エピローグ2 結ばれた縁
コレで学園編は完結になります。
そして次の章は描きあがり次第アップする所存。
はあぁぁぁ……長かったぁ
病院から栄辿高校へ戻ると、駐車場に見知った人たちがいた。
驚く私を他所に須川さんの疲れたような溜め息が聞こえてくる。
小声で「やはり待っていましたか」と呟いている所を見ると想定内の出来事だったらしい。
人影は四つ。
遠目でも立ち方で何となく誰がいるのか分かって、口元が緩んだ。
おーい、と小さく手を振ると目がいい封魔と靖十郎が手を振り返してくれて嬉しくなった。
出迎えてくれたことに満足していると呆れたように須川さんのため息が聞こえてくる。
「優君。わかっているとは思いますが……準備が終わり次第此処を出て、正し屋へ帰りますよ。それまで荷物をまとめておくように。段ボールなどは既に部屋に運んであるので、梱包が終わったらこちらの番号に連絡を。業者が引き取って正し屋まで運ぶ手筈になっています」
「あ、そうか……依頼、終わったんですもんね」
「貴女が倒れた後に事後処理は済ませてあります。対象者の解呪も住んでいますし、私は報告書を上げて終了印を貰い次第、職員室や舎監室から荷物を運び出します。片づけが終わりましたら、舎監室の前に来てください」
「わかりました。そういえば、学校に作った対策用の部屋って」
「ああ、アレは罠ですよ。おかげで色々分かりました……――― 警告文は送りましたし、この学校を去る前に直接話はしておきます。何事も火遊びはほどほどに、ですね。リスクのない遊びほど性質が悪いですから、過分にならない程度に『お返し』させて頂くつもりです」
そういって笑う須川さんの目が笑ってなかった。
お陰で色々と聞きたかった事が口から出ることはなかったけど、聞いちゃいけないような気がしてならない。
十中八九『巡り屋』関係のことだろう。
淡々と運転している上司を横目にそっと息を吐く。
何となく須川さんが怒っているのは分かる。
(正し屋に就職して結構経つけど、須川さんが怒ってる所ってあんまり見てない気がする)
叱られることは未だにあるし、過去にも沢山あった。
それは依頼人の損失につながりかねない事だったり、不注意で失敗をしたり迷惑をかけたり、知らない内に危ない何かに足を突っ込んでたりしていた時。
右も左も、タブーすらも分からない状態だったから仕方ないとはいえ、理由を説明されて納得できたので腹も立たなかった。
(うん、そうだ。感情のままに怒られたことはない)
ただ、この依頼ではよく感情的になる須川さんを見た気がする。
大抵が葵先生絡み―――……というか『巡り屋』なる謎の会社絡みだったんだけど。
隣でハンドルを握り、静かに微笑む須川さんからは底冷えするような冷たく重い目に見えない空気が溢れていて少し怖く思う。
「須川さんは……誰かを呪ったこと、ありますか」
気付けばそんな言葉が口から出ていて慌てて、口を押えた。
車が丁度停車して、エンジンが切られる。
微かに鍵同士が擦れる音が車内に響き―――……眼鏡の奥の澄んだ瞳が私を見据えた。
温度のない瞳に底知れない怖さを感じる。
正し屋以外にいる時は大体こういう目をしてるんだけど、まだ体が強張るんだよね。
修行中の時の顔と同じだからなんだけどさ。
『底が知れない』という言葉はこの人の為にあるんじゃないかなって、これまでに何度か思ったけど今日ほどソレを強く意識したことはない。
「―――……貴女はどう思いますか?」
見慣れた車内という狭い空間の中でグッと整い過ぎた顔が近づいてくる。
楽しそうに口の端を持ち上げ、目を細めた須川さんが何を考えているのかなんてさっぱりわからない。
けれど、反射的に口は動いて言葉を発していた。
目が離せないのは須川さんが得体のしれない何かに見えて仕方がなかったからだ。
「呪ったことは、ないと思います。呪い返しはしても自分からリスクを負うようなことはしないだろうから」
「そうですか。貴女の目に私がどう映っているのか非常に興味があるのですが、とりあえず、ある程度正しく私を見て下さっているようで何よりです」
ふっと何故か喜色を滲ませた須川さんが私から距離を取って、当たり前の様に車を降りた。
私も慌てて車から降りる。
ドアを閉めた所で須川さんが何かを思い出したように私の全身を見て、苦笑した。
「前はきちんと閉めて、人目につかない内に部屋に戻ってくださいね。彼らにはこちらの事情をある程度話してありますが、他の生徒には一切知らされていませんから」
慌てて学ランのボタンを閉めた所で満足したらしく先に須川さんが歩き始める。
ゆらゆら揺れる首の後ろで結われた長い抹茶色の髪を追いかけた。
朝日に照らされた寮とその奥に建てられた校舎を見上げて、目を細める。
昨夜あった事が嘘か幻だったみたいに、至って普通の学校と日常が広がっているのだ。
朝独特のひやりとした空気は森の匂いを濃密に纏って私の体を慰めるように通り抜けていく。
(呆気なかったな、なんだか)
空しいような寂しいような喪失感に似た感情が湧き上がる。
居心地が良かったこともあって離れがたく思う気持ちは確かにあるけれど、罪悪感も共にあるせいで小さく安堵しているのが分かった。
(男装が必要なことだったってわかってる。生徒の話を聞く為に仲良くならなきゃいけないのも必要なことだった。仲良くなるのに、話しかけるのも、話を合わせるのも、影響力のありそうな人と一緒にいるのも)
分かってる。
仕事をしている以上、成果を出さなくちゃいけないことくらい。
イケなかった、ことくらい。
少しだけ景色が滲んで、私は汗を拭う振りをして目元を拭った。
見慣れた人たちの元へ足を動かす。
―――……私は、未熟だ。
(わかってる。わかってるけど 遠い、なぁ)
◇◆◇
駐車場で私を待っていた四人は皆、ボロボロの私を見て凄い顔をした。
ボロボロって言っても簡単な処置はしてもらったので、支給された学ランが汚れて、所々破れているくらいなんだけどね。
靖十郎は目を潤ませて怪我はないのか、と捲くし立てて私の正面から動かなかった。
封魔は人を射殺せそうな眼力で私の全身をじろじろ眺め、直ぐに須川さんに怪我の具合や程度を聞いていた。
問題は、禪だ。
靖十郎の質問攻めが終わって、心配したんだからなと叱られていた時のことだったと思う。
近づいて直ぐリアクションを見せた二人とは違って、葵先生に近いところでじっと立ったままコッチを見ているだけだったから関係者としてここにいるんだと思ってた。
「―――………優」
スッと私の横に立った禪に私と靖十郎が顔と視線を向けた瞬間だった。
無表情のまま、私の肩を掴んだかと思えば問答無用で学ランの襟に手をかけ、思いきり開く。
閉めていたボタンが物騒な音を立てて千切れ、コンクリートに落ちる音がバッチリ耳に残っている。
「え」
「……は?」
思わず固まる空気をものともしない生徒会長兼ルームメイト。
真顔で淡々と学ランを脱がし、晒しとワイシャツになった私のワイシャツを同じように剥いた。
この辺りで私と靖十郎は二人で思考を放り出し、ただその場で禪の奇行を目の当たりにするしかなかったんだよね。
「部屋に戻る前に禊をしろ。憑いてる」
「憑いてるって嘘!? 須川さんがいたのに?!」
「幽霊じゃない―――……須川先生、先に部屋へ戻します」
では、と頭を下げた禪がサラシ一枚になった私の腕をつかんで、人目につかない暗がりにある洗い場へ。
洗車だったり掃除だったりに使う為に作られた小さな水道菅。
ホースもないのにどうやって、と思っていると思いきり蛇口をひねった禪は親指を使って、器用に私に水をぶっかけた。
「ぶっ!? 冷たッ!? ちょ、顔! 顔にかかって…口に入るってば!!!」
「この水は飲水可能だ。問題ない」
「問題あるってば! むしろ問題しかないよっ」
襲い来る水に耐え兼ねて後ろを向くと首のあたりに凄い勢いで水をかけられた。
(そういえば、幽霊が憑りつくのは首の後ろからって聞いた覚えが)
まさかそれじゃないよね、と内心びくびくしつつ大人しく冷たい水の攻撃に耐える。
こういうのは抵抗すると長引くからね、うん。
粗方水をかけられ、上着がぐっしょり濡れた所でやっと蛇口を閉める音が聞こえた。
やっと終わった……と息を吐けば、バサッと頭の上に何かが掛けられる。
慌てて手に取ってみると禪のモノらしき学ランのようだ。
「性別がバレるのは困るんだろう、着ておけ。このまま寮に戻るぞ。非常口は予め開けておいた」
「いや、え? 須川さん達の方に戻らないと」
「あの場で先に戻ると伝えてあるから問題ない」
淡々と言葉を返し、私を顧みることなく歩き始めた禪に腕を掴まれて引きずられるように私は足を動かした。
須川さん達がいる方角は色んな意味で怖くて見られなかったのは言うまでもない。
(いつも唐突だけど今日は……なんか焦ってるみたいだなぁ)
私がいない間に何かあったんだろうかなんて考えているうちに景色は容赦なく変わっていく。
整備された道から雑木林へ。
何度も通った木々の匂いが濃密なその場所を迷いなく禪は進む。
この景色も見納めだなぁと暢気に辺りを見回す余裕もなく、直ぐシャワー室に押し込まれた。
「って、うわ、ちょ!? 追い剥ぎ!? いや、今脱ぐから待って! 服が塩塗れになるっ」
塩を掴んだのを見て慌てて借りていた上着と来ていたボロボロの服を置く。
すると間を置かずに頭からバサバサと塩を振られた。
しょっぱい。
「き、傷に沁みて痛いんですけ……っう、わ。ま、酒はちょ……いたたたた! ぴりぴりするっ! 全身打ち身やら擦り傷まみれだから、ちょっとは加減して欲しいんだけど」
「―――……五分でいい。水で全身を清めてから、湯を浴びて出てこい」
有無を言わさない声だったので頷いていう通り禊の如く冷水を浴びた。
冷たさに震えつつ、念の為禊の時に唱えるお経を二巡してから冷え切った体を温める。
乱暴ではあるけど禪が心配してくれていることだけは伝わってきたからね。
シャワー室から出ると、着替えが用意されていた。
私のクローゼットから出したらしく、下着込みで置いてあったのには少し驚いたけど。
髪を拭きながら部屋に戻る。
禪はずっと座ることなくシャワー室につながるドアの前で待っていたらしい。
直ぐに目が合った。
色々聞こうと足を踏み出した瞬間、禪が口を開く。
締め切られた部屋の中はクーラーが効いていて気持ちいい筈なのに、肌寒さすら感じる。
チラッと見たクーラーの設定温度はいつも通りだったから原因は目の前に居る彼だろう。
ごくっと生唾を飲んだ直後に禪の薄いけど形のいい唇が動いた。
「―――……優、君は『正し屋』を辞めた方がいい」
開口一番に告げられた言葉に目を見開く。
禪は私から目を逸らすことなく言葉を紡いだ。
順序だてて話してくれる辺りが禪らしいなぁと考える私は若干現実逃避をしているのかもしれない。
「優が―――……いや、貴女がどういう契約をしているのかは知らない。仕事としてやっているのだから、給金も発生しているのだろう」
そうだね、と髪を拭きながら頷く。
立ったままだと落ち着かないのでとりあえず座ろう、とお互いベッドに座ることにした。
この部屋で、こうして向かい合って話すのはコレで多分最後だ。
表情の変化が分かりにくい目の前に居る『子供』は、良くも悪くも真っすぐだった。
頭も悪くないけれど些か人の感情の機微に疎い。
(私も察しがいい方じゃないし、鈍いとは言われるけど……禪の鈍さって須川さんと似てるんだよね)
霊能力というモノを保有している人には二種類いる。
最初から視えて産まれた人と、後天的に能力を手にした人だ。
私は後者だから『視えない』世界と『視える世界』の違いが分かる。ハッキリと。
禪や須川さんは任意で視る能力を調整できるけど、それでも最初から視えていたのと視えなかった人では感覚が違う。
(死に近いっていうか……ズレてるんだよ。感じ方とか捉え方とか考え方が)
死後の世界を知っているからか恐怖という感情が薄い人が多い。
須川さんなんてその典型みたいな人だと思うし。
――――……ベッドに腰かけた状態で禪の言葉を待つ。
彼にしては珍しく、視線を彷徨わせて躊躇するような仕草を見せたのが気になった。
「こっちの世界で『生きていく』つもりなら、彼の傍にいるのは勧めない」
「それは、まぁね。こういう仕事だから危ないものも結構あるし、私の体質もあるから仕方ないと思ってるんだけど」
そういう意味ではないんだよね? と聞けば無表情で頷かれる。
須川さんの傍にいるのを勧めないと言われたので彼らの立場から見た『須川 怜至』という人は酷い上司に見えるのかもしれない。
どう弁明したものか、と悩む私に禪が息を吐く。
「僕から見て須川先生は君を殺そうとしているようにしか見えない。気づいていた筈だ、蜘蛛のことも、君の体に残っている残滓のことも。さっき、病院から戻ってきた時―――……縋られていたぞ。寮長の生霊に」
「え」
「気づいていたのは僕と須川先生。恐らく白石先生も気付いただろうな……白石先生は祓えないから、どうすべきか考えていたようだ。けれど、須川先生は君を助けるそぶりすら見せなかった」
「それはまぁ、日常茶飯事だからじゃないかな? 憑かれている感じしなかったんだけど」
「君の抵抗力が著しく低下していたからだ」
首を傾げる私に禪は小さく息を吐いた。
そして、先ほどかけた水が冷たかったかと聞かれる。
もちろん冷たかったけど、といった所で気付く。
「でも、いつもより……全然冷たいって思わなかったかも」
「だろうな。一時的なものかもしれないが、君の今の体温はかなり低い。意識を保っていることもだが、こうして話せているのが不思議だ」
ほら、と差し出された男性的な特徴が色濃く出ている手を握る。
触れた瞬間に熱さを感じて思わずパッと手を離した。
熱湯に触れたような感覚に驚いていると、禪がベッドから立ち上がって私の正面に立つ。
「―――……僕の家で暮らせばいい。寺の仕事も似たようなものだし、今の会社で働くより命の危険が少ない」
思ってもみなかった禪の言葉に驚く。
この年で居候はちょっと、と言いながら遠回しに断ろうとしたけど禪には通じなかった。
珍しく眉を顰めて首を傾げている。
禪の性格を考えるとわかりそうなものだけど、と口を開く前に禪が私を見て何を言っているんだと当たり前の常識を教えるように言った。
「居候? 何を言ってるんだ、籍を入れてずっと家に居られるようにするにきまってるだろう」
「籍って……いやいや、お兄さんたちの意向もあるだろうし」
「兄が何故ここで出てくる。優はまだ会ってないし、初対面の相手と籍を入れろと僕が言うとでも? 籍を入れる相手は僕だ」
「待て、未成年」
「そういえばまだ籍を入れてもいい年ではないな。僕が入籍できるまでは婚約者という扱いになる」
「いや、あの、そうじゃなくて。というか、私は『正し屋』辞めないよ? 何か間違いがあって結婚できても須川さんにクビ切られない限り働くつもりだし」
驚いている禪に苦笑する。
現実を見ているようで視えてないない所は子供だな、と思いながら私の事情を話す。
主にお金の話だけどね。
一番わかりやすいんだもん。
税金や奨学金、光熱費や老後の資金に至るまでの必要経費について説明。
あと、正し屋がどれほど居心地よくて給料もいいのか、普段の業務内容についても粗方話をした。
言えない部分はぼかしてあるけどね。
「結婚できるかどうかは別として、私は『正し屋』を辞めるつもりはないの」
「金か。それならうちにも収入があるし、結婚するまでは給金も……―――」
どうして彼はここまで『正し屋』をやめさせようとするのか、と考えつつ首を横に振った。
私の考えていることを禪が分からない様に、禪の考えが私も分からない。
だから話し合うしかないのだけど、禪は中々に難敵だ。
「私が『正し屋』を辞めないのは好きだからだよ」
「そ、れは……須川先生に好意を寄せているという事か」
「なんでそうなるのさ。違う違う! そんな恐れ多いコトいう訳ないでしょ、綺麗すぎて恋人とかそういうのも想像すらできないわ。隣に立つだけで殺されそうだもん、隠れファンに。じゃなくって、私は『正し屋本舗』っていう会社が好きなの」
殺されそうになっているのに? と珍しく禪が考えているのが分かった。
どうやったら分かってくれるのかな、と考えながら口を開く。
「就職に失敗続きの私を拾ってくれた須川さんにも感謝してる。正し屋がある縁町の人達も良くしてくれてるし、住み心地もいいんだ」
思い浮かぶのは暮らし馴れた『正し屋本舗』や気のいいご近所さん達。
石畳の道や季節によって趣を変える木々や花々。
和モダンと呼ばれるような、昔ながらの暮らしを少しだけ過ごしやすく快適に変えたどこか懐かしく、新しい……―――それが『正し屋本舗』がある縁町という場所だ。
土地にも人にも住処にも執着と愛着がわいてしまった今となっては、離れるという手段を取る気は毛頭なかったりする。
「仕事は確かに怖いこともキツイって思うことも、それこそ『あ、コレ死んだかも』って思うことも正直あるよ。でも、何とか生きてるし、そもそも私がもっと上手に立ち回れれば回避できると思うんだ。成長できるかどうかは分からないけど、もっと役に立てるように頑張りたいって思う位には仕事を頑張りたいって思ってる」
「それは命よりも大切なのか」
「命の方が大事だよ、そりゃ。ご飯食べられなくなるの嫌だし。でもそうじゃなくってさ、仕事で失敗して死んじゃっても自己責任だよなって思ってる。死ぬ覚悟はできてる。死にたくないから頑張るし、死んでから苦しむのは嫌だからそうならない様に気を付けるけど」
黙り込む禪に苦笑する。
客観的にみると禪の意見を採用すべき、なのかもしれない。
結婚云々は置いて置いて、誰だって死にたくはないだろう。
「禪が心配してくれるのは嬉しいよ。でも、大丈夫。もし、万が一……死んだとしても後悔はしない。それに須川さんは分かりやすいから」
「分かりやすい……?」
「うん。本当に死にかけたらギリギリで助けてくれるの」
「それはそれでどうなんだ」
「確かにね。最近は、私がどこまでできているのか試しているんだろうなって思って。見極めるっていうのかな……そういう時の須川さんって目が笑ってないから分かりやすいんだ。普段はちゃんと笑ったり、休んだりもするし、ちゃんと人間なんだよ。わかりにくいけど喜怒哀楽っていう感情もある」
悲しんでいる姿は見たことないけど、と補足しそうになったけど飲み込んだ。
何を言いたいのか分からなくなってきたので、最後に言いたい事だけちゃんと伝えようと思った。
「禪」
名前を呼べば視線が交わる。
だらりと垂れた両手を取って、ぎゅっと握れば切れ長の瞳が驚いたように少しだけ瞬いた。
痛みに似た熱を感じながら私は笑う。
禪からすると私の手は冷たいだろうし、迷惑かもしれないけれど。
「禪がいてくれて助かった。サポートしてくれてありがとう。私は小さなことも大きなこともよく見落とすし、呪符を書くのも下手だし、よく憑りつかれるし、倒れるけど……傍にいてくれて、助けてくれてありがとう!」
「―――……それが僕に任された役目だ」
「それでも、有難かったから。色々君を知ることができてよかったって思う。もう、この部屋には入れないけど……解雇されない限り『正し屋』に私はいるから、何かあってもなくても合いに来てくれると嬉しい。夏休み、靖十郎や封魔と一緒に遊びに来て。おねーさん奢っちゃうからさ! あと、宿の手配とかも最初は事務やってたから得意だよ! 高級宿はむりだけど、縁町にある民泊施設で良ければ私手配しておくし」
「本当に帰るのか」
「帰るよ、私の居場所に」
「二度と会えないなんてことには」
「ならない。また会えるし、会いたいって思ってる。禪の実家の神社も見てみたいし」
「寺だ。神社ではない」
「あはは。まぁ、うん、お寺にいる神様も助けてくれたみたいだしお礼はしに行くから―――……また、会おうよ。禪は視える人だから、私が死んでも会えるわけだしさ。これっきり、永遠にお別れなんてことはないから」
大丈夫、と笑えばグッと腕を引かれて気づけば禪の腕の中にいた。
彼らしい匂いと意外と高い体温に驚きつつ、小さく体が震えていることに初めて気づいて、申し訳ないことをしたと改めて思う。
嫌がられるのを承知で頭を撫でてみたけれど文句は言われなかった。
「長く臥せっていた祖母が亡くなった時、君みたいなことを言って笑っていた。けれど、それから僕は一度も祖母を見ていない。君もそうなるんだろう」
回された手に力が籠ってきたので少し苦しさを感じつつ、小さな子供を抱きしめているような感覚に苦笑する。
そして、意外と気づかないものなんだなぁと息を吐いた。
「自分のことが分からない人は多いって聞くけど、禪もだったか。あのね。ちゃんといるよ、君の守護に回ってるから分かりにくいのかもね。結構遠くでじっと見守ってる。多分、何人かいる守護霊さんの監督してるんじゃないかな」
実はこういう守護霊を探るの苦手だ。
だから、いま見えるのは禪の祖母だった人が見せてくれてるんだとおもう。
「私、食べたい物がまだいっぱいあるから死んでる暇ないんだよね」
うっかり漏れた本音。
私にしがみついていた禪の力があからさまに抜けたのでつい、笑ってしまった。
それから二人で笑って、ノロノロと必要なものをまとめた。
須川さんが用意してくれていた者は段ボール三つ、寮に来て増えたのは段ボール二つにもなった。
「短期間でこんなに荷物が増えるとは」
「目新しい生徒が親しみやすいと分かった結果だろう。要らないものは本人に返すか捨てていけばいい」
「禪も色々と容赦ないね。まぁ、返せるものは返すけどさ」
「羊は置いて行け。形見として持っておく」
「ねぇ、それただ欲しいだけでしょ。あげるけど」
こんな調子で仕分けをして、持って帰れないものは本人に返したりもした。
不思議そうに理由を聞かれたので『一身上の都合でまた転校することになった』ことや『引っ越しなどの事情もあって今日中に寮を出ること』も説明。
その話は一気に広まって、有難いことに他寮の一年生にも伝わった。
廊下や食堂といった場所ですれ違う度に呼び止められて、元気でやれよなんて言葉をかけられる。
お世話になったので夜警の方や食堂で働く人にも簡単な事情をお礼を言って回れば、オヤツとして持ってきていたお菓子を貰った。
「これで全員にあいさつしたよね」
「だな。にしても、生徒会チョーにつれていかれた時はビビったな。憑りつかれてたって話だけど、もう平気みたいだし」
「一時的なモノみたいだから、平気。疲れてたのもあるんじゃないかな」
廊下に出てすぐ靖十郎と封魔が近づいてきたので、一緒に回っていた。
食堂で飲み物を買って、クーラーのある禪の部屋で食べようということになった。
ドアを三枚開けて、部屋に入ると積んであったものは全てなくなり切れさっぱりなくなっている。あるのは備え付けの家具くらいだ。
「こういうの見ると……本当にいなくなるって実感するな」
「馴染んでたから暫く違和感ありそーだわ。で、夏休みはそっち行ってもいいんだろ?」
「うん。泊まる場所もちゃんと用意しておくからお土産と自分たちで食べ歩きする分のお金だけ持ってきてね」
「でもさ、やっぱ宿代とか」
「さっき挨拶が終わったってトイレに行ったついでに報告したんだけど、手伝ってくれたお礼に須川さんが出してくれるって」
正し屋としても助かったし『今後』何かあった時に頼れるよう借りは作っておきたいので、と笑顔で言っていたことは黙っておく。
それを聞いた三人は顔を見合わせて納得したらしい。
須川さんから彼らのご両親にはすでに『仕事』を手伝って貰ったこと、そして夏休みを利用した休みに関することについても承諾を得ていることも聞いた。
親に連絡を取っている三人の様子を見ながら冷たいお茶を一口飲む。
居心地がよかったな、と思いながら部屋の中を見回していると事実確認を済ませた三人がパッと私を見る。
キラキラ輝く目には期待と喜びが溢れていてやけに眩しく映った。
再開の約束を交わして、私はその日、割とあっさり正し屋に戻ることになる。
車乗り込む頃、靖十郎や封魔、禪といった面々の他にも私と須川さんを見送る為に少なくない生徒が見送ってくれて少しだけ視界が滲んだ。
◇◆◇
窓から身を乗り出して彼らが見えなくなるまで手を振った。
坂道を下っていく車の窓から見える雑木林にすら感慨深さを感じつつ、草木の香りがする外から車内へ体を戻す。
適度に沈み込むマットレスに背中を預け、シートベルトを締めると須川さんが苦笑するのが分かった。
「なんですか、もう」
「いいえ、貴女は本当に周囲に馴染むのが上手だと思いまして。縁町にも直ぐに馴染んだでしょう?」
「それはあの町が暮らしやすいから」
「観光や仕事をする分にはいいのですが、暮らすとなると割と人を選びますよ。神がぐるりと街を囲んでいて、至る所に色々なものがいますからね。ああ、でも優君にはまだ『視せて』はいませんでした―――……次の仕事は恐らくそちらの関係に深くかかわることになります。愉しみですね」
うまく適応できれば私としては非常に助かるのですが、と不穏なことをつぶやく須川さんから視線を引き剥がす。
こういう時、深く突っ込むのは自殺行為だと私は知っているのだ。
坂道を折りきったところで、運転席でハンドルを握る白石先生に声を掛ける。
中々話す機会がなかったから丁度いい。
「あの、葵先生も有難うございました。サポートもですけど、色々ヒントくれてたんですね。私ほんと、察しが悪くて」
今思うと葵先生は不自然にならない程度に色々と教えようとしてくれていたのが分かる。
ずっとお礼を言いたかったのだと言い募れば、やや強張った声色で返事が返ってきた。
ちらりと見えるミラー越しの表情も硬い。
「―――……俺がもっとうまくやっていれば君は怪我をしなかった。死にかけることも」
「怪我をしても生きてるし、平気です。それに怪異と呼ばれるものに関わると『何』が起こるかわからないのは私も分かってますから。アレは、どう考えても私の注意力がなかっただけですよ」
悪意がなかったことくらいわかります、といえば驚いたように目を見開かれて、そしてくしゃりと顔が歪んだ。
独特のイントネーションでつぶやかれた言葉を私は上手く聞き取れなかったんだけど、須川さんには聞こえていたらしい。
冷気を滲ませた笑みで
「それを望むなら身に纏った穢れと業をきれいさっぱり無くすことですね。私が貴方の様な人間を好んで近づけるとでも?」
冷え冷えとした声に冷房の有無を確認しつつ、私はまぁまぁ、と須川さんの腕をつついた。
そして、葵先生に縁町の入り口で降ろして欲しいことを告げる。
訝し気な須川さんに折角だし『正し屋』まで歩いて帰りましょう!と提案すると少し驚いたように目を見開いて、直ぐに目元を優しく緩めた。
霧散した険悪な雰囲気はどこへやら須川さんは楽し気に私を見てまずは服をどうにかしましょうと真っ先に服屋へ連行することを宣言。
「いやぁ、でも須川さん直ぐ高いもの選んで買うじゃないですか。嫌ですよ」
「必要経費ですよ。それにその格好で歩くと根掘り葉掘り依頼について聞かれかねませんから、面倒を避けるためにも着替えて下さい」
「そういわれれば断れないと思って……!! 断れないですけど。そうだ、葵先生も一緒に…―――」
「ダメです」
「あー……そうか。須川さんと葵先生を二人連れて歩いたら背後から刺されそうですもんね……やめておきます。葵先生、縁町に来た時は一緒にお茶しませんか?」
美味しいお店見つけておきますね、といえば楽しみにしてるよと返事が返ってきた。
須川さんはちょっと不機嫌そうだったけどね。
こうして、あっさりと色々なことがあった男子高校での依頼が終わった。
翌日には神社へご挨拶に行ったり、事後処理をして忙しく過ごしていたんだけど割と早い段階で須川さんの言っていた言葉の意味を知ることになるんだけど、それはそれってことで。
爽やかな夏の匂いを含んだ風と清々しい青空を車内から眺めて、私は色々な収穫があったなと静かに瞼を閉じた。
此処まで目を通して下さって有難うございました。
誤字脱字などがある場合、教えて下さると幸いです。
……相変わらずいっぱいあると覆います、ハイ




