【強制的事後承諾と】
色々と専門用語が出現。
だいたい全部根拠がないのでこういう設定なのね、って感じで流してください。
今後も同じです。
須川さんが調理した昼食を食べて、一息ついていた時のこと。
裏口から見慣れた初老の女性と中年女性二人が入ってきて彼と私に頭を下げ、生活スペースの掃除や夕食の下準備を始めた。
「あれ?今夜はお手伝いさんフル活用の日なんですね」
「必要なことですから。それに家事などに時間を割くよりも今回の依頼の準備や打ち合わせに時間を割くべきです」
「ダメもとで聞きますけど、明日から有給とか取れませんよね」
ちらっと冗談めかした本音半分の提案をしてみると素晴らしく美しい微笑と凍えるような威圧感が上司様から滲み出始める。
ひっ!と喉の奥から悲鳴が出そうになったけれど何とか押し殺した。
慌てて取ってつけたような笑顔で即時前言撤回をする羽目になったけれど。
(下手なことはするもんじゃないね…怖すぎでしょ、我が上司様)
がっくり項垂れる私に呆れたような一瞥をくれた須川さんは椅子から立ち上がって事務所へ向かう。
さり際に、お手伝いさんたちにお茶の用意を二人分頼んだところで私もついていかなければならないことを悟った。
(諦めるよ、もう…お仕事はお仕事だもんね。大丈夫、私はやれば出来る子だから。新社会人から社会人っていう社会を構成する一員にもなってるわけだし)
往生際が悪い私でも流石に逃げられないことだけはわかっている。
聞きたいような、聞きたくないような複雑な気持ちを引きずったまま須川さんの長身を追いかけて事務所へ向かった。
廊下を隔てて玄関から一番近い部屋が事務室であまり変わらない反対側に生活スペースに通じるドアがある。
生活スペースの入口は引き戸で、事務所はドアノブ式のドアだ。
ガチャっという独特の金属音を耳にしつつ微かに聞こえるお手伝いさんたちの声に後ろ髪引かれる思いでドアをくぐった。
「先に座っていてください。今、書くものと書類を用意しますから」
「わかりました。あの、須川さん…今回の依頼なんですけど、受けて良かったん、ですか?」
「……その質問の意図は?」
須川さんは自分の執務用机の引き出しから大判の封筒と複数の書類、私用だと思われる筆記用具を持って応接用に使っているソファへ戻ってくる。
それらをテーブルへ置いたあと、今度はファイルバインダーを私へ差し出した。
一度礼を言ってから少し言葉をまとめてから目の前に腰掛けた須川さんに口を開く。
「嫌な予感がすごくて…あ、私が何をさせられるかっていう妙な危機感みたいなものがないわけじゃないんですよ?そうじゃなくて、えーと…なんていうか、悪霊、とか怨霊に出会う予兆によく似てるんですけど、でも少し違う…何とも言えない嫌な感じが依頼人話し終えた後からずっと付き纏ってるんですよね。気のせい、だといいなーとは思うんですけどそうじゃないような感じの方が強くて」
だから、受けて良かったのかと思ったと言えば彼は何かを憂うように目を伏せて、ふと口元を緩めた。
でもその変化は一瞬で直ぐに普段通りの飄々とした美しいだけの笑みを浮かべる。
この笑顔は彼の標準装備だ。
「―――…対策は、万全にするつもりです。貴女が対処できないような大事になったら私が出ます。チュンやシロも呼び戻して貴女に付けるつもりではありました」
それは、と声も出ない私を見て彼は困ったような笑みを浮かべる。
私がこんな反応をするのは今まででは考えられないくらいの“高待遇”だからだ。
私が現場で使えると判断されるまで…つまり、一人前だと言われるまでは基本丸腰だった。
時々練習として霊刀や呪符なんかを持たせてもらえたけれど、呪符は自分で作ったものしか使えなかったから大した威力はなかったし、霊刀だって本当に危なくならないと許可されなかった。
無論。私の式神であるチュンとシロを同時に使う許可は一度も下されていない。
特にシロに関してはどのくらいの力を持っているのか、どう扱うのかは徹底的に教えられたけれど実践で使うのはいつも須川さんの監督下でのみ。
(この待遇って本当に危ないってことだよね?)
緊張で手の平に汗が滲んでくるのがわかった。
何か言おうとしたんだけど、結局言葉が続かない私を見て須川さんはそっと目を伏せた。
すみません、と口にはしないものの何処か申し訳なさそうなその表情に私が弱いことを知ったのはつい最近だ。
なんというか、こっちが申し訳なくなるんだよね…それも彼の策略かもしれないと分かっていても。
窓から差し込む日差しは昼から夕方へさしかかろうという柔らかいものに変わっている。
過ごしやすくなったからか虫の声が少しずつ耳に入ってきた。
「失礼します。お茶の準備が出来ました」
「入ってください。夕食の準備や入浴の準備などもお願いします。空いている時間で掃除をしてください ―――――…いつものように、私室は結構ですよ」
「かしこまりました。離れはどういたしましょう?」
「可能ならば簡単な掃除をお願いします。わかっているとは思いますが、話が終わるまでは入室を禁じます」
淡々と指示を出す須川さんに頭を下げる初老の老女は、退室の際、一瞬だけ心配そうな視線を私に向けたのがわかったので私は慌てて笑顔を浮かべた。
彼女は絹江さんという正し屋に良く来てくれているお手伝いさん達を束ねる指導役、という立場の女性らしい。キッチリとした人ではあるけれど、穏やかな雰囲気は亡くなった祖母に似ていて結構な頻度で話をする。
なんでも須川さんが小さい頃からお手伝いとして働いていたんだとか。
第三者の介入で気が緩んだ私を見たからか須川さんが書類を差し出してきた。
まず、一番初めに定番の同意書。
どっちにしろ書かなければいけないものなので、自分の名前を記入して須川さんに渡せば可哀想なものを見る目で見られた。
「…毎回、思うのですが同意書や契約書にサインする際は必ず内容を確認してからにした方がいいのでは?私が言うのもなんですが、貴女にとって不利な内容であった場合どうするつもりなのですか」
「だって、須川さんの部下やってる時点で無理無茶無謀かつ理不尽な依頼を振られても断れないことくらい理解してますもん。それに、私が本当にできないことは須川さん要求しないじゃないですか。まぁ、ぎりっぎり出来るかどうか怪しいラインの仕事や無茶ぶりはかなりの確率でありますけど」
「この段階であれば断ることもできるのに、ですか」
「断ることもできるかもしれないですけど…仕方ないじゃないですか。全部須川さんに回すわけにもいかないし、怖いのも大変なのも嫌だけど、それ相応の給料と待遇とフォローして貰ってるんですから拒否なんてしませんよ。すっごくしたいけど…今まで死ななかった訳だし、命の保証っていう点だけは絶対的に信用してますから」
ぶっちゃけて言えば死にかけたことは数え切れないほど。
ガチ泣きで許しを請うほどに追い詰められたことも多数あったけれど、死を間近に感じても私は死ななかった。
お陰で今の私は土下座をすることに何の抵抗もなくなったけどね!
「(死ななかったことに関しては雅さんも呆れつつ感心するくらいだし。須川さんの腐れ縁だっていう人直々の評価だし、結局なんとかなったから自分が思ってる以上に恵まれてるんだろうな)」
実は、毎回、雅さんが私にこっそり教えてくれることがある。
それは須川さんが私の知らないところで色々と手を尽くしてくれて死なないように命を掬い上げてくれているという事実だ。
…恐ろしいことに、車何台分もの御札やそれに類するお守りをポンっと渡してくることも多々ある。価値を知った今ではそれが色んな意味で、怖い。
「信用されるのは喜ばしいのですが、やはり内容は確認してから署名捺印をするように気をつけてください。本気で騙されかねませんから……―――さて、それはそれとして…今回の依頼ですが、全面的に解決に当たるのは優君に任せようかと思っています」
「………はい?」
「私はあくまでサポート要因と考えてください。依頼について口出しはしませんし、情報提示などはしますが結論を貴女に伝えることはしません。自分の感じたまま、思うように行動するように」
無論、できる限りのフォローはしますよと微笑を浮かべる上司様は、うっかり楽しそうだった。
内容を理解した途端に素早くひきつる私の素直な表情筋。
今まで、私は依頼を解決したことはない。
あくまでサポートとして、補助的要員としての参加はあったけれど依頼そのものを任されたことは皆無だ。
無意識に逃げ場を求めるように出入り口のドアや窓に視線を走らせた私を見て須川さんは至極楽しそうな麗しい笑顔を浮かべて言い放った。
「優君、現実逃避するのは結構ですが捕獲して引き摺ってでも連行しますから諦めてくださいね。サイン、したでしょう?」
ね?と優雅に私がつい数分前に書いた同意書を軽く揺らしながら彼は微笑んだ。
「ァ、アハハハ。まっさかー逃げるなんてことは考えてナイデスヨー。ホントデス」
「そういうことにしておきましょうか。ああ、リラックスしながら聞いてくださいね」
そう言うと彼は慣れた手つきでお茶を入れてお茶菓子とともに私の前に。
本当なら部下である私がすべきなんだけど、二人でいるときは良く進んでお茶を入れてくれる。
時々、特に死にかけた後なんかは彼自らお菓子を作ってくれることもあった。
これが非常に美味しいんだ。本当に万能上司で困る。
「まず、今回ですがマスコミ対策も兼ねて私も貴女も一時特例として学園に潜入します。私は一応教諭の免許があるので外部からの特別教師という形で主に教員や周囲から情報を収集し、優君に伝えるつもりです」
なるほど、と頷いて口にしたお茶を飲み下す。
須川さんってホント謎だ。一体どれだけの資格を持っているのやら。
彼が教師にならなかったのは正解だとは思うケドね。
スパルタだし、無駄に見た目がいいから将来を棒に振りそうだもん、女子生徒とか。
そんなことを考えつつ上司さまの声に耳を傾ける。
「そして貴女は生徒側から情報を集め、夜間に調査にあたってください。今回はどう考えても其方の方が動きやすいので、依頼者に条件をつけて特別に転入生という扱いでの入学措置をお願いしてあります」
なるほど、と一緒に出された一口饅頭を口に入れていた私は頷いて…あれ?と彼の言葉を反芻してみる。
(今、須川さんなんかとんでもない事、さらっと言わなかった?)
うん?と首を傾げる私をよそに彼は話を続けた。
「念の為に明日、業者を呼びます。服についてもそうですが、貴女も私も寮生活ということになるので…ああ、勿論私は寮の宿直担当者という形になります。一二月祭りの準備が間に合わなくなることだけは避けたいので、時折は寮直を外れることになると思いますが、教員にはある程度の事情を話しして置くので大丈夫でしょう。もし何かあった場合はチュンを使って知らせてください。最悪、式だけでも向かわせます」
「――――…須川さん、あの、今、というかさっき私は転入生としてどうのっていいました?」
「はい、言いましたよ。それがなにか」
「確か今回の依頼者が赴任してるのって共学でも女子高でもなく男子校、でしたよね」
「ええそうですね。歴史ある男子校のようです。寮も創設当時からあるようですが、新しく立て直して、部屋も二人一部屋だとか。その前は四人一部屋が普通だったらしいので良かったですね。それから朝と晩は寮についている食堂で食べられるそうです。料理自体はとても美味しいのだと聞いているので楽しみにしていてもいいでしょう」
「へー、ご飯が美味しいのは嬉しいですよねー…ってそうじゃなくて!男子校に転校生としてってどういうことですか?!性別も年齢もアウトじゃないですか!!!」
「転入生です。年齢に関してはなんとかなるでしょう、少なくとも私が生徒として紛れ込むより格段に違和感がないですよね?」
「性別は?!性別変えることできないですよ!?無理無理無理!!」
「それもちゃんと考えてありますよ。だから業者を呼ぶんです。胸さえ目立たなくしてしまえば、よほど薄着をしなければバレません。ああ、シャワーが備え付けられている部屋に配属してもらうことになっています。まさか共同でシャワーを浴びたりはしないでしょう?」
「もっちろんです!というか、女の子同士でも一緒にシャワーは浴びないですって。温泉でも銭湯でもあるまいし」
ないない、と全力で否定すると須川さんは朗らかに笑って
「それならば問題ないでしょう。さあ、話を続けますよ」
「問題ないって…ええー…いや、どう考えてもあるでしょうに!せめて、用務員とか保険医とか教育実習生とかそういうのがあるはずじゃないですか。よりによってなんで生徒?!いい年した女なんですよ、これでも!色気満載の保健室の先生とかできるはずなんです!!きっとたぶん自信はないけどっ!」
これで話は終わりだと言わんばかりの態度に慌てて考え直すように伝えるけれど我が上司はどこ吹く風。糠に釘。暖簾にええと、なんだっけ?
兎に角、彼は意に介した様子もない。
「まず、貴女の容姿で教師を務めるのは難しいでしょう。教育実習生として潜入するのは時期的にも容姿的にも能力的にも無理ですね。そもそも、優君、教育実習生として潜入した場合は授業をしなければならないのですよ?それに、依頼が早期に解決するならまだしも長期になった場合どうするのですか?保険医は既にいるようですし、用務員も同じです。大丈夫、普通男子校に女性がいるなんて思いませんから精々“女顔の転入生だな”程度で終わるでしょう」
人間なんてそんなものです、と事も無げに言い切った上司様に私は絶句する。
一体どこの人間が成人した女を捕まえて男子高校生として男子校に放り込もうというのか!いくら仕事のためとは言え、生徒って!生徒ってなんだ?!
てか、この野郎、お色気満載について何も触れないとか酷い!
私にだって大人の色気くらい備わってるはずなのにっ!
「内部調査はマスコミ対策でもあります。生徒に悟らせるわけにはいきませんから、うまくやってください。協力者は多少用意しなければなりませんが、アテはあります。全寮制で携帯機器などの利用もある程度制限されているようですが、土日は外出できるとのことなので調査するなら土日でしょうか」
どうやら彼にとって私が男装して男子校へ潜入するのは決定事項のようで、何を訴えても覆らないということだけは理解した。
呆然とする私に彼はふわりと微笑む。
「ああ…安心してください。依頼期間はたっぷり長めにとって三ヶ月を目安としています。解決自体は早ければ早いほどいいので、できれば一~二ヶ月で片付けてしまって欲しいですね。長引けば長引くほど色々な危険が増えますし」
「ハイ ソウデスネ」
「ですが、まぁやること自体は変わりません。原因を探して適切に処置する、これだけです。今回は間違いなく怪異が絡んでいるので、強制浄霊でかまいません。浄霊は死者が出ている時点で無理でしょうし、そこまでする必要もありませんから遠慮なくヤってくださいね。霊刀と呪符の使用も許可します。場所がら、穢れも発生しているでしょうし」
ポンポン飛び出す須川さんの言葉に半ば抜け殻の状態で肯けば言質はとったとばかりに笑顔を向けられる。
「ああ、もー…せめて、人間相手じゃないといいな」
がっくりと全身の力が抜けていくのを感じながら最後の抵抗とばかりに零れ落ちた言葉はかなり、投げやりだった。
霊能力者と呼ばれる人間にも、実は、得手不得手があるんです。
私は対人間――…元が人間であったものが相手だと色んな意味でダメダメなのだ。
これが人間でなくて動物や神様の類なら何とかなることが多いし、動物に関しては何故か攻撃されることがない。これはもう相性の問題らしいんだけどね。
「今回は恐らく人間絡みでしょうから気を引き締めるように。まぁ、随分と霊力の扱いは上手くなってきていますし、油断しなければ問題ないでしょう。気づいていないようですが、優君の霊力も一年前に比べて随分増えていますし強くなっていますから…始めの頃のように乗っ取られる確率は低いでしょう」
「零とは言わないんですね。でも、霊力が強くなったって言ったって特に恩恵は…あ!そういえばたまに帰ってくるチュンとシロが元気だったり触り心地が向上してるのって」
「彼ら自身が力をつけた、また貴女の霊力に完全に馴染んだというのもあるとはいえ、影響は確実にありますね。今回は貴女の式にとってもいい意味での訓練になるでしょう」
最近あまり会えていない式である夜泣き雀のチュンと犬神のシロに思いを馳せていると須川さんが話は終わったとばかりに立ち上がった。
慌てて私も立ち上がろうと腰を浮かしたんだけれど、須川さんは緩く首を振って静かに書類を指差した。
「書類に目を通して、寮生活を送る際に必要なモノについて書き出しておいてください。書き終えたら私の机に伏せて、台所へ。先に行っていますがゆっくりで構いませんよ。明日は衣服や備品の手配や依頼に向けた道具の作成に取り掛かります。道具の作成にあたって必要なもの私の方で指定しますが…呪符の書き方は覚えていますね?」
「………確認、しておきます。ハイ」
「その方がいいでしょう。では、夕餉時にまた」
嫌味にならない綺麗な笑顔を浮かべた須川さんはさっさと事務所を出て行ってしまったので、私は一人、事務所の中で今回の依頼に関する資料に目を通すことにした。
まぁ、本当にざっと読んだだけなんだけどね。
概要は依頼者である坂上校長先生から聞いたので間違いないし、詳しいことは殆ど書いてなかったのでぶっつけ本番、現地で情報収集と考察と検証を繰り返して原因を探るしかないのだ。
あっさり考えることを諦めた私は、続いて必要だと思われるものをリスト化する作業に取り掛かる。
……うん、心の平穏の為に入手が難しいお気に入りの動物抱き枕シリーズを入れておこう。
揃えてくれたら嬉しいけど期待はしないさ。
かくして、私はこの会話の三日後に悪鬼悪霊が住まうであろう男子高校に潜入することとなるのでした。
はぁ…本気でご勘弁願いたい。土下座ならいくらでもするから。
いい歳した大人が仕事とはいえコスプレとか、もう泣くの通り越して笑うしかないわ。笑えないけど。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
評価してくださった方、ホントありがとうございました。