【保健室】
遅くなりましたが、正し屋も更新しました。
プールはもうちょっと引きずる、かな?多分次でプール編は終了ですー…多分。
靖十郎の独白は挟む予定です。
保健室のドアを開けると、懐かしい消毒液と薬の匂いがした。
白い空間で真っ先に目にとまったのは、葵先生と封魔の二名。
靖十郎は恐らく、カーテンで仕切られたベッドにでも寝ているんだと思うけど…禪がいない。
おかしいな、と思ったのが顔に出ていたらしく葵先生が苦笑しながら教えてくれた。
「ごめんね、着替えの方が先なんだろうけど話だけ聞いておきたくてさ…現状だけど、真行寺院は職員室で担任に報告してから教室に戻ってもらったよ」
頭から水を滴らせる私にハンドタオルを差し出している葵先生にありがたくタオルを借りて髪をざっと拭いた。
髪を拭きながら何気なく保健室の中を見るけど、結構葵先生の制作物らしきものがチラホラ置かれていて無機質な感じが多少薄らいでいるように感じた。
チラッと見えた小さなウサギのぬいぐるみは間違いなく葵先生の作成物だろうしね…葵先生の部屋にも似た様な生地で作られたぬいぐるみがあったもん。
「(流石大量の服をつくろったりエプロン作成してるだけあるよね)確かに、先生方に説明するなら封魔より禪の方が向いてますもんねー。加害者に間違われても困るし」
「うんうん。俺もそう思ってさぁ…力も無駄に有り余ってるみたいだし靖十郎背負わせて正解だったかなぁって」
「……お前らな、一応俺でも傷つくんですけど?」
ごめんごめんと拗ねているらしい仏頂面の封魔に謝れば、軽口だってことを理解してくれているらしく別にいいけどよ、とあっさり許してくれた。
ただ、その視線は私の全身をじぃっと見ていたかと思えばボソッと小声でぼやく。
「ほっせぇってかちっせぇなぁ…ちゃんと食ってんのかよ」
小声っていっても騒がしい場所にいるわけじゃないから封魔の声は私や葵先生の耳にも十分聞こえていて、思わず自分の体を見下ろした。
学ランの上は脱いでるからYシャツだけなんだけど…残念なことに張り付いて晒しが見えてる。
パッと見、包帯にしか見えないだろうけどね。
変に言葉をかけても、と思ったので素知らぬ顔をしてタオルを畳んでいると封魔からの視線はまだ感じる。
「……ええと、なに?」
「いや、怪我の範囲結構広いんだなぁと思ってよォ。がっちり巻いてるし、苦しくねぇのか?肩も薄っぺらいし」
あ、これなんかやばい?と動揺しつつチラッと葵先生を見ると彼も私を観察していて、妙に居た堪れなくなった。
「あー…その、俺の事より靖十郎の事聞いてもいいですか?」
話題を変えるのが下手だなぁと反省しながら仕切られたカーテンの方へ視線を向けると二人の意識も私から逸れた。
葵先生は気まずそうに頭を掻きながらごめんごめん、とバインダーを手に取ってメモを取る姿勢に。
「靖十郎が溺れた時の事聞きたかったんだ。応急処置のことも―――…封魔、悪いけど決定事項を職員室で担任の先生に伝えて、家族へは俺がもう報告済みだってのも忘れずに」
「了解。この礼は後で欲しいモノのリスト渡すんで次の大会ん時差し入れてくれればいいッス」
にやり、と冗談めかして笑う封魔に先生も苦笑しながら「あんま高いモノは勘弁してくれよ」と返した。
ドアに手をかけた封魔をみて葵先生が思い出したように私のことについても付け足した。
「ついでに、優も早退させて先に寮に戻すからって伝えておいてくれるか?流石に疲れてるだろうから」
驚いて目を瞬かせる私を見て封魔は苦笑しながら頷いた。
去り際に私の頭を労わるように二度、ポンポンと叩いてドアが閉まる。
しん、とした室内に少し落ち着かない気分になりながらも葵先生が口を開くのを待った。
「―――…とりあえず、現状の説明だけしちゃおうかな。靖十郎だけど、この後病院で検査を受けてもらうことになってる。問題なければ夜には寮に戻れる筈だ」
「後遺症なんかはないん、ですよね?」
「それを確認したいんだけど…呼吸が止まっていた時間ってどのくらい?」
「ほんの数分、だったと思います。処置をして、何度目かで水を吐き出したので10分は経ってません」
「そうか、それなら後遺症の心配もいらなさそうだな」
そういいながら葵先生はバインダーに挟んだメモ帳に“須川先生には優ちゃんから話してくれ”と書かれていて私はメモを見ながら頷いた。
「後は遅くなったけど俺の代わりに生徒を助けてくれてありがとな…正直、あの場所に優がいなければ靖十郎は助かってなかった可能性の方が高い」
姿勢を正して私に向き直った彼はそう言って頭を下げた。
想像もしていなかった対応に思わず硬直して目を見開いていると頭を上げた葵先生が苦笑する。
「俺は、保険医だ。生徒の心身の健康を守る為にこの学校にいる…勿論、転入生である優もその対象になる筈なんだけどな…まさか助けられるとは思わなかったよ」
そういいながら葵先生は何故か私の頭を撫で、そこからゆっくりと手を頬へ移動していく。
骨格をなぞる様に動く手とどこか艶っぽい表情を浮かべる色気満載の白衣の彼に私は口の端が引き攣るのを感じる。
(ちょっと待って。何でほっぺたを触ってんの?!しかも手つきが妙にやらしい!)
肩をすぼめた私を見た彼は喉で小さく笑う。
あの、すいません!靖十郎がいること忘れてませんか?!
そう声を出さずに口パクで伝えるものの、最高級チョコレートを食べた時みたいな今にもこっちが融けそうな笑みに居た堪れなさがこみ上げてきた。
視線をあちらこちらに彷徨わせていると囁くように葵先生が一言。
「―――…ねぇ、照れてる…?」
いえ、壮絶すぎる色気にちょっと気が動転してるだけです!
ってか葵先生そのうち絶対R指定入れられますって!色々やばいです、学校でしちゃダメな顔してるから!
私に一体どうしろと?!そんなことを思いながら必死に首を横に振ってると何かを察してくれたのか急に普通の笑みを浮かべて私から離れてくれた。
(葵先生って心臓に悪い。私に美形パワー使わないでとっておけばいい)
ついでに無駄に色気有り余ってるんなら私にくれてもいいのに。
ここまで考えて、一つ気になったことがあったのを思い出した。
「あ!そういえばプールって今後どうなるんですか」
「“許可”が下りれば使えるようになるとは思うけど、どうだろうね…俺は専門家じゃないから答えは出せないよ」
ただ、もう立ち入り禁止にはなってるだろうね…と言われて私は慌ててメモ帳を借りてそこに走り書きをした。
“できればもう一度プール内を見てみたい”と一言。
すると葵先生はポケットから鍵を取り出して静かに私へ差し出した。
心配そうな表情に苦笑しながら大丈夫だと頷いて受け取り、ズボンのポケットにしまい込む。
「忘れもの、とってきます。とってきたら戻ってきて…その、靖十郎の顔見てもいいですか?」
「その頃には目も覚めてるだろうし、少しだけならね」
今は眠ってるよ、という葵先生の言葉に背を押されるように私は立ち上がってプールへ向かう為にドアを開けた。
一歩足を外に踏み出して数歩進んだところで人の気配を感じて振り返るとニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた封魔が壁に寄りかかって私を見ている。
「うっわ!びっくりした…なにしてんの?伝言頼まれてたよね」
「もう伝えた。で、俺も先に寮に戻れって言われたから一応葵チャンに報告しよーとしたんだけどよォ…なーんかイイ雰囲気で入りにくかったんだよなァ」
好奇心を隠しもしないで封魔は徐に私の頬に手を添える。
人の気配がない廊下で封魔の声はよく響く。
僅かな足音や息遣いが妙に耳について、改めて封魔の背の高さや体格の良さに感心すらした。
(高校生とは思えないくらいしっかりした体つきだよねー…スポーツでもしてんのかな)
プールに入っていたからか、いつもみたいに逆だっていないペタンとした髪の封魔を物珍しく思いながら眺めていると封魔の指が葵先生にされた時のように私の輪郭をなぞるように動く。
「お前と葵センセって出来てんの?」
「…………ハイ?」
「別に誤魔化さなくてもいいって。俺にその気はねェけど、まぁ配慮してやるくらいのことはできるしよォ…何人かいるぜ、そういう奴ら。まぁ、あんま接点はねぇし好んで持とうとも思わねぇけど、優が“そう”でも気にしねェし」
まるで自分は正しいことをしているのだというように満足げに頷く封魔に私の頬が思いっきりひきつるのがわかる。
「(あれ、もしかしてこれって性別が男だって認識されたまま葵先生と付き合ってる的な勘違いされてる?)いや…葵先生はどうなのかしらないけど、俺の恋愛対象は“異性”だからマジで誤解しないでくれると嬉しいんだけど。あれ、きっと葵先生の全力な悪ノリだって」
「にしてもなァ…葵チャンがああいう感じの悪ノリしてんの見たことねェし…ってか、お前ほっぺたむにっむにだなー。めっちゃ柔らかっ!」
夢中で私の頬を捏ねくり回していた封魔だったけれど、30秒ほどで我に返ったらしく名残惜しそうに手を離してくれた。
ほっぺ、ヒリヒリすんですけど。どんだけ力入れてんだ。
「と、とにかく。あー、その、誤魔化さなくてもいいってことだ。相手がいるんなら俺らが対象になるってこともねぇだろうしよ」
「誤魔化すもなにも本気で何にもないって。葵先生に聞いてみてもいいし…ぶん殴られても知らないけど」
「え、何。マジで違う訳?あー…まぁ、その、アレだ。違うとは思ってたけどな!ぞわっとしねェし」
「色々と失敬だな、封魔。で、葵先生に話すことあるなら入ればいいじゃん。俺、忘れ物を取りに行ってこなきゃだし」
どこまでも遠くまで続いているように見える廊下の奥に視線を向ける。
プールのあるドアのところで何かが動いたような気がして、目を凝らすけれどそこには人も人じゃないものもいないようだった。
双方が口を噤んだことで静寂が私たちの間に足を踏み入れる。
私につられるように視線を廊下の奥へ向けた封魔も軽口を叩くのをやめて睨みつけるようにプールへ続くドアを眺めていた。
「―――…靖十郎なら、大丈夫だ」
ぽつりと水の中に一滴のインクが落とされたように真剣な声色は封魔らしくなく、静かだった。
歳の割には低い、体の奥を擽る様な程よい低音に意識がドアから逸れる。
「すぐ寝ちまったけどな。いつも部屋で見る通りの間抜けで平和そうな寝顔だったし、体温もいつも通り、呼吸だってしっかりしてた。俺も確認したけどな、脈だってちゃんとあった」
淡々と事実を口にしているだけなのに、温かさや気遣いのようなものが伝わってきて、申し訳なさと例えようのない実感がこみ上げてくる。
実感っていうのはおかしいかもしれないけど、現実なのにどこか人ごとのような感覚が靖十郎がプールサイドに横たえられた時からずっと続いていた。
「っ…は、はは」
掠れた、自分でも驚くくらい弱った声が口からこぼれ落ちる。
座り込みそうになる足腰と痙攣しているように小刻みに震える自分の手。
ああ、もう―――…ホントに情けない。
嘲笑じみた笑みが浮かんだのがわかって封魔に見られないように俯いた。
よく、大切な人達が危険な目に遭うのを見るのは、遭ったのを見るのは怖い。
漫画やドラマで『失ってから気づいた』とかっていうフレーズがあるけれど、実際にそうだった。
両親が亡くなった時のことを思い出して、靖十郎の家族や友達が私と同じような思いをしなくてよかったことが何より嬉しくて…そして、助けられなかった二人の犠牲者とその家族や友人知人に申し訳ないという思いがこみ上げてくる。
「俺、さ…鈍いって、よく言われるわけだよね。今更、震えてきた」
顔を上げずに震える両手を見下ろして、乾いた笑いと共に溜め息を履くという器用な真似をした私の頭に軽く、温かな重みと衝撃。
「別に、鈍くってもイイんじゃね。大事な時に震えて役に立たねーよりゃ断然いいだろ」
ぶっきらぼうで飾らない、素っ気ない言葉。
でも頭に乗せられた掌は高校生のものとは思えないほど大きく包容力がある。
「そう、かな…―――?」
残された家族のことを思って後悔と自責の念がフツフツと湧いてきていたのに、単純な私は救いを求めるように顔を上げてしまった。
封魔は私をいつものように見下ろしていたけれど、怖いはずの顔に浮かぶのは慈しむような彼らしい笑み。
「おうよ。実際、あのとき優が動いてなかったら靖十郎は助からなかったのはマジな話だし、俺も禪も…教師もダチも皆何もできなかったんだぞ。お前はスゲーって」
二度手が私の頭を優しく叩いて離れて、今度は封魔が目を伏せた。
あ、意外にまつ毛が長い。
「考えたってよ、起こったことはどうしようもねぇんだし…事実として靖十郎は助かったんだからそれでいいじゃねーか。編入したばかりなのに色々立て続けにあったから疲れてんだろ―――…大分俺らもなれたとは言え、この学校はどっかオカシイからなァ」
「オカシイって、どういう」
「どうもこうも…お前も思っただろ?この学校、事故死とか自殺っぽいのが異常に多いからか人が死んだって見聞きしても変に“慣れ”ちまってよ…よく考えりゃ、俺のいるクラスやダチで死んだヤツがいないからかも知んねーけど」
話に聞いても、実際に落ちた直後の現場を見ても何も感情が動かなかったと封魔は顔をしかめる。
「今回靖十郎が事故かなんか知らねーけど死にかけたの見てゾッとしたから俺はまだ“まとも”なのかもな」
保険室の擦りガラスを眺めながら呟かれた封魔の声に私も釣られて視線を向ける。
再びシンとした空気が私と封魔の頬をなでて、私たちは我に返ったように顔を見合わせた。
「じゃあ、俺、その…忘れ物取りに行くよ。後でね、封魔」
「どこに何を取りに行くのかは分かんねぇけど、気をつけろよ。じゃあ、後でな」
普段通りの口調と表情で私の肩を叩いて保健室のドアに手をかけた封魔を視界に入れて、私もプールへと続く廊下に足を踏み出した。
一瞬見えた封魔の耳が赤くなっていたのは、見なかったことにする。
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