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正し屋本舗へおいでなさい 【改稿版】  作者: ちゅるぎ
第二章 洒落にならない実地研修
19/112

【元凶と状況と】

 解説の回。

やっと出てきた酷い上司様。



 怖い、イヤだ、気持ち悪い、コワイ、嫌だ、いやだ、恐い、こわい、嫌……ッ!!


 無様にも、私は尻餅を付いたまま、震える全身と滲む視界を懸命に押さえ込もうとしていた。

諦めるという選択肢は働く暇もない。


 ただ、ただ必死で。


滑稽で、情けないけれど大地に爪を立てて使い物にならない足腰の代わりにしようと、必死に腕を動かして後ずさる。

 逃げなきゃ、とか嫌だとか、来るなとか…そんなことは浮かんでくるのに、具体的な解決策は何も浮かばない。


この切迫した状況でまた変化が起こる。


大きな、一際大きな黒いモノが突然、空気を切り裂くような音を発したのだ。


「こ、れ…夢の…?」


呟いた声は掠れていた。

 周囲では大きな音と絶叫や悲鳴のような叫びが轟いている。

夢の中で聞いたものとそう変わりのない音と状況のように思えた。


(そっか。あの夢の炎も見えない何かも“これ”だったんだ)


頭の片隅で理解した時、目の前の黒いモノが身を捩る様に千切れた。

残った足の部分はそのまま溶けるように四散していく。


 断末魔の叫び声と獣が唸るような声に咆哮…―――千切れていくモノたちはあっさりと消えていくのだ。


まるで“そこには何もなかった”みたいに、呆気なく。

蝋燭の炎がフッと消えるみたいに。

 でも、黒は一向に減らず、残っているモノは益々密度を増やしていく。


理由は、簡単だった。


 黒いモノたちが互いを喰い始めたのだ。

喰ったものは大きく、濃く、濃密になってまた、喰らう。

でも…なのに、数は減らない。


(ああ、不思議。もう、なにも怖くない)


多分、恐怖とかそういったものを入れる容量が一杯になったんだろう。

 なんの感情も湧かずに、視界に入ってくる光景をぼうっと眺めるだけ。

頭の中では、いろんな声が巡っていた。

沢山の、声。

恨み辛み嫉妬や憎悪、嫌悪、悲しみ…これでもかと言わんばかりの声で、感情で溢れて、体が重くなっていく。

 徐々に何かが黒く染まり始めた視界の中で、何かがキラリと光った。


「――――…あ」


それは見覚えのある色。輝き。

 森というより山全体を揺るがす振動、声なき音なき衝撃。

恐怖で麻痺仕掛けた脳も体もココロも揺さぶられて体の末端からジワジワと感覚が戻ってきた。


「あの時、の……?」


 光っているのは、宝石のルビーに似た美しく力強い赤。

対になっているソレは夢から醒めた時に見たものとは似て非なるものだと直感的に感じる。

綺麗なだけじゃなくて―――…毒々しさを孕み、氷のように冷たくて、何処か、くすんでいる。


ひたり ひたり  とゆっくり近づいてくる、赤い双眸。


 恐い、はずなのに……怖くは、ない。

それは本当に奇妙な感覚だった。

体が震えてるのも歯が噛み合わないのも恐怖からくるものなんだけど、心は怖くないとわかっているみたいで。

 赤の正体がわかったのは直ぐ後のことだ。

暗い森からその赤が“こちら側”へ足を踏み入れたのと同時に、大きなその体躯が顕になった。


 3メートルはある、大きすぎる獣型のそれは私から目を逸らす素振りすら見せない。

何故か目を細めて、ゆっくりゆっくり近づいてくる。

 闇色の薄衣を纏っているみたいに揺らめく大きな体と毛並みを私は呆然と、見上げていた。

私の顔程はある大きな後ろ足が境界線を出て、一歩私に近づいたその瞬間……聞こえてくる筈のない声を、耳にする。




「それ以上の接近は、許せませんね」



 騒音の中であることを忘れさせるような、存在感のある凛とした美声。

その持ち主はいつの間にか私の左隣に佇んでいた。

高価であろう滑らかな着物の袖と首の後ろで纏められた薄抹茶色の髪の毛が揺れる。



――――――― ああ、私は“生きて”帰れるんだ、と全身の力が抜けた。




◇◇◆



 彼を視界に入れた瞬間、現金なもので私の震えはあっさり止まった。

 凍っていたんじゃないかと思える程に熱を感じなかった体が本来の温度を取り戻していくのがわかる。

噛み合わなかった歯も、抜けた腰も普段と変わらない状態に一瞬で戻ってしまった。

 自分以外の人間がいるだけでこんなに違うのか、と驚いたけれど…多分それはこの場にいるのが彼――― 須川さんだからなのだろう。

いつの間にか叫び声も咆哮も消えていた。



「す、がわ…さん?なんで、ここに」


「地図上での到着地点はここですからね。10分程歩けば旅館につきますから今夜はそこでゆっくり休んでください。温泉もありますし、食事も美味しいのできっと気に入りますよ」


「あ、それは嬉しい…じゃなくて!あの、温泉とかご飯は非常に、大変にありがたいんですけど…えっと、その、助けに…来てくれたんですか?」



恐る恐る尋ねる声は想像以上に頼りなさげなものだった。

 須川さんは驚いたように目を見開いたけれど、すぐに困ったように微笑んだ。



「貴重な従業員ですし、ここからは優君ではまだ太刀打ちできませんからね」


 須川さんが本物と呼ばれる部類の霊能力者であることは、親しい友人だという黒山 雅さんからも聞いている。

そりゃ、全てを話してもらった訳でもないし、過去の功績を語られた訳でもなくて、彼はただ一言『 須川は本物だぞ 』とだけ。

 そこらの、もしくは一般人や素人が思い描くペテン師とは雲泥の差がることだけは覚えておけと小声で告げられて戸惑ったのを今でも覚えている。


(黒山さんの言ってたことは、ホントに本当だったんだ。こういう、ことだったんだ)


相変わらず柔らかい口調と声のトーンだったけれど、彼の纏う空気は今まで覚えのないものだった。

いや、まぁ、私も須川さんが“霊能力者”として働いている所を間近で見たことがあるわけじゃないから断言はできないけれど、こんな雰囲気を待とう上司様は初めてお目にかかる。

 ピリピリっていうか、威圧的って感じで凄く、物騒で居心地が悪い。



「えーと、太刀打ちって…もしかして、この犬っぽいのを倒す、んですか?」


「義務のようなものです。放って置けばいずれ堕神おちがみという大変力の強い怨霊――この場合動物が元ですから魔物、ですが―――になるのは確実なので。そうなってしまえば、倒せる人間がかなり限られてしまうので完全な堕神になる前に討伐しなければならないんですよ」


「魔物って……そ、そりゃ確かにちょっと見た目は怖いですしモヤ~っとした体ですけど、あんまり怖い感じはしないですよ?いきなりガブッてくるわけじゃないみたいですし」


ほら、大人しい!と指させば心底呆れたような溜め息で返された。

超大型犬は姿勢を低くして須川さんを警戒し、低く唸っている。

まぁ、もしかしたら須川さんの横にいる私ごと威嚇してるのかもしれないけれど。



「鈍いのか鈍くないのか全くわかりませんね、優君は」


手を、と短く言われて反射的に手を出せばそのまま優しく引き上げて、立たせてくれた。

 須川さんは身長も高いけれど、手も大きい。

男の人にしては綺麗な手に見惚れつつお尻と服を叩いて汚れを落とす。

ここで改めて周囲を見渡すと…黒いのの動きが完全に止まっていた。



「(なんか、強力な接着剤で見えない紙に貼り付けられてるみたい。ゴキブリホイホイとかネズミ捕り的な感じで)鈍いって失礼な。結構繊細なんですよ!」


「そもそも後ろにアレだけの穢れと不浄がありながら、瀬戸際とは言え半神はんしんが堕神になる手前まで成長したこと自体異例ですが」


「……すいません、無視しないでください。えっと、堕神っていうのが怖いお化けなのは理解しましたけど、半神ってなんですか?神様?あれ、でっかい犬のお化けなんじゃ」


「半神は放置するとほぼ堕神と呼ばれるモノに変化します。この半神が神格化しんかくかするにはいくつかの条件が必要で、九割は確実に神へ至れず怨霊や魔物と化します。堕神になってしまえば、半分とはいえ神と等しい力を有していることもあって非常に協力で厄介な案件になるのです」



先ほど軽く説明したのでここまでは大丈夫ですね?と念を押されて私は何とか頷いた。

ふと、悠長に説明なんてしてもらって大丈夫なのか聞いてみた。


「ああ、それでしたら術で足止めしているので確実に30分は持ちますよ」


とあっさり返された。

 なんか、いつの間にって感じ。

霊能力者っぽいところを見られると思ったのに、ちょっと残念。



「続けますが、この半神と呼ばれる存在は強い霊力を持っていますが…―――― その実、害はないのです」


「へ?そ、それじゃあ退治しなくてもいいんじゃ…?」


「ええ、そうです。高い霊力を持っていても力を具現化できず施行もできないので半神自体は殆ど無害なのですよ。なにせ、力を使えなければ我々の住むこちら側には何の影響も及ぼしませんから。ただし、この半神の高い霊力を狙う…まぁ、所謂、妖怪や悪鬼悪霊といったモノは問題になります。半神を喰うだけで強い力を得られますからねぇ――――……色々な欲の為に力を欲しがっている輩は少なくありません。アレらもそうなのですよ?」



すっと彼が指差したのは、黒いモノ達。

 須川さんが穢れと呼んだモノ。


「じゃあ、あの犬を食べようとして集まってきたのが其処らにいる黒いの、ってことですか」


ええ、と首を縦に振った須川さんは立ち尽くしている私を見て目を細めた。

 二泊三日の野宿で山中を徘徊及び手酷い目にあったので、髪はボサボサだし寝不足で顔色もひどいことになってることくらい自覚してる。

だからって、なにもそんな目を細めて見なくっても!一応水浴びはしたんですよ?

 口には出せないけれどちょっと悔しかったのでムムムッと睨みつけていると、彼は何故か口元を歪めた。

すいません、その「ああ、もうどーしようもないな」みたいな反応はいくら私でも傷つきます。




「負の感情や欲の塊であるアレらが、力を手にしてしまえば確実に被害者が出るでしょう。自業自得と言えるような人間はまだしも、なんの関係もない者が巻き込まれることも多々あります――――…私たちは、そうなるのを防ぐ為に半神を見つけ次第退治するのです」


「理屈はわかりましたけど、でも半神の元ってやっぱり犬なんですよね?須川さんなら、言う事聞かせられるんじゃないですか?ほら、犬って自分より強いものには服従するって言いますし!」


「残念ですが、私にはできません。得手不得手というものがありますし…私が得意なのは占術と除霊、霊の服従及び使役ですから」


「いやいやいや、服従と使役ってまさしくじゃないですか!!」


「ああ、すみません。説明が足りませんでしたね。私ができるのは“人霊”限定なので動物霊や妖怪といった類はあまり相性が良くないのです。祓うことなら得意なのですが、契約もしていない動物霊を従えるのは些か…申し訳ありません」



 美形の上司は苦い微笑を浮かべて、申し訳なさそうな声色と表情で謝罪を口にする。

なんだか逆に申し訳なくなるから不思議だ。

反射的に私の方こそすいません、と頭を下げていた。

あ、あれ?よく思い出してみると私、この人に森に不法投棄されて死にかけたんだよね?あっれー?


 っていうか、霊とは言え元人間を服従させられるって一体何者なんだ、上司様。

下手するとお化けより怖いよ…。





 メガネが好きです。

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