【 『届かない声』 】
災難は続きます、どこまでも。
悪いことって続きますよね、ええ、ほんとに。
知っている場所から唐突に切り離されたような不安。
体に生温い風がまとわりつくような感覚。
じわり、と足先から恐怖という名の違和感が染み込んでくるようで。
ああ、この感覚があるなら“間違いない”や。
枯れかけた草を踏むたびに、脆く頼りない音が耳に届く。
(大丈夫、まだ日はあるし手も動く。禪はちゃんと葵先生に任せてきてるし、行先も一応葵先生に伝えてあるもんね)
だから、きっと大丈夫。
根拠のない自信を支えに私は進む。
視界の隅にちらちらとはいってくるフェンスには見ないふりをして私は胸ポケットに入れたお札を学ランの上からぎゅっと握った。
(暗くなる前には戻る、って決めたのはいいけど…もうちょっと大きい懐中電灯持ってくるべきだったかな)
校舎の壁を横目に、私は一人で古いプレハブに向かっていた。
まだ日があるとは言っても午後のおやつの時間はとっくに過ぎていたりする。
「夏だからいいけど冬だったらもう暗いよねぇ」
この時間なら授業中だし誰も来ない筈だ。
現に、どの学年も今日は座学でグラウンドを使用するにしてもこの古いプレハブに道具を取りに来るなんてことは万一にもない。
(物置にもなってないって聞いたし、怪談がある場所でもあるから生徒は来ないと思うけど)
小さくため息を吐いて私はそのまま大きな戸に手を掛けた。
申し訳ないけど、ドラマとかでみる鑑識役の人とか執事役の人がつけている白い手袋をはめている。
長い間使ってないから埃なんかも酷いだろうし。
「怪しまれないように制服きてきちゃったけどコレってジャージの方がよかったんじゃない?」
洗濯じゃなくて制服ならクリーニングに出さなきゃいけない。
やっちゃったなー、なんて思いながら手を掛けた戸を思い切り右に動かす。
すっかり錆びついた戸は耳障りな金属音をたてながら少しずつ開いていく。
やっと体をねじ込めるだけの隙間を作ったけれど、日光を中に入れたかったので全開に近い状態まで何とか戸を開く。
プレハブの中は前に一度見た時とほとんど変わっていなかった。
奥に畳まれている黄ばんだマットにくすんだガラス窓から差し込む陽射しは弱弱しい。
窓の位置からしてこの時間帯にあまり光が入らないようだった。
マットの横には段ボールが複数転がっていて、両側にあるロッカーの前にも同じように段ボールがある。
「この中を探すって絶っ対時間かかるよね」
埃とカビの臭いに顔を顰めつつ、改めて不用品を何でもかんでも詰め込んで忘れられたプレハブ内に視線を巡らせる。
「こうも色々物が多いと隠し場所がありすぎて見当がつかないや」
参ったな、と頬を掻きつつ足を踏み入れると溜まっていた埃が舞い上がって、慌てて飛びのいた。
咄嗟に鼻と口を手で押さえた所でタオルを持ってきてない事を思い出す。
この際ハンカチでも、と考えたんだけど普段は必要なときに須川さんが出してくれるんだっけ。
日常でハンカチってあんまり使わないし。
なんか、女として色々駄目な気がするけど、突っ込む人はいないからよしとする。
「って、そっか。ちょっと暑いけど学ランの上着を巻けばいいんだ!あったま良いわ、わた……俺って!」
熱を吸収し貯め込んでいた重たい学ランを脱いで、袖を頭の後ろで結んだ。
Yシャツがじっとり汗で湿っているのは気持ち悪かったけど、時々吹く風をダイレクトに感じられるのは非常にありがたい。
(息はしにくいし動きにくいけど手とか目を遮らない上に埃の侵入は防げるからよしとしようかな!がっちり結んだからずり落ちてもスカーフ仕様になるだけだろうし)
仁王立ちしてふんっと気合を入れ握り拳を握った所でズボンのポケットに入れたスマホから聞きなれた音が。
メールかメッセージだろうか、と思って取り出してみると電池切れのお知らせだった。
そういえば、充電してなかったっけ。
「ま。連絡来るって言っても封魔か靖十郎だろうし後でもいいか。どうせ夕飯までには戻る訳だし」
ズボンのポケットに再びスマホを押し込んで、いよいよ捜査じゃなくって調査を始めましょーか!
刑事ドラマみたい!なんてドキドキワクワクできたのも最初の十分くらいだった。
埃にまみれながら、慎重に物をどかしたり、覗き込んだり、全部中のものを出してくまなく全部の段ボールを見終わった頃には既にくたくたになってしまって、疲労と全身から噴き出る汗で不快感は限界突破。
最初は服が少しでも汚れない様に、なんて気を使ってたけどもー、無理!
しっかり床にお尻を付けてココにもないソコにもない、と分別と捜索活動に精を出したからね。
「あと段ボールっていえばこれだけど、畳まれてるから中には何もなさそ……う、だったけど、壁にはあったか」
プレハブの中でも完全に陽の当たらない死角、部屋の隅っこにそれはあった。
ギリギリ一人が隠れられる様な空いたスペースには元々段ボールが押し込まれたままだったら気付かないであろうそこには、壁を隠すように一枚の畳まれた段ボールが。
押し込まれた段ボールを必死に取り除いていた時は気づく余裕もなかったんだけど、こうしてみると不自然だ。
同じように反対側の隅っこも同じ状態だったけどそこには何もない。
「ある意味当たりなんだろうけど素直に喜べない、よねぇ」
写メを、とポケットのスマホに手を伸ばしたところで電池切れになっていたのを思い出し断念。
じぃっと隠されていたソレに目を向ける。
薄い灰色の壁には錆びと赤茶けた液体がこびりついて乾いた後、そして赤い油性ペンで恨み辛みの言葉がびっしりと書かれていた。
丁度低い位置で、段ボールで十分隠れる範囲だけに会ったけれど、恐らく複数人の人間が書いたのだろう。
筆跡が明らかに違うのが一瞬見ただけでも見て取れる。
何をされいたのか想像するしかできないけれど、碌なことではないことだけははっきりわかる。
これを書いた子の想いは私なんかじゃ理解も想像もできない。
(多分、だけどこれは“核心”で“根本”で“要因”で、怪異の餌――栄養源。根っこが深く、癒えるのが難しい、ある意味で正当な恨み)
今迄死んでいった生徒は被害者だけれど、その前はきっと加害者だったんだろう。
詳しく調べたわけじゃないから何とも言えないけど、食堂で聞いた先輩たちの話や周りの反応なんかを考えても恐らくこれは外れてない。
(ちょっと待て。加害者がいるってことは被害者もいるってことだよね…?)
加害者と被害者について調べてみる必要もあるんじゃ、と考えながら壁に残された文字に触れるか触れないか、という瞬間に背後からゴトッと何かが落ちる音がした。
思わずびくっと体が跳ねて体をロッカー側面にぶつけ、運悪く足首をひねってしまい横に体が倒れる。
「い、いたたたた。だ、誰にも見られてないよね!?うう。恥ずかし―――……い?」
床に強打した左の肩を押さえながら、音が聞こえた方へ顔を向ける。
音が聞こえてきたのは、落書きがあるロッカーと向かい合わせに置かれている反対側で、どうやらロッカーの上に置いてあった雑誌入りの小さな段ボールが落ちて来ただけらしい。
よいしょ、と立ち上がった所で段ボールが落下した振動の所為かロッカーが一つ、半端に開いていることに気がついた。
「段ボールの中にはなかったから次はやっぱりロッカーの中だね。封魔じゃないけどロッカーの中にあるのって未洗濯のユニフォームとかエッチな雑誌くらいなんじゃないかな。男子校だし……あ、これ偏見かも?」
お尻についているであろう埃を叩き落としながら、顔の半分を覆っていた学ランを外して、胸ポケットに入れたままだったお札をズボンのポケットに突っ込んだ。
紙が頬に当たって嫌だったんだよね。
やっぱり端っこから順番に見ていくか、と踏み出した足が床に着く寸前
体全体が後ろへ引っ張られた。
到底人のものとは思えないその力は私の体全体を後方へと引き寄せている。
あまりに唐突で予想も想定も出来ない事態に私は遠ざかる前方に置かれたロッカーや出入り口から差し込む赤みを帯びた陽の光を視界に収めるしかできなかった。
音になり損ねた空気が肺から漏れて、自分の右手が誰もいない宙を掻く。
誰かに助けを求めようと息を吸い込んだのと同時くらいに脳が理解する。
(助けてくれる人なんていない)
音を立てて血の気が引いていくのが分かるけれど、私は何もできないままガンッという薄い金属に重く柔らかなものが叩きつけられる音とそれに伴う衝撃に身を固くさせた。
体全体に鈍く響く振動を目をきつく瞑ることでやり過ごした私の耳に、錆びついた蝶番が奏でる音が飛び込んでくる。
まさか、と目を開くとゆっくり、まるで知らしめるように、認識させることを重視しているかのように、扉が、金属の板が、ロッカーの戸が、閉まっていく。
「――――…ッ!!」
完全に閉まるのだけは阻止しようと咄嗟に両手を動かそうとしたけれど、手が、動かない。
ギョッとして顔を下に向けると赤黒い紐が私の手首や腕を縛り、自由を奪っていた。
足にもその紐は巻き付いていて動けないよう四方から私の体を拘束しているということだけは理解できた。
一センチ程度の隙間から見える景色はひどく、遠くて。
呆然と暗く狭い空間に閉じ込められた私は身じろぎすらできないまま硬直していた。
薄いワイシャツ越しに背中から伝わるのは金属のひんやりとした温度と固さ。
恐る恐る視線を左右上下にむけると、明らかに先ほどまで眺めていた古い錆びたロッカーの中で、ゆっくりと思考が巡る。
(閉じ込められた……って、こと?七つ不思議のあるロッカーに?)
冷静だとはとても言えない。
ただ、必死に今自分の身に起こっていることを理解しようとしている真っ最中だ。
急激に喉の渇きを自覚して乾ききったのどを潤すために喉を嚥下させるけれど液体は何もなくて、痛みだけが残った。
どうにかして脱出しなきゃ、と自分が取れる出だろう最善の方法を取ろうと四肢に力を入れようとした私はピタリと再び動きが取れなくなる。
「ひ…っ」
引き攣った音が喉から漏れて狭いロッカーの中で反響した。
そろり、そろりと視線を下げていけば、薄汚れた白いシャツと埃で汚れてしまった黒のスラックス。
そして
蒼白く血の気が失われた肌。
「ぃ、やだ…ぁ!!」
腹に回された骨ばった腕。
腕を掴む冷たい手。
髪を掴む何か。
見せつける様に目の前に垂らされる赤黒い紐の輪。
張り上げた声はジワジワ冷静な思考を恐怖で塗りつぶして、必死に狭く冷たい金属の箱の中で私は足掻いた。
首に、足に、手に、腹に力を入れて渾身の力で逃れようとしたけれど、閉じられただけの目の前の扉を押し開くどころか触れることすらできない。
『 つぅ かぁ まぁ えぇ たぁ 』
悦楽と侮蔑と憎しみがごちゃ混ぜになった声が耳元で聞こえる。
絶句する私の顔の横から黒く、大きな男の手が伸びて……躊躇も遠慮もなく視界を奪った。
底の視えない闇に意識も思考も絡め囚われて落ちていく。
知らない間に首に掛けられた紐が後ろへ引かれ、ガンッと後頭部を固い金属の板に打ち付けた。
気道が物理的に狭まって、息が浅くなっていく。
喉に少しだけ紐が食い込んだところで力がかからなくはなったけれど、状況は変わらない。
(―――― … だれカ たすけテ )
思考が私ではない 何かに一瞬乗っ取られた気がした。
ここまで目を通してくださってありがとうございました。
続きも早めにアップできるよう全力で執筆します!!
ほ、ほんとですよ…?