【青い箱の底で 5】
プール授業やっとおわったぁあぁあ!!(歓喜)
このあと、事後処理と靖十郎目線の小話を挟む予定。
珍しく主人公らしい行動を取れました。
どぷんっと全身を包み込む水は冷たい。
あれほど暑かったのにプールの中に入った途端に熱をどこかにおいてきたような感覚に襲われた。
それは、今広がっている現実離れした光景も手伝って一瞬自分の目的を忘れかける。
プールの中は幻想的な光景が広がっていた。
頭上から差し込む太陽光は無数の柱のように水中に差し込んで、時折カーテンのように揺らめいてテレビで見たオーロラに似ている。
幻想的で綺麗な光景を楽しむ余裕は私にはないけれど。
目に見える光景は綺麗なのに、プールに飛び込んだ瞬間に感じたのは、死んだ生徒達がまとっていたのと同じ赤黒い靄と同じ性質のもの。
深くは考えていなかったけれど、この赤黒い靄…穢れや霊気と呼ばれるものは私にとっていいものではないことだけは確かだ。
(わかっては、いるんだけどね…ッ!!行かなきゃいけない時もあるんだよ…ッ!)
プールの底に向かって必死に腕を、足を動かす。
天から差し込む光とは正反対の性質をもつものが深く光の差し込まない水底に広がっている。
濃度の違う青の中で小さくなっていく靖十郎を追った。
正確に言えば、靖十郎は私から見えない。
彼がいるであろう方向は時折立ち上る気泡だけが教えてくれている。
気泡は赤黒いプールの底から時折逃れるように浮上して来ていた。
(ああっ、もう!全然前に進めてる気がしないッ!!)
水底には赤黒い空間が広がるばかりで見えるものは何もない。
一瞬、霊視するのをやめようかとも思ったけれどそれができない理由がある。
万が一“視えない”状態にしている時に攻撃をされた場合、避けることも反撃することもできなくなるのだ。
私みたいな一人前になりたての人間は霊視できるようになる状態に意識を切り替えるのに時間がかかるので、一刻を争う状況ではただの自殺行為だ。
悔しさを紛らわせるように必死に手足を動かして見ても、周りの変化がわかりにくいせいで進んでいる気が全くしない。
気泡は徐々にプールの角…丁度、排水口のあたりに向かっているようだった。
それは排水口の付近に絡みつくように在った。
赤黒い塊はまるで血溜まりのようで気味が悪い。
(ってか、禍々しいにも程があるな?!これ、私にどうにかできるもんなの…?)
焦りと恐怖とで体の動きがいつも以上に動かない。
必死に水を掻きながら下へ、下へ、より恐怖を感じる方へ進んでいく。
水をかき分ける度に、水底へ近づくたびに指先から体温が逃げていくのがまた、恐ろしい。
あと、1mほどの距離まで近づいた時だった。
(ッ…靖十郎!!く、意識もうないっぽい…!!急がないと洒落になんないって)
排水口に絡まるようにしてそこにあった赤黒い塊は、器用に靖十郎の体に巻きついて、まるで自身に取り込もうとでもしているかのように、蠢いている。
時折水中に揺らめく靖十郎の腕を取ろうと精一杯手を伸ばすけれど、赤黒い塊はそれを阻止するように靖十郎の腕や体に絡みつく。
無理にでも引き剥がしたいのに、水中であることが最大の障害でうまく身動きが取れない。
ついでに言えば、私自信、潜りや泳ぎに自信があるわけじゃないから呼吸をしなきゃいけないっていうのが一番のネックになってる。
無理やり近づこうにもなかなか近づけないのがさらに焦りと苛立ちを煽る。
(って、嘘でしょ!?めっちゃ増殖してる?!)
服が絡みついて泳ぎにくいっと内心で悪態を付いていると、私の下に広がるプールの底からジワジワと黒い手が生えてきているのが見えた。
流石にあれに捕まったら色々終わるのがわかったので、今まで以上に必死に脳みそを働かせて靖十郎を助ける方法を考える。
(霊気は赤黒く澱んでるし、浄霊はできないってかそもそも話しができん!)
靖十郎は完全に気を失っているようで動く気配はなく、いつの間にか靖十郎の体はプールの底に縫い付けられるように押し付けられている。
赤黒い手は、気のせいか潜ったばかりの頃よりも大きく、禍々しさを増しているような気がしてならない。
(とりあえず、あの手をどうにかしないと…)
符は却下だ。
学ランの上着の内ポケットに入っていて手元にはないし、持っていたとしても水の中では使えない。
木や鉄なんかの特別なものならいいけど、あいにく手持ちは紙製なんだよね。
(ああ、もうっ!霊刀さえあればこんなの一発なのに!)
ないものはないので、今の私にできるのはたった一つ。
ぶっちゃけ、不安しかないんだけど成功させないと靖十郎の命が危ないので考えている時間なんてないと思い直して気合を入れ、目の前で蠢くソレを睨みつける。
(人質取られてる上で使うのは不安だけど…この際しゃーない!靖十郎、怪我したらごめん!責任は今のところ取るつもりだから許して!)
体制をどうにか整えて、意識を集中させる。
人差し指と中指を真っ直ぐに伸ばし、他の指を丸めて…―――簡易の手剣を作った。
これは、知っている人なら一般人でも知っている“九字護身法”と呼ばれる術で、呼び方は色々あるんだけど“退魔の早九字”とも呼ばれている。
初心者でもつかえるからお手軽なんだけど…須川さん曰く『使用者の力が強ければ強いだけ強力になるので使う時と場所は考えるように』という注意とともに初めに教わったのだ。
普段は主に冷凍や呪符、使い魔の二匹に助けてもらっていたから長いあいだ使ってないけど…多分、大丈夫だと思う。
(集中集中!時間もないし…ぶっつけ本番だけど、やればできる!為せば成る!)
自分に言い聞かせながら、一度あまたの中で呪文を確認。
印を結ぶ場合は完全に呪文と手の動きを一致させなければ効果がないのだ。
(臨っ、兵っ、闘っ、者っ、皆っ、陣っ、列っ、在っ、前…ッッ!!消えろっ!!)
強く呪文を思い浮かべて気を込めながら5行4列の格子状に腕を振るう。
最後に真っ直ぐな横の線を描くと印は霊力を帯びて淡く金色に輝く。
気合と同時に解き放てば、真っ直ぐに赤黒い塊へ向かって飛んでいき、黒い手を複数、弾いた。
(よし、これならいけそう…ッ!)
ぐにゃりと驚いたのか怯んだのかわからないけれど赤黒い塊を睨みつけながら立て続けに、先ほどよりも多く霊力を込めて九字を切った。
靖十郎は未だ黒い手の本体に取り込まれるようにしているので、そちらへ向けて思い切り印を放つ。
二回目の攻撃は思った以上に効果があったようで、靖十郎に絡み付いていた手のような帯のような形容し難いソレが緩んで、ふわりと浮力で靖十郎の体が浮かび上がった。
(ッ…やった!!)
思い切り水を蹴ってかき分けて、靖十郎の腕を掴んで引き寄せる。
赤黒い塊は、攻撃を受けても尚、靖十郎へ向けてその手を伸ばしていた。
(ああ、もうっ!触んないでよね!この子は、あんたみたいなのが連れて行っちゃいけないんだっての!)
怒りに任せて全力で霊力を込めた九字を切り、叩きつけながら片方の腕で靖十郎の体に自分の腕を巻きつけて引き上げるように上へ上っていく。
視界の片隅で、試算する黒い塊と…キラリと光るなにかが見えた気がした。
制服のズボンやYシャツが体に絡みついて動きにくいし、腕や足も疲れきって動かすのもかなりきつい。
何より、自分自身の呼吸も限界に近かった。
歯を食いしばりながら、靖十郎の体を後ろから抱えるようにして水面を必死に目指す。
少しずつ遠ざかっていく暗く冷たい水底と目の前に広がる太陽の明かりを反射する美しい陽の光を掴むように水を掻き続ける。
「―――…ッはぁ!げほっ…ごほっ、靖十郎っ!?靖十郎ッ!」
酸欠でどーにかなる前に空気を取り込むことができた私は必死に酸素を肺に取り込みつつ、ぐったりとして動かない靖十郎の頬をペチペチと叩く。
私の切羽詰ったような、鬼気迫るような声で異常事態であることを察知したらしい生徒たちが何事かと集まってくるのがわかった。
頭の片隅で赤黒い塊があの赤黒い手を伸ばして自分や靖十郎の足を掴むイメージがチラついて、とにかくプールから出ようと人が集まっているプールサイドへ向かう。
誰か手伝って、と言葉をかける前に禪の鋭い声が飛ぶ。
「ッ…待ってろ!おい、靖十郎!生きてるか?!」
そう、切羽詰った声でこちらに問いかけてくるのは封魔だった。
禪の声が響くと同時に封魔が飛び込んで靖十郎を引き上げたあと、私も軽々と持ち上げて熱いタイルの上に上げてくれた。
靖十郎はすぐにタイルに横たえられたけれど、胸が上下しているようには見えない。
焦りがじわりと足先から這い上がってくる。
「禪、先生は?!」
「熱中症らしき症状を訴えた生徒の希望で保健室に」
禪の言葉に思わず舌打ちをして、周囲を見渡すけれど“大人”はいない。
そう、…私以外は。
周りの生徒はパニック状態か動揺しているし、封魔や禪もどうしていいのかわからないようで物凄く怖い顔をしている。
ここまで来たら、もう自分が出来ることをするしかないと昔、授業で習った知識を必死に手繰り寄せながら首筋に手を当てる。
「禪、とりあえず先生と白石先生を呼んできて!靖十郎、靖十郎っ、聞こえる?!」
声をかけてみるけれど意識はないけど、脈は確認できた。
とりあえず呼吸をさせないと、と思い鼻を摘んで少し上に持ち上げて改めて気道を確保。
禪が走り出したのを視界の端で確認しつつ、封魔にタオルを持ってくるよう指示を出す。
それから口を塞いで息を吹き込む。
冷たい唇に眉を潜めながらも脳内で必死に知識を確認した。
(ええと、たしか…ゆっくり息を2回吹き込んで、空気がちゃんと入ってるか確認…んで、これを繰り返す、だっけ?吐いた水とかが詰まらないように、吐き出し始めたら顔を横に向けて…あああ、もうっ!どうして半分居眠りしてたかなあの時の私!しっかり目と耳フル稼働させて聞いとけよな!もう遅いけどもっ!)
靖十郎の胸が息を吹き込む度に膨らむのを目視しつつ、何度か息を吹き込んでいくのを繰り返す。
数回、呼吸を吹き込んでは声をかけるのを繰り返すと、何度目かの人工呼吸で靖十郎がごぼっと水を吐き出した。
慌てて顔を横に向けて水を吐き出させたあと、意識が回復するまで呼吸を吹き込み続けること数分。
靖十郎の手がぴくっと動いたのを見て一度口を離し、名前を呼んでみる。
「靖十郎、聞こえる?気がついたらなんでもいいから合図して」
「っう…げほっ、ごほっ」
小さくうめいた彼は弾かれたように呼吸を再開した。
自分で少量の水、というか多分残っていた水を暫く吐いていたけれど禪と葵先生、そして体育教師の三名が到着する頃には呆然とタイルの上で目を開いて呼吸をしていた。
それをみながら私は深いため息をついて脱力。
(あー…我ながらよく頑張ったー。っていうか、ほんとうろ覚えだったけど須川さんには感謝だよ。念の為、というか現場で何が起こるかわからないからって応急処置の講習に連れてってくれてないとここまで思い出せなかったよ)
「…あ、れ…?優、お前なんでここに…」
「うん、あとで話すよ。とりあえず少し休んで」
もーほんとダメかと思った!と熱いタイルの上にひれ伏した私に靖十郎が怪訝そうな視線を向けているのがわかるけど、説明をするだけの体力も気力も余裕もあいにく尽きている。
ぐでーっと横たわっている私に状況を素早く理解したのか先生が鬼気迫る表情で問いかけてきた。
「江戸川っ!清水は…ッ!?」
「あー…引き上げた時点で意識と呼吸がなかったんですが、脈はあったので人工呼吸のみ施して、水を吐き出して今は自発呼吸するまで回復してますけど、念の為に今後の処置なんかは保険医の白石先生に聞いてください」
「そ、そうか…!ところで、江戸川は大丈夫なのか?」
「平気ですー…ちょっと疲れてますけど」
霊力が空に近いせいか、脱力感というか倦怠感がすごい。
情けなくタイルに横たわっている私の視界の端では、葵先生が慣れた様子で靖十郎のバイタルチェックをしていた。
先生も私の様子ときちんと受け答えしている靖十郎の様子にひと安心したのか、未だに混乱している生徒たちを鎮めて、授業を終了する旨を告げていた。
ぼーっとその様子を眺めていた私に続いて声をかけてきたのは葵先生だった。
生徒の目がこちらに向いていないことを確認した上で、私にしか聞こえない声量でそっと囁く。
「―――…ありがとう、優ちゃんのお陰で生徒が一人助かったよ」
「結果論ですけど、上手くいってよかったです」
そう返せば眩しそうに目が細められて一瞬、私の頬を葵先生の大きな手が撫でていった。
少しびっくりしていると、葵先生は何事もなかったような顔をしてすっと立ち上がる。
「赤洞、君は靖十郎を抱えるなり背負うなりして保健室へ。あと、真行寺院は彼の着替えなんかを運んでくれ。江戸川は疲れているところ悪いけど、話を聞きたいからこのまま一緒に保健室まで着いてくる様に」
はい、と返事を返すと封魔や禪も同じように返事を返してそれぞれ与えられた役割を果たす為に行動をはじめる。
勿論、私もぐっしょり濡れた、というかもう完全濡れ鼠のは肌に張り付く制服に顔をしかめながら彼らの跡を追う為に足を前に踏み出す。
でも、なんだか気になってプールを出る前に一度だけ振り返った。
生徒が一気にいなくなったガランとしたプールは不気味に静かで、先ほどまでの騒動が夢幻のようだった。
(この、何もなかったみたいに見えるのが一番怖い)
表面上はなんの変哲もないプールなのに“あんなの”と対峙した後だと改めてこの学校と怪異は密接に関わり合っているのだと感じる。
「絶対に、連れて行かせやしないから」
偽りだらけの私にできた期間限定の“友達”だけは。
ぽつりとつぶやいた言葉をアレが聞いたかどうかはわからないけれど、改めて宣言をして『今あるべき場所』へ足を進める。
今はただ、大事なものを守れたという安堵感と喜びを噛み締めて…――――
ここまで読んでくださってありがとうございます!
ブックマークやら評価やら閲覧やらがじわじわ伸びて、とても嬉しいです。
頑張るぞー!!