【 閉話 高みの見物 】
須川視点です。
こんなことを契約終了の夜に話ししてましたよー。
持っていた筆を置いた所で、今日処理すべき仕事が全て片付いた。
墨が微かに残る硯と筆を手に専用の洗い場へ向かう。
洗浄を終えた道具を所定の位置へ置いた後、机上の置時計で時刻を確認する。
平常時であれば硯と筆を片付けたら入浴し睡眠をとるだけなのだが、今日は入浴の前にもう一件確認すべきことがあった。
手を動かし簡単に事務所内を片付けてから椅子へ腰掛ける。
すっかり冷めてしまったお茶を一口飲み下し、引き出しから大判の茶封筒の中から書類を数枚取り出す。
「―――…経歴は一般的。家族構成はやや特殊ではあるものの特筆すべき問題はないようですね」
机の上にあるのは履歴書と“報告書”だ。
朝一で届けられたソレに目を通しながら、自分の経験と視覚を用いて得た情報も追加していく。
出会いは、本当に珍しい不注意からだった。
思考を巡らせながら歩いていた私と、彼女がぶつかったのだ。
私の方に衝撃は殆どなかったが、少し驚いたのを今でも記憶している。
衝撃に一瞬思考が止まり、視線を下へ向けるとアスファルトの地面に手をついたスーツを纏った幼顔の女性がいた。
状況を理解しきれていなかったらしく、口と目を開いて呆然としている様は、失礼ではあるが中々に面白かった。彼女の少し後方にはぶつかった衝撃で投げ出されたと思われる男性用のビジネスバッグと草臥れた求人誌。
物思いにふけっている私の耳に、甲高い電子音が飛び込んできた。
立ち上がり、念の為に特性の手袋をはめてから黒電話を取りあげる。その際、時計は午後十時を回ったところだった。
仕込みを終えて一息ついた頃だろうと推測しつつ受話器を耳に当てる。
「―――…はい。こちら『正し屋本舗』です」
万が一、客であったら失礼なので社名を名乗れば矢継ぎ早に低い男の声。
耳に慣れた声だったので小さく息を吐いて耳を傾ける。
『遅くなって悪かったな。あー、今大丈夫か』
「ええ、仕事も片がつきましたし契約に必要な諸々の手続きも明日の午前中には完了します」
遅くなったというのは、普段であれば自室に引き上げている時間だからだろう。
普段の仕事は午後八時前後には終わる。ただ、他にも臨時や急ぎの仕事が入った場合は深夜を過ぎるのはよくあることだ。仕事柄、早朝や昼に入眠することも多々ある。
『っはー…相変わらずだな、お前は。完璧すぎんのも大概にしねぇといつかザックリやられんぞ』
「貴方と違って日頃の行いがいいので大丈夫ですよ。で、要件はなんです?十中八九“彼女”のことだとは思いますが、一応聞いておきます」
『わかってんなら聞くんじゃねーよ、ったく、嫌味なやつだな』
彼――喫茶店を経営している黒山 雅という男は僧侶として修行を積んでいたという経歴がある。また、霊能力という力も持っていた。
そして、黒山 雅という男はガサツそうに見えて中々、面倒見がいい。
『――――…なァ、本当にあのちまっこい嬢ちゃんを雇う気か』
本気で言っているのか、と咎めるようなその言葉に苦笑が浮かんだ。
まぁ、自分らしくないのは理解している。
けれど…―――
「そのつもりですよ。雅、あなたも気づいたでしょう。彼女は“こちら”の人間です」
こちら、というのは“視えない”人間やそういったもの縁が薄い人間ではないことをいう。
簡単に言ってしまえば、江戸川 優という女性には肉体を持たぬモノとの縁があるということだ。
一般的に、こちら側でない人間は、私たちのような“視える”人間にとって一番厄介で扱いが難しい。
“視える”のなら、視え方に差異があれども説明は不要であったり、予備知識がなくとも一を視れば、二もしくは三くらいまでならば理解できる。
これが“視えない”人間ならば、1もしくは0から説明をしなくてはならない。
中には言葉で説明しても理解しようとしない者も少なくない。
こういう人間は自分自身の命に関わるような実害が障じなければ決して理解しようとはしないのだから、面倒極まりない。
『そりゃー…まぁ、店に入ってきた時点でわかったけどよォ。ありゃ、どーいった特性持だ?俺らの系統じゃねェってのは確かだが』
「名刺の色は金色がかった白でした。私のような系統でもないでしょうね、近しいものは感じましたが」
『……オイオイ。お前さんでもわからねぇのか?!』
心の底から驚嘆したような声に若干うんざりしながらため息混じりで口を開く。
「私にだってわからないことの一つや二つはありますよ。ただ“彼ら”曰く彼女の傍はとても居心地がいいそうです。興味深いことに、神仏クラスの方もかなり好意的で、彼女であれば式になってもいいと言い出したものまでいました。理由は霊力が好みだから、とのことでしたが」
『なんつーか、神ってそんなんでいーわけ?』
「神の位と個々の性質によりますね。まぁ、私の知る我々に近しい神々は人間に近いところで暮らしていたこともあって比較的変わり者に部類されてはいますが…実力は十分すぎるほどにありますし」
受話器の向こうから聞こえる唸り声で雅の心境が窺い知れてしまい、思わずため息が漏れた。
この黒山 雅という男も十分変わり者に属されているのだが、当人にその自覚はまるでない。
山を降りて日常生活を営む僧侶は少なくないとは言え、大概が寺や神社といったカ行を次ぐか一般人に混じって就職をし静かに生活しているものが殆どだ。
無論、修行を終えたものの中に霊媒師や霊能力者等と名乗り“仕事”をする者もいるが、本物は数える程しかいない。
視えるだけであったり、感じること程度ならかろうじて…という者の方もいる上に、そもそも感じることすら出来ないものも多数いるのだ。
「どちらにせよ、本物になるかどうかは色々と試してみないとわかりませんからねぇ」
本来なら素質があっても使えるかどうかの見極めにかなりかかるのだが今回は完全に通常の手段を無視した雇用だ。まぁ、使えなくても事務員として雇えばいいだけなので問題はないが。
『試すって……、もしかしてお前ッ!またあの無茶な方法で力を引きずり出そうとしてんじゃねぇよな?!』
「参考までに聞きますが”あの”とは“どれ”のことですか?」
はて、と今までの記憶を辿ってみるが無茶はしていないので訪ねてみると電話越しに絶句され、次いで滝のように次々に通常の修行内容を挙げられてしまった。
『おま…っ!真冬に滝行一週間と護摩焚き修行一週間ぶっ続けはないだろ、どうかんがえても!あとド素人に霊場山伏修行に、封印物と連日連夜向き合わせて解決しろとかどう考えたって無茶ぶりだろ!ぜってぇ真面目に教える気ねぇよな?ずぶの素人を放り込む時点で命捨てろっていってるよーなもんだろうが!』
鼻息荒く告げられた内容は確かに過去、実施したことがあるものだが特に無茶だとは思っていない。実際、できないことはないのだ。勿論、どれも自身できちんと検証もしている。
「どれも実証済みなんですがねぇ…―――それに、命を捨てる覚悟があると宣言した上で契約し、実行したのは彼らですよ?強要したわけでもありませんし、事前にいつでも退避してもいいことは伝えて、いつでも逃走及び離脱できるよう状況も整えていました。そのことに彼らが気づいていたことも分かっています。なにより」
『なにより?』
「――――…耐えられなければその後“使えない”でしょう?」
何を当たり前のことを、と言い切れば音が一瞬なくなった。
そしてようやく絞り出すように受話器から聞こえてきたのは完全に力が抜けきった雅の声。
『お前の修行はもはやただの鬼の所業だ。修行の方が万倍マシだっつーの…つか、その過酷な修行を乗り越えないと使えないってどんだけハードなんだよ、お前んとこの案件!』
「一応弁解しておきますが初めは必ず一般的な修行内容を提示しましたよ。ですが、どうしても短期間でと訴えられましてね。勿論、修行を終えても必ずしも能力が身に付くものでもないこと、忍耐力や強い意志が必要だとも伝えてあります。それでも、と無理を言い続け修行を承諾したのですから自己責任でしょう」
正し屋にくる人間は大きく分けて二通り。
まず、依頼人と呼べる本来の仕事を持ち込んでくる方々。
彼らがいなければ商売が成り立たないので基本的には歓迎している。
中には無茶な要求をしてくる方もいるが、こちらで定めた契約を破らない限りは“お客”として扱う。
問題なのはもう一通りの人間たち。
彼らは依頼人として正し屋へやってくるが、どれも契約に違反する依頼を持ち込んだり、話にもならない要求を厚顔無恥にも客なのだからと突きつけてくる。その上、大概話が通じないので、こちらとしても実力行使に出ざる負えない。
雅が挙げた修行の例は実際に修行として行われていることだ。
まぁ、意図的に体力だけでなく精神的にも厳しい内容にはしたが。
「そもそも、社員になったとして時として修行よりも厳しい事態に直面する可能性が非常に高いことに気付かなかった時点で採用することはありません。少ないとはいえ“本物”や“アタリ”と呼ばれる質の悪いモノが相手になった時に私が手助けできるとは限りませんし」
そういった対象が相手の場合は“視える”ことは必要最低限必要だ。
『視えなけりゃ避けることができず、退ける術と力がなければ引き込まれ、知識がなければ対策を練ることも実行に移すことも出来ない…か。最もっちゃ尤もなんだが』
「彼らは読経や呪符、神具を使いさえすれば簡単に封印または退けることができると考えていたようですが…そんな簡単にできるのであれば私たちの様な専門職は必要ありませんからね」
やれやれと緩く頭を振って何気なく彼女の経歴を思い出す。
窮地に陥った際に必要とされるのは精神力と素質。
他にも状況を判断する能力や実力、経験など多様な要素が必要で、それを補正もしくは具現化しやすくする手段や道具として呪符や神具を用いる。
呪符などは買おうと思えばどこでも購入できるのだ。神具も同様に。
これらだけで全ての片が付くのならば本当に私たちは必要ない―――少し考えればわかりそうなものだが。
「この程度のことも分からないまま、相手の力量を見誤ってしまえば、その先に待つのは恐怖を伴う死か多大なる犠牲や代償。己の身一つで済めばいいのですが、そうはいかないことの方が多いですからね」
『あの連中に関して言えば俺らにとってもいい“見せしめ”にはなったけどよォ…お前、アレをあのちみっこいのにゃしねぇよな?』
人を威圧し臆させる外観からは想像し難い世話焼きで情に厚い一面を持つ雅の疑う様な、念を押すような声に何度目かのため息を吐く。
どうやら彼女はこの男にも気に入られているらしい。
気に入られた理由は恐らくあの食べっぷりのよさだろう。
女性にしては遠慮なく豪快に気持ちよく食べていましたし。
「彼らと彼女とでは前提が違います。そもそも勧誘したのは私ですし、色々と興味もありますから悪いようにはしませんよ。まぁ、じっくり時間をかける余裕もないので今回は少々強引な手段になってしまいましたが死ぬようなことはないでしょう」
恐らく、と心中で付け加えたが口には出さない。
それからしばらく情報を交換してから久々の長電話に終止符を打つ。
時計を見ると十一時になる十五分前でかなり長い間話し込んでしまっていたようだ。
入浴をする為風呂場へ向かう前に事務所の戸締りを済ませる。
滅多なことはないと思うが、やはり防犯は大事だ。
「やれやれ…明日から賑やかになりそうですね、この事務所も」
人一人の影響力は意外に大きいのだ。
それがどんな人物であれ必ず変化を伴う。
事務所横の資料室にある資料をまとめてもらう順番を考えながら、静まり返った事務所に背を向ける。
彼女はきっと、私と変化の少ない日常を変えてくれるのだろう。
さ ぁ 、ゆ る り と 高 み の 見 物 と で も い き ま し ょ う か …――――
時々別視点も挟んでいく予定です。
ぶっちゃけるなら、つじつま合わせ、もしくは補足。