【『パン屋「小麦の縁(よすが)」に住みつくもの』 3 】
続きができました。
シリアスに、と思ったのになりませんでした(爆
学園編がドロドロ、殺伐としていたので今回は平和気味です。
蔵ぼっこと山姥は建物の中にいる須川さんが怖いから、と今日は庭の隅で大人しくしているとのことだった。
夜に会えるといいね、と伝えると二人は顔を見合わせて諦めたように首を縦に振る。
手を振ってから裏庭から店に戻ると、頬を染めた麦さんが須川さんに何故かパンについて熱く語っていた。
須川さんの前にはいいお値段がする食パン。
生食パン、というジャンルの一斤で千円以上するものがドーンと置いてあった。
(これはどういう状況?)
はて、と首を傾げつつ小声でただいま戻りましたーといえば麦さんが最初に振り返った。
一方の須川さんはニコニコ笑いながらお茶を一口飲んでこちらを見ることもない。
麦さんは嬉しそうに笑って私の方へ近づいてきたかと思うと、何かを私の前にずいッと差し出した。
食べものだということは匂いで分かったので特に何も考えずパクッと口に入れる。
「……優君、せめて『何を』差し出されたのか確認してから食べるように」
口を開けるわけにはいかないので頷けば呆れたような溜め息と微笑ましいものを見る視線を頂戴した。
いつものことなのに、と思いつつ一応頷いておく。
口の中に入ったものは咀嚼をしたことでその正体が分かった。
ザクザクした香ばしくも上品な米と酒気を纏うラスク。
それをまとめるようにねっとりとした触感の『特性絹豆腐』と生姜味噌のちょっとピリッと来る程よい塩っ気。
アクセントに乗っているのは青シソだ。
「ど、どうかしら?」
緊張の面持ちでこちらを見る麦さんの後ろで須川さんが同じものを口にしていた。
口の中でしっかり味わってから飲み下して、緩んでいく頬をそのままに感想を伝える。
「美味しかったです! ラスクって甘くないヤツ以外は、ガーリックくらいしか見かけないしお酒シリーズいいですねっ。この街って結構お酒飲む人が多いし、酒蔵もかなりの数があるから……うん、各酒蔵とコラボして酒蔵の販売所に置かせてもらっても面白いかも。お豆腐だってすぐ隣にあるし『塗る豆腐ソース』みたいな感じで味付けしたつまみ用の豆腐用意できたらもっとお手軽に……って、ちょっと麦さん!?」
話の途中で麦さんが財布を引っ掴んで店を飛び出そうと私の横をすり抜けて行ったので慌てて追いかける。
麦さんは心底楽しそうな顔で豆腐屋さんに突撃しようとしていた。
「須川さん、この子私の店に貸してくださいっ! なんなら二人で私の店に!」
イケメンと看板娘を配置すれば毎日売り切れですっと鼻息荒く話す麦さんに須川さんは苦笑する。
落ち着いて、と優しく話しかけながらお茶を飲むようにコップを差し出す。
お茶を飲んで落ち着いたらしい麦さんは、手帳に「酒蔵コラボ」「おつまみラスク」「味付けした豆腐ソースの開発」とか色々書きなぐって、漸く落ち着いたらしい。
ごほん、と恥ずかしそうに椅子に座り直しウロウロと視線を彷徨わせた。
「ご、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃって……駄目ね。昔の癖でつい、忘れない内に!って体が動いてしまうのよ。それで……ああ、そうそう。老婆のことなんだけど、どうかしら? どうにかなりそう? 私、呪われたりしてない?」
大丈夫だろうか、と心配そうな顔で私を窺う麦さんにどこまで話すべきだろうと悩んで――…妖怪のことはまだ詳しく分かっていないので伏せることにした。
でも、一応いたことはいた訳だし話せる範囲で話しておく。
「いるにはいました。でも、害があるような感じではなかったですね……今日はちょっと道具なんかもないのでお祓いは出来ないんですけど、今夜『持って帰って』話をしてみます。それと、パンがなくなったりしたのはこの家に憑りついている『座敷童』みたいなものが食べていたみたいで」
「座敷童? あの、幸せを呼ぶって言う?」
「はい。なのでその老婆も悪いものではないです。悪いモノなら座敷童のいる家には入って来られませんから」
そうなの、と感心したようなホッとしたような顔で肩の力を抜いた麦さんはキョロ、と周囲を窺うように視線を巡らせる。
独り言を漏らす様に小声で「どこにいるのかしら」と視線を彷徨わせて、蔵ぼっこたちを探しているようだった。
(妖怪とかお化けとか大っ嫌いってタイプじゃなくて良かった。ダメな人はとことん駄目だもんね)
肩の力を抜いた所で言葉を続ける。
これで安心してもらえるかどうかは分からないけど、自分の家に妖怪やお化けといった目に見えないものがいるのは意外とストレスになるからね。
「私は頼りないかもしれませんけど、須川さんもいるし安心してください。幽霊は話が通じないことも多いけど、妖怪とかなら話が通じるパターンが多いんです」
「え? そ、そうなの? でも、座敷童ならいてもらって構わないわよ? あのお婆さんも私と売り物のパンや商売道具に危害を加えない、驚かさないって約束してもらえるなら今まで通りにしてもらって構わないし」
「いいんですか?! あんなに怖がってたのに……!?」
「だって私や私の周りに悪影響がないなら無理に追い出すのも悪いじゃない? ほら、元はと言えば私より先に住んでいた訳だし」
まぁ、そりゃそうですけど……と言えば麦さんは満足したらしい。
でも、一応話はつけるので!と今夜妖怪二匹を正し屋に連れて行くことを話して同意してもらった。
新作だと言って渡されたマフィンを有難く受け取って、正し屋に戻る道を歩く。
隣を歩く須川さんの呆れたような溜め息を聞きながらマフィンを眺める。
四つ入っていて味が違うのは見ただけで分かった。
プレーン、チョコ、抹茶、イチゴ。
一番上には今月の『祀り花』の乾燥した砂糖菓子がちょこんと乗っている。
どうやらこれが十二月祭に出す商品らしい。
食べるのが楽しみだと思っていると足元に柔らかい何かが触れた。
「シロ! もしかして近くで待っててくれたの?」
私の横にぴったりとくっついて歩く白い中型犬。
白と黒のしめ縄に似た首輪には私が書いた『シロ』の文字。
声をかけると私を見上げて嬉しそうに「わふっ」と短く吠えた。
シロの頭をちょっと撫でて歩き始めると前方を雀の群れが飛んでいき、その中の一羽が私の元へまっすぐに降りてくる。
狙いすましたように私の頭の上に止まって誇らしげにチュンと鳴いた。
「おかえり、チュン」
頭の上に手を翳すと直ぐに指先を優しく食まれる。
小さなくちばしが甘噛みのように弱い力でハムハム、と指先を擽るのはくすぐったい。
私の隣を歩く抹茶色の髪と上等な着物。
昼を過ぎてもうすぐおやつの時間だ。
ちょっと苦みの強いお茶を入れてマフィンを食べよう、と楽しみにしていると声が頭上から降ってくる。
視線を上げると須川さんが私を見下ろしていた。
「今夜話をすると言っていましたが、どういった内容ですか」
「歩きながらでもいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
聞かせていただきましょう、と言われたので妖怪たちから聞いたことを話す。
相手は『パンを作りたい』という想いから、パンを作るために店主である麦さんが見ていない所で練習をしていた話しをまずしておく。
この時点で反応はなし。
「あの場所にいる山姥と蔵ぼっこは、人間になりたいそうです。それで、パン作りを麦さんに教えてもらうとかってできないのかなぁって……」
「妖怪と依頼主を接触させる、と?」
そういわれると言葉に詰まる。
冷たく感じるほど平坦な声に心臓がギュッと緊張と不安で縮んだような気さえした。
「わ、私が一番簡単なものの作り方を教えてもらって、妖怪たちに教えるっていうのもありだと思うんです。教えてくれるかはわからないですけど……普通のパンなら、多分レシピ本を見ればどうにかできるだろうし」
そう続けると須川さんはゆっくり首を左右に振る。
駄目ですね、と静かな声。
隣を歩く須川さんに緑の目にじっと反応を見るかのように観察される。
「ダメ、ですか」
「対価次第です、と言いたい所ではありますが……パンを作って『はい、おしまい』という訳にはいかないんです。検討したが駄目だった、という結末なら一先ずは良し。影響はありません」
影響、と呟くと彼は頷いた。
正し屋まであと半分、という所まで無言で歩いた所でポツリと須川さんが口を開く。
「妖怪というのは―――……曖昧な存在です。幽霊なんかよりよほど、ね」
「幽霊より『あいまい』ってどういうことですか?」
「分かりやすく言えば、人と人以外。人から転じたものですら、もう人ではありません。変わってしまえば戻れない。戻ったとしても……容易ではありません。生きていくには仕事をしなくてはいけません。人になったら、人としての生活をゼロから始めなくてはいけない。わかりますか、妖怪と人では在り方が違います……貴女が、妖怪や神になれないように本来は妖怪も人にはなれない」
そういって懐から扇子を取り出し、シロとチュンを指す。
二匹はじっと須川さんを見て、それから心配そうに私を見る。
「この二体も妖怪です。言い方を変えると妖、物の怪、魔物と表現されることもあります。貴女の式神になったことで、わかりやすく言えば陽の方へ性質が傾き固定されました。それがあるから、彼らは穢れを祓える」
「妖怪が人になることはできません。化けることはできますし、欺くこともできます。見えるようにすることもできる―――……けれど、人にはなれません。今回は元が『山姥』と『蔵ぼっこ』という元々“人”で会ったものが対象ですから、人に化けることはそう難しくないでしょう。ですが……そうですね、問題しかないんですよ」
人になるというのは、突然『いなかった』人が現れるという事。
そこまで考えてはいなかったでしょう?と言われて私は頷いた。
「パンを作れるようになって終わり……じゃダメです、よね。確かに」
「はい。それでは依頼主に迷惑が掛かります。やりようはいくらでもありますが、貴女の考えているような方法で許可は出せません」
考えが甘い、読みが浅いと言われることは多々あったし自分でも感じているけれど、指摘されると納得しかできなくて項垂れた。
(言われてみるとなんで考えなかったんだろう。話を聞いて、本当に人間になりたいって思ってるのが分かったからって、簡単に考えて良いことじゃないよね……私が養ってあげられる訳じゃないし)
ごめんなさい、と謝ると須川さんが足を止める。
気付かずに歩いていたからあわてて足を止めて振り返ると不思議そうに私を見ている須川さんと目があった。
「何故、謝罪を?」
「え、いや……だってこんな簡単なことちゃんと“考えていれば”分かった筈なのに余計な手間をかけてしまったので」
そういえば彼は何故か感慨深そうに何かを考え、そして再び歩き出す。
自己完結したらしい彼の後ろを小走りに追いかけると歩く速度を落としてくれた。
「失礼。貴女は、なんというか変わりませんね……良くも悪くも。その“素直”な性分は羨ましくなります」
(須川さんは捻くれてそうですよね、とは言えないなぁ)
複雑な顔でお礼を言った私の考えていることが分かったらしい。
浮かべていた微笑が少し深まって、形のいい唇が音を紡ぐ。
「―――……詳しくは正し屋に帰ってから話をしましょう」
そう宣言すると止めていた歩みを再開させた。
目の前で首の後ろで結われた長い髪がふわりと揺れる。
着物を着ているのに移動が速いのは足の長さが大きく影響していると私は思う。
マフィンを抱えなおして私は須川さんの背中を追いかけた。
◇◆◇
食事を終えて入浴を済ませて髪をタオルで拭きながら台所へ向かう。
冷蔵庫から冷えた緑茶を一杯飲み干して、事務所のスペースへ視線を向けると須川さんが夜用の着流し姿で晩酌をしていた。
熱心に何かを呼んでいるみたいだけど、かなり古びた本だ。
紙の束を紐で縛っただけのソレを何処か面白そうに眺めていた。
「須川さん、私ちょっと玄関の明かりつけてきますね」
「――…おや。もうそのような時間ですか。こちらも準備をしておきます。恐らく、直ぐに来るでしょうから明かりをつけたら数分涼んでいてください」
結界は解除しておきましたよ、と笑う上司の手には珍しくウイスキーが入った高そうなグラス。
大きな氷がカラン、と涼し気な音を立てた。
「分かりました。あ、絶対に入ってきた瞬間にお祓いとかしちゃ駄目ですからね!」
「わかっていますよ。貴女が初めて相手にする『妖怪』のお客様になるかもしれませんし」
ふふふ、と楽しそうに笑う上機嫌な上司に違和感を覚えつつサンダルを履いて玄関へ。
一応、門の横に須川さんが「下げておきなさい」といって渡してくれた小さな提灯を吊るしてある。
中には蝋燭が入っているけれど放って置けば消えるからそのままにしておいていい、とのこと。朝、須川さんが回収してくれるそうだ。
施錠した玄関の鍵を開ける傍らで手を伸ばし、隠し戸棚からマッチの箱を取り出す。
私、実はライターが苦手で上手くつけられないんだよね。
「間接照明に灯篭使ってる所って珍しいよねぇ……多分意味があるんだろうけど」
玄関の横に置かれた石の上には灯篭が置いてある。
間接照明代わりに置いてあるんだけど、時々須川さんに火をつけてきて欲しいと頼まれるんだよね。
お客さんが来る、ってわけでもないから不思議だけど何かしらの意味があるんだろう。
マッチをあった場所に戻して、ぼんやりと玄関先で虫の鳴く音を聞く。
庭がある大きな家だから、虫の鳴く声が夏は聞こえるし、冬になればシンとした静寂に包まれる。
不便と便利の中間地点にある『正し屋本舗』の事務所は、世間一般の霊能事務所とは違うだろうなぁと苦笑した。
「従業員が妖怪のお客さんを待ってる、ってことも早々ないだろうしね」
へんなの、と小さく笑っていると何処からともなくヒタリ、と裸足で平坦な土を踏む音が耳に飛び込んでくる。
虫の鳴き声は鳴りを潜め、妙な静けさに満ちていた。
キョロキョロと周囲を見回すと微かに開けてあった門から待ち望んだ客がこわごわとこちらへ向かって歩いてくる。
「こんばんは。来てくれてありがとう、上司様には話をつけてあるから追い払われたり問答無用で駆除されることはないから安心してね」
「アンタね、開口一番に駆除とか言うんじゃないよ……縁起でもない」
「ねーちゃん、山姥に縁起でもないとか言われるって相当だと思うぞ、オイラ」
「ご、ごめん。とりあえず入って。一応、足は拭いてね。濡れ布巾用意してあるから」
玄関の戸を開いておいでおいで、と手を動かすと二人は顔を見合わせていそいそと玄関の敷居をまたいだ。
ここで、二人はホッとしたらしい。
後で聞いたんだけど玄関の敷居っていうのは一種の結界や門の役割を果たしているらしい。
幽霊や妖怪といった“あちら側”のモノは、内側から招き入れられないとそう簡単に入ることができないんだって。
妖怪二人を事務所の応接室に案内するとそこには『人間』を相手にする時とは全く違った須川さんがいた。
「話は聞いてます。悪さをする様子はなさそうですし、今のところは祓いません。優君、話があるのでしょう。貴女のペースで進めるように」
「え、あ、はい……と、とりあえず座ってくれると嬉しいんだけど。あれから、色々須川さんに知恵を借りたからお昼よりマシな提案ができると思うの」
硬い表情で明らかに須川さんの方を見ながら二人は首を横に振って須川さんから一番遠い場所、私に近い位置に座る。
ソファには座らず床に正座していたので、私も慌てて床に座り直した。
怯え切っている二人に再度「大丈夫だから」と伝えたものの彼らの表情が和らぐことはない。
「―――えっと、始めるね。まずは……二人が『人になった後』のことってどのくらい考えてるのか聞きたいの」
須川さんに色々聞いて初めて知ったことが幾つかある。
私の中では『こうなったらいいなー』っていうのがあるけど、それを叶えるには努力をしなくてはいけないし責任みたいなものも発生するのだ。
二人は私の言葉に顔を見合わせて、恐る恐る口を開く。
「それは、どういう意味だい?」
「説明が下手でごめん。ええと『願い』が叶って人になる――この場合は人に化ける、かな? で人に化けられた後、二人はどうやって生活していくつもりなのかなって。人間が生活するのに必要なものって色々あるけど、お金をどうやって稼ぐかとか住む場所はどうするとか……そういうことをどのくらい現実的に考えてるのかなって」
私のつたない説明を聞いて二人は顔を見合わせ、山姥が口を開いた。
視線は意地でも須川さんに向かない様にしているのが分かる。
「人間の暮らしをしていたのはもうずっと昔のことだからね、一応、勉強しなくちゃと思って……人間に化けられる山姥に色々聞いてはある。金、は暫く借りられることになってるし、働く場所は『職業配布所』に行って探すさ」
「オイラも山姥と一緒に居て良いって言われてるから、そのつもりだよ。あの店は居心地がいいから、出来ればいたいけど……おいら達『資格』を取らないとこっちで生活できないらしいんだ。化けて見えるようになっても人の子らしく生活ができないとこっちに長くいられないって聞いてる」
「はい……?」
想像していなかった返答に目が点になる。
固まる私を余所に、蔵ぼっこが大事そうに懐から一枚の紙を取り出した。
小さく畳まれているからか皺が寄って紙自体が柔らかくなっているけれど、十分に読める。
「なに、これ? え、なんですかこれ!? 須川さん、どうなってるんですか?!」
知らない、と指さすと須川さんは私の反応を見て扇子を広げ顔の半分を隠しながら大笑いしている。
爆笑していても上品ってどういうこと?! と心のどこかで考えつつ、須川さんに詰め寄る。
蔵ぼっこが見せた用紙には「縁町に移住する妖怪の方の為の『人間社会適応証明書』の取得方法!」と書かれていた。
ここまで読んでくださって有難うございます。
更新が遅くなっていましたが、今後ちょっとずつでも毎日書いて早めに上げられるよう頑張ろうと思っています。




