【油断は衝撃のもと】
残酷というかグロ?表現があります。
想像しないように読み流せば大丈夫…かな?
ブクマやら投票?やらありがとうございます。
じわじわ嬉しい。
重い灰色の雲が青空を隠している。
お陰で陰鬱な印象が強い森は更に暗く近寄りがたいものになっていた。
比例するように私の気持ちもなかなか向上しない。
額から垂れる汗を首にかけたタオルで拭いながら、斜面を登る。
中腹と頂上の丁度半ばあたりに差し掛かったくらいから傾斜を登ることも多くなった。
気をつけるのは足を取られそうになる針葉樹独特の柔らかい土。
油断すると滑るからかなり気を遣うし、岩や石も苔むしているので滑るんだよね。
…何度か滑って学習した。
「足が話せたら間違いなく奇声を発してるわ、これ。筋肉痛と疲労からくるこの鈍痛い感じ…就活中の極限状態とはまた違った苦痛っていうかさ…次いでに、生きてる人間の代わりに死んだ人間と、コンクリートジャングルの代わりに鬱蒼とした自殺の名所っていう過酷さで言えばあんまり変わらない環境といい…ほんっと、いい勝負だ」
なんの勝負なのかはわからないけども、とボヤきながら軍手を着けた手で柔らかい土を押し付けるように掴んで斜面を登りきった。
傾斜は10度くらいあるだろうかって所だけど足場が脆いから精神力と体力を無駄に消費するんだよね。
「ちゅん…」
「チュン、お願いだから慰めないで。わかってる、わかってるんだよ、痛い人間だってわかってるから。もーこの独り言はどうにもなんないんだって。思いついたこと口にしてないと色々やりきれないっていうかさー…事務所でも須川さん殆どいなかったから独り言のオンパレードだったし。ラジオはつけてたけど」
「ちちちちっ」
「いっやー、でも事務員として就職してまさか山の中に放り込まれるとは思わなかったよ。研修ったって普通は講習会とかじゃない?」
海の中やら無人島やらに放置されないだけマシなのか?なんて考えながら木の間を縫うように、上へ上へ進む。
迷子になったら洒落にならないのでちゃんと方角と地図は確かめているので迷子にはなってないと思う。
その調子で歩いて、歩いて、登って、進んで…丁度一時間程たった頃。
頭の上に居たチュンが突然飛び立ち、数m先にあった腰掛けられる大きさの岩の上にちょこんと留まった。
「ちゅん!ちちっちゅんちゅんちゅんっ」
何かを訴えるように鳴いたあと寛いだ様子で毛づくろいを始めた。
おそらくは休憩しよう!的な感じなんだろう。
時計を見るとかれこれ四時間は歩きづめだったらしい。
休憩らしい休憩もとっていないので、ここらで食事と休息を取ってしまうことにする。
「…ふー。あ、チュンもお水飲む?ほら、どうぞ」
どうやら喉が渇いていたらしいチュンはすごい勢いで岩の上に置いた小さなカップに頭を突っ込んだ。
自然の中にいるちゅんを見ているとチュンは野生の雀なんだなぁと感じる。
新しいペットボトルの蓋を開けて中身を飲みつつ、改めて視線を周囲に巡らせてみた。
苔が生えた倒木、ゴロゴロ剥き出しの岩肌に針葉樹の枯れ葉や時々混じっている緑の草や広葉樹らしき葉っぱ。
背が高く濃い緑の葉は大いに茂っていて見事に緑のカーテンとして活躍している。
「さっきの、滝。下から見ても大きかったけど上から見てもすごかったなぁ。あの場所だけは辛気臭い感じもなかったし、清々しかったんだよね。湧水も見つけたし。一応加熱するけどさ…今日中にゴールできなかったら」
喉を潤した後はレトルトご飯とレトルトおかずを開けて食べた。
あと二食分あるけどこれは取っておく。
代わりに缶詰に入ったマフィンを1つ食べた。もう一個はジップロックに入れてリュックに仕舞う。
「ぅあぁああ、おいしぃいぃいぃ!!缶詰とはいえクオリティ高いなぁ、このマフィン!うぅ、ミルクティーが飲みたい。アールグレイじゃなくてもいいから、普通のでいいからミルクティー飲みたい。番茶でもいい」
時々飴やチョコを食べてはいたけど、こういうしっかりとしたオヤツは久しぶりだったのでうっかり涙ぐむ位には嬉しかった。
岩の上にいるチュンが呆れたような顔をしているようにも見えるけれど気のせいだろう。
「はっ!大丈夫だよ、チュン!すっごくお腹すいて飢え死にしそうでもチュンだけは食べないから。涎くらいは垂らすかもしれないけど」
ぎゅっと拳を握りしめて笑顔を向けるとチュンは何故か私から距離をとって小さな体を震わせて警戒態勢をとってしまった。
えええー……なんでー?
すっかり食事とオヤツを済ませた私は十分経ったら再び進むことにして足をマッサージする。
こういうの大事なんだよ。
じんわり足の筋肉がほぐれるのを感じつつ手を動かしていると、突然、何かがガサッと音を立てた。
ハッとして咄嗟に音がした方向へ首と体を向ける。
視線の先には薄暗い木々と岩。
生い茂る木々の影で一段と暗さを増しているその空間に意識を集中していると影、のようなものが揺れた。
潤したばかりの喉が早速乾き始めていることと、手のひらにうっすら滲む汗を自覚しつつ目をそらさずに、でもすぐに逃げ出せる態勢をとって注視していると…白いモノがチラリと見えた。
暗がりであるせいでそれは灰色に見えたが元の色は白なのだろう。
「(黒い人影ではなさそう、だけど…新手って可能性もないわけじゃないよね)」
ひくりと引きつった口元を自覚しつつ、白と黒でオセロの幽霊とかツッコミどころ満載すぎでしょ、なんて考える。
一瞬、チュンの様子を伺うけれどチュンも同じようにじぃっと岩陰を見たまま動いていなかった。
「やっぱり、なにかいる……よね?」
「ちゅん」
「流石にここは返事してもらいたくなかったー…なんて」
視線も意識も逸らせないまま、声を潜めてそんな会話をするけれど小さな相棒の雀はつぶらな瞳で一点を見つめたまま。
緊張感も未知のものに対する恐怖も限界に近くなったその時、ようやく―――…“ソレ”が姿を見せた。
「れ?お前もしかして全身洗浄したあの犬?!もう怪我大丈夫なの?結構血も出てたし、あんまり動かないほうがいいよ。この森じゃお肉なんて手に入らないだろうし、雀も人間も人間の死体もオススメしないもん。寄生虫とか伝染病とかさ」
「……ちゅん」
「チュンその反応なに!?私なにか間違ってる?!声が冷たかったんだけど!」
雀に呆れられる私って一体。
思わずツッコミを入れる私の5m程先にはのそのそ歩く、白い大型犬。
野犬だと思われるのに警戒する様子は不思議なくらいにない。
なんというか人に慣れたゴールデンレトリーバー的な感じ?
毛自体は短いし見かけは日本犬っぽいんだけどね。
「どしたの?ん?」
少し迷ったけれど犬と目線を合わせるようにしゃがめば、黒くキラキラした瞳がじぃっと私を映していた。
大型犬あってしゃがめば十分視線が合う位には大きい。
…なんか犬相手に敗北感を感じる。切ない。どーせ背が低いよ。
「わぅん」
「うっわ、なんちゅー可愛らしい鳴き方するかな、君はその図体で!思わず撫で繰り回したくな……って、おわぁ!?」
ぽてぽて近づいてきたその犬は一声甘えるように鳴いたかと思えば、しゃがむ私の胸のあたりに鼻っつらを押し付けてくる。
ふさふさの尻尾は嬉しいのか左右に大きく揺れていた。
まるで、お気に入りの毛布に顔を埋めているような非常に野生を感じない雰囲気に警戒心が呆気なく消え去ってしまった。
そっとフカフカの純白の体を撫でると興奮したのかペロペロと容赦なく顔じゅうを舐め回される。
まぁ、食べられる心配はしなくてよさそうだけど、犬の唾液で保湿とか遠慮したい。
…って、立派な牙!
牙が時々ほっぺたに当たるから!
◆◇◇
休憩と食事を済ませた私は、再び足を動かしていた。
死の森っぽい雰囲気から突然、緑が多くなってきたのは嬉しい変化だった。
時間で言えば昼頃らしく、時々見える太陽は真上に近い位置にある。
地図でいえば、ゴールまであと数十キロといったところだ。
この調子で何もなければ今日中の、それも明るいうちに旅館へたどり着けそうだった。
「…後は猿っぽいのがいたら完璧か」
ぼそっと呟いた言葉に首をかしげるのは私以外の“二匹”。
どんな順番で出てくるのかは忘れたけれど、犬と猿とキジで連想するのは昔話。今いるのはキジじゃなくて雀だけど気分は正しく鬼退治に向かう太郎さんだ。
「待てよ。その理論で行くと鬼にあたるのはやっぱり須川さん?どうしよう、全く勝てる気がしないわ。無謀すぎる鬼退治だな。手痛い返り討ちが目に見えてる」
鬼退治もとい下克上…上司退治はまず無理だ。
なんて阿呆なこと考えることができるくらいには、余裕が出来ていた。
それもこれも、新しく――…何故かついてきた白い犬のおかげだろう。
チュンがいるだけでも癒されていたけど、犬のように大きな生き物がいるのといないのとでは随分安心感が違う。
「ちゅん?」
「くぅん?」
「ん?ああ、大丈夫。無理無茶無謀な鬼退治なんかするプライドなんてないから。そういう状況になったら脇目も振らずに尻尾巻いて逃げ出すよ。チュンは頭に乗っけて、ワンコは全力でついてきてね。ま、足の速さから言うとワンコが先陣を切って逃げることになるんだけどさ」
「わふっ」
まるで私の与太話に相槌を打つかのように返事をするのはチュンだけではなく、このワンコも同じだった。
この森にいる生物ってこんな愛想のいい生き物ばかりなんだろうか。
――――…そう、今の私は一人と一羽ではない。
一人と一羽と一匹といった具合の編成になっているのだ。
暗がりから姿を現した白い犬は私を齧ることなく、別れを言った私の後ろをずっとついてきた。
それは斜面を登ったり、岩をよじ登ったり、草をかき分けたりしている間も変わらず、だ。
私としては害もないのでそのままにしてある。
どうせ旅館まではついてこないだろう。
そのうち飽きるんじゃないかな、所詮野生動物だし。
「にしてもさ…この森にいる動物って基本弱肉強食の極みだったりする?餌だって少ないでしょ。明らかに動物がいる形跡が少ないし」
少ないというか無いに等しい。
あったのは本当に死体と遺留品と謎の黒いヤツに未だ姿を現さない、不気味な黒いのを食べてしまう獣。
なんだかなぁ、と首を捻ってみるけれどゴールさえしてしまえばもう関わりあうこともないだろうと思考をそこで打ち切った。
「草が多くなってきたからダニとか蛭とかに気を付けないと。あ、蛇もいそうだよね。蛇かー…美味しいらしいけど後三時間くらいこのペースで歩けば着くのがわかってる今はそそられないんだよなぁ」
そこらに生えている草は二〇センチ位にはなる。
中には細い苗木のようなもの、トゲトゲのアザミや“ひっつき虫”と勝手に呼んでいる種子が服の繊維に付着する類の植物もあった。
タラの芽、ではないけれどそれに似た棘のある木も時々見受けられるので気をつけながら進んでいるんだけどこういう方が私にとっては歩きやすい。
山菜採りってこんな雰囲気の場所が多いからね。
「―――…あー、うん、わかってたさ。油断大敵って言うんでしょ、もー……とりあえず、チュンはポケットにいてね。情操教育的によくなさそうだし。あとワンコさんは態々匂いを嗅ぎに行ったり、齧ったり、振り回したりお気に入りのおもちゃの如く咥えてこないように」
「…ちゅん、ちちち」
「…わふ」
ものっそい、呆れ果てた視線を頂戴する。
誰がそんなことするか!と訴えられている気がするけど、気のせいでしょ。
そんな注意をすることになった原因は…道の、丁度草が生えていない所に落ちているモノ――――…肉片的な、何かだった。
赤黒い筋肉組織のようなものと肌色に黄はコントラスト的にも目に優しくない。
まるで何かに食いちぎられたような肉片をあまり直視しないように通り過ぎた。
一応、見える範囲内で似たようなものが落ちていないか警戒しつつ早足で進む。
「私絶対この森と相性悪い。なに、この見たくないモノのオンパレードぷらすカーニバル的な森を上げての不気味な大歓迎っぷり!森の神様の勘に触るようなことは言ったかもしれないけど悪いことしてないのに。そ、そりゃ、悪口言ったり焚き火とかお魚焼いたりしたけどさ、文句くらいいってもいいじゃないの。焚き火に関しては飲み水作るのもご飯作るのも火がないことにはどうにもならないじゃないか。濾過方式なんか信用できるか!それにそれに日本の神様なら人間の営みくらい理解してるでしょ、長生きなんだから」
生きていくのには美味しいご飯が必要で、ご飯を食べるには火と水がある程度必要だってことも!神様だって水はいるでしょ。火だって神事でつかってるし。
ブツブツ言いながら地面だけでなく頭上や岩陰や木陰何かにも注意しつつ足を動かすスピードを上げていく。
幸いにも歩きやすい平地だからね…斜面でも急いでたと思うけど。
「そういえば、昔からくじ運悪かったなー。席替えとかは割といいところに行くんだけど」
むむむ、と思考の海に足をつっこみはじめた私はすっかり失念していた。
昔から友達や先生や知り合いや色んな人に言われ続けたのに、相変わらず学習しないらしい。
『優ちゃん、考え事すると注意力がいつも以上に散漫になるから気をつけなよー』って。
それを思い出したのは ぐにぃ と整理的に受け付けない感覚が分厚い筈の靴越しに伝わってきた時だった。
一気に、毛穴という毛穴から汗が吹き出て、ついでに鳥肌が立つ。
歩みはとっくに止まって、体が硬直しているのがわかる。
視線は、下げられない。
何かを踏んだ体制のまま、確認する勇気がでずにその体制のままたっぷり数十秒。
このままでは埒があかないので意を決し、恐る恐る足を持ち上げてそっと地面に下ろす。
「――――………ひッ!」
こわごわ視線を下げ―――…足の下にあったモノと“目があった”。
その瞬間、文字通り弾かれた様にソレから距離を取る。
ぎゅ、と縋り付いたのは物言わぬ木だった。
硬さと冷たさに安心したからか足腰の力が抜けてその場に座り込む。
視線の先には踏んでしまったモノとさっきまで持っていた地図。
地図だけは回収しなきゃ、となけなしの力を振り絞って回収した。
四つん這いでね!腰が抜けたんだよ、赤ちゃん時代に還ろうとかって特殊な心境じゃなくて。
ええ、もう情けないんだけどね!抜けたものは仕方ないでしょ!
地図を握りしめて震える私の頬を慰めるようにワンコがペロリと舐めた。
「ど、どどどどどどうしよう!?わ、わた、私踏んじゃった!呪われたり祟られたり付き纏われたらどうしよぉおぉお!!ごめんなさぃいいぃ!わざとじゃないんです!」
とりあえず精一杯の謝罪として土下座をしてみたけれど、頭の中には見てしまった顔が焼き付いて離れない。
限界まで見開かれた眼球と口。
鼻は喰い千切られたように欠けていて目の片方が潰れていたように思う。
まじまじとは見ていないけれど恐らく中年の男性。
近くに欠けた鼻は見当たらなかった、と思う。本当に一瞬で、数秒しか見てないから完全に覚えてないんだ、っていうか覚えていたくもないんだけれど。
ソレは、丁度草のない、深緑色の苔が生えた上にあったのだ。
薄暗い森の中で肌色と目の白目部分がぼんやりと浮かび上がる。
肌には所々に赤黒い血液のようなものが付着し、白目を引き立てるように髪の毛のようなものや黒みの強い赤い筋肉のようなものが見える。
黄色みの強い白の部分は恐らく人の脂肪なのだろう…うえ。
「うぅ、なんでこんな所に突然あんなのが転がってるの?食べるならちゃんと残さず食べきりなさいよー!ばかぁあ!!やっぱ熊なのかな、熊だよね、野犬じゃあんなんならないよね?!」
座り込んだ下半身からせり上がる恐怖と現実であることを告げる温度に、視界が滲み始めた。
うぅ、歳をとると涙腺が崩壊し始めるって本当だったのか。
誤字脱字はとりあえず、時々見返しますが発見した際は教えてください。
気づかない可能性が多大にあります。