【実地研修と拾い物】
小動物は鉄板。
あ、焼くんじゃなくて。そういうんじゃなくて。
夜を恐れるのは、生き物として当たり前の行動なんだろう。
でもこの山の夜は生物としてでなくても怖い。
目の前に広がる川を見た瞬間に、気づかずに溜まっていた疲労感が押し寄せていた。
気が緩んだ瞬間に、疲労感が容赦なく襲ってくるのはわかってるけど、どーせなら寝るときに襲ってきて欲しかったよ。疲労感さん。今日はまだやらなきゃいけないことがたくさんあるんだけどな。
現在進行形で私は、今現在川沿いを歩いてます。
勿論、上流に向かってね。
そうそう、肝心の川だけど幸いにも綺麗で、そのまま飲んでも問題はなさそうだった。
ただし、いくら見た目が綺麗でも飲む時は煮沸消毒必須。
生水をそのまま飲むのは最終手段です。ええ、最終手段ですとも。
「川の上には木がないから多少、太陽の光は届いてるけど…空気はやっぱり他の山に比べたら重苦しい。普通、どんないけ好かない森や山だって常に水が流れてるところは基本清々しい空気だって相場は決まってるのに」
非常識ー!と川に向かって文句を言う。
辿りついた川は見た限り普通の川だった。
幅は大体六~七mくらいで川辺は浅いけど、真ん中に行けば行くほどそれなりの深さなんだろう。
深くても一~二m程度の深さで、時々魚影も見えたから現在は歩きながら罠を編んでいる。
合わせて枯れ木や小枝を拾い集めながら、ゴミがないことに少し驚く。
まぁ、人が入らないからゴミがないんだろうけどね。
四時になったので寝やすそうな場所を探しつつ食料も探すという結構な並行作業をしている。
薪替わりの小枝やなんかは結構集まったけれど、一晩を越すには到底足りない。
ランタンと固形の燃料が一ダースあったから薪を炊く必要はないのかもしれないけれど、水を煮沸するのにはやっぱり火があった方がいいし、暖かさっていうのは何よりほっとするんだよね。この山って寒いし。
野宿の知識はあっても実際に山の中でしたことがないので、どういう感じなのかはさっぱりだ。多分、キャンプの何倍も楽しくない感じなんだろう。
「寝床の条件としては雨風防げるところでこのどんより空気が少しでも薄いところじゃないと。適当に寝たら確実に、絶対に、怖い夢見る」
いくら神に二物も三物も与えられた須川さんからの御守りがあるっていっても、不安要素は極力減らすに限る。
キョロキョロと周囲を落ち着き無く見渡しながらサクサク上流に向けて川沿いを進む。
時々遠くの木々の隙間から黒い影が見えることがあったけれど、完全に気づかないふりをした。まぁ、流石にぶら下がってるのが奥で5~6体まとめて見えた時はギョッとしたし、ゾッともしたけどそれも見なかったことに。
考えたら負けだと思うんだ、私。
万が一気づかれたらと思ってこそこそ歩きながら、必死に緩やかな傾斜を登り続けて数十分。
川に近いからこそわかる、空の変化に目を細めた。
まだ夏だから五時や六時では真っ暗にならないけれど、流石に明るさを欠き始めている。
「流石に急がないと…っていっても最悪は見つからなさそうなところで寝袋羽織って仮眠かな。何かあったらすぐ逃げられるようにしておかないと」
焦りと不安を感じながら進んでいると、徐々に今まで見てきたものとは違う景観になってきたことに気づいた。
木と苔と小石ばかりだったのが、今は木と苔と大岩小岩中岩に変わったのだ。
つまりは、石やら岩がゴロゴロしている。土の感じは至って変わらないし、川辺ということを考えても変ではないんだけど…何気なく周囲を見渡しながら進む。
すると、壁のような岸壁むき出しの崖的なものが右手に現れた。
恐らくさっきの岩たちはここからゴロゴロと落ちたものだろう。そうじゃなきゃあんな大きな岩、そこらにあるはずがない。
思わず周囲を見回して落石注意の看板がないかどうか確認した。
結果としてなかったけどね!そんな親切なもの。
ここまで来る途中で見かけたのは薄汚れて赤茶色の汚れが付着した看板のなれ果てのようなものだけだ。
文字は辛うじて読めた。
読んだ瞬間に、読むんじゃなかったって思ったけどね!
『命は大事にしましょう』とか『悲しむ人がいます』とか…明らかにこの場で見たくなかった内容だったから。
お陰でこの森はインスピレーションというか噂の通り自殺の名所なんだなぁって実感を伴って確信したんだけどさ。いらなかったなー、そんな確信。
「憂鬱通り越してなんだか笑えてきた。って、あれ。なんか良さそう!洞窟、かな?」
熊がいなければいいな、と考えながら向かうのは数メートル離れたところにある岩壁に空いた人一人が入れるほどの空洞。
近づけば近づくほど亀裂が走ったようなガタガタな岩肌と本当に一人が横になれるくらいの小さな洞穴があった。
耳を澄ませば水の流れる音が聞こえてくる。
川のある方へは10m程度なんだけど、木や岩があるせいで川自体は見えない。
「立地条件は優良。黒いのもいないし仏さんの影も気配もなし!熊及び野生動物の気配と痕跡も…ええと、ないみたいだね」
そろ~っと洞穴を覗き込んで獣の毛や足跡、糞がないのを確認してほっと息を吐いた。
壁も見てみるけれど爪とぎした痕跡もないのでひとまず安心してリュックを置く。
早速リュックを開けて簡単に寝床を作った後、作った籠と川へ向かう。
御守りはきちんと落とさないように内ポケットに移して電池式のランタンを置いて懐中電灯を持つ。灯りがあれば戻るとき暗くなってても大丈夫だと思ったからだ。
念の為ポケットに飴玉を2つ入れておく。
「黒いのに遭遇して逃走ってことになったら暫く戻れないかもしれないし」
大きな岩やちょっとした崖を降りてあっさり川へつく。
川はあまり深くなく早くもない…丁度魚が取れそうな場所があったので道中に作った籠…というか罠を設置する。これに入ればいいなーなんて希望を抱きながら川辺で食べられそうな野草を探す。
幸い、というかラッキーなことにフキとセリが生えていたので採取した。
鍋に水を汲んでそのまま洞穴に戻る。
そこで素早く簡易コンロを準備してさっさと鍋を火にかけてしまう。
先に作るのは飲料水だ。
「火力があんまりないから少しかかる、かな。フキは…うん、これアクが少ないやつだ。さっと茹でて皮をむいておけばいいか。水につけるのがいいんだけど…煮沸した水でいいかな。これ、アルミ製だしそのまま水に浸ければ早く冷えるでしょ」
一人でブツブツ言いながら作業を進める。
いや、だって淋しいし。
お湯が沸くのを待つ間も私は周囲をキョロキョロと見回す。
改めてこの洞穴は一人用のかまくらみたいだな、なんて感想を抱きながら息を吐いた。
つづいて目に入ったのは携帯ランタンだ。
このランタンの灯りを消すのは寝る時と決めた。
ソーラーパネルもついてるけど、乾電池は自分で蓄電できるような携帯装置も須川さんは入れておいてくれたのでひとまず灯りの心配はしなくてもいい。
洞穴の中で膝を抱えてじーっと簡易のコンロや携帯用の鍋を眺めつつ、考えるのは罠に魚がかかるかどうか。
「水は綺麗だったし、泥臭くはないと思うんだけど…そもそも掛かるかどうかだ。警戒心はなさそうだから大丈夫だと思うんだけどな。普通、こんな所で渓流釣りやら何やらしないでしょ」
誰がいるわけでもないけれどさみしさを紛らわす為に独り言。
少しずつ暗くなっていく森の中にいるだけで不安や恐怖が芋蔓式にありそうでそっちに思考がいかないように食べることに意識を集中させる。
「調味料はあったから…明日はサワガニでも探そうかな。味噌汁にしたい。唐揚げが一番美味しいけど、アレ、一応蟹は蟹だし出汁もでるよね。フキはちょっと多めにとっておいて、キノコ食べられるのがあるかどうか探しておかなきゃ」
全部明るくなってからの話だけれど予定を組み立てていうるうちにお湯が湧いた。
ささっとフキやらセリを入れてセリは簡単に湯掻いたあと一緒に冷まして、フキは皮をむく。アク抜きの為にもう一度川の水を沸かして冷めるのを待つ。
「にしても調味料も入れてくれてるあたりが須川さんだけど…やっぱり何処かずれてると思うんだよね。普通、食料を多く入れておくとかするのが普通だって」
目的地にたどり着く頃に野性の女になってたらどうしよう。
力なく苦笑しつつ、汗をかいたことを思い出した。
「朝イチで水浴びだな。うん、お湯沸かしてタオルで拭こう。髪は…流石に冷たいだろうなー…川。でも、まぁ…人もいなさそうだし、ここはあれだね、すっぽんぽんで川に突撃かな!人がいないなら恥ずかしくないし」
私だって流石に人がいたら一瞬悩むけど、人がいないなら全裸になることを悩む必要はないと思うんだ。バッと脱いで、じゃばーっと水浴びだ!
出来るだけ前向きなことを考えながら完成した夕食を食べる。
醤油や鰹節、顆粒出汁とみりんのお陰で美味しいフキの煮物とセリのおひたしを非常食のごはんと一緒に食べた。非常食のご飯は全部で九パック。
どんな場所でも歩き詰めだったからかお腹はきちんと空いていたので、ぺろっと食べ終えた。
「ふー、やっと落ち着いたぁ。やっぱりご飯食べないと眠気も来ないだろうし、疲れも取れないよね」
殆ど日が落ちて月が鮮やかさを増して来たのに気づいた。
川に近いおかげで月明かりが木々の間から差し込んでいる。
ぼんやりとそれを眺めながら、鍋に明日使えるように川の水を汲んで沸かしておこうと立ち上がる。
手にはキチンとランタンを持ったし万が一の為に飴もポケットに入れた。
「さてと…トイレ以外はこれが最後かな、外に出るの。あの変な黒いのに遭ったら嫌だし」
ボヤきながら進んでいく。
川に降りるときは足を滑らせないように最新の注意を払って、鍋を洗い使ったアウトドア食器もきちんと洗った私は鍋に水を入れた。
ちょっとした段差はちょうどいい大きさの岩を登ることで洞穴に戻ることができるんだけど、岩から少し離れた所に野草を見つけた。
「あ。あれ、お茶の代わりになるやつだ。折角だから煮出して明日持って歩いて飲めるようにしようかな。水もあるし」
こういう知識は昔住んでいた田舎のお婆ちゃんやらご近所のご老人たちによってもたらされたものなんだけど、すごく役に立ちました。ありがとう、人生の先輩方!
うっふふーと変な笑顔を浮かべつつ野草を摘んでいると木の根元に薬草を見つけた。
これは擂り潰して切り傷や擦り傷何かに塗れば治りが早くなるとか、消毒になるって便利なシロモノだ。
「折角だからちょっと摘んでいこうかな。傷薬なんかも入れてくれてるけど、これは使わなかったら捨てていけばいいだけだもんね」
岩がゴロゴロしている川辺を進んで、腰の辺りまである土手に近づく。
木の根がむき出しでキノコなんかがあってもおかしくないんだけど、キノコは残念ながらなさそうだ。
少し大きな岩に登って木の根元を覗き込んだ私は薬草を採るために伸ばした手を止めることになった。
偶然目に付いた薬草のすぐ傍には、見慣れている…でも、この森では一度も見かけなかった見慣れない生き物が転がっていたのだ。
「す……雀って、美味しいんだっけ」
混乱の極みにあった私の口から出たのは、冷静に考えると色々間違った一言だ。
お腹にはまだ余裕あるし、焼き鳥が現れたら食べられたけども!でも、食べる気はなかったんだ。食べたいとも思わなかったんだよ、ホントだよ。
まぁ、転がっている雀を見て真っ先に思い出したのが、近所に住んでいたご老人方の「寒雀は美味かったのぉ」とか「雀は食べるところ少ないけど美味しかったわよぉ」というありがたいお言葉だった。
「ほ、ほんとに雀…だよね」
庶民的かつ愛らしさを兼ね備えた小さな鳥を観察する。
木の根元に転がった両手の平に収まるサイズの小鳥は雀と呼ばれる種類に間違いない。
ただ、ふかふかの羽毛と鮮やかな羽が赤茶色で汚れていて、所々に小さな枯れ葉が落ちていた。
私から見て右側の羽が広がっていて、何かに噛まれたような生々しい傷跡がある以外は普通の雀だ。
「すずめー、こんなになってどうしたの。お前さん、ふつー空飛んでるんじゃないの?よっぽど鈍臭くない限りガブッとやられないでしょーに」
そっと小さな体を手で掬い上げるように持ち上げる。
傷には触れないよう最新の注意を払った。
雀が生きているのは暗い森の中でも薄ぼんやりと白く見える腹がかすかに上下していたからだ。
「ねぇ、丁度よく薬草見つけたんだよ。包帯もあるし、食べないから大人しくしてて」
野鳥に触れるのは寄生虫とかウイルスとかそう言う感染症の恐れもあるんだけど、覚悟を決めた。
薬草は鳥にも効果があるのかどうかわからないけど、何もしないよりはいいだろう。
多めに薬草を摘んで、片手に雀、もう片方には水入りの片手鍋を持ちそのまま洞穴へ戻った。
水を零さないよう気をつけつつ雀を握りつぶさないよう細心の注意を払いながら寝床へ戻った私は直ぐにコンロへ鍋をかけて、荷物の中から綺麗なタオルを一つ取り出した。
コンロから少し離れた…でも、暖を取れる所へ即席雀ベッドを作成。
包帯と口をつけていないミネラルウォーター、手頃な石2つ。
石の上を軽く水で洗い流して、雀の傷口にも水をかけた。
「膿んではいないみたいだし、骨も大丈夫そう。傷口的に噛まれたのも少し前っぽいなぁ」
ぶつぶつ呟きながら傷口を消毒して薬草を塗り包帯を巻いた私は、薬草茶にすべく川水を煮出しながら小さく息を吐いた。
小さな雀は傷の手当をしている時も目を開けることはなかった。
「そういえば…この森で生物を見たの、雀が初めてかも」
鳥の鳴き声一つしない山の中で溢れた言葉は思った以上に大きく響いた。
小さな鳥の頭を指でなでなでと軽く撫でる。
怪我をして弱っている雀には悪いんだけど、正直、この小さな雀の存在にはかなり救われた。気味の悪い森に一人ぼっちで不法投棄された私にとってこの出会いは神様からのご褒美みたいなアクシデントだ。
「(黒い変なのは見るし、生き物の声は聞こえないし、無駄に薄暗くて湿っぽいし、自殺の名所に一人きりってのが一番酷い。鬼上司だ、須川さんは。前から知ってたけど!さらっと笑顔でギリギリ出来る範囲の無理を押し付けてくるし!)」
ちょっと理不尽なこの状況を思い出して腹が立ったものの、いよいよ暗くなってきたのでランタンの光を少しだけ残して光源の近くに雀、その隣に私といった具合で横になる。
無事に元気になってくれればいいな、なんて意識が落ちる手前まで考えたのを最後に私は眠りについた。
勿論、というかこの時もまだ衝撃的な事実には気づいていない。
読んでいただきありがとうございました。
少しずつ投稿します。