【痕跡と中間地点】
ようやく話の半ばくらいまで来ました。
あと少し。もう少し、もうちょっと。
見てしまったものを、見なかったことにできればいいと心から思う。
山に放り出されてから記念すべき二日目。
まだ経った二日目だから生きてるのは当然として、チュンという名前をつけた雀の可愛い同行者も増えた。
不可解かつ不気味なものに遭遇したりもしたけれど、現時点で実害はないし――…ただ寝ぼけていたのかもしれないから気にしない方向で処理をした。
だってもし、幽霊だったんだよーってオチなら怖すぎる。
唯でさえ“自殺の名所”で、知る人ぞ知る“心霊スポット”という特殊すぎる場所に一人っきりで放り出されて心の許容範囲から随分オーバーしちゃってるのに、未知との遭遇が明らかになった日には確実にパーンッてなるね。
脳みそ的な何かが。
「―――…チュン、これは、その、どーみてもビジネス的なバックですよね」
ちゅん、と頭の上で小さな鳴き声。
鳥類に聞いたところで何の解決もしないのはわかっているけれど、思わず確認せざるおえないこの状況。
急斜面の岩を登った所で発見したのは森の中で、一際強烈すぎる自己主張と違和感を醸し出している物体。
何が怖いって人工物が見当たらない森の中で、ぽつーんと妙に綺麗なビジネスバックが不自然に転がっている。
しかも、その横には男物の革靴が几帳面に揃えて置いてあった。
恐る恐るカバンが置いてある上を見る。
少しでも“見なくていい”ように慎重に。
「…よし、いない」
ほっと溜め息をついて近づいてみる。
へっぴり腰なのは仕方ないと思うんだ、大目に見てください。格好悪いけど。
だってさ、腐りかけた人間とか見たくないのって全人類共通だと思うんだよね。
腐敗マニアなんて聞いたことないし。
ビジネスバッグが転がっている場所と靴がある場所のすぐ横には大きな木があった。
そして、そこには想像通りの、でもまぁ、想像よりも幾分かマシで、でも見たくはないものが転がっている。転がってるって表現はいただけないか。罰が当たりそうだし。
「―――…腐りかけてないにしても、人骨もちょっと…いただけないと思うんだよね」
私の声に反応してくれたのは小さな相棒。
ちゅん、と頭の上から同意するような鳴き声が絶妙なタイミングで聞こえてきたので思わず「そうだよねー」なんて呟いた。
人であったものは、きちんと黒いスーツと靴下を身につけていたらしい。
黒のワイシャツには落ち葉が。真っ白だった筈のYシャツは薄汚れているけれど、靴下に泥はついていなかった。
靴を脱いで歩いていたら靴下にも泥がつくはずなんだけど…と考えて人骨の上をみるとそこには太い木の枝。多分、落ちたんだろう。首の骨が、明らかに折れているようだった。
「自殺、なんだろうけど…遺書もないしって、なんか…胸のところに刺さっていた形跡がある、よーな…?」
どばっと冷や汗が色んな所から分泌され始めた。
頭の中で流れているのは水曜サスペンス劇場で流れるテーマソング。
咄嗟に思い浮かんだのは『エリートサラリーマン謎の失踪!雲仙岳の裏の顔とサラリーマンを取り巻く隠蔽された過去!』というサブタイトルの殺人事件。
うわぁ。もしかして私が探偵的なことをしなきゃいけないのかな。
そんな馬鹿なことを考えていた私はふっと違和感を覚えた。
首を傾げつつ少しずつ近づいて違和感の正体を探ろうとしてみたけれど、専門医でも何でもない私にはわからなかった。
「にしても…一人でこんな山の中腹まできたのかな。麓の方が手頃な高さの木も多かったのに」
ミイラや腐りかけ、もしくは生の死体は盛大に嫌だけど、白骨になっていればあまり怖くはない。
ほら、骨格標本とかあるでしょ?友達でちょっと変わった趣味の彼氏さんと付き合ってプレゼントに人体模型と骨格標本をもらったって話を聞いてから余計平気になった。
その友達は医療関係の勉強をしてたから喜んでたけど、私なら美味しいケーキの方が何十倍も嬉しい。
「一応地図に丸をつけて…っと。あとは免許証と時計、とか携帯があれば持っていった方がいいか。警察に渡すにしても遺族の手に渡るにしてもやっぱり――…ええと、これ、ちゃんと家族もしくは親類の方に渡しますから、安心してください」
手を合わせて黙祷を捧げたあと、ビジネスバックの中から持って歩けそうなものを探す。
声をかけたのは、化けて出られるのが怖いからです。
だってやだよ、目覚めた瞬間にお化けのドアップとか!そういうファンサービスはいらない。
そもそも心霊ファンじゃないし。
多くなった独り言を呟きながらバックを漁っていると、財布を見つけた。
中には少しのお金とカード類。免許を確認したので空き袋の中に入れる。他には、と探すと写真が挟まった手帳も見つかったので手帳も袋にしまった。
他は手をつけずに置いておく。…万が一にも現場検証とかあったらまずいしね。
免許をちらっと見た時の顔写真は20~30代後半の中々かっこいい男の人だった。
気を取り直して再び道なき道を進み始める。
道自体は針葉樹の落ち葉が腐葉土になったらしく、ふわふわしていて歩きやすい。
ところどころに生えている草に食べられそうな野草や山菜がないか確かめながら進んでいく。
時折、地図で位置を確かめ、水分補給をしながら進むこと約一時間。
先ほどの地点からかなり離れた私は完全に油断しきっていた。
「宿についたら須川さんに甘いもの沢山頼んでもらって、温泉入って、炊き込みご飯とかお肉とか食べるでしょ?で、帰りに温泉まんじゅうを買ってもらおう。そうしよう、そのくらい許されるは、ず…――――…って、…勘弁してください、ほんと。なんか、ぶら下がってるんですけども」
がっくり、と力が抜けそうになる。
足を止めた地点から50mほど離れた場所に見えたモノに思わず表情筋が引き攣る。
うっそうと生い茂った木々の間から偶然に見えたのは、昨日みた黒い影とは違うと直ぐにわかった。
だって、あの黒い影は左右に揺れてな…―――…あれ。
あの、黒いのって、服とか身につけてなかったような気がする。
ぶわっと一気に全身の鳥肌がたった。
ついでに悪寒で我に返った私は慌てて両腕を擦りながら猛烈に気づいてしまったことを後悔した。
「いく、べきだよねぇ…生っぽかったらヤだなぁ。さっきみたいに骨だったら夢にもでない、はずなんだけど」
流石に骨格標本を送られた友達の部屋に何度も泊まっていれば慣れるからね、骨。
最終的に服とか着せられて完全にインテリア扱いだったし。慣れって怖い。
朝起きたとき、顔の真横に倒れてきたらしい骸骨のドアップが映った時には近所迷惑も考えないで大絶叫したけど。
つらつらと色々なことを考えつつ、近づくことにする。
結果的に言えば、足元にあった手提げかばんから免許証と時計を預かり、袋へしまった。ついでに、地図に印をつけてそそくさと足早にその場を後にする。
「―――うん、私はなにもみてない、本当になにもみてない、血の気のない真っ白な足とかハイヒールとか黒くて長い髪の毛がだらーってなってたりとかそういうの、本当にまるっきりなんにもみえてない。地面につけ爪落ちてたとかも知らない」
自分に言い聞かせるように呟きながら、一心不乱に進む。
仕方なかったんだよ、だって進行方向にある…いや、いるんだもの。
気配を感じないくらいに離れた私は大きな岩に腰を下ろして頭の上で眠っていたらしい癒しの塊に頬を寄せた。
チュンはクリクリの目を瞬かせながら首をかしげて私を見ている。
健気すぎるその動作にうっかり涙腺が崩壊しそうになったのは内緒だ。精神的にまいっている時のふわもこ系動物は凄い威力を発揮する。
動物ではあるし、正確にどう感じているのかなんてわからないけれど、心配しているように見えるだけで十分嬉しい。
「チュン~~~!もー、この森ヤダよー!今なら『翼をください』って曲作った人に勲章贈れる。本気で翼がほしい…びゅーんとひとっ飛びでゴールしたいぃぃ」
「ちちちちっ、ちゅんちゅんちゅん!」
「慰めてくれるの?違っててもそう受け取るよいい子だねぇ、よしよしよしよしぃぃいぃ!!うう、もうちょっと頑張る…こんな森さっさとゴールして美味しいもの食べるんだ。さっきのもあれだ、マネキンか蝋人形的ななにかだと思えばきっと…ッ!」
よぉしっ、と足腰に力を入れて気合で立ち上がった私はチュンを再び頭に乗せて歩き始める。
この時は明るい歌を無理に歌ってテンションをどうにか上げようとしたり、好きなもののことを考えたりしてどうにか気を紛らわせる事ができた。
だけど、やっぱり、心のどこかに黒い影や獣の咆哮、死体という普段とはかけ離れていて見る機会のない光景が焼きついてしまっていた。
それでも、足を止めないのはここに“救い”がないからなのかもしれない。
◇◇◇
時間は丁度四時を回ったところだった。
すっかり陽が傾き始めた空の遠くの方からカラスが騒ぎ立てる声が途切れ途切れに聞こえてくるけれど、長くは続かない。
耳を済ませると川のせせらぎが聞こえてくるから、川からそう遠く離れていないのは間違いない。
周りの景色も相変わらず―――…と言いたいけれど、明らかに今までとは違っている。
丁度小規模な、住宅街の中にある小さな公園の敷地程度の開けた空間には不自然に木が生えていなかった。
あるのは落ち葉と黒い土。そして、色が禿げた明らかにこの場にそぐわないモノ。
「――――…なんでこんな所に鳥居があるんだろ?神社っぽい建物があるわけでもないし、お寺っぽいのも見当たらない、よね」
周りの景色は鳥居があるせいか、開けている。
砂場と滑り台、ブランコ位なら設置できそうな空間に警戒しつつ足を進めて鳥居の前に立つ。
一応真ん中じゃなくて左側に立ってみた。
すると、鳥居の奥に朽ちかけた、何かの石像が一対ある。
左側の石像は苔が生えているものの比較的綺麗で狛犬に似た犬であることがわかったけれど、右側の石像は首のあたりから叩き割られたようになくなっていた。
鳥居をくぐって残っている石像に近づいてみると表情こそ分からないまでも全体的なシルエットで狐でないことは確実だった。
「今日はもうここでいいや…疲れたし」
精神的にも肉体的にも疲労が溜まっているのは確かなのでさっさと寝袋やら野営準備する。
寝袋をセットしたのは形を保っている石像の横だ。
なんかこう、神仏シンボルの横とかって安心しない?場所が場所だからかもしれないけれども。
燃えやすそうな木の葉なんかをざっと避けて、鳥居の外に落ちていた平たい石なんかで簡単に土台を作ったあとは途中で汲んだ川の水の煮沸をして、その間に携帯食料なんかを改めて広げ、今日の夕食を決める。
地図で言えば現在地点は丁度山の中腹あたり。
日が出ている間ハイペースで進んでいることや天候に恵まれたこともあって順調といえば順調だ。
でも、今後雨が降らないとも限らないので多めにご飯は残しておく。
「明日は一度川に寄って水と食べ物探さないと。天気がいいようなら昼過ぎまで進むのを優先にした方がいいかな。天気次第、ってところがちょっと不安だけど仕方ない」
何せ自然が相手だからこっちの都合を汲んでくれる訳じゃない。
にしても、とお湯の様子を見ながら考えるのはココにたどり着くまでに見た死体のこと。
少なくとも二体。
気づかなかったものもあるだろうなとは思うもののかなりの遭遇率だ。
腐敗臭っぽいものがなかったのが救いだけれど、例え骨であろうとMP的なものがガリガリ削られていくのは確かで。
「流石自殺の名所で有名なだけあるよね…ハハハ。非常にありがたくないけども」
せめて甘味の名所とかにしてくれ、と半笑いでぼやくものの、現実にそんな素敵な場所へ私を不法投棄してくれるような上司様じゃないことくらいわかっている。
温厚そうな表情や優雅な仕草の割に須川さんはスパルタだ。
やり口が結構えぐい…いや、なんていうか、容赦ないんだよね。美形怖い。
「まだ時間あるし…川だけ見てみようかな。近いだろうし…罠だけでも仕掛けておかないと。かかってなくても、仕掛けないよりマシだよね。まだ多少明るいし」
そのまま横になりたい衝動を堪えて立ち上がり、川音のする方へ向かう。
ゴロゴロとした岩が多くなってきているし、ちょっとした高低差が出てきているけど何とか川まで降りられた。
丸みを帯びた石を並べて逃げ道を減らし、そこに罠を仕掛ける。
周囲には幸い、セリがあったので採取して鳥居のあった場所まで戻った。
時間で言えば10分程かかる道のりだ。
水も汲んできたので、作業はまだある。
ちまちま作業をしつつ日が暮れていくのをじっと眺める。
丁度、ぽっかりと木々がないので空がよく見えるのだ。
「明日の朝、魚がいっぱい掛かってたら立ち直れるかもしれないんだけどなー」
何か楽しいことを!と考えていたら結局、食欲に戻った。
どうせなら色恋の…と考えたけれど、私にはかなり縁遠いことだったのですっぱり諦める。
柄じゃないし。美味しくないからね、色恋事は。厄介なだけで。
「唯でさえ不気味で、薄暗い森にいるんだもん。気持ちだけでも前向きにいかないと」
気合を入れる為にぐっと両手を握りしめてみる。
…いや、実はさっきから自分が木の枝に宙ぶらりんになったり、包丁やなんかでグッサリやられて人生を終えるっていう妄想が止まらなくって。
まだ甘いものを死ぬほど食べてないのに死んでたまるか!しかも自室でもカフェでもケーキ屋でも茶店でもなく自殺の名所で不法投棄の末に死ぬとかごめん被りたい。
「チュン、今日はこのワンコさんの傍で寝ようね。狛犬って神社とかにいる守り神的な偉い生き物だった筈だから。きっと黒っぽいのとか正体不明の足音とかどうにかしてくれるかもしれないよ」
「…ちゅん、ちちちち」
「……なんか、鳴き方にバリエーションがでてきたね、チュン」
「ちゅんちゅんっ」
あいも変わらず可愛らしい鳴き声だけど、チュンがなんとなく呆れているのはさっきからじんわり伝わってきている。
そりゃね、頭の上でチュンチュン言われ続けたら、はんなりとはわかってくるものですよ。
履歴書に書くなら『鳥の鳴き声で彼らの心情を慮ることができます』かな。
うん、速攻落とされそうだね!
自分のおバカ加減に辟易しながら、周囲に落ちている枝を集める。
今日は簡単な竈も作ったし焚き火でもしようかと思っているんだよね。
火を眺めるだけでも結構落ち着くものだし、本当に川の音くらいしか聞こえないから気が滅入るんだ。
「元々、森の中が暗いせいであっという間に真っ暗になるね」
「ちゅん」
一晩分くらいの枝が集まったところで焚き火をしたけれど、その頃にはもう周囲は闇に包まれ始めていた。
黙り込むと静寂と途切れ途切れに聞こえる川の水音が妙に現実味を欠いていくような気がして、意識的に焚き火にした枝が爆ぜる音に耳を傾ける。
パチッパチパチという音は、昔テレビで枝に含まれている水分が弾けているんだとかって聞いた覚えがあるなぁ、なんて考えながら作りたてのお茶もどきを口に含む。
今日の食事はセリのおひたしと携帯栄養補助食品だった。
足りない夕食に胃袋が抗議してそうだけれど、気づかないふりをして疲労回復の為に寝袋へ潜り込む。
見上げると星一つ内夜空と狛犬の体や顔の部分が見えて少しだけ、安心する。
フカフカの腐葉土のおかげでなかなか快適に眠れそうだ。
小石や小枝なんかも運良く寝袋の下にはなかったみたいだし。
くぁああ、とあくびをしてから寝袋のすぐ横にちょこんと座っている?チュンの頭を指の腹で撫でてやる。すると、気持ちがいいのかグリグリと自分から頭を擦り付ける仕草をして私の心を癒してくれた。ああ、かわええ。
「そういえば包帯取るの忘れてた。おいで、包帯とってあげるよ」
「チチチチチッ!!」
「いや、そんな抵抗しなくても……もしかして包帯とりたくないの?」
まさかねーと思いながら問いかけてみる。
「ちゅんっ!」
「……図ったようなタイミングで鳴いたね、おまえは。まぁ、いいや。明日の朝には包帯とるから、ちゃんと仲間のところに戻りなね」
「………ちちち」
少し遅れて聞こえた鳴き声はひどく小さかった。
野生である筈の小さな雀はぴょんぴょん跳ねて、私の顔のすぐ横で寝る体勢を整え、毛づくろいを始めた。
……本当に、野生だよね?なんか目覚めた瞬間から野生っぽさを微塵も感じてないんですけど。
私よりも先に寝始めた臆病であるはずの野良雀を観察してみるけれど、答えは出そうにない。
諦めて目を閉じた私は、一日中歩きっぱなしだったことや精神的なダメージが蓄積していたらしいせいであっという間に眠りに落ちた。
言い訳になるかもしれないけれど、疲れとか睡眠欲で極端に、その、注意力が普段以上に鈍くなっていたから気づかなかったのだ。
――――…頭上から、熱心に注がれる視線に。
ついでにいえば、眠っていたはずのチュンがパチリと黒い瞳を開いてじぃっとその視線の主を観察していたことも。
いや、だってほら、寝た後だったし!これで気づく方がすごいと思うんだよね!
読んでくださってありがとうございます。
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