【『パン屋「小麦の縁(よすが)」に住みつくもの』 2】
大変遅くなりました。
もう一個の連載更新が忙しい…orz
さっぱり終わらせようと思ったのに、オカシイ…長くなった…。
最近オープンした「小麦の縁」というパン屋は、入り口が広いタイプのお店だ。
一階はパン屋とその事務所、二階は居住スペースという二階建て。
元々はクリーニング屋さんだったんだけど、経営していた老夫婦が亡くなったのが一年半前だ。
やや商店街の端にあるので家賃は少し割引きされているとか。
「裏口から入ってくれるかしら。こっちは事務所として使ってるの」
正面の入り口とは正反対の裏側には小さな家庭菜園とハーブが植えられたプランターが並んでいる。
ちゃんと手入れをされたそれらを見るだけで彼女の性格の一部が窺い知れた。
「パン屋のスペースを広くとったから、事務所は狭くなっちゃったのよ。でもこの椅子やテーブルは元々ここにあったものなの。色は塗りなおしたけど……大事に使われていたのがすぐわかって気に入っちゃった」
「流行りのDIYでしたっけ? そういうのするんですね。私、小さいものなら作るんですけど、家具とかは弄ったことないかも。組み立て位ならできるんですけど」
「気負わなければ結構簡単よ。なにか作りたくなったら言って頂戴。実は結構DIYに興味があるってご近所さんが多くって……簡単なもので良いから教えてくれって頼まれたの」
そんな話をしつつ、彼女の視線はきょろきょろと何かを探す様に室内の至る所に向けられる。
普通を装っていても不安は不安だろう。
私が彼女だったら同じようにビクビクしていた自信がある。
出来るだけ早く解決しようと心に決めて、霊視を試みた。
すると、少しだけ視える景色が変わる……―――筈だったのだ。
(あれ? 何もいない)
思わず足を止めて、辺りを見回す。
古い机と椅子は和モダンな外装と室内のインテリアに合わせて、シックな黒と落ち着いた茶色に塗られている。
ポイントなのか所々鮮やかな赤色を塗られているところもあった。
よく見ると、似たような色合いの家具がいくつかある。
(気配がどうのってよく聞くけど私、そういうのあんまりわかんないんだよね。穢れとかならわかるけど、幽霊の気配って悪意がなければ分からないし)
恐怖を紛らわすように日常の話をしてくれるパン屋の店長さん。
「そういえば、私のことは麦でいいわよ」
「え? 麦、ですか」
「ふふ、そうなの。福田 小麦って名前なの。変な名前でしょう? でも、パン屋をやるには便利でね。仕入れ先の小麦農家に直接交渉に行ったのだけど『アンタは名前がめでたいな。何かの縁だ』って話を聞いてくれて得しちゃった」
なるほど、と頷きながら笑顔でやり取りをしていると視界の隅に何かがサッと動くのが見えた。
(アレはパンを作る厨房がある所だ。何がいるのかな)
悪意は感じない。
とりあえず気付かなかった振りをして居住スペースへ上がる。
大したものは出せないけど、と余ったパンで作ったというラスクと冷えた麦茶を出してくれた。
「あれ、このラスクってちょっとお酒使ってます? 日本酒っぽい匂いが」
「わかるの!? 嬉しいわ。これ、つまみになればって思って作ったんだけど失敗しちゃって。砂糖をまぶしてラスクにしたの」
「へぇ。甘酒のラスクとかも美味しそうですよね。これ。あと、こんなに良い匂いがするなら砂糖をまぶさないでそのままちょっと塩振って、ツマミを乗せて食べるのも美味しいかも。寄せ豆腐とノリ、あとたらこのソースとかわさび醤油つけて……」
サクサクという軽快な歯ごたえを楽しみつつ、思いついたことをただ話していると小麦さんの目がキラキラ輝いた。
どうしたんだろう、と首を傾げると慌ててメモを持ってきて凄い勢いで何か書き始める。
「優ちゃん! 時々で良いからウチにパン食べに来て頂戴。試作パン用意して待ってるから、あのイケメンも連れてきて! 客寄せ……じゃない、ご近所ウケもきっといいわッ」
「えっと、はい。依頼受けてない時なら」
やった、と喜んで台所へ走って行った小麦さんの後ろ姿を眺めていると、背後で小さく何かが動く音がした。
小麦さんは台所で何か作り始めたのでその物音には気づいていないようだ。
動くなら今だろう、と判断して小麦さんにもう一度一人で見て回ってもいいかと聞く。
大丈夫、とのことだったので早速パンを作っている作業場へ向かう。
広い一軒家だ。
二階に人がいると分かっているからか、一回は妙にもの寂しく感じる。
シャッターが閉まっているから少し薄暗いその場所は、大型の業務用オーブンやきれいに磨かれたパンをこねる台、大型のボウルやザル、伸ばし棒など大きな道具が沢山あった。
パンをこねる機会や大型の計りもある。
静まり返ったその場所には、私以外の何かが確かにいた。
「ねぇ、ここで何をしてるの?」
声を掛けるとそれらは『視えていない』と思っていたらしく、酷く驚いてピョンッと飛び上がった。
彼らがいたのは、入り口から陰になっている作業台。
後ろ姿は老婆と子供。
ぼさぼさの髪と枯れ木の様な手足がちらりと見えた。
老婆は薄い着物のようなぼろ布を纏っている。
恐る恐る、といった風に振り向いたその二人は入り口に立っている私を見てギョッと目を見開き、固まっていた。
「……ワシらがみえておるのか、小娘」
「ねーちゃん……良い匂いがするなぁ」
そう口々に言った彼らは、どこからどう見ても人間ではなかった。
ただ、不気味な感じはしない。
なんだろう、と首を傾げる私を見て二人も首を傾げた。
「小娘、祓い屋のたぐいではないのか……?」
「祓いに来たんじゃないの?」
「いや、悪いコトしてないしするつもりがないなら祓う必要ないのかなぁって。君たちから変な気配はしないしし、怖い感じもしないから……」
何に似てるんだろう、と首を傾げる私を他所に子供の形をしたそれが私の匂いを嗅いでパッと顔を明るくさせた。
「ねーちゃん、俺らと似たような奴らと一緒にいるんだなぁ。変わってんの、人間のくせにさ」
そういって口を尖らせた。
ここまで言われると流石に鈍い私でもピンとくる。
恐らく、チュンやシロに近い存在―――…幽霊というよりも妖怪の類いなのだろう。
へぇ、と感心しつつ子供を見回して、ふと『子供』『店』というキーワードで何かが繋がった。
「もしかして、君は『座敷童』って呼ばれてる?」
「オイラかい? まぁ、そう呼ぶのもいるけど……他人の服を洗ってた爺さん婆さんは『蔵ぼっこ様』って呼んでたぜ」
じゃあ、とその隣の老女を見る。
老婆は一瞬私から視線を逸らしたがすぐにニヤリと口元を歪め、怖い顔を作った。
「ワシかね。ワシは山姥じゃ」
「やまんば……? へぇ、山じゃなくて人のいる町中で会うのは初めてですけど、案外普通なんですね。でも、そっか小麦さんが見たのは山姥だったのか」
うんうん、と感心していると呆れたような視線を向けられる。
人が多い町に住んでいることもあってか、どこか人間臭いらしい。
へぇ、と感心しつつ近づいてみると小さなその作業台には白い粉。
どうやら小麦粉らしい。
横には水入りの欠けた茶碗があった。
「………小麦粉とお水? うどんでも作るの?」
「うどん? ちがうよ、オイラたちはあの新しい女が作ってるフワフワした『ぱん』っていうのを作り……アタッ?! な、なにするんだよぅ、山姥」
「この間抜け! 人間の小娘にそんな話をしてどうする! アンタはいいさ、ワシは山姥だ! 追い払われるか殺されるかの二択しかないとあれ程……ッ」
「ご、ごめんよぅ。で、でも……」
もじもじと怒られて小さくなる『蔵ぼっこ』という子供の妖怪。
怒っている山姥は真剣ではあったけれど、色々取り繕うのを忘れていてなんだか微笑ましくも見えてくる。
(妖怪って、下手すると幽霊より可愛いよね。話通じるのも結構いるし)
そんなことを考えつつ、どうしたものかと考えていると上から私を呼ぶ声が聞こえた。
返事を返した所でチャイムが鳴る。
パタパタと階段を降りる音と誰かに対応する声。
微かに聞こえた声に反応したのは私だけじゃなった。
「ヒッ……?!」
「お、終わりだ……アレがきた……!!」
妖怪でも顔色が悪くなるんだなと感心するくらいに青ざめた二体の妖怪。
次いで足音が二つ分。
がらり、と開けられたドアの向こう側には須川さんが穏やかで人当たりのいい笑みを浮かべて立っている。
その横には小麦さん。
彼女が怯えたり驚いたりしていない所を見ると、この場にいる妖怪が見えていないんだろう。
須川さんを見てプルプル震える二体の妖怪に親近感を感じつつ、話をするべく事務所へ向かう。
準備を、と慌てて居住スペースに戻っていった小麦さんを見送った須川さんが笑顔を消して二体の妖怪を指さした。
「優君、ソレをどうするのかはあなたに任せます。正体は分かっていますね?」
「あ、はい。『蔵ぼっこ』と『山姥』だそうです」
なるほど、と頷いた須川さんはそれっきり何も言わなかった。
先に事務所に行っています、と告げて薄情にもドアを閉めてしまう。
私は妖怪と置いてけぼりだ。
「……ええと、どうしてパンを作ろうとしていたのかだけ聞いてもいいかな? 見たところ悪いコトしてるようには思えないし、君たちの方が小麦さんよりも先に住んでたんでしょ?」
私の一言で妖怪たちは顔を見合わせて観念したように項垂れる。
須川さんが怖いのか事務所の方をチラチラ伺っているのがいっそ哀れだ。
あまりに怯えるので須川さんから離れる?と声を掛けると凄い勢いで頷かれる。
「麦さーん、すいません、ちょっと裏庭にいきますね!」
声を張り上げるとウキウキした麦さんの声が返ってくる。
須川さんは美形の極みだから大概の女性はこんな感じ。
半分は緊張とかで委縮して話せなくなるけど。
やれやれ、と息を吐いて二人に裏庭へ行こうと声を掛ける。
二体とも素直に……というか私を急かす様に裏庭へ走っていくのでちょっと笑ってしまった。
「あはは。須川さんは確かに容赦も躊躇も情けもないけど、いきなり祓うようなことはしないと思うよ。たぶん」
「あんた、その言い様で信用されると思ってるのかい」
「信憑性が微塵もないぞ」
「ご、ごめん」
こそっと裏庭の物置の陰に隠れるように二人はしゃがみ込んだ。
蚊に刺されませんように、なんてことを考えていると蔵ぼっこの方がチラチラ山姥を見ながら窺うように此方を見る。
「……なぁ、ねーちゃん。ねーちゃんは、山姥に酷いことしないって約束できるか」
「出来るだけ退治しない方向で進めるつもりではあるよ。二人が麦さんに危害を加えたりしないならっていうのが大前提だけど」
何でもかんでも安請け合いしてはいけない、と言われているので頷くことはしない。
勿論断言も。
私の言葉を受けて蔵ぼっこは少し迷ったようなそぶりを見せた。
大きな目が不安そうに地面の辺りを彷徨って、少ししてから山姥へ視線を向ける。
「山姥……こいつならオイラたちのこと……」
「ふん! 小娘風情の口車に乗るんじゃないよ! どうせ油断させて殺すつもりだろう」
「し、信用ないなぁ。会ったばかりで信用しろって方がおかしいかもしれないけど……このまま放置して帰る訳にもいかないし、どうしてパンを作っていたのかだけ教えてくれない?」
そう告げると二人は顔を見合わせて、渋々といった風にお婆さんが口を開いた。
妖の類いは割と単純で『在り方』に従う者が多いと聞いていたので、食べたかったとかそういう単純な理由だとこの時までは思っていた。
「必要だったからさ」
そうぽつりと呟く老婆のような見た目の妖怪。
緊張を滲ませている姿は何処か人間くさくて、ついつい親近感がわいてくる。
薄暗く、微かに湿った土の匂いがする空間で『普通』の人なら私が一人しゃがみ込んでブツブツ話しているようにしか見えないんだろう。
「必要って……食べる為ってことだよね?」
「食えないものを作ってどうするってんだい。そうさ、食って選んでもらうためさ」
これ以上は何もしゃべらないよ!と叫んだっきり山姥は私に骨ばった薄い背を向けた。
蔵ぼっこ、と呼ばれる子供の妖怪がチラチラと山姥を気にしながら口を開く。
よく見ると二人の来ているものには白い粉のようなものが袖や裾についていた。
そして指先には小麦粉が固まったようなものがはっきりと確認できる。
「十二月祭りがあるだろ? その時にオイラ達も『貢物』を備えるんだ」
「人間の方はそういうのないけど……神様にお供えするの?」
「うん。色々決まり事があるんだ。食べ物や飲み物でなくっちゃいけないし、作るのはオイラ達じゃなきゃいけない。人間が作ったものは出せないんだ。貢物を出せるのも、選ばれたものだけ。で、その中から『選ばれた』ヤツが願いを叶えてもらえる―――…神様が許可した範囲の願いだから、駄目だって言われることもあるみたいだけど」
なるほどね、と頷く。
どうやらこの二人(二体、の方がいいのかな)は貢物を作る練習をしているらしい。
感心しつつ今月の予定を思い出してアレ、と声が漏れた。
「……今月のお祭りまで二週間切ってるけど大丈夫?」
「大丈夫じゃないんだよぅ! ちぃっとも上手くいかないんだ! あの人間のやり方をちゃんと見て、道具も使って作ってるのに!」
どうしてなんだよぉ、と地団太を踏む蔵ぼっこと完全に黙り込んでいる山姥。
そこでふと思ったことがある。
「あのさ、どうしてパンにこだわるの? 元々日本にあったものじゃないし、神様だってなじみ深いものの方が好きなんじゃない?」
神様がパンを食べているのを見たことがない。
まぁ、私が見たことのある神さまって山神様くらいなんだけどね。
神様の遣いだって言う人には結構会う。
主にお祭りの前だったり最中だけどね。
「そ……それは、そうなんだけど……オイラ達以外の選ばれたやつらは、皆食い物を作るのが上手なんだ。それで、その中で目立って選んでもらえるようなものって今までにない珍しい人間の食べ物が一番いいと思って」
それで、と蔵ぼっこが少しずつ小さくなっていく。
一応納得ができたし、麦さんの証言とも齟齬がない。
そういう事情なら危険らしい危険もなさそうだな、と考えた所でじろりとねめつけられた。
荒んだ、でも何かを見極めようとする強い目だった。
「―――…信じるのかぃ、物の怪の言葉を」
嘘をつくよ、私らは。
ぼさぼさの髪と骨と皮だけの手。
ついっと私を指さすその指は節くれだっていて『あ、農作業をしていた人の手だ』と頭にイメージが浮かぶ。
山姥は、山に捨てられた老女だという一節がある。
飢饉で口減らしのため山に老女を捨て、その老女が飢えのあまり旅人などを殺して食って―――……みたいな伝承が広く知られている。
山姥が人を助けた、という話もあるようだけれど、多くが人を騙して食べたみたいな話の方が多かった記憶がある。
あくまで伝承だから諸説あるんだろう。
でも、私が覚えているのはどれも大体が人に害をなす結末ばかり。
「人、とかじゃないんですね。お供え」
だから気になって聞いてみたんだけど山姥はああ、と頷いた。
足元に茂る雑草にそっと節くれだった手をかざし静かに撫でる。
「おおきな戦争があっただろう。それでね、色んなモンが入ってきたのさ。ワシらみたいなもんにとって有益なものも、そうでないもの沢山ね。そして、少し経って今度は沢山なくなって、消えてった。人間を食っていたのは“それしかなかった”のと“自我が芽生えていなかった”からだ」
「自我が芽生える?」
あまり聞いたことのない言葉に首を傾げると山姥は視線を私に向けて、懐かしむように目を細める。
その顔はやっぱり人間くさくて、妖怪であることが大した問題ではなく思えてしまうくらいに“生きて”いた。
「元々が人だった奴らが物の怪になるにゃ、死ぬ必要がある。ワシらもね、死んださ。どうにもならない空腹と遣る瀬無さと寒さと悔しさと……もうあんまり覚えちゃいないけどね。で、気づいた時にゃ……食ってたんだよ。人を」
幸い、と山姥は目を伏せてポンっと蔵ぼっこの頭を撫でる。
蟲の声にかき消されそうなほど小さな声で、ぼそぼそと何かを悔いるようにそして懐かしむように言葉が紡がれる。
「赤子や童は食うておらんかった。ワシが食ってたのは男ばかりでね。気づいた時に驚きはしたが、自分が『別のモノ』になったのはわかったから……よかったさ。赤子や腹に子を宿した娘っ子を食って同じ山姥に自分を食うてくれと懇願しに来たのもおった。ワシらが死ぬ手段は限られていてね、手っ取り早いのは同族に食われる事だった。ワシも……結構な数を食った」
蔵ぼっこの頭を撫でていない方の手が震えていた。
妖怪でも感情があることを表す様に好奇心であまり深く考えずに聞いた自分が酷く恥ずかしくて、申し訳なくて、いたたまれなくなったけれど謝るのは違うと思った。
だから、震える手に自分の手を重ねた。
見た目通りかさついて、柔らかさの欠片もなく、酷く冷たい手ではあったけれどちゃんと触れることができる。
「―――…貴女は何をかなえたいの?」
驚いた顔で私の手を見つめていた老婆がパッと顔を上げる。
大きく見開かれた眼が、少しだけ濡れているように見えたけれどきっと気のせいだろう。
山姥は口を開けては閉じる、を繰り返していたけれど結局言葉を飲み込んでしまった。
スッと目を逸らして口に出すこと自体が駄目なことみたいな、そんな顔でじぃっと湿った薄暗い空間を睨みつけていた。
「おいら達は、人になりたいんだ」
「ッこら、おまえ……!!」
蔵ぼっこがすくっと立ち上がる。
真っすぐに私を見て頭を下げた。
「沢山の人間を見て来たんだ。長い間。ずっと、この町で。人に化けて暮らす妖になりたかった。でも、人に化けるのには条件があって……オイラたちはそれを満たせない。けど、人に化けられれば……人間と一緒に暮らせる。ちゃんと『見て』貰える。声も届く。触ることだってできる。死にそうなとき助けることだってできる」
話しているうちに何かを思い出したらしく、蔵ぼっこは潤む目をそのままに私を見つめていた。
ぎゅっと小さな拳が握られて、白く生気のなかった頬と目元がわずかに赤みを帯びている。
懸命に何かを伝えようとする姿は健気でどこまでも『存在があやふやなもの』そのものだった。
「オイラ、家に住み着く妖になったから人と一緒にいたんだ。気づいた時は嬉しかった。自由に動き回れて、苦しくも痛くもなくて。でも、一緒にいるのにオイラに気付かないんだ。目も合わないんだ。目の前で話しかけても返してくれないんだ……今は、昔よりほんの少しだけ力が強くなったから道具に触ることもできる―――……けど、怖がられることの方が増えて」
そこで言葉を切った蔵ぼっこはゴソゴソと薄汚れた巾着から歪な木彫りの動物を取り出した。
年季が入っていて、何の動物かはわからなかったけれど、四つ足の……多分、犬か猫か狸か狐か…その辺り。
「オイラを祀ってくれたばーちゃんがいたんだ。そのばーちゃんは珍しくオイラが見えて、貧しいから玩具なんぞ買えないからってコレ作ってくれたんだ。犬だって。家を護る強い犬だって。家を護るから、お前もついでに護れるさって―――…でも、ばーちゃんのことオイラは守れなかったんだ」
この町に来る前に居ついたボロ家で、初めて話せる人間にあった蔵ぼっこ。
彼の性質からか、食うにも困る生活がほんの少し楽になって老女は針仕事を請け負うようになったそうだ。
元々穏やかで人に好かれる性格だったのも幸いし、一人で食っていけるくらいになっていた。
その時代からすると中々の長生きで物知りだったこともあり、頼られることもあったらしい。
けれど、それが災いした。
ある日、戦から逃げ延びた落ち武者に押し入られ斬り殺されたそうだ。
抵抗をしても無駄で細々と貯めた私財を奪われ、蔵ぼっこの為にと縫っていた着物すら奪い取られて―――…必死に自分を庇おうとする蔵ぼっこの前で切り殺される。
「オイラ、なんにもできやしなかった。そのあとも、良くしてくれた人間が死ぬのを何度も見たんだ。病院って言うのができて、そっちに運ばれるようになったから最近は見ないけど……でも、オイラが人に化けられれば助けを呼べたはずなんだ。オイラは妖だから飯代だって自分でどうにかできる。ずっとはいられねぇし、ちゃんとした『人』じゃねぇから……人になったら大変なこともいっぱいあると思う。でも、人になりたいんだ」
見ているだけは嫌だ、と蔵ぼっこは想いを吐き出す様に静かに告げて口を固く結んだ。
子供らしからぬその表情は長い時間を過ごしてきたのだと分かるほどの苦渋と決意に満ちていて、私は少しだけ自分が彼らだったらと考えそうになる。
「パンを作りたいと思う理由はわかった。でも、確認しなくちゃいけないこともあるの。だから、そうだなぁ……今夜、私が住んでいる家に来てもらってもいいかな。須川さんと話をしてみよう」
ね!と両手を合わせた私をみて二人はぎょっとし、そして素早く逃げようと立ち上がった。
咄嗟に手を伸ばして襟首をつかんだのは我ながら見事だったと思う。
「おまえさん、ワシらを殺す気かい?!」
「お、オイラたち悪いコトなんてしてないよぅ!!」
必死になって逃げようとする妖怪の二人(匹?)の心情は痛いほどわかったけれど、私じゃどうにもできない事って言うのが世の中にはたくさんある。
「わかるよっ!? 怖いのは分かるけども! パンを焼けるようになるのって本当なら沢山の時間がいるの。でも、それを私は教えてあげられないからプロに聞こう」
「ぷろ? 職人に教えて貰えってこと?」
パッと喜色を浮かべたのは蔵ぼっこ。
難しい顔をしたのは山姥だった。
「うん。でも今のままじゃ見えないでしょ。だから、須川さんにいい案がないか聞いてみようよ。対価とかの話もあるだろうし、無理やり祓わない様にって私からお願いしてみるから。ダメそうなら、家の灯は消しておく。どうかな?」
二人は少し迷っていたが、手段も時間もないのは分かっていたらしく疑いながらも首を縦に振った。
読んでくださって有難うございます!
コチラの方のアクセスを時々確認するのですが、まだ読んでくださっている人がいるみたいで凄く嬉しいです。
本当に更新が遅くて申し訳ないです…好きなんですけど、色々調べながらなので…すいません。
誤字脱字などがありましたら誤字報告をしてくださると嬉しいです。
また、感想などもお気軽に。
アクセス、そして読んでくださって有難うございます。




