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正し屋本舗へおいでなさい 【改稿版】  作者: ちゅるぎ
第三章 男子校潜入!男装するのも仕事のうち
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【口裏合わせ】

学校の下見で終わった…なぜだ。

これでも、書き直し前より短くなっています。二話分?



 人生の前半はただひたすら経験を積むための時間なんだ、とお爺ちゃんが言っていたのを思い出した。



 目の前にはどこか懐かしい雰囲気の建造物がそびえ立っている。

ついに来ちゃったかーなんて考えつつ“学校という教育施設はどこも似たような雰囲気なんだなぁ”なんて感想を抱いた。


 かなり大きな学校であることは情報として知ってはいたけど、見ると聞くとじゃ大違いだと改めて思う。


巨大な、私の身長の倍は確実にある校門には『市立栄辿高等学校』としっかり学校名が書かれていて間違いなく今回の現場だとわかる。

外から見ただけでわかる調査対象の広さに少しだけ辟易としたのはここだけの話だ。

 珍しい四階建ての校舎の左手には体育館らしき屋根。

その奥にはフェンスが見えるのでたぶんグランドがあるのだろう。

正面から寮は見えないものの、森を切り拓いて建てられたという学び舎はどこか不思議な雰囲気をまとっているようにも見える。

校舎を囲むように建てられている高い塀の外は山そのもので木々が生き生きと大地に根付いている。

 街から学校へ通じるバスは一日二本。

道は一方通行で終点がこの学校らしく、山を縫うようにしてある道路は一つだけ。



「私の通ってた高校の倍は絶対ありますよ、これ……すっごい」



思わず口をついて出た感想に答えたのは須川さんではない、第三者の声。

それは若い男性のもので親しみ易くどこか気安ささえ感じる系統のもの。



「男子校ってことで全体的に大きく設計したって聞いてます。ここからは見えませんが敷地内にプールも学生寮もあります」


「プールが学校にあるんですか?!うわ、ドラマと漫画の中だけだと思ってた。私の通っていた学校にはプールがなかったので市民プールに行ってたんですよ。暑い夏に学校でプールなんて最高ですね」



 ジワジワと焼け付くような日差しにうんざりしていたこともあって、久しぶりにプールに入りたいなぁ…なんて考えているとそれを見透かしたように溜め息混じりの聞きなれた美声が。



「わかっているとは思いますが、優君はプール授業には出られませんからね」


「わ、わかってますよ!流石の私でもこんな格好させられればそれくらい言われなくても…ッ!くっそう。依頼が終わったらプールで泳ぎまくってから、かき氷とスイカとそうめんパーティーしてやる」


「優君、“私”は駄目ですよ。言葉遣いには気をつけてください、万が一にもバレると仕事に支障をきたします」


「…ふみまへんれひた」



拳を握りしめて悔しがっていた私の意識をそらすように須川さんに両頬をみゅぎゅ!っと片手で掴まれ、アヒルのような間抜けな口になったまま何とか返事を返した。


 こんな格好、というのはまぁ…察して欲しい。


黒くカッチリとした日本独特の男子制服―――まぁ、有り体に言えば学ランもしくは詰襟を私は今身につけている。

 勿論、パリッパリの新品です。

オーダーメイドで業者を呼んだ翌日には正し屋に届いたからね。何故か三着も。

改めて着てみたけど、軽く目眩がしたくらいには衝撃的だったよ、学ラン姿の自分。



「…じゃあ、無難に俺、がいいか。それにしても、ホント、学ランってあっついー。冬はいいんだろうけど」



はぁ、と憂鬱な気持ち全開で溜息をつく。


 いやさ、私もまだ高校生とかなら『楽しそー!』とか『貴重な体験だー!』なんてテンションが上がってたかもしれないよ?でも、もう成人してから数年経つわけで、ついでに社会人として少しは働いてる訳だからさ、公の場で堂々とコスプレとか…もう羞恥プレイでしかないと思うんだ。



「にしても、なんで男装…せめて、というか保健室のおねーさんとかしたかったのに」


「保健室のオネーサン?あー、そりゃ生徒達が喜びそうだけど、俺の仕事取らないでくれると嬉しいかな。助手って訳にもいかないだろうし」



そう苦笑した男性はラフな格好の上に白い白衣を身につけている。

 彼はこの学校に勤めている保健医の男性だ。

到着してすぐ、案内として待っていてくれたのが彼だったのだ。



「あ。そうですよね…すいません。あの、そういえば須川さんって何の教師としてここに赴任予定なんですか?」


「言ってませんでしたか?日本史ですよ。仕事柄詳しいですから」



寺院などの名前はお陰さまで漏れなく暗記してしまうものですしね、と苦笑する彼に私も思わず遠い目をした。

 覚えさせられたもんなー、寺やら神社やらの名前と系統。



(にしても、須川さんってホント何を着ても似合うよね…似合いすぎて浮くけどさ。芸能人も真っ青だわ)


 隣に立っている須川さんはスーツを着ている。

けれどそのスーツがオーダーメイドかつ高級なものであることくらいは想定範囲内だ。

頭の先から足の先まで、雑誌やテレビから抜け出てきた俳優かモデルですか?と聞きたくなるような出で立ちはどうみても…教師には見えない。



「(似合うんだけど、こんな教師いないって)須川さん、ずるいです。私もスーツが良かった…わかっちゃいますけどね、ええ、わかってますとも!子供っぽいっていいたいんでしょ、似合うって言いやがりましたし!失敬な」


「褒めて怒られるのは初めてですねぇ。それに、何度でも言いますが教員枠の空きは1つしかないのですよ?私が教師をやるのは当然でしょう。貴女に教師役が務まるとは到底思えませんし、そうなった場合フォローも出来ません。貴女が生徒として潜入すると私も貴女も助かるはずです。私が教師という立場になる以上、生徒側で流れている噂や情報はどうしても耳に入りにくくなりますからね…情報は多いに越したことはありません。無論、見極めは必要ですが」


「私が生徒として紛れ込めば、噂でもキナ臭い話でも耳に入る可能性が高くなるって言うのはわかってます。全部ちゃんとまとめて報告しますよ、仕事だし」


「それだけわかっているなら結構。踏ん切りがつかないのはまぁ、わかりますが…」



ちらっと視線を向けられて私は思わず視線を反らせた。

いや、だってさ…真剣な顔でコスプレ、じゃなかった…変装姿を四六時中一緒にいる上司に見られるのって結構精神へのダメージがでかい。



「本当にわかってるんですか?これでも成人してるんですからね、ホント、色々キツイですって精神的に。そもそも年齢も性別も真逆なのに堂々と寝食を共にするとか正気の沙汰じゃないですって!絶対バレますよ!そんなに男顔ですか私?!ってか、今日からお風呂も寝るのもご飯食べるのもダラダラするのも生徒に混じってしなきゃなんないって図太いと評判の私の神経だって疲弊します!なにより私の残念具合だとあっさりバレそうだし、ストレス係数ハンパないです!しかも二人部屋!ふつー、ここは一人部屋でしょう?!」



うがーっと頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて八つ当たり満載不平不満を口にしてみる。

須川さんも保健医をしている案内役の先生も困ったような顔をしているんだろうけど知ったことかー!



「っもー、こうなったら女の意地みせてやる…!いいですか、須川さん私、もう絶対男装はしませんからねっ!今後一切、絶対にです!」


「――――…ええ、勿論。今回限りですよ、男装は」


「よし、言質ゲット。忘れないでくださいねっ!あと、絶対フォローしてくださいよ、私絶対にどっかでポカやらかすんですから!わかってるんですよ、そのくらい」



ふんっと腕を組んでちょっと偉そうに言葉を吐いた所でようやく落ち着いた。

 みっともないけど、スッキリしたし良いとして足を前に踏み出す。

校門の真ん中を通って進む私の背後から二つの気配が追ってくるのを感じつつ、私はようやくここで腹をくくったのでした。

 いやー…思ってた以上にキツかったんだ。この男装って言うのは。

 吹っ切れるまでここまで時間がかかるとは思わなかったな、なんて小さな後悔をしながら校門と校舎の真ん中あたりで自然と足が、止まった。




(……?あれ、なんだろうこの感じ)



 変な、感じがする。


 それは校舎に近づくにつれて、違和感がひたひたと足元から這い上がってきているような不快な感覚。

思わず足を止めて周りを見回してみるけれど変わったものはない。


所々に草が生えた、足元の土。


花壇には花が植えられて、桜らしき木が校舎手前まで規則正しく並んで植わっている。


目の前には大きな玄関があって足を動かせば5分とせずに校舎へ足を踏み入れることができるのに足は動かないままだ。

 見る限りは至って普通の学校なのに違和感は消えない。

漠然として、下手をすると気のせいだとも思えてしまうような小さな感覚に戸惑っていると須川さんと保健医の男性が私に追いついたらしい。





「―――…どうかしたのですか?」


「なんか、変な感じがするんです。でも……今まで感じたことのない感覚でよくわからなくて。 あ、…大丈夫、です。その、たぶん気が立ってるのと緊張とでそう感じただけで気のせいだと思うので気にしないでください。すいません、急に止まったりして」



まずはどこに行くんですか?そう、謝罪をしてから言葉にすれば彼らは特に詳しく話を聞こうとするでもなく至って平常通りの表情を浮かべている。



「まずは校長室に案内します。校長室には今回協力する職員何かがいるから顔合わせを兼ねて。細かい口裏合わせは主に俺が関わることになるけれど、そこで決まったことは協力者にきちんと周知させておくから安心して下さい」



 なるほど、と頷いた私を見て彼が今度は先頭になり校舎内へ入っていく。

数ある靴箱の中から来客用のスリッパに履き替えて広い口内を進んで行くんだけれど、最後尾で私は盛大に顔をしかめていた。

強化ガラスから差し込む明かりで玄関に薄暗さや気味の悪さはないけれど、どこか寂しい印象を受けた。



(たぶん、なーんにもないからだと思うんだよね)



普通の学校なら絵や鉢植えの花なんかが置かれていると思うんだけど靴以外はなにもない。

変なの、と小さく聞こえないように呟いてから意識を切り替えた。

 校舎内は学校独特の造りで、左手側の窓から見えるのはきちんと植えられた木と短かく刈られた芝、後は花壇が所々にある。

右手側には似たような扉がいくつも並び、扉の上にはプレートがあったけれどトイレや○×準備室と書かれているのを眺めながら進む。

 数分後、先頭を歩く保健医の男性が足を止めて大きく他の扉とは違う木製のドアを二回ほどノックして短かく



「白石です、正し屋の方をお連れしました」


と告げると聞き覚えのある声が扉の向こうから微かに聞こえる。

ぼんやりと扉を眺めていると須川さんが私の耳元で囁く。



「何を考えているのかまでは聞きませんが、挨拶はきちんとお願いします。基本的に私に習って礼をする程度で構いません。ああ、発言は控えてくださいね。話が逸れてしまいますから」


「話しが脱線するのは確定なんですか」


「確定ですね」



そんな短い会話が終わったのを見計らったように白石と名乗った男性がドアを開く。

 どうぞ、と促された須川さんが入室したので私もそれに習って一礼したあと室内に足を踏み入れる。

ドアが閉じる音がして私は思ったよりも多い人数に少しだけ驚いた。

 正面には見覚えのある坂上校長と斎藤教頭がいて、どこか安堵したように私たちを見て笑っている。

左右に広がっているのは教員らしき年齢が別々の男性たち。比較的若い人もいるけれど、面白い位に女性がいない。事務員だという中年の女性が二人いるだけだった。



(男子校だから、かな?)



内心首を傾げながら須川さんと校長先生が握手をするのをただ眺めていた。

 握手が終わったあと校長先生が一人ひとり教師や関係者の名前と役職を教えてくれたんだけど、この場で覚えられる気がしなかったので担任に当たる先生と副担任の教員の名前だけ記憶しておいた。

 最後の方で、私たちを案内してくれた保健医の男性が親しみやすい笑顔を浮かべて大人しく校長先生に紹介される。



「そしてここまで案内役をしてくれたのが保健医の白石しらいし あおい先生です。恐らく江戸川さんのフォローで関わりあうことが多いでしょうし、小さなことでも何でも彼に言ってください」


「白石 葵です、どうぞ宜しく。困り事だけでなくて頼みごとや愚痴にも乗ります。基本的に保健室にいるし、夜間は寮で医務として常駐してるから気軽に来てください。ほかの生徒も同じように気軽に話をしに来るので目立つ、ということもありませんから」



柔らかそうな玉蜀黍とうもろこし色の髪と温かみのある茶色の瞳がどこか楽しそうに私たちを観察している。

 須川さんが軽く頭を下げたので慌てて私も頭を下げた。

それから少し話が長くなるとのことで校長と教頭、保健医の白石先生以外は部屋から退室。

進められるまま私たちは応接用のソファに腰掛け渡された資料に目を通す。

 そこには『潜入調査の受け入れ体制について』という見出しが書かれている。



「えー、あの後すぐ学校に戻りまして先生方と話し合った結果がまとめてあります。斎藤教頭から説明があるので聞いて頂ければ」



須川さんが軽く頷いたのを見て狐似の斎藤教頭がよく通る声で話し始める。



「では早速ですが説明をさせていただきます――――…基本的に調査は夜、とのことでしたので日中は須川さんにも江戸川さんにもそれぞれ教師と生徒として過ごしていただくことになります。また、江戸川さんの寮室については鍵のかかる、それでいて『正し屋本舗』に依頼したことを知っている二年の生徒会長を勤めている生徒と過ごしていただければと思います。物資については既に運び込んでありますので、確認していただき不足があれば白石に伝えてください。また、教員にも『正し屋本舗』のお二人に調査を依頼し協力する旨を伝えてはありますが、教員一同には須川さんの方に話すよう伝えています」


「そうですね、他にも気になった点などがあれば小さなことでも話して欲しいと坂上校長からも伝えてください。私の方からも伝えるようにしますが」



はい、と了承した教頭や校長を見て須川さんは比較的穏やかな笑顔を浮かべていた。

完全仕事モードに移行していないことから協力的なこの依頼者たちを気に入ったことが伺える。



「こちらの資料にも書いてありますが、こちらも世間体というものがありますし保護者の目もありますので江戸川さんが女性であることは極力バレないようにしていただきたいのです。それだけはどうか心に留めておいて頂きたい」


「ええ、それは心得ています。最大限の注意を払うよう言ってあります。いくつかこちらから方針について話をしたいので先に寮へ向かっていてください。リストに書いてあったものは揃っていると思いますが一応確認しておいてください」



はい、と返事を返したところで今まで静観していた白石先生が須川さんに笑顔を向ける。



「あ、その前に江戸川さんに書いて欲しい書類があります。口裏を合わせるためにも必要なので、寮の医務室で話をしたいのですが構いませんか」


「―――…結構ですよ。では、話が終わり次第私も医務室へ伺います。優君、長引いても一時間ほどで話終えますので待っていてください」



頷いたのを確認した須川さんは改めて校長たちへ向き直り、懐から和紙にくるまれた何かを取り出して渡す。


 その様子を見つつ、一礼して校長室をあとにした。

私の横にはどこか楽しそうな白石先生。

広い廊下でポツンと二人きりで立ち尽くす訳にもいかないものの、どう声をかけるべきか悩む私の考えを見透かしたように彼は照れたように笑った。




「んじゃあ、二度目になるけど歩きながら自己紹介でもしようか。これから寮に向かうからついて来て」



白石先生は先ほど来た道をもどり始め、玄関へ。

 学生寮は、正面から右手側に有り一度外に出なければならないのだという。

グラウンドや体育館がある方から賑やかな声が聞こえてきている。

不思議に思って聞いてみると、今日は寮対抗で真夏の運動会が行われているらしい。



「ああ、それからこの学校の生徒の半分は寮生だから寮のイベントは結構多いから覚悟して。イベントは基本的に土日で寮対抗制度をとってるから結構熱くなるみたいでさ、大会内容によっては医務室が野郎どもで溢れかえるんだ。実に嬉しくないんだけど、まぁ、若者のストレス発散には丁度いい役割を担ってる一面もあるし、同じ寮生の仲間意識は強くなる…その分、対抗意識が芽生えるんだけど、こればっかりはね」



やれやれ、と緩やかに首を振る白石先生の説明を聞きながら、賑やかなグランドを背後にして進む。

 正門から見えないように植えられている銀杏と紅葉の木に囲まれた大人三人程が並んで通れる広さの道を進んでいくと立派な建物が見えてきた。




「うわ、想像より大きい」


「まぁ、全校生徒の半分が入れるだけの寮だからね。とりあえず、正面入口がここ。非常口なんかは後で教えて貰った方がいいかもしれない。ほら、話のタネになるし」


「―――…そう、ですね。色々聞くにしてもある程度仲良くなっておかないと話してくれるものも話してくれないでしょうし」



 白石先生は大きな自動ドアの前に立つと鍵を開け、自力でドアを開けて入るように私を促した。

なんでもイベントの時は寮に生徒は残さないらしい。

風邪なんかで病気している場合は別だけど、今、そういった生徒はいないとのことだったのでまだ現役の男子高校生と笑顔で会話をする心構えが十分じゃない私にとっては有難かった。


 寮に入ってすぐにある、カウンターのようなものが備え付けられた部屋は宿直の教員が常駐する部屋らしい。

簡単な応接室と鍵のかかる仮眠室に分かれていて、仮眠室には異常を発見しやすいように数箇所に取り付けられた監視カメラの映像を見る為の機器やベッドがあるらしい。

 応接室には外出届けや鍵の管理などをする為の保管庫や資料などがあり、小さいけれどテレビもあった。

後は、仕事もできるように机と椅子が応接用のソファとテーブルとはまた別に備え付けられていた。



「基本的に依頼を受けて貰ってる間の宿直は俺か正し屋の代表さん――…須川センセイがいることになる。消灯時間は九時だから、もし何か用事がある場合は九時三十分くらいに宿直の教師が見回りに行くからその時一緒に部屋を出るといいよ。江戸川さん―――じゃ、ちょっとマズイか」



どうしたもんかな、とどこか楽しそうな白石先生は宿直室から出て、『第一交流室』という大きな二枚扉の横にある部屋の前で足を止める。

 そこには『医務室』というプレートがついていた。

なれた様子で部屋の鍵を開け、室内に入る彼の後を追って足を踏み入れると保健室や医務室独特の消毒液と薬の匂いがする。



「適当に座って…と言っても椅子は二つしかないんだよ。申し訳ないけど、こっちの患者用に座ってくれる?」



これこれ、と指を指す丸椅子に腰を下ろすと彼は満足したように笑って私の前にある、背もたれ付きの椅子に腰掛ける。

 座った彼は直ぐに引き出しから書類を二枚取り出し、白衣の胸ポケットからボールペンを出した。

うん、保健室の先生っぽい。



「じゃ、早速…といきたい所だけど改めて自己紹介。歩きながらするつもりだったんだけど結局できなかったしね。俺の名前は白石 葵――――…生徒には白石先生だとか葵先生、まー、葵ちゃんなんて呼ぶ奴もいる。個人的には葵先生って呼んでくれるのが一番嬉しいかな」



短いけど深い付き合いになるわけだし、とどこか冗談めかして茶目っ気たっぷりにウインクをしてみせる白石先生に思わず口元が緩んだ。



「わかりました、葵先生。ええと、私は江戸川 優です。まだ一人前認定もらって本当に時間が経ってないので大分不安はありますが、頑張りますので宜しくお願いします!…ところで、男子校ってやっぱり名前で呼び合うのが普通、ですよね」


「んー。人によりけりって感じかな。呼び捨てで呼ぶ奴やあだ名付ける奴、大体ノリで構成されてるっぽいよ。女の子…っと、失礼。女性にはわかりにくいだろうし、無難に名前呼びでいいと思う。ほら、雰囲気ってあるでしょ、やっぱ。俺自身、普段は生徒を呼び捨てにしたりその場に合わせて好き勝手呼んでるけど、規律厳守~な感じの先生がいる時は苗字で読んでるな。まぁ、そのへんは臨機応変にって感じだ――― ってことだから、二人っきりの時は優ちゃん、でいいかな?あ、俺取り繕うのはうまい方だからウッカリもポロっとも心配ないよ」


「……それはなんとも羨ましい」



と、思わず呟くと葵先生はふっと口元を持ち上げ、すぐに手で隠してしまった。

うん、まぁね…隠し事とか苦手だけどさ。

なんていうか“あ、やべ。思わず顔に出しちゃった”みたいな葵先生の反応に苦笑を浮かべるしかない。



「じゃあ、まぁ…脱線はこのくらいにしてこっちの資料が口裏合わせ用に必要なヤツ。今、男装してるってことだから体の線とか出ないように晒しをまいてたりすると思うんだけど、この暑さだしシャツ一枚になることもあるだろうから…その時の言い訳じゃないけど、好日としてね。これである程度プール授業に出られない言い訳にもなるから」


「あー…プールは流石に参加できないですもんね。うぅ、この暑いのにプール見学とか地獄だ…!」



夏といえばプールなのに!と悔しがる私に気持ちはわかると頷いてくれた葵先生だけど、手元のメモ用紙のようなものに何かを書き込んでいる。

なんだろう、と首をかしげていると書き終わったそれを見せながら説明してくれた。



「ありがちなので塩素アレルギー。でもこれは見学も出来ないし何かあった場合に面倒だから却下。後は事故か何かで傷跡があるっていうのと、水恐怖症っていうのが無難な線。どっちが好み?」


「うーん…傷跡があるって方が動きやすいですね。晒し巻いてる言い訳にもなるし、水恐怖症の場合はプール授業だけじゃなくて水に関わるナニカが起こった時に困るので」



実際、水に関わる形で怪異が起こるのは珍しいことではない。

 そういう設定にしてしまうと見られた時にうまい言い訳ができるとは思えないので、一番自然なのは傷があるからっていうのが無難だろう。

これなら着替えとかも別でOKだろうし。

…トイレは、色々アレだけど。



「了解。んじゃ、そうだなー…“胸から背中にかけて大きな火傷痕あり。本人の精神に大きく影響する可能性があるので包帯の着用及び別室での着替えなどの配慮をしている”って感じがいいか。一応、深く突っ込まれたら困るだろうし、前の学校で嫌な想いをしたとかそんな感じで誤魔化しておけば深くは聞かれない筈だ。で、もう一枚は…あー、身体計測用のだな。書きにくいだろうけど体重なんかも必要だから書いて欲しい。あ、付箋で隠していいからさ」


「ありがとうございます。じゃあ、さっさと書いちゃいますね」



葵先生との会話は思った以上に和やかで楽しかった。

 人との距離の測り方が上手なんだよね。保健室の先生って皆そんな感じなんだけど、葵先生は違和感なく不快にならない距離を見極めて、その中で相手の気持ちを汲んで話題を振ってくれるから話していてとっても楽。

 だからか、時間はあっという間に経っていて書類も全て書き終わってしまった。

二人で最終チェックをし終えたのを見計らったように、医務室のドアをノックする音が聞こえてくる。

 葵先生が立ち上がってドアを開けるとそこにはスーツ姿の須川さんが立っていた。

 出来上がったばかりの書類に目を通し、特に異論はなかったのか葵先生に書類を渡した須川さんはニッコリと私に向かって笑いかける。



「―――…では、優君。今日は一度『正し屋』へ戻ります。寮の設備等の確認は明日にしてくださいね」


「あ、はい!葵先生、色々とありがとうございました。明日から宜しくお願いします」


「こちらこそ宜しくね、優ちゃん。須川センセイもこれから宜しくお願いします」



軽く手を持ち上げて私に挨拶をしたかと思えば、外用と言わんばかりの笑顔で須川さんに挨拶をする葵先生に少しだけ違和感を覚えたものの気にせず部屋の外へ。

 いくら生徒が寮にいないとはいえ、誰にも見られないっていう保証もないしね。

現に、須川さんはさっさと足を進めて既に玄関口に立っていた。

…足の長さを考えてくれてもいいと思うんだ。

身長差どんだけあるとおもってんだ、一〇センチくらい私にくれ。身長を。

小走りで玄関へ辿りついた私に須川さんはおもむろに手を出すように告げる。

 不思議に思いつつ両手を出すとその上に見覚えのなる車のキーが。



「私は白石先生に確認しておきたいことがありますので、先に車に戻っていてください。ああ、暑いでしょうからエンジンはかけて構いませんよ」


「?はい、わかりました」



 笑顔は普段と変わらいないように見えたのに、何故か不機嫌そうな須川さんに首を傾げつつ正門脇にある駐車場へ移動する。

帰りも来た時と同じ道を通ったけれど、違和感は感じたのでモヤモヤしたものを覚えつつすっかり熱くなってしまった車内の空気を逃がしつつエンジンをかけた。


(まだ始まってもいないけど、何だか既に大変そうな予感がするんだよね。須川さんもなんかちょっと、変だし)


エアコンが効いて車内が涼しくなり始めた頃、須川さんは戻ってきた。

 でも、相変わらずの笑顔のままで葵先生とどんな話をしたのかまでは教えてくれなかった。

代わりに、というか私が彼とどんな話をしたのか聞かれたのでできるだけ詳しく話をしたんだけど…帰りの道中で普段は寄らない高級ケーキ屋さんや和菓子屋さんに寄ってくれたんだよね。

なんでだろう。



 こうして私の平穏な日常が終わりを告げた…――――――





誤字脱字変換ミスなどありましたらお知らせください。

自分でも見直して、あれば即座に直します。恥ずかしいので。

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