【棚ぼた的、就職 4】
プロローグ的な話はここで終了。
次から本編(?)に移ります。
生き返った!と満腹感と充実感と幸福感に満ちあふれた笑みが浮かぶのを自覚する。
今の私は、今日一日の中で一番の幸せにいるといっても過言ではないだろう。
空っぽになったお皿とティーカップを見て、幸せの余韻をふぅっと吐き出す。
「(正直、期待してなかったけど…程よく甘いチキンライスがふわトロの半熟オムレツに包まれて、仕上げにキノコと野菜の旨みたっぷりのデミソースがかかってるなんて反則だわー。美味しくない筈がないもん。付け合せの大根サラダも美味しかったし、野菜スープもゴロゴロ野菜とベーコンが入ってて大満足!結構ベーコンって高いからなぁ)」
むふふ、と思い出してうっとり。
元々お腹がすいていたこともあって結構なボリュームをペロッと食べてしまった。
ついでに言えば、デザートで頼んだ二種類のケーキでカロリーについては考えないことにした。
ダイエットは明々後日からにしよう、そうしよう。
まぁ、ダイエットに関しては毎回同じようなこと言って結果的に何もしてないんだけどね!
「(確か持ち帰りできたよね、チーズケーキの方。持ち帰ろう、そうしよう。やっぱり今日はもう就職活動終了!さっさと帰ってシャワー浴びて、まったりケーキ食べてから対策を考えた方が頭も働くだろうし)」
衝撃的な美味しさだったアップルパイとチーズケーキの美味しさを思い出して、満腹なのに涎が出そうになった。おっと、危ない。
うっとりしているのを見ていたらしい、須川さんが生暖かい微笑を浮かべていることに気づいて慌ててにやけた顔を多少締りのある顔に戻す。
「御馳走様でした。とっても美味しかったのでチーズケーキをホールでテイクアウトしたいんですけど、さっきの大きい方に言えばいいでしょうか?」
「こちらこそ大変美味しそうに食べてくださったので、奢り甲斐があります。テイクアウトでしたら先ほど頼んでおきましたよ。甘いものがお好きなようですし、いらないようだったらお茶請けにしてしまえばいいだけなので」
須川さんの職業を聞いたタイミングで丁度よく、食事が運ばれてきたことを思い出した。
まぁ、広がっても相槌に困る話題だったから助かったんだけどね。
優雅にお茶を飲み終えて、再び熱心に履歴書を眺めていた須川さんは厨房の大男さんを呼び出しテーブルを片付けるように頼んでいるのを見ながらチラッと腕時計で時間を確認する。
この時間なら三時のおやつには帰れそうだ、なんて思っていると綺麗になったテーブルと改めたように佇まいを直した須川さんが凛とした表情で私を見ていた。
慌てて姿勢を正し、聞く姿勢を作った私に須川さんは薄い唇を開く。
「改めてですが先刻は申し訳ありませんでした。幸い怪我はないようですが、もし後日捻挫や骨折、打ち身などが分かりましたら治療費は事務所に領収書を送ってください。後日治療費等を返金させていただきますので」
「丁寧な謝罪ありがとうございます。でも、体は丈夫なので本当に平気ですから!美味しいご飯も食べさせていただきましたし、いつもみたいにぼーっとしながら歩いてた私が悪いので…結構色んなものにぶつかるので気にしないでください」
過去にぶつかった電柱や看板、たぬきの置物、木、人、剥製なんかを思い出しながら明るい口調で言うと、須川さんは納得してくれたのか少し表情を和らげる。
誇れるようなことではないけれどこの時ばかりは数々のうっかりに感謝した。
そして須川さんは流石美形。どんな表情でも様になってます。
ここがファミレスだったらウエイトレスさんの二~三人は軽く倒れてるな。
「そう言っていただけると助かります。出会い頭とはいえ、人とぶつかったのは初めてだったので久々に驚きました。不思議な縁もあるものですね」
考え事をしながら歩かないようにしなければ、と微笑む彼に心底共感して頷く。
どうやら須川さんは考え事をして歩くということがあまりないらしい。
多分、容姿のいい人間なりの苦労とか悩みがあるんだろう。
「(でも、こんな人とぶつかるなんて偶然といえば偶然だよね。かなりの低確率だろうし)」
これがドラマや漫画なんかだと『これはきっと運命の出会い!』とかってなるんだろうけど、相手と自分の顔面偏差値が違いすぎて明らかに『ないわー、ないない』って感じ。
そもそも、ドラマや漫画なら間違いなく相手だけでなく、ぶつかった当人の側も美形じゃなきゃダメでしょ。
ふ、と思わず遠い目になった私は悪くない。
自分の容姿くらい把握してるからね、うん。この容姿で生きて二十年は経ってるから。
須川さんのような人の隣に立つには力不足かつ申し訳無さ過ぎるし、そもそも同じ所に立てる気がしない。次元が違うもん。
緊張が程よく溶けた空気で腕を組んで納得している自分に、須川さんはいよいよ本題とでも言うように伺うように私に話しかけてきた。
「ひとつ確認したいのですが―――…江戸川さんは現在、就職活動中ということで間違いないでしょうか?」
「はい。絶賛就活中です…けど」
一体それがどうしたと言うんだろうか?
首をかしげると彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「もしよければ、私の事務所で働きませんか?」
にこにこにっこり。
ついでに光がキラキラして見える程には眩しい笑顔だ。
「………はい?」
ちょっとお前さん、今なんていいなさったでございますか?
間抜けな副音声が聞こえたのか彼は一から説明し始める。
「考え事をしていた、といいましたよね?実は、私の事務所で新しく人を雇おうと思っていたのです。商売柄、堂々と求人誌などに求人広告を載せるわけにはいかないので、知人を訪ねた帰りだったのですが…あまり色よい返事は返ってきませんでした」
そういえば、須川さんの仕事って霊能力者だっけ。
話をしていると忘れそうになるけど、改めて客観的に見ると彼は確かに、どこか“特別”で“特殊”だ。
和装で美人でっていうだけでも人の目を集める要因の一つなんだろうけど、そうじゃなくて…的確な表現が浮かばないから聞かれると表現に困るんだけど、とにかく不思議な感じがするんだよね。
美形のオーラだ!って言われてしまえばそれまでなんだけどさ。
「これでも知名度はある程度ありますし、仕事の基盤はできているので人を入れるにはいい機会だと思ったのですが適性のある人材が極端に少ないのも影響していて…江戸川さんさえよければ、是非私の事務所で働いて欲しいのです」
困り顔の美形が平凡な女の言動及び行動を伺うように待っているという図はさぞ不可解だろう。
でもそんなことよりも重要なのは、…ええと、なんだっけ働いてみないかとかって言ってたような気がするんだ。
これは夢か。
夢じゃなければ妄想かな。
やばい、本気で衝撃的で動揺の極みにいるせいか記憶すら曖昧になってきてる。
って、夢じゃなければ今、この状況で仕事のスカウトされてる?!
コンビニアルバイトすら断られた私が!!
感動に打ち震える私を見た須川さんは苦笑を浮かべて言葉を続けた。
「勿論、仕事の内容は江戸川さんに合わせて調整しますし、給料は勿論、諸々の手当や社会保障なんかも約束できます。募集で出した契約書はこういった内容になるので、目を通していただけますか?悪い条件ではないと思うのですが」
差し出された用紙を受け取った私は、給料やら休日やら仕事の内容やらをみて何度も目を見開く羽目になった。なんだこの契約書!
「じ、条件悪いどころか好条件過ぎて逆に怖いんですけども…そ、それに!私なんかを雇うより、もっとこう、能力の高い人とかその辺ゴロゴロしてますよ?そ、そりゃー…雇ってもらえると助かりますけど、生まれてこの方、一度もお化けとか幽霊みたことないですし」
「能力が高いだけの人材ならば探せばいくらでもいるでしょうね。ですが、周囲に馴染みにくい場合が多いのです。私が経営している『正し屋』は業界内では恐らく、頂点といっても過言ではないほどの実力があります。ただし、これはあくまで我々の領域…つまり、限定的なものでしかない」
「んと、つまり、普通の人にも気軽に足を運んでもらえるようにしたいから、普通の人間が欲しいってこと…でしょうか?」
自信がないものの話を簡単にまとめて確認を取ると彼はゆっくり頷いた。
「ええ、一言で言ってしまえばそういうことです。祭りのこともありますし、地域には馴染んでおかないと今後、かなりやりにくい。そこで、正し屋の周囲に住んでいる方に親しみを持っていただけるような人材を探していたんです」
な、なんだか過度の期待がかけられているような気がする。
若干背中に冷たい汗をかきながらコップの水を一口飲む。
正直な話、私としては是非にも飛びつきたい。
親しみやすい、っていうのは人によるだろうし、そういうのはやっぱり美人や可愛い子に任せたほうがいいんじゃないかと思うんだよね。最初は話しかけにくいけど、話してみたら意外と…みたいな展開が待ってるだろうし。
黙り込んだ私に、彼は複数の用紙を差し出した。
次は何だ?もしかして、この店の料理って物凄く高い!?
「正式な雇用の条件です。先ほどの契約内容について細かく書かれています―――…記載している給与は手取りなので毎月最低でもこの金額をお支払いしましょう。休日は基本的に週休二日制ですが、祝日があればその祝日分も公休扱いとし、有給は一年で12日といったところでしょうか。住み込みであれば仮契約期間は設けません」
「今日からでもよろしくお願いしますっ!是非に」
「……他にも条件がいくつかあるのですが、見なくてもよろしいのですか?」
驚いたように目を見張る須川さんに私は意気込んで返事を返す。
「百聞は一見に如かず、です!それになんとかなりそうな…いえ、どうにかならなくても持ち前の気合と根性でどうにかします!気合と根性には定評があるのでっ」
白状すると、書面に書かれていた給与の金額を見た瞬間に決めました。
さっきの条件より何故か更に給与が良くなってる。
「(初任給でこれはない!これだけもらえるなんてないよ!しかも、手取りの金額とか破格でしょ!これなら奨学金だってあっという間に返せるし、住み込みできるなら通勤費用かからなくて済むっ!)」
べ、別にお金に目がくらんだだけじゃないよ。
説得力は皆無だけれど、霊能者と呼ばれてる人の仕事も気になるし、普通とはちょっと違う職業って誰でも一度は憧れると思うんだよね。
お化け屋敷や心霊スポットは大嫌いだけど、怖い話や心霊特番は大好きだ。
肝試しの経験もこっくりさんもやったことないけれど、興味はあった。
ありきたりだけど、友達と『霊能力とか超能力があれば』なんて想像して盛り上がったことだってある。
自分が関わるとは思っていなかった未知の世界は怖そうだけれど、好奇心だけは存分に刺激されていたこともあって差し出された契約書にさっさと署名と捺印を済ませた。
何故か須川さんは心配そうな笑顔を浮かべていたけれど。
「はい――――…確かに。これで契約成立です」
「もうこれでハローワークと大学の就職課の往復しなくていいし、求人誌との睨めっこから解放されるんですね!それに動きにくいスーツやら足痛くなるヒールともおさらばできるなんて、こんな嬉しいことはないですよ!」
少し大げさじゃないですか?と苦笑する須川さんに、就活の大変さと経験談を力説した。
美形の苦労はわからないけど、同様に美形は私たちの苦労なんて微塵もわかっていないのだ。
今後のスケジュールを決める為に三日後事務所にいくこと、その間引越しの準備を進めることなどを話ししていると店の奥から冷えたお茶を持った大男が近づいてくる。
怪訝な顔をしていたものの話の流れで事情を察したらしい。
「お前、まさかこいつの下で働くのか?」
「ついさっき就職完了しました。これで私も堂々たる新社会人の仲間入りです」
どうだ!と胸を張って答えると、大きな手で頭をゴワシッと掴まれて、首を強制的に大男の方に向けられた。
「ちょ、首がグキッていった!あだだだ、もげるっ!もげるって!」
頭を抑えられたまま隣にある椅子に顔がつきそうなくらい上半身を沈められた。
うわ、最近…というか運動なんて殆どしてなかったからバキって背中が悲鳴あげてる!あと腹筋やばい。プルプルしてるっ!
必死に抵抗するものの健闘むなしく隣の椅子の座席にほっぺたがくっついてしまった。
「喜んでるとこ、水差すようで悪ぃが、コイツ、かなりアレな性格してんぞ」
限りなく声量を落とした声に滲むのは私を気遣うような色。
想像していなかった言葉にごくりと生唾を飲み込んで、同じくらいに落とした声で聞き返す。
「あ、アレ…と申しますと?」
聞こえてくる息遣いや声が体の芯に響く、なんというかエロまっちょりした声。
いろいろ危険な香りがしてきた。
夜の帝王か?!と戦慄しつつなんとかモゾモゾ動いてみたものの、頭を押さえつけていた手はいつの間にか肩を掴んでいて、逃げようもない。
「――…見た目に騙されるんだよ、特に女はな。ちまっこいのにゃ、コイツのツラはあんま好みじゃなかったみてぇだが」
「いや、好み以前に美人過ぎて怖いっていうか、なんていったらいいのか…ああ、そっか。世の中の不条理をうっかり覗いちゃった感がして。隣に並んで歩いても、部下っていうより召使いかお手伝いさん見習いにしかみえないんだろうなーって」
「よし、よく言った。まぁ、こんだけ図太けりゃ大丈夫か」
呆れたような溜息と共に肩を抑えていた手を避けてくれたので素早く元に姿勢に戻った。
一応、上司になった人の前だしね。
須川さんは相変わらずキラキラしい笑顔を浮かべて私たちを眺めていた。
横で大男のうろたえたような声が聞こえるけど、どうして慌てているのかさっぱりわからない。
須川さんって怒ったりしなさそうだし。
親しい友人同士だと初対面の人間にはわからない何かがあるんだろうと一人納得していると、頭に…―――正確には頭を支える首にズシンという衝撃が加わった。
「あだだだだ!縮むっ!縮む!!」
「し、しっかしアレだな!中学生だか高校生だかは知らんが、最近のガキは随分しっかりしてらぁ」
「雅。いい加減、彼女の頭を押さえつけるのをやめなさい。貴方の所の修行僧ならまだしも、女性なのですよ?」
「いや、あの、それより私、成人して数年経過してるんで、流石にガキ呼ばわりはちょっと」
咎めるような須川さんに続いて実はさっきから気になっていたことを伝える。
と、何故だか雅と呼ばれた大男だけでなく、須川さんまでキョトンとした表情を浮かべた。いや、ちょっと待って何その反応!
「…はァ?」
「そういえばこの生年月日だと成人して数年経っていますね」
大男の反応にも傷つくけど、そういえばって須川さん…貴方の反応の方がひどいです。
履歴書に卒業した中学校も高校も書いてあるじゃないですか!
会話がぴたりと止まって、店内に流れるBGMがやけに耳についた。
うわぁ、沈黙って重たかったんだね!
「――――…さて、冗談はここまでにしましょうか。江戸川さん、三日後の10時にご自宅へ迎えを送りますのでそれに乗って、事務所にお越し下さい。先程も伝えましたが荷造りはお願いしますね。家具や日用品、あと必要なものは新しく買い換えましょう。家具なども思い入れがあるもの以外はこちらで処分もできます」
「え?ちょ、ちょっと待ってください…買い換えるってそんな簡単に」
「部屋の間取りなんかもありますし、買い換えた方が早いでしょう?ああ、不用品は回収会社に買い取るようにしておきます。引越し費用や新しい家財道具などは私が費用を持つので心配しないでください」
契約書にもそのように書いてあるのですが、と困ったような表情を浮かべる須川さんを見て、慌てて書類を確認する。
そこにはばっちり説明通りのことが書いてあった。
他にも細かなことが書いてあったので慌てて目を通す。
「お前…まさかきちんと契約書を読まないでサインしたのか?」
「いや、だって就職する方が大事でしょう!?私が一体何十社落とされたと思ってるんですか!コンビニのアルバイトですから断られてるんですからね!」
「――――…よし、次からは確認しろ。あと、実印を持ち歩くな。その場でサインは絶対にするな。その内絶対騙されて借金まみれになるぞ」
「あはは。そんな大げさなー!」
「江戸川君、とりあえず実印は事務所の金庫にしまっておきましょうね。契約書などの類は必ず私に見せてください。社員が破産するのは流石に困ります」
可哀想なものを見る目を二人から向けられて、若干やさぐれつつ汗をかいたグラスのお茶をぐっと煽った。
ひやりと冷たい緑茶が、トントン拍子で就職したという事実が嘘でも妄想でもないことの何よりの証拠の様に思えた。
「(きっとこれも何かの縁だよね。余程のことがない限り、頑張ろう)」
いつの間にかグラスの中の氷が溶けて、中に閉じ込められていたミントの葉がぷかりと浮かぶ。
それを眺めながら、私は改めてこれから新しい生活が始まる喜びを噛み締めた。
江戸川 優、漸く就職先が決定しました。
後に、時々、結構な頻度で後悔することになるとはこの時、全く知らないのは言うまでもなく。
ここまで目を通してくださってありがとうございました。
続きは近々隙をみて投稿する予定です。