【対峙する(前)】
クライマックス、突入。
そして、投稿が遅くなるという…土日の更新が難しいです。
心が折れかけた私を嘲笑うように、気配はより濃密になる。
足はもはや痛みと重みすら感じないし、動かそうとするだけで嘗てない程の精神力と体力を消耗するけれど、それでも止まることだけはできなかった。
もはや、なぜ自分がここにいて何をすべきなのか考えることすらできない。
もう前に進む、走ることが目的に取って代わるくらいには思考能力が低下している。
ついでに言えば、というか私の性格なんだろう。
怒りが少しずつ湧き上がってくる。
「だぁあぁあ!もーッ、本気でなんなの?!アレ、なんてヤバイもの?!ってか、視線感じるのに姿見えない状態で強制鬼ごっことか洒落にならんわっ!むしろ洒落にしてたまるかぁああ!!」
理不尽すぎるこの状況に盛大に切れた短い堪忍袋の緒。
もう、体力が消耗するのにもかかわらず全力で怒りのまま叫ぶ。
口が悪いのは今更だ。
(文句の一つや二つ叫んでも罰は当たらないでしょ?!だって、やっと着いたと思ったらやっぱり事前説明なしに背中押されて明らかに危険地帯へレッツゴーだよ?!心の準備くらいさせてよ!!)
八つ当たり的に叫んだ私は根性と気力に加え怒りのパワーでがむしゃらに足を動かす。
先も未来も過去すらも見えない暗闇を割と無様に走る私の腕には相変わらず小さく震えるシロの姿。
私の叫びを聞いたシロはペロペロと頬や額を伝い落ちていく汗を舐め取っていく。
動かないのは恐らく走りやすいように配慮してくれているんじゃないだろうか。
いい子だな、とか少し擽ったいな、なんて想いつつ懸命に前へ。
でも、終わりというのは呆気なかった。
「っう、わぁ!?」
ガクンッと膝と足と腰の力が同時に抜けて、正しく膝カックンにでも遭ったような抗えない脱力感と共に前方へ倒れこむ。
咄嗟に怪我をしているシロに衝撃が行かないよう抱え込めたのは上出来だっただろう。
チュンが胸ポケットにいなかったのが一番ほっとしたけどね。
絶対潰してた。
スローモーションのように流れる時間の中で真っ先にシロの逃がし方を考える。
――――…私はもう、ダメだろう。
走れないし、転んだことで何とか保っていた気力が途切れてしまった。
(調子に乗ってちゃんと考えないまま突撃した私が悪いから自業自得だ)
だからこそ、シロだけは何とかして逃がしたい。
元はといえばシロが巻き込まれていた事なんだろうけれど、こうなれば飼い主である私が責任を取る形で勘弁してもらえないか交渉してみよう。
そう決意して護っていたシロをそっと地面へ下ろす。
「シロ。足、痛いかもしれないけど頑張って走って、できるだけ私から離れて。できるだけ、遠くに。後ろのがどうなってるのかわかんないけど、私一人食べたら満足するかもしれないし」
シロは戸惑ったように私の顔をじいっと見つめていた。
耐え切れずに一度だけ、最後だと自分に言い聞かせて手触りの頭を撫でた。
この真っ暗な空間でシロがもつ新雪のような色は、目立つけれど心に安心感を与えてくれる唯一でもあった。
「行きなさいッ、シロ!!」
できる限り大声で叫ぶ。
ビクッと体を震わせたシロを見て心が痛まない訳じゃないけれど、驚いて逃げてくれればいい。
怯えて、二度と私の元へ戻ってこなければ、それでいい。
私の言ったことを理解しているとは思えないけれど、迫ってくる不穏を極めたようなナニカから逃げ延びてくれるなら、それだけでもう良くなっていた。
やりきったな、と荒い呼吸に苦笑して目を閉じる。
シロは元々、人になつくような存在じゃないみたいだし離れていくだろうとその場に倒れこんだまま束の間の休息を取る。
気配は、相変わらず近づいてきているし、臭いもよりパワーアップして最悪だ。
喉が渇いたな、なんて考える余裕が戻ってきて目を開く。
「…なんで、まだいるの…!逃げなさいって言ったでしょ!言う事聞きなさいッ」
焦る気持ちをそのまま声を荒げるけれどシロはもう、ビクリとも動かなかった。
ただ、尻尾が機嫌良さそうに数度揺れる。
そして、自然に、まるでそうするのが当然のことのように私の頬をぺろりと舐める。
声を発するまもなく護ろうとしていた白い犬のような生き物は私の望む方向とは別の―――…背後を睨みつけて低く、低く唸り、威嚇をし始めた。
「この、唸り声…まさか」
この唸り声には覚えがある。
だって、それは夢の中や森で聞いた獣のソレそのものだったのだ。
私だって森の獣=シロだという可能性を考えなかったわけじゃない。
だけど野生感がまるで感じられない穏やかで賢いシロを見て無意識に違うと思い込もうとしていた。
全力疾走の余波で荒れ狂う心臓と、まるで洗濯機にでも押しつぶされているような足の痛みだけが意識をつないでいる。
全身からはどこから出るのかというほど汗がドッと出て、酸欠のせいか軽く目眩すらあるけれど、自分の体調なんて気にかけている場合ではないのだ。
「し、ろ…ッ!いいから、もう大丈夫だから、ほら、早く…逃げて…」
歯ぎしりしそうなくらい悔しくて、もどかしい想いを抱えつつどうにか体勢を変えようと悪戦苦闘した末、私は方向転換に成功した。
視線は、シロが対峙しようとしている“ナニカ”へ。
シロは体の毛を逆立たせて、いつでも飛び掛れるような姿勢をとっていた。
傷ついた小さな体であって間もない、護る義理も何もない私なんかの為にシロは闘うという選択をした。
ああ、こんな小さなワンコ一匹満足に助け出せないなんて、情けない。
折角須川さんがチャンスをくれたのに。
「――――…もう、いいって…充分だから。おっかないのが、くるよ。シロ、今ちっちゃくなってるのわかってる?パクッと食べられたら、大変なんでしょ?堕神だか半神だかしらないけど、特別なんでしょ?」
「わふっ!わうぅう、ぐるるるる」
「いや、ごめん。何言ってんのかさっぱり分からないんだ。でも、なんかカッコイイこと言ってるんでしょ。そりゃさ、護ろうとしてくれるのは嬉しいよ」
だけどさ、とこっちを向いたシロの黒い瞳をじいっと見つめる。
よく見るとシロの目はただの黒ではないらしい。
気づかなかったけれど、限りなく黒に近い赤色をしていたようだ。
「ここにいたら駄目だよ、シロ」
生きて帰れたら犬語講座を探してみようと思いながら、無理やり荒い呼吸を整えて声をかける。
こうしている間にも悪臭は強くなり、確実に距離が縮まっているのだ。
不気味なのは、近づいてきているのがわかるのに肉眼ではなにも見えないという点に尽きる。
どんなに目を凝らしても、どんなに目を細めてみても、やはり見えない。
じっとりと全身から吹き出す汗は疲労だけが原因ではなくて、異様な圧力が原因だろう。
不気味で、臭くて、得体がしれないだけでないらしいことに気付いてしまった。
言いようのない、例えようのない圧倒的な存在感とは裏腹に今にも掻き消えてしまいそうな希薄さが面白い具合に溶け合って、形容し難い闇を構成し、ここに在る。
「(本当に、なんなんだろ ――――…じっと見てると、一瞬だけどシロに触ったときの感覚に似た感じがする。明らかにシロとは違うモノなんだろうけど、どことなく、似てるっていうか)」
例えるなら大粒の苺が入った苺大福と、うっすらイチゴ味がするマフィンを食べたような感じ?
人にうまく伝えられるとは思えないけれど私が説明するとこんな感じの説明しかできない。
とりあえず思考は働かせつつ、何とか動く腕と上半身を使って、ズルズル這うようにシロの傍へ体を寄せて、優しくシロを抱きしめる。
手を伸ばした瞬間に物凄く驚いて私を見たこの小さな犬が人間じみて見えて、こんな状況なのに笑ってしまった。
「説得、通じなさそうだから諦めたよ。戦うならさ、一緒のほうがいいでしょ。ま、私いま完全に使い物にならないけど、シロより体は大きいから盾になるくらいはできそうだし。最近の不摂生がたたってちょっと体重増えたから、牙があってもそー簡単には貫通しないと思うんだよね」
流石にシロみたいな立派な牙はないけど、思い切り噛み付いて驚かせることくらいは出来るよ、と笑いかけて見ると面白いくらいシロは狼狽えた。
「きゅーん、きゅん」
泣いているみたいなソレにやっぱり人間っぽいなと笑えてきて、全身を撫で回してやった。
擽ったそうに身を捩るシロを微笑ましく眺めながらシロとの出会いを改めて振り返ってみる。
初めて出会った時にチュンよりもひどい怪我をしていたシロ。
全裸で背負って冷たい川で体を洗ったのはいい思い出だ。
その後オマジナイ的な治療をして、焼いた魚を一緒に置いておいた。
…怪我をしていると獲物も上手に取れないだろう、という考えからしたことだった。でも、それが切っ掛けになったのか、目覚めたシロは私の後を追ってきたらしい。
心細かったのもあって見事な白い体をそっと撫でた時、凄く嬉しそうにしていた。
寂しかったのか、怖かったのか、それとも単純に人に撫でられるのが好きだったのかは私にはわからないけれど。
―――…でも、千切れんばかりに振られた尻尾と気持ちよさそうに目を閉じて体を摺り寄せる姿を思い出して口元が緩んだ。
(あんな姿みちゃったら、護りたいと思うのは当たり前だと思うんだよね)
元々動物が好きだっていうのもあるけれど、嬉しそうに傍にいてくれたから。
遠慮なく触れられて、抱きしめられて、丁度いい距離と暖かさをもった生き物が傍にいてくれることがこんなにも有り難く嬉しいことだなんて思わなかった。
目が合えば遠慮なく全力で喜びを表して、歩きにくい道を先導するだけでなく歩きやすい道まで案内し終えたら褒めてくれと“お座り”をして待っているのだ。
状況を忘れて和んでいる私たちの意識を取り戻したのは聞き覚えのない声だった。
『 ぬ 、我 族を った代 が い かわ の所 で な ?』
突然、真っ黒な空間に響き渡る、地震のような声。
音量も伴う振動も震度4は確実にあるんじゃないかと思うくらいの揺れを私の体にもたらした。
急転する事態に一瞬思考が停止したけれど直ぐに我に返った。
声が聞こえた以外に変化はないようにみえて首をかしげそうになるけれど、声が聞こえたことを認識して数十秒後にソレは目の前に現れる。
「………え?」
闇の中に突如浮かび上がったのは、犬の石像がある神社跡地で見た赤く綺麗なナニカ。
両手を広げても足りないくらい大きく、目だけでも私の身長の半分は確実にある真っ赤な二つの双眸。
その目は確かに私とシロを眺めていた。
口を半開きにしたまま硬直して事態をなんとか飲み込もうとする私の腕から、シロが震えながらも這い出し、直ぐに平伏した。
……人間だったら土下座している、って感じになるんだろうか。
なんか『すいやせん、おやびん!どうぞご慈悲を~!』みたいな光景が脳裏をよぎる。
いや、流石におちゃらけてないけどさ。
粛々と処分を待っています!って感じなのは間違いない。
私に出来ることがわからないまま落ち着いてきた呼吸と正座できるくらいには回復したのでその場に座りなおすのを見ていたように、謎の声は再び威厳と威圧感たっぷりに言葉を発した。
『 許さぬぞ、我が一族を裏切った代償が軽くないとわかっての所業であろうな? 』
「で、でっかい」
太鼓を間近で聞いているかのような音の衝撃にまるで地震が話しているんじゃないかと感じる。
体が震えているのか、心が震えているのかはわからないけれど、赤い瞳の主はきっと、シロよりも大きいのだろう。
感心して綺麗な赤を眺めていると、それが突如ぎょろりと動いて私を見つめた。
『 ヒトの子、ソレを渡せ。我が膝下まで無事に辿り着いた褒美じゃ。そなたは見逃してやろうぞ 』
「くぅん」
大きなモノの声を受け、シロが決断を促すように鼻先を擦り付ける。
何かをねだるような感じでなく、潔い決意が込められているような行動に嫌な予感がした。
「し、白吉…?」
震えた私の声が名を呼んだ事が嬉しかったのか、とても嬉しそうに目を細める。
ペロリと頬を舐めたあと――…覚悟を決めた、とでも言うようにどこか堂々とその大きなモノへ向かってシロが進む。
じわりと滲むのは脂汗と焦燥。
「――――……ッ駄目だってば!!早く戻っ」
足を止めさせる為に声を上げたけれど、途中で音にならなかった。
目の前には私を守るように立ちふさがる白銀の波。
それは3メートルほどの大きさ。
この空間に落ちた時に突っ込んだ獣と同じ大きさで、違うのは黒を纏っていないこと。
おそらく本来の姿はこちらなのだろう。
見事な、白銀の毛に一瞬見惚れた。
「白吉…シロ、私、守られても嬉しくないよ…」
背中が、姿が教えてくれる。
私は、やっぱりシロの助けにはなれていないのだと…ーーー
続きます。もう少しです頑張ってください。