【謎のコインと】
大変遅くなってすいませんでしたー!
とりあえず、アップです。次で終わる…筈だ。うん。
プールに戻ってきた私は、靖十郎が溺れた深いプールに顔を浸けて水底を見渡す。
水中特有のくぐもったような音と幻想的な水中世界を簡単に見てみるけれど、上からでは例の赤黒い塊の姿は見えなかった。
「やっぱ、上から見ただけじゃ安全かどうかわからないか」
ポタポタと髪の毛から落ちる雫をうっとおしく思いながら手に持っていた靴と上着を置いて、私は再びプールの中へ飛び込んだ。
(元々全身ずぶ濡れだったし、着替える前にもう一度よく見ておかないと)
靖十郎を助けた時に九字を切ったものの退治できたわけではないことくらい、私にだって分かっている。
あくまで一時的に退けただけなので戻ってきている可能性もある。
だから、始末をつけるために再びプールの様子を見に来たんだけど…空気、というか雰囲気がまるで別の場所みたいだと思う。
おかしいなーと思いながら水を掻き、水底に目を凝らす。
太陽光や熱を持ったタイルのおかげで寒さはあまり感じなかったけれど、水中はさすがに寒い。
徐々に色濃くなる青の中を進んでいくと、丁度靖十郎が捕まっていたあたりが見えてきた。
一見しただけでは何もいないように見えるその場所を注視していると、何かが一瞬キラリと光った。
(なんだろ?プールの中で光るものなんて…)
変だな、と思いながらもそちらの方向―――…丁度、排水口の辺りへ近づいて光の正体を知る。
そこには一枚のコインが落ちていた。
(靖十郎の、ってわけじゃなさそう。ゲームセンターとかのコインでもなさそうだし…手作り、かな?)
細かく何かの模様が掘られているコインを手にして一度息を吸うために浮上する。
何度か同じように点検をしてみたけれど、変わったものはこのコイン以外に見つからなかった。
うーん、と首をかしげながら、プールサイドで手早く制服を脱いで搾り、身につける。
生徒が来る可能性は低いとは言ってもパンツとサラシだけの姿を見られたら女だってバレるしね。
…パンツ、女性物のだし。
「収穫はこれだけだけど…須川さんに一応見てもらったほうが良さそうかな」
手の中のコインは無くさないようにポケットへ。
本当は着替えに寮へ戻りたいけど、一度保健室に戻って靖十郎の顔を見てからにしようとプールの更衣室で靴や靴下、制服の上着を手に裸足で廊下を進む。
静まり返った廊下とペタペタという裸足の自分の足音という組み合わせはまるでホラー映画でよく聞く怖い音のよう。
「靖十郎がっつり掴まれてたけど“触り”がでなきゃいいな」
霊視することも視野に入れつつ私は一人、廊下を進んだ。
保健室まで、あと少し。
◇◆◆
白いシーツと布団の間で体を起こしている靖十郎をみて、ほうっと安堵の息がこぼれ落ちた。
再びプールから戻った私に葵先生は短時間なら、と靖十郎が眠る一角のカーテンを指差して起きているはずだと聞いたので迷いなくカーテンを引けば目を丸くした靖十郎が私を見ている。
大丈夫だとは、言われていた。
でも、やっぱり実際に目にしてみないと実感は湧かなくて後ろ手にカーテンをしめて、私は一歩、二歩と清十郎のいるベッドへ近づいていく。
手を伸ばせば届く距離に立ったところで開け放たれた窓から吹き込んだ風で靖十郎の前髪が揺れる。
「――…無事で、よかった」
水中で力なく揺蕩う四肢や髪の毛。
触れた時の温度は水温と同じくらいに感じられて、まるで死体のようで。
そこまで思い出して、私は自分の目頭が熱くなり始めているのに気づいた。
乱暴に濡れたシャツで目元を拭って、頭のどこかで呑気に年をとると涙もろくなるって本当だったんだな、なんて思う。
再びプールに入ったからか塩素の匂いを濃くまとう自分がなんだかおかしくて、小さく笑えば靖十郎の顔が随分と赤みを帯びていく。
「靖十郎…?」
どうかした、と言いかけて気づく。
ベッドの上で上半身を起こして白いTシャツに腕を通しているので着替えている途中だったらしい。
私の位置から背中と脇腹のあたりがバッチリ見える。
…贅肉とは無縁らしいその体が恨めしいやら眩しいやらだよ。
私としては恥ずかしくもなんともないので黙ってたんだけど、靖十郎が真っ赤になって金魚みたいに口をパクパクし始めたあたりで漸く恥ずかしがっていることに気づいた。
(えーと、とりあえず笑っとこう)
場をごまかすつもりでへらっとした緊張感のない笑顔を浮かべてみたんだけど、靖十郎には効果がなかったらしく私の脳みそを彼の悲鳴が貫通していく。
「う、うわぁあぁあ?!い、今っ!今すぐ着替えるからっ、ちょ、うううぅしろっ!」
「後ろ?ああ、後ろ向いてればいいの?」
わかった、と納得してクルッと背を向けるとホッとしたような、それでいて慌ただしく服を着る気配。
「なにも、そんなに動揺しなくても…」
「誰だって着替え見られたら恥ずかしいだろ?!」
いや、ぶっちゃけそれほど恥ずかしくはないんですけど…と言いかけて口をつぐむ。
靖十郎は言わないと思うけど「じゃあ見せてみろ!」なんて言われた日には性別がバレるのは確定だし、やっぱりマズイ。
「驚きはするけど…ってかその割には薄着だよね、普段」
「それとこれは話が別だろ?!ココロの準備ってのが大事なんだって!」
「そう言われてみると多少納得はできるけど…いい体してるんだからもっと堂々としてればいいのに。もったいない」
「イっ?!い、いい体って、お、おぉおまっ、お前な!俺は普通だ、ノーマルだからな!お前は確かにいい友達だからソッチの気があっても多少は目を瞑るけど俺をそういう目でみんなよっ!」
「いや、あの、何の話?ぜい肉とかついてないし、肌もスベスベだから見られても恥ずかしくないじゃんって意味なんだけど」
どもりまくってベッドの隅に移動し、シーツで体を隠すようにしている靖十郎にちょっぴり呆れた。
Tシャツにトランクスって格好でシーツを抱く姿はなかなかにシュールだ。
一人であわあわと何か顔を赤くして呻いたり悶えたり、一人ツッコミを繰り広げている靖十郎には申し訳ないけど聞いてるだけでも面白い。
「(にしても…やっぱり痕はついてたなぁ。多分ちょっかいかけてくることはない、と思うけど…油断はしない方がいいだろうし…出来るだけ靖十郎と一緒に行動したほうが良さそうかな。トイレが現場の七不思議ってなかったはずだし)」
体から滴り落ちる水滴をぼんやりと眺めながら私は小さく息を吐いた。
これから靖十郎に“なにが起こったのか”を聞かなきゃいけないんだけど、どう話し始めたらいいものかと考えていると背後から視線のようなものを強く感じて振り返る。
視線の主は、シャツを着た靖十郎だった。
どこか惚けたような表情をしていたので心配になって顔を覗き込むように近づけば、大げさにのけぞってベッドから落ちかけていた。
「さっきから大丈夫?なんか変だけど…もしかして具合悪い?」
「いや、その、悪い…なんでもないんだ。そーだよな、うん…いくら男っぽくなくっても、ないない」
ブツブツと何かをつぶやいたかと思えば自己完結したらしく靖十郎はベッドに腰掛け直して改めて私に向かい合った。
靖十郎の瞳に自分の姿が映っているのを眺めながら私は改めて、言葉をかけた。
「靖十郎、とりあえず無事でよかった」
「―――…おう」
照れくさそうな笑顔を浮かべる靖十郎を見て、意外と彼のメンタルが強いことに気づく。
死にかけた後に笑える人って少ないだろうし。
どう声をかけるか笑顔を浮かべながら考えていると、靖十郎が少し俯いた。
「その、さ…封魔から聞いた。俺を助けてくれたのが優だって」
「助けたなんて大層なものじゃないから気にしないで。たまたま対処方法を知ってただけだしさ。で、呼吸止まってた感想は?」
深刻そうな表情と声色の靖十郎に妙な焦りのようなものがこみ上げてきて、わざと明るい口調で最後は茶化すような言葉をかける。
靖十郎といえば、呼吸が止まっていたことは知らなかったようでぎょっと目を見開いていた。
「んげっ!?マジで死にかけてたのかよ?!こえぇ」
体を大げさに震わせて腕をさする姿は靖十郎らしくて、少しだけ笑ってしまった。
本人からすると『冗談じゃない!』って心境だろうけど日常に戻ってきた、という実感がこみ上げてきて冷えていた足先からジワジワと温もりが戻ってくるような感じがした。
(靖十郎の反応もわからないでもないけどね…自分が死にかけてたって聞いてこわいと思わない方が怖いし)
靖十郎は暫く恐怖にみ悶えていたものの会話を重ねるごとに普段と変わらない調子に戻ってきた。
本当は今すぐにでも事情を聞きたかったけど、流石に…ねぇ。
いくら私でもそのくらいの配慮はできるのだ。
(正直、聞く内容が内容だから気は乗らないけど…聞かないわけにはいかないんだよね)
本当は覚えていないのが一番いい。
『正し屋』としては記憶がバッチリあって何らかの情報を得られた方がいいに決まってる。
彼が“なに”を見て、何を感じたのかっていうのは割と重要だ。
でも、仮とは言え友人という立場からすると、何も覚えていない、見た記憶がない方がいいのはわかりきっている。
あの黒い塊が“ヒトだったもの”の場合はたいてい性質が悪いだろうから、目を閉じる。
単に私が苦手だっていうのもあるんだけど…悪霊や怨霊に堕ちるのは一方的な逆恨みや自分勝手な想いを抱いている霊が大半だ。
中には納得できる理由を持った霊もいるけれど、そうでない幽霊も結構いる。
そうではない幽霊だった場合は、“依頼者”が実は”加害者”で自分に都合が悪いことは覚えていないか忘れたふりをしていて霊障に悩まされていたってことが結構あったんだよね。
そーいや、前に須川さんが悪質だって判断して依頼解決後に警察に連絡したこともあったなー。
身元を引き渡したのは契約違反金として結構な金額のお金を受け取ったあとだったけ。
須川さんに”お金がない”って嘯く依頼者もいたけど、最終的に必ず提示した金額が収められている…とだけ言っておこう。
何をしたのかは、私は未だに聞けないし聞く予定もない。
そこまで関係ないことを考えながら自分の中に芽生えた罪悪感を誤魔化していく。
大人って嫌だなぁ、なんて思いながら小さく目を閉じる。
「ねぇ、聞いても…いいかな?」
かけた声は震えていた。
慌てて笑顔を貼り付けてどう切り出したものかと考える。
怖かったであろう体験を思い出させるのは非常に心苦しくて、できればやりたくないことだ。
それでも…聞かなきゃいけないんだけどね。
「泳ぐの得意そうだった靖十郎が溺れたのがさ…その、信じられないっていうか」
だから、と最もらしい理由を見つけたのでそれを口にしだした私は、すぐに後悔した。
青ざめた顔と震える手はきつくシーツを握りしめている。
動揺しているのがわかる顔に私は慌てて「やっぱりなんでもない」と口を開くと同時くらいに靖十郎が意を決したようにゆっくり顔を上げた。
「優…俺、お前に話しておきたいことがあるんだ」
そう、口にした靖十郎の表情は鬼気迫るものがあって私は言葉もなく首を縦に降った。
ほとんど無意識的に置いてあった丸い椅子に腰掛けていた。
ポタポタとズボンの裾から水滴が落ちていく音とドクドクと妙にうるさい自分の鼓動。
空いた窓から、ふわりと夏の匂いを含んだ風が通り抜けて、白いカーテンがふわりと揺れる。
静かな、緊張感が私と彼を包み込んでいた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
誤字脱字などがあれば教えてくださると嬉しいです。
…よく間違うんで。