【急転する事態と】
ラストスパート入りました。
本格的に残酷表現・ホラー注意・臓物系注意です。
ぬるいんですが、苦手な方は気をつけてください。
ぎゅっと力の入らない指に力を入れて無理やり、拳を握った。
アレから、せめてもの抵抗にと唇をかんで、少しずつ力をいれた。
寄りかかるように体重をかけて立ち上がったのは良かったけれど、足が小刻みに震えているのは自分でもわかっていた。
「(どうして、こう思い出させるような体験を…自殺の名所なら死体があるって所までは納得も容認もできるけど、まさか食い千切られてるなんて聞いてないし想定もしてないっての)」
本当に勘弁して、と思ったところでそれを伝える相手もいないのでただ、モヤモヤしたものが内に溜まっていくだけだ。
とりあえず死体は見なかったことにしてのろのろ、進む。
こうなればもう一刻も早くゴールして須川さんにありったけの不平不満をぶつけるしかないのだ。結局のところ、この不安と恐怖を誰かに話して楽になりたいだけ。
這うように移動して少しずつでも前へ。
思考は停止したままだ。
余計なことを考えないように言葉を発することもしないままでいると、言葉を発するのが徐々に億劫になってくるのがわかった。
暫く、その調子で進んで…漸く、笑っていた膝が落ち着いた頃。
スタミナも体力配分も考えずに私は進んでいく。
時々心配そうな視線をワンコやチュンから向けられるけれど、足は止めない。
言葉は―――もう、何かを話す気力もなくなっていた。
この森で、思うことは色々あった。
普段考えない“死”について考える切欠と時間があったから。
ふと、須川さんに幽霊やお化けっていうのはどういったものなのか聞いてみたことがあったのを思い出す。
「(確か…“有り体に言えば、残留思念。意識や念、想い、気の塊、負のエネルギーの集合体、といったところでしょうか。死を受け入れなかった一部の魂が具現化し、気質や素質があるものに視える形で現れる、という表現でもいいかもしれません”って言ってたっけ)」
今なら何となくわかる。
よくテレビや本で読む悪霊や怨霊は、あくまで元人間なのだ。
元がつく限り、それはもう人っていう定義から外れる人ではないジャンルの存在になる。
「(この森で見る“黒い影”は元人間。幽霊、お化け、私とは違う存在。多分、獣の声も同じ。でも、元人間っていうか…人間らしさは多分残ってないんだろうな。形だけ人の形をしてるけど)」
言葉は通じないだろう。
生きている人間の持つ色んなマイナスの気持ちや感情を無理やり形に残したのが、多分黒いの。ああいう風になったらもう人ですらないんだろう。
「うっぷ……お、お魚が胃と食道のあたりをウロウロしていらっしゃる…!」
今の私は二日酔いのキャバ嬢や酷い乗り物酔いに苦しむ釣り人以上にひどい顔色なんだろう。
喉の奥、胃の辺りから消化酵素と塩酸たっぷり液体と半分消化しかけた食物との戦いを繰り広げてるところだし。
視界が滲むのは悲しいからでも怖いからでもなく生理的なものからだ。
「(さ、流石にいい年してリバースする訳には…!素っ裸は人がいなければ問題ないけど、食物リターンは胃袋に収まってくれた食べ物に失礼だし、本来出るべき場所から出ないなんて本末転倒すぎる)」
うえっぷ、と口と鼻をタオルで押さえながら、歩きやすい道を選んで進んでくれるシロの後を追った。
あ、シロっていうのは白いワンコの名前。
正式名称は白吉なんだけど、呼びにくいのでシロで。
「なん、とか落ち着いてきた…っぽいかな。まさか第二犯行現場に出くわすとは思わなかった。腐りかけてたし」
私が吐き気を催している理由は簡単だ。
数分前に二回目のスプラッタな肉片通りを通過したからだ。
それも…結構グズグズな感じの。
見るだけなら大丈夫な図太さはあるけれど、流石に匂いと少し前に感触を味わってしまっているので気分が悪くなったんだよね。
「なんだって、あんなの見つけちゃうかなー…遠くの、後ろから黒いのまできてたし。気づかれて追いつかれたら人生終了的な予感もビシバシするし冗談じゃないよ、もー」
私としてもまだ人生を終わらせる気はないのだ。
よーやく就職先が決まったと思ったら上司は人使いの荒いレアな霊能力っていう特殊能力持ちだったりもしたけど、事務所がある縁町には面白いお祭りもあるし、美味しい食べ物も満載、雰囲気だってとてもいいし住み心地は文句なしなのだ。
…まぁ、一年と少しかけて大量の資料を片付けた当日に自殺の名所な樹海山に放り出されるなんて夢にも思わなかったけどさ。
「にしても、スプラッタにした犯人が黒いのだとは思えないんだよねぇ…口はついてなさそうだったし」
おかしいな、なんて呟きつつ自分的には最大限の注意をしているつもりだった。
独り言は小声だったし地面は当然として木の枝とかにぶら下がってないか、岩の後ろに何かいたりしないかって気をつけて……まぁ、ビクビクしながら進んでいた。
休憩をとってから時間はだいたい二時間くらい経っている。
あと一時間か二時間くらいでゴールにたどり着くっていう安心感もあったのかもしれない。
ふぅっと胸を撫で下ろしかけた瞬間だった。
ぐちゅり
聞き覚えのある、音。
脳がそれを認識する前に体が反応していた。
頭の天辺から足の先まで氷水を大量にかけられたような冷たさが体の奥まで一気に流れ込んでくる。
吐き気は収まっていたけれど脳裏をよぎるのは人体を構成していた欠けらの数々。
カチカチカチと鳴る歯の音が聞こえてしまわないように、咄嗟に唇を噛む。
必死に視線を周囲に巡らせ、目を凝らして……動いているものを見つけてしまった。
10mは離れているであろう、苔むした大きな木々が立っている隙間からチラチラと動く何か。
薄暗いからよくは見えないけれどソレは確かに森に入ってから幾度か目にした“明らかに人ではないもの”だった。
ただ、それは今までに見たことのない大きさで全長2mはありそうだ。
だって、こんなに離れているのに見えている。
黒一色なのは変わらないのに、深みが増しているような感覚すら覚えた。
(深みっていうよりも…澱みって表現が正しい、のかも)
巨人のような黒い影は、遠目から見ても明らかに何かを食べていた。
それが“何”を食べているのかは、すぐにわかることになる。
(―――…ああ、あれは木からぶら下がっていた女性の遺体だ)
視界を掠めた派手な色の靴と服は遠くから見ても酷く目立っていた。
森の中に赤って中々ないもんね。
聞こえてくる音的に食べているのは、おそらく内臓なんだろう。
ぎゅちゃ、ぐちゃ そういった感じの音がしている。
心臓の音がやけに耳についた。
食べられるんだろうか、ここで。
私も、あの、死体のように。
時間が止まったかのように私はその光景から目をそらせずにいた。
「ちちちちちっ」
「っ!…ぁ…ちゅ、ん」
「ちちちっ、ちゅんちゅんちゅん」
耳元で、小さな雀の囀る声が私に“感覚”を取り戻させてくれた。
ハッと我に返って逃げようと音を立てないように振り返るけれど、いつの間にか私の周囲からシロが居なくなっている。
「し、しろ…?」
どこに、と音を立てないよう細心の注意を払いながら視線を巡らせるけれど、目立つあの純白の体を見つけることはできない。
探さなきゃ、と足を踏み出そうとした私は無意識にあの黒いものがいる方向へ足を踏み出していた。
「ちゅんっ!!」
まるで警告するかのようにチュンは私の前を何度も横切り、後ろへ下がる道以外に体を向けると必死に羽ばたいて目の前を横切った。
ぐっと唇を噛んで冷静になれと言い聞かせる。
「(シロのことは気になる。でも、それはきっとチュンも一緒だ。それでも探しに行かせないってことは……行かない方が、いいってことだ)わかった、今は、進むよ。チュン」
それでいい、とばかりに小さく鳴いたチュンは私の頭の上に戻る。
私は黒いものを睨みつけるようにして慎重に後退し、自分の存在を消すように、息を殺して黒い影が見えなくなるまで下がった。
それから暫く、じぃっと耳を澄ませて動くのをやめたのは音が近づいてきたら、全力で逃げる為だ。
ドッドッドと液体が弾丸みたいな音を立てて私の体の中を巡る音だけが聞こえてくる。
鼓動が聞こえなくなったら私は死んでしまうんだけど、その音が今は少し煩わしい。
「(完全に止まれとは言わないから少しは落ち着いてよ心臓!疲れるでしょ、そんなに早く脈打ったら!あんたにゃ長い間働いてもらわないと困るんだからね)」
静まれ~、鎮まれ~と声には出さず念じながら僅かに体と呼吸を休ませ整える。
三分ほどまって音が聞こえてこないのを確認してから、私は音を極力立てないように必死に歩いた。
最早、私の目にはまるで道案内をするように前を飛んでいるチュンの姿しか見えていない。
歩いて、歩いて、脇目も振らずに、それこそ必死に足を動かした。
もう少しでもあの場所から離れたくて、その一心で、自分が今どの辺にいるのかも把握できないまま必死に進んだ。
足を止めたのは、足―――というか太腿と腰が痛みを訴えたからだった。
荒い息と滲む汗を腕で拭って素早く周囲を確認する。
「―――…追ってきては、いないみたい」
景色が、明らかに変化していた。
苔の代わりに広葉樹の枯れ葉と黒い土が地面を覆って、周囲を囲むように無数に生えていた木々も幾分か不気味さがなくなっている。
ただ単に気に巻きついていた蔦や苔がないってだけだからかもしれないけれど、それだけも拍子抜けするほどに印象が違っていた。
「薄暗いのは相変わらず、だけど…でも、なんか…じめっとしてないっていうか、どんよりしてない…気がする」
まるで、違う場所にいるみたいだった。
空気も、音も、空でさえも異なっている。根本から。
重苦しくてじっとりと肌にまとわりつくようだた空気は、山独特の清々しい澄んだ空気に。
水の音や風で揺れる葉の音以外聞こえなかったのに、鳥の囀りや虫の鳴き声すら聞こえてくる。
「ほんとに、ここ……裏雲仙岳、だよね?」
いくら必死だったからといって山を出た記憶はないし、知らない間に通常の登山道に出たということでもないだろう。
狐にでも化かされたんだろうか、と立ち尽くしていると頭の上にいたチュンが私の頭に乗った。
途中からずっとチュンについて歩いたからここまでどう進んだのかは頭上の雀しか知らない。
雀のナビなんて初めて体験したけれど、今になって少し後悔している。
方位磁石と地図で少しでも場所がわかれば…そう考えてリュックのポケットに手を伸ばした私は、思わずバッと振り返った。
「ッ………!!!」
振り返った瞬間、全身を恐怖と悪寒と絶望が襲った。
ガクガクと膝だけでなく体が震えて、一気に自分の体重を支えきれなくなる。
衝撃とともに目線が低くなる。
咄嗟についた掌からは少し湿った土と枯れ葉独特の感触。
けれど、そんなことを気にかける余裕はない。
ガチガチと規則正しく小刻みに歯が噛み合わずに音を立てた。
目は限界まで見開かれて、口は声を出す以前に音の一つも紡げずただ、開閉を繰り返す。
視界いっぱいに広がるのは、森。
苔が生えている地面と枯れ葉と腐葉土で成り立つ地面はきっちり何かを区切るように分かれていた。
不気味な木々と不自然なまでに薄暗く、岩や石だけでなく、木々すらも苔に覆われた暗緑色の空間。
天を覆うような針葉樹は黒い絨毯のように広がり光を森へ通さない。
まだ陽があるのに、木漏れ日の一つも地面に射さない、異様な森。
――――― そんな場所に、蠢く無数のもの達。
黒い人型のモノ、人型になりそこねた黒いモノ、獣のようなモノ、木のような岩のようなモノ、それらが次々に暗く澱んだ闇から湧いてくる。
手や、それに準ずるものを伸ばそうと緩慢にそれでいて貪欲に。
奴らが掴もうとしているのは、得ようと、捉えようとしているのはきっと…私。
それらは時折、肉片や頭や、腕や、足や、腹などを持っていた。
私に手を伸ばしながら、奴らはその肉を、骨を、血を、臓腑を争うように咀嚼し、散らかし、喰らっている。
見せつけるように、誇示するように。
伸ばされた手はまだ…遠い。
もしかすると届かないのかもしれないけれど、私の体は本能に従って必死に生きる為あがいていた。
少しでも、遠くへ。
少しでも手の届かない場所へ。
意識は目先の闇と恐怖に囚われて思考なんてほぼできない状態だ。
なのに貪欲に私の体は逃げようと力の入らない手足を動かしている。
腰が抜けている所為で、少しも動けないのに。
チュンが、頭上で威嚇するように、警告するように、鳴いている…――――
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