【始まりの怪異】
ホラーというより、残酷表現?があります。
まだ怖くはないです。
開け放たれた窓から入る風が、いつの間にか止んでいた。
青空と白い雲、学校のグラウンドとフェンスに、森。
至って日常の何気ない景色なのに目が離せない。
一体どうしたんだろうと思った瞬間、それは私の視界に入った。
時間にすればほんの数秒。
開け放たれた窓の外を大地に吸い寄せられるように落下する黒い物体。
「な……ッ?!」
授業中であることすら頭から抜け落ちていた私は、咄嗟に腰を上げて窓から身を乗り出し、地面に視線を向ける。
教室内のザワめきとそれを鎮める教員の声はもう、遠い。
「――――…うそ」
地面には黒と赤の華が咲いていた。
コンクリートが敷き詰められたグラウンドへ通じる通路の真ん中に、黒をまとったモノはあった。
よくある学生服である学ランの黒と頭から染み出していく赤は現実離れした組み合わせのようにも思えた。
生徒の四肢は力なく投げ出され、首が曲がっているらしくうつ伏せの体に抵抗するようにぐるりと回転して空を、眺めていた。
その表情は遠目でもわかるほどに恐怖で歪み、今にも叫びだしそうで…まるで、誰かに縋るかのような切迫した気迫を感じた。
特に印象深く残ったのは、限界まで見開かれた目。
叫び声は聞こえなかったけれど『 死にたくない 』と訴えていたことだけは、知っている。
だって、一瞬だけど、確かに視線が交わったのだ。
その衝撃は死体を見つけた時よりも強く残っている。
生死に関わる状況で、他者に助けを求める人の執念に似た想いは、どんなものより強烈な想いなのだろう。
だって“生きたい”という気持ちは、単純で当たり前の想いだろうから。
「――――…あ、ぁ」
頭の中で何度も再生される鈍く重たい音は、大地に人が叩きつけられた時のソレ。
意味のない声が口からこぼれ落ちて頭の天辺からざっと血の気が引いていくのがわかった。
ゆっくり、窓から乗り出していた体を戻して、ゆっくりと顔を上げると教員の江口先生やクラスメイトたちの視線が私に集中している。
何か言わなければ、と口を開閉するけれど言葉が出ない。
江口先生が心配そうな表情を浮かべて一歩足を踏み出したところで、漸く声帯が震える。
「誰かが…生徒が、一人…落ちました」
そこまで言って私はふっと先ほど見たものを思い出した。
窓の下にある、薄い灰色のアスファルトの通路。
黒にも見える深く鮮やかな赤。
じわじわと、水溜りが池になるかのように広がる、血溜り。
いや、血溜りだけじゃなくて、体を構成していたはずの肉や何かの部位も例外なく四方に飛び散っていた。
それは、素人目に見ても明らかな死体だった。
ただ、一つだけ不自然だったのは、腕。
腕が、後ろ手に縛られているような、奇妙な格好をしていた。
それはまるで誰かに突き落とされたみたいにも見えて…――――
(予兆は、あったのに)
こみ上げる怒りにも似た後悔と焦燥感に拳を握りしめて、唇を噛む。
救うだなんて大層なことができるほど優秀だとは思っていないけれど、もっと早く気づけていれば…と思ってしまうのは自分の力不足故なのかもしれない。
こういった歯がゆい想いは『正し屋』で働き始めてから増えた。
誰かの力になりたいのに、少しでも役に立ちたいと思うのに…どうしようもなく、届かない。
実力も知恵も、運も何もかも。
歯を食いしばるように俯く私と静まり返っていた教室内に小さなその声は良く、響いた。
「うっわ、またかよ。お前、顔みた?」
「いや、落ちた時の音も聞こえなかったし、ほら、今日グラウンドで授業やってるじゃん」
この会話を皮切りに生徒たちが会話をはじめる。
そこに恐れや恐怖はなく、まるで昨日のテレビについて話す、みたいな気安さがあった。
「にしても、派手にいったんじゃね?前はそーでもなかったんだよな?」
「飛び降りはどうしたって飛び散るだろうし、三日くらいはあの道通れないんじゃね?はぁ、また遠回りかよ」
窓際の生徒は窓の下を見つめ、江口先生は小さくため息をついて内線を使って誰かと話をしている。
ガヤガヤと好き勝手話す生徒たちからは恐怖の欠片も見受けられない。
普通なら一人や二人、パニックに陥ってもおかしくない状況なのに、パニックを起こすどころか呆れと何処かイベントを傍観しているような不自然に、自然な風景。
(何、この学校…?)
どう考えても、変だった。
いくら男ばかりだとしても、動揺くらいするのが普通だ。
でも、彼らは…本当に“日常のひとコマ”でも見るように、したいに変わった生徒を窓から見下ろしていた。
前の席に座る封魔は一度、窓の方に顔を向けたもののすぐ、何事もなかったように頭を掻いて机に突っ伏した。
その時、聞こえたのは小さなため息。
ぼんやりと広い封魔の背中を見つめていると、私の横には、いつの間にか靖十郎が立っていた。
「アイツもかよ…ッ」
「靖、十郎…?アイツ“も”って一体なんの…―――」
苦々しく吐き捨てるような靖十郎の声に反応して思わず聞き返した私は靖十郎の顔を見て口をつぐむことになる。
まるで、天敵を睨みつけているような険のある視線はグラウンドに向けられているようだった。
視界に入った拳は小さく震えていて白くなっているけれど、周りの反応とは明らかに違うそれに何処かでほっと胸をなでおろす。
安堵の原因は自分の反応がおかしくないんだと思えたから。
ふっと小さく息を吐いて視線を窓の方へ向けた私は思わずギョッと目を剥いた。
そこには、日常ではまず見かけることのない生き物が。
(須川さんの管狐…?)
ひょろりと長い体と陽の光を受けて輝く金色の体、尻尾の先は黒に近い茶色で…狐の顔をした可愛らしいソレは管狐と呼ばれる妖怪だ。
もっぱら伝達係りとして須川さんは彼らを使役している。
管狐は真っ直ぐ私のところへ飛んできて、くるりと首元にマフラーのように巻き付く。
そして、可愛らしい狐顔を寄せてキャウキャウか細い声で数度、鳴いた。
「せ、先生…!あの、俺、その…気分が…」
咄嗟に口をついて出た嘘だったけれど、江口先生はあっさり信じた。
「そうか。だったら、保健室で気分が落ち着くまで休んでいなさい」
「だったら俺が付き添って保健室に…」
「ありがとう、靖十郎。でも大丈夫。歩けないほどじゃないしさ」
心配そうな靖十郎に良心がチクッと痛んだけれど、笑顔を浮かべてどうにか断った。
保健室に行く権利=単独行動ができるってことだしね。
なにより、管狐が私の首から離れていち早く廊下へ出てしまっている。
あまり元気に見えないように気をつけながら教室を出た。
他のクラスも授業中だからか、廊下はとても静かだ。
「人が一人、飛び降りた時の反応とは思えないくらい、静かだ」
溢れた本音はあっけなくひんやり冷えた廊下に溶けていく。
管狐は、人気のない空き教室ばかりが並ぶ廊下を迷いなく進む。
ついて行けば確実に須川さんのいる場所、もしくは彼が私に見せたい場所にたどり着けるのは今までの経験からわかっている。
できる限り、足音を立てないように足を動かして、息が切れてくる頃……重たいドアの前に私は立っていた。
「――――……ここ?」
『きゅぅ~』
コクコクと頷く管狐は、小刻みに震えながら私の腕に絡みつく。
まるで、ドアの向こう側に何かがいるみたいな反応だった。
(用心、するに越したことはない…よね?良かった、呪符持ってきてて)
念の為に持っているのは数枚の呪符と携帯式の神水入りのアトマイザー。
神水っていうのは、神様にお祀りした聖水みたいなもの。
魔や穢れを払う力がある、基本的除霊アイテムの一つ。
「このドアの向こうに何か怖いのがいるの?」
管狐に問いかけても返事はない。
でも震えが大きくなったので恐らくナニカはいるのだろう。
「人がいない所に“出て”くれるのは助かるけど、嬉しくはないんだよねぇ」
緊張で乾燥している唇を舐めてから戦う体制を整える。
きっちり止めていた学ランの上着のボタンを外して内ポケットにある呪符をズボンのポケットに。
神水入りのアトマイザーは手に持った。
呪符を手に持たないのは、ドアの向こうに人がいるという可能性があるから。
重たい鉄製のドアにはA4サイズの張り紙があった。
剥がれかけたソレには“立ち入り禁止”と大きく書かれ、角になってる所にはドアに巻きつけられていたらしい南京錠付きのチェーンが落ちている。
(ナニカがいるのは間違いないみたいだし…ちゃんと“視て”置いた方がいいよねぇ、やっぱり)
何かあってからでは遅いのですよ、という上司様の最もすぎる口癖を思い出して、意識を切り替える。
(まとめてスイッチ、かな?須川さんにも“今回は行動する前に必ず『視る』ように”って念押しされてるし)
普段は“視る”スイッチはオフにしているから幽霊の類は見えていない。
私の場合、幽霊専用スイッチと妖怪専用スイッチ、全部まとめてスイッチの三種類に分けている。
今回押したのは、両方が見えるタイプのスイッチ。
いろんなものが雑多に見えるから普段はあんまり使わないんだよね。
私は一度深呼吸をしてから、目を閉じて“スイッチ”をオンにした。
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