にも力が込められていく。
「かッは……!?」
「優?!おい、寮長なにし……ッ白目剥いてやがる。くっそ、正気じゃねぇってこれほどわかりやすく表現してくれるなんてありがてぇなァ、おい!?」
封魔が盛大な舌打ちをしながら寮長の手首をつかむ。
それが切欠なのかはわからないけれど首にかかる力が一気に強くなる。
酸素が一向に入ってこない苦しさと吐き出せない苦しさを同時に味わいながら、力を振り絞って足に力を入れ、引きはがすべく抵抗をする。
(くらくら、してきた。ちょっとこれヤバいかも)
短い濁音が自分の喉から漏れる。
力を込めている所為で顔というか首から上に血が上って、熱を持っていくのが分かった。
締められている首から上は熱いのに指先や足先は酷く冷たい。
意識が遠のく前に感じる独特の浮遊感と虚脱感が私の意識を逸らした。
徐々に力が抜けて、瞼が下がっていく。
「――… ッ!!」
おとが聞こえる。
封魔の赤がチラチラと視界に映って、ひどく切羽詰まったような気配を感じて口元が少し緩む。
また迷惑かけちゃうな、と思う反面気にかけてくれているという事実がちょっぴり嬉しくて。
ごめんね、と心の中で謝った直後
テレビの電源が落ちるように景色が一瞬で黒く塗りつぶされた……―――――
◇◆◇
眠る時と同じような暗闇。
やや慣れ始めてしまった暗転した後の世界にちょっとだけウンザリしつつまずは現状把握に努めることにする。
今回は感覚が残っていて思考、というか意識もあるようだ。
(死んだって訳じゃなさそうだし、失神したのかな。前にテレビか何かで首を絞められると失神することがあるって聞いたような見たような)
上下左右関係すべてが黒い空間で手足などの感覚もない。
その黒い空間の中で私はあるモノを見つけた。
音も色もない所にポツンと一本の枯れ木が立っている。
(これ見覚えがある。ある、んだけど……どこでみたんだっけ)
あまりいいとは言えない記憶力をフルに活動させて考えて、ようやく思い浮かんだのはあの枯れ井戸。
確かその横に似たような姿かたちの枯れ木が在った筈だ。
二つの象徴のようなものを思い浮かべた瞬間の事だった。
暗闇で再生される、町内会長から聞いた昔の話。
(嫉妬に狂った奥さんが燃やしたっていう木かな、これ)
自棄に生々しい悲恋というかドロドロした物語のような事実が滔々と語られる。
CDやDVDというよりも、レコードやカセットテープといった感じの音質に妙な風情を感じつつ耳を傾けながら、一生懸命考える。
(七不思議が活性化というか人を死に追いやるまで変化したのは寮長の行動があったからだとしても、それ以外で起こった霊障は?寮でのポルターガイスト現象が一番妙なんだよね。『緑』って呼ばれる山桜寮でそれが起こったっていうのが納得できない)
寮長は自分がまとめる寮で“イジメ”が起こらない様に細心の注意を払っていたし、起こさないように努力もしていた。
ある種の“聖地”のような寮で、霊現象が起こるなんて予想もしていなかったんじゃないかな。
あまり覚えていないけど、あの時の寮長は凄く動揺していたように思える。
靖十郎や封魔が私に集中していたから気づかなかったみたいだけど、私の頭を撫でた時の顔は確かに青ざめていた。
(別のってなると……やっぱりあの井戸?でも、なぁ)
なんだろう、妙に結びつかないというか何かが足りない気がするのだ。
『正し屋』に持ち込まれる依頼には、色々な種類がある。
勘違いや化学的というか物理的な原因があるもの、小動物の類、人による嫌がらせによるもの……まぁ、そういうのは基本的に須川さんが“視れば”わかるから家では扱っていないんだけどね。
ああ、それと須川さんはせっかく来てくれた依頼人を返すようなことはしない。
ちゃんとそういった調査が得意な別の会社に依頼人を委託するから揉めるようなことはないし、委託する会社も須川さんのお眼鏡にかなった所ばかりだからある意味安心だ。
正し屋では主に目には視えないモノを扱っている。
人が死んでいてもいなくても、場所がどこであっても、私たちは調査に入って解決をする。
一つの事件や切欠をが芋ズル式に例の類を引き寄せていた例もあるし、妖怪や妖とは違う“魔のモノ”によるもの単体の仕業だったこともあった。
(あと、関係のない複数の出来事が重なって起きていた事もあったっけ。でもその場合何かしらの共通点っていうか“刺激”になる要因が必ずあった)
今回もそうなのかもしれない、と思考を巡らせていると世界が、というか枯れ木がぐにゃりと揺れる。
目がさめるんだなと思った瞬間に眩しさを感じて私は嫌々瞼を持ち上げた。
◇◆◇
視界一杯に封魔の顔が広がっていて思わず後退っていた。
開ききった瞳孔と迫力を増した目力その他。
口から悲鳴が漏れなかったのは不幸中の幸いだと思ったのは、私が目を覚ましたのを見て心底安堵し深く息を吐いて項垂れる封魔を見たからだ。
痛む喉を抑えながら咳き込む。
呼吸が出来ることに感謝をしつつ、力なく地面に座り込む体の持ち主を見た。
「な、なんか……凄く、ごめん」
大丈夫?と俯く封魔の顔を覗き込もうとすれば、顔面を大きな手で鷲掴みにされる。
ギリギリと遠慮なく力を込められていく。
「いだだだだだ!痛いって頭破裂す」
「お前マジでいい加減にしやがれ。何度死にかけりゃ気が済むんだァ?」
ゆっくりと外されていく手の向こうには、鬼もドン引きしそうな形相の封魔がいた。
ドロリと澱んで恨みがましく私を見据えている顔は恨み辛みを残している怨霊のそれと妙に似通っていて背筋に薄ら寒い衝撃が奔った。
地を這うような低い、重低音がじわじわと私の体に沁み込むような感覚はそう滅多に味わえるようなものではないだろう。
……味わいたくもないだろうけどさ。
「何かあったら“声を上げるなり、なんなりしろ”っつったよなァ?」
はい、聞きました!と答えられるような雰囲気じゃなくて私はただ首をがくがくと縦に振る。
赤べこみたいだと頭の隅で考えたのを見透かしたかのように、封魔の目が細められていく。
「そんなに死にてェっつーんなら、俺が」
封魔の顔が近づいて、耳元に生暖かい風を感じる。
くすぐったさにびくりと体が跳ねれば封魔は言葉の続きを私の耳に流し込む。
「俺が、ころしてやろうか……―――なァ、優?」
その一言を聞いた瞬間パッと何かがはじけて思わず封魔の顔面を両手でつかんだ。
頬に触れた手から伝わる少し低い体温に促されるように、視界が滲んでいく。
鼻の奥が熱くて痛い。
「封魔、ごめん。ごめん……ッ呼ばなくても、何とかなるって思ったんだ。手が、手さえ自由になれば寮長に憑りついたの落とせるのわかってたから余計、躊躇したんだ」
「………馬鹿だろ、お前。禪の奴にも言われてただろ。寮長や俺らに“力”じゃ勝てねぇって」
「うん、言われた。でも、嫌だったんだ。呼ぶの、嫌だった。見せたくなかった。ごめん」
「んなもん、とっくに覚悟してらァ。馬鹿だろ、やっぱ」
小さく震える封魔の手に自分の手を添えてギュッと握る。
“亡くす” 痛みや苦しみを知っている封魔に一番してはいけない事をした。
冷たくなった封魔の手を温めながら、謝罪を口にしていて気付く。
―――……寮長が倒れている。
封魔越しに見ている所為で、膝から下しか見えないけれど、確かに倒れているようだった。
一瞬呼吸が止まったのが分かったらしい封魔がその理由に思い至ったらしく、普段と変わらない声のトーンでやや面倒そうに言った。
「数発殴ったら伸びた。死んでねェし、顔にゃ一発も入れてねェから平気だろ」
「いや死んでたらヤバいからね!?っていうか顔じゃなくても平気じゃないから!いや、まぁ事態が事態だったからいいのかな……正当防衛ですって言えばなんとかなる?ってそうじゃなくて、伸びてるなら今のうちに憑いてるのを落とし、て」
慌てて立ち上がった私は思わず首を傾げる。
地面にうつ伏せになっている寮長を“視た”けど、あの怪しい雰囲気が微塵もない。
慌てて近づいて確かめてみたけど完全に憑き物が落ちていた。
(殴られて、憑依霊がおちるなんてこと、ある?)
ええぇ、と情けない声が漏れるのはもう不可抗力だった。
あれやこれやと周囲を見回してみたり、念のために祓ってみたりもしたけど何の手ごたえも無し。
体育館裏のどこを探しても“いない”のが余計不気味だった。
「なんもいねぇんならここにいる必要ねェだろ。こんな人目につかない場所で、それも放課後っつー時間にいる所見られたらなんて言い訳するんだ?寮長はこんなだし」
「か、帰ろうか。寮長に話聞くのは準生徒会室か葵先生に場所借りるとかすればいいもんね。えっと寮長は担いでいったらいいのかな?背負う位なら何とか出来そうだし早く行こう!雑木林のとこ抜ける感じでいい?」
「馬鹿だろお前。なんで俺がいんのにお前が背負うんだよ。身長だけじゃなくて色々足らねェだろーが」
「ば、馬鹿って」
「馬鹿じゃなけりゃド阿呆だな」
日常に近い会話をしながら、封魔が寮長の体に触れた瞬間だった。
夏の濃い木々の匂いを帯びた生温い風が、変質する。
突風が私と封魔に吹き付けて目を閉じたんだけど、見えない状態でも体はきちんと異常を感知したようだ。
一気に、全身の肌が粟立った。
つま先から頭のてっぺんに走る衝撃にも似た強烈な悪寒に私は内ポケットから呪符を取り出して展開していた。
咄嗟の判断だったんだけど、これは結果的に正しかったらしい。
「―――……は、ははは。うっそだぁ」
乾いた平坦な声が出た。
明らかに普通ではない私の様子を見た封魔が訝し気に視線を辿る。
茜色に染まった空とフェンスと体育館の長い長い影。
まばらに生えた雑草が風の余波でサワサワと揺れる。
グラウンドからの声はもう聞こえなくなっていた。
呪符持つ指が震える。
(どうしよう、霊刀もないのに……ッ!!)
冷え切った汗が頬を伝い落ちていく感覚が酷く不快だった。
カラカラになった口の中を無理やり潤して、私は言うべき言葉を口にする。
「封魔。悪いんだけどそのまま寮長を連れて先に寮に戻っててくれるかな」
「……なんか、いんのか」
「そう、だね」
視えなくて正解だよ、とは言えなかった。
茜色を背負った人ならざるモノは、穢れともまた違っていて…――――
ここまで読んでくださってありがとうございます!
短いスパンで投稿できたのは嬉しいのですが……なんか、どんどん暴走していく気がします。
どうなるんだろうこれ(滝汗
あ、それと誤字脱字などの報告ありがとうございます!
毎回感謝しながら、謝罪しつつ適用させて頂いています。
ブックマークやら評価やらも有難い限りです。なむなむ。




