【棚ぼた的、就職 3】
じわじわ進む、投稿と以前進まない書き直し。
街中でぶつかった和装の眼鏡美人に連れられて、足を踏み入れた喫茶店は雰囲気のいい普通の店だった。
地下にあるのに、暗さやジメジメとした感じはまるでない。
ドラマや映画なんかでみる薄暗くて紫煙が漂う事務所を想像していただけに、拍子抜けしてしまうくらいに普通。
でも、テーブルや椅子、小物なんかはアンティークのようでセンスがいい。
ただ、少し気になったのは各席が低いとは言え衝立で仕切られていることだった。座ってしまえば他の席に座るお客さんの顔は見えないだろう。
「(それにしても、喫茶店ならコーヒーとか食べ物の匂いがしても良さそうだけど)」
入店と同時に鼻をくすぐったのは、どこかで嗅いだことのある植物系の香りだ。
店全体に薫っている、凛とした清々しい匂いに灼熱のコンクリートジャングルを彷徨っていた疲れが少しずつ溶けていくような感覚に肩の力が抜けていくのがわかる。
「(この香り…絶対知ってるはずなんだけど、この、答えを知ってるのに出てこない、もやもや~っとした感じ!すっごく気持ち悪いっ!)」
どこだったかな、と考えていると知らず知らずのうちに眉間に力が入る。
懐かしい感じがするあたり、結構昔のコトみたいなんだけども。
「あの席にしましょうか。落ち着いて話すには丁度……―――― どうか、しましたか?随分険しい表情をなさってますが」
「へ?そ、そんなに酷い顔してました?!」
「酷い顔ではありませんが、眉間に皺が寄っていましたよ」
こんな風に、と茶目っ気たっぷりに再現してくださったのはいいんだけど…顔の造形が全く違いすぎて、正直比較の対象にすらなってません。私が。
私には美形補正っていう素晴らしいものは一切ないからね。
「お見苦しいものをおみせして大変申し訳ありませんでした」
謝罪をしてから彼の言う席へ移動する。
彼が選んだのは窓の奥で入口からも見えにくい一角だった。
あまり多くない席数の店内を進んで、窓を背にして席に着けばスムーズにメニューを手渡される。
金持ちの気遣いってスムーズなんだね。庶民代表の私には新鮮すぎてソワソワする。
「ここで出される料理は比較的量が多いのでそれを踏まえて注文した方がいいでしょうね。どれでもお好きなものを好きなだけ頼んでください。私は食事を終えたので気になさらず」
にっこりと笑顔を浮かべた彼は私がメニュー表を受け取ると同時にそれだけ伝えて口を閉じた。
受け取ったメニューを見ながら相手の様子を伺う。
上品で穏やかな笑みを浮かべている美形というのは、何をしても様になるらしい。
着物姿で洋風の喫茶店にいるのに微塵の違和感もないのだから。
ときどき、神様って本当に不公平だなと思う。
キラキラ成分の一つでも私に渡してくれていれば、買い物する時に便利なのに!オマケとかさ。
「えっと、じゃあ…オムライスのセットとオススメのアップルパイとチーズケーキにします。入店した時に気になったんですけど、この香りって何の香りなのかわかりますか?どこかで嗅いだような気がして、気になってて」
「この香りは菖蒲の香りですね。少し他の物を混ぜているようですが、悪いものではないので安心してください。食事をしたり、会話をしたりする程度なら何の問題もないでしょうから」
「菖蒲だったのか。昔、住んでいた家の庭に植えてあったんですよね。だから覚えがあったのかも」
今はもう手放したけれど育った祖父母の家にあったのを思い出す。
田舎だったからか庭は結構な広さがあって、野菜や花なんかがたくさんあった。
懐かしいなぁと考えていると、視界の隅で何か動いたのが見える。
そちらに視線を移すと注文が決まったのを聞いていたらしい…コックの格好をした人がやってきている。
あくまで「コックの格好」をした人だと私は思った。
だって、脳内で描くコックさんのイメージをことごとく覆しているのだ。
筋肉隆々の厳しい体つきに違わない、まるで山篭りから戻ってきたばかりのような風貌に鋭い眼光。髪は撫で付けてあるものの無精ひげはいただけないと思う。
飲食店だからね、清潔感第一の。
コックの格好をした大男はジロリと私を一瞥してむっとしたように口元を歪ませる。
「おいおい、久しぶりにツラみせたと思えば何だァ?このちまっこいのは」
ザ・超重低音。
私たちが座っている席の横に仁王立ちしている大男から発せられた声を表すならこの一言に尽きる。
いい声なのに迫力がすごい。威圧感もすごいけど。
コック服よりも、ヤのつく職業の方が来てる服の方が人相と体格にあっていると改めて思う。
うっかり壁際ににじり寄った私に気づいたのか、大男は私を見下ろしている。
「っ、すいませんごめんなさいもうしません逃げませんから命だけはご飯食べるまで勘弁してください!できるなら内臓も取らないでください!強制海外旅行とか本当に許してください!望んでませんのでっ!」
「誰が食うか…ッ!おい、須川!なんだこのちびっこくて変なのは!依頼人をここにつれてくんじゃねぇって何度言やぁわかんだァ?」
「おや。私がここに依頼人を連れてきたこと、ありましたか?ここにいるお客様が偶々、依頼人になったことは何度かあったと記憶していますが」
「……そーいや、今日はお前ら以外客はいねぇんだったな。んじゃあ、なんだ、このちまっこい変なの」
交わされる親しげな会話によって、この大男が眼鏡美人さんの知り合いらしいことが伺えた。
それはいいんだけど、私…もしかしなくてもとんでもない人についてきちゃったんじゃないだろうか。
背中に冷や汗をかき始めた頃、漸く眼鏡美人さんが会話を打ち切った。
「―――…後で話しますよ。それより、私はいつものを。彼女にはオムライスのセットと、アップルパイ、チーズケーキを持ってきてください。ああ、飲み物は何にしますか?」
「じゃあアールグレイのアイスミルクティーで」
「わぁったよ。んじゃあ、ちょっと待ってろ。飲み物は先に持ってくるぞ」
先程よりもキラキラしい笑顔を浮かべた彼に、大男は盛大なため息をついた。
衝立の向こうへ歩いていくがっしりした背中を見ながら息をひそめるように体も縮める。
いや、なんか目があったら何か終わるような気がして。
私が戦々恐々としている間に、お水が入ったピッチャーとお洒落なグラス、氷が浮いた紅茶が入っていると思われるガラスのティーポットを持ってきた。
「ほらよ。ミルクは低脂肪乳と生クリームがある。好きな方を使え。テーブルが狭けりゃ、隣の席に置いとくんだな」
手馴れた手つきでテーブルに食器などを並べていく大男の所作は以外に丁寧だった。
感心しつつソロソロと低脂肪乳と紅茶を自分のグラスに注ぐ。
眼鏡美人は緑茶を優雅に飲んでいた。
その前には練り切りが2つあるし、これがメニューにあった『抹茶セット』なのだろう。
再びのっしのっしと厨房があるらしい店の奥へ消えていくのを確認して、すかさず大男について聞いてみることにした。
勿論、声はかなり小さくしている。
「さっきのガラの悪い大男って」
「この店の店主ですよ。ここまでくるとどちらが本業なのかわからなくなりますが…ああ、そういえばまだ私も名乗っていませんでしたね。失礼しました」
私はこういうものです、と彼は名刺入れから慣れた様子で名刺を出し、私に差し出す。
名刺は上品な透かし彫りが入った和紙でできていて、一瞬世間一般で言う『名刺』ってどんなだっけ?なんて間抜けなことを考えた。
いや、名刺だけじゃなくて名刺入れもシンプルで無駄に高そうだけどさ。
一枚いくらだ、この名刺。
受け取った瞬間にジワジワと色が変わって金色がかった白へ変化するのを見て口元が引きつった。
「(このひと目で高級和紙っぽいのがわかる名刺なんて恐れ多くて持ってられないよ!っというか、名刺にもお金かけるってどれだけ儲かってるんだろう、この人)高そ……ええと、素敵な名刺ですね」
「ありがとうございます。まぁ、あまり手の込んだものではありませんが」
「普通の名刺は持った瞬間に色は変わりませんって。しかもこれ、和紙でできてますよね?日本の技術ってすごいですね」
勿論それを持ってる貴方が一番すごいですけども。
普通の和紙だったのに、初めて見た時とはまるで違う和紙風の名刺を食い入るように眺めた。
花の透かしまで入っているし、見た限りでは仕組みも全くわからない。
墨で書かれた文字は手書きなのかな?
「須川 怜至と申します。貴女のお名前をお聞きしても?」
「え?あ、すいません!私は江戸川 優といいます。名刺も持ってないので渡せないんですけど…って、そうだ!!ちょっと待ってください」
就職先が決まってから作ろうと思っていたので名刺はないけれど、名前くらいはきちんと伝えたい。
メモ帳に書くというのも考えたけど、面白い名刺を見せてもらったこともあるし、面白みはないものの、それなりに丁寧な字で書いたアレを出すのが一番いい。
壊れたカバンからファイルを取り出して、用紙を一枚彼に差し出す。
「はい!たくさん書いたのでどうぞ」
「……履歴書、ですね」
「丁寧には書いてあるので読める字にはなってると思うんですけど―――…やっぱりさっきの名刺に比べたら面白みに欠けますよね」
「いいえ、私にとってはとても面白いものです。ありがとうございます」
少々拝見させていただきますね、と一言綺麗な笑顔と共に履歴書を受け取った和装の眼鏡美人こと須川 怜至さんは熱心に私の履歴書に目を通し始める。
「(邪魔しちゃ悪いし飲み物飲んじゃおう。喉渇いてるし)…あ、美味しい」
冷たいグラスに入ったミルクティーは味も香りも良かった。
気づいたら半分以上一気に飲んでしまってその後はメニューを眺めながら大事に飲みすすめる。
履歴書を見てもらうことに緊張はするけれど、面接を受けている訳じゃないのでかなり気楽だ。
あーあ。他の所でもこんな風にリラックスして面接受けられたら良かったのにな。
みーんな怖そうで偉そうな人なんだもん。
今日はもうやる気がなくなっちゃったし、明日からまた頑張ろうかな。就職活動。
この思考自体がダメ人間的なアレなんだろうけど、予想外なことばっかり起きてるし…流石にこの状態で面接官とやりあえる気がしないんだよね。
「ん?ここに書いてある『正し屋本舗』って社名ですよね?モデル事務所か何かですか、やっぱり」
「事務所ではありますが、モデル事務所ではありませんね。簡単に言ってしまうと何でも屋、みたいなものです。少し特殊かもしれませんが、それなりの収入はありますよ―――…興味が?」
履歴書から顔を上げた須川さんは笑顔だったけれど…何だか今まで見ていたものとは少し違うような印象を受けた。
具体的に言うと…少し鳥肌がじょわっときました。
「興味はありますよ!特殊な事務所ってことはやっぱりペット探したり、浮気を突き止めたり、犯人を尾行したりするんですか?」
ピンときた職業はズバリ探偵だ。
テレビドラマと小説とか漫画でよく見かけるけど結構好きなんだよね。
「似たようなことはしています。人や物を探したり、場所を特定したり…といっても、江戸川さんが考えているような方法ではないでしょうね」
含みを持たせてふんわりと笑う彼に内心首を傾げつつも感心する。
「へぇー。でもやっぱりよく聞く感じの仕事内容なんですね」
須川さんみたいな人が経営してるなんて意外かも、と呟きつつ改めてドラマや漫画みたいだなぁと一種の感動すら覚えた。
まじまじと名刺を見る私に苦笑した彼は懐から何かを取り出してテーブルへ置く。
深緑色の布を開くとそこには数十枚の写真があった。
内容はチラリと見えただけでも様々で、若い男女の写真、子供が写った家族写真、ペットの写真、記念写真、観光地で撮られたと思われる写真…とまぁ、統一感のないものばかり。
これだけなら写真屋さんか写真コレクターかな?なんて思ったと思う。
でも、そういう楽しい写真じゃないことはすぐに分かった。
「(なにこれ。冷たくて、重たい…嫌な感じがするんだけど)これ、って須川さんの持ち物ですか?なんか…その、できるだけ早く手放した方がいいんじゃ…」
「――…ええ、そうですね。私のものではありませんが、手放した方がいいのは確かでしょうね」
ふぅっと一呼吸おいて須川さんはとっても“イイ”笑顔を浮かべて口を開く。
骨ばった美しい手には、顔や足といった体の一部が写っていない写真たち。
「私の本業はこういったモノを適切に処分することであったり、目には見えないモノによって私生活がままならなくなっている方や仕事などに支障をきたしている方々を本来の状態に戻す手伝いをすることです」
彼の言うことを自分なりにまとめてみて、思い当たる答えが脳裏によぎった。
「つまり、ええと、わかりやすく一言で言うと…霊能力者、ってやつですか」
否定を望んで紡いだ言葉に彼はあっさり首を縦に降った。
ふわりと柔らかい薄抹茶色の髪が揺れる。
「わかりやすく表現するなら正解です。まぁ、霊能力者や祓い屋、霊媒師、退魔師などという職業を生業としている人間は見えない方からすると胡散臭い職業でしょう?」
まさか本人を前にして「そうですね」なんて言える筈もなく、当たり障りのない、曖昧な笑顔で返事を濁しておいた。
「(胡散臭いって自分で言っちゃうんだ。まぁ、霊能力者って聞いたら真っ先に胡散臭いとおもうけどさ…でも、須川さんってなんか違うんだよね)」
顔はいいし、無駄にお金持ちそうなんだけど、そういうんじゃなくて。
人を騙しそうには見えないし、何より不思議な感じがするんだよね。
ここにいるのに、いない。
近くにいるみたいなのに、どこにもいない。
考え込む私に須川さんの美しい声は続く。
「他には、十二月祭り(じゅうにつきまつり)の手伝いもありますね。命に関わるような現象はしょっちゅうあるわけではないので、そちらの仕事は滅多にありません。変わりにそういった能力のある、もしくは“あると思い込んでいる”方の選定や斡旋をしています」
「な、なんか凄い仕事してるんですね」
「凄くはありませんよ。ああ、最近はめっきり減りましたが、放置していると偽物やペテン師といった者が増えますからね。あと多いのは依頼人の振り分けでしょうか。本当に困っているのか、それとも単なる勘違いなのか…そのあたりの見極めは難しいですね」
どうやら、彼は霊能力者の紹介窓口のような仕事をしているらしい。
ひと通り聞いたのはいいけど、お腹が空き過ぎているのかいつも以上に思考能力が鈍くなってる気がした。
彼の言ってることは理解できなくもないけど、かなり常識外の話だったので相槌も結構難しい。
私自身、お化けや幽霊はいると考えている。
怪談話や心霊関係の特集なんかはつい見ちゃうし、結構好きだけど…でも、進んで怖い目には遭いたくないし、遭おうとも思わない。
「(お化けも幽霊もテレビと本とクチコミだけで十分だなぁ)」
そんなことを思いながら残っていたミルクティーを飲み干して、ふと思う。
…今更だけど、履歴書って名刺代わりになるのかな?
ここまで読んでくださってありがとうございました。
誤字脱字には気をつけていますが、ありましたら是非教えてやってください。