「脳人間経 広告品(こうこくぼん)」
ある時、尊者の下へ
仕事で悩む青年が訪れた
聞けば、顧客第一主義と言えば体裁は良いが
日常的に過重労働を強いられ
ただでさえ大量に仕事がある上に
顧客の仕事まで押しつけられて断れず
顧客の職場で顧客が帰った後まで
顧客に成り代わって仕事をする日々に
己の存在意義に対する意識が動揺を来して
自殺を考える事も一度や二度では無いと言う
その上、体調の不良も続き
常に頭痛や神経性の下痢に悩まされていると言う
尊者は言われた
「青年よ、お前は幾重にも間違っている
お前は顧客が第一の顧客だと思っているが
その顧客はお前の第一の顧客ではない
我ら脳人間にとって第一の顧客とは他人ではなく
お前の宿っている人体の主である腸人間である
自分の物であると思っているこの消化器官こそ
お前の第一の顧客であるのだ
仕事上の顧客と重要な打ち合わせが始まる時に
急に便意を催したならばお前はどう思うであろう
こんな大事な時にと忌々しく思い
舌打ちをして排便は後回しにしてきた事であろう
だがそれは第一の顧客に対して失礼千万な選択である
第一の顧客を後回しにして第二の顧客を優先するならば
第一の顧客に対してお前は何を告げるであろう
第一の顧客を後回しにして第二の顧客を優先した時に
第一の顧客に対してお前は何をしたでろう
第一の顧客を後回しにして第二の顧客を優先した後に
第一の顧客に対してお前は何をするであろう
お前は必ず、断りを言い、謝罪をして
穴埋めをしてきた事であろう
お前の罪は明々白々
商売上の流儀に叶っていなかったのだ
仕事上の顧客と重要な打ち合わせが始まる時に
急に便意を催したならば
お前は第一の顧客である腸人間に対して
断りを言い、謝罪をして
打ち合わせの後には
直ちに便所へ行かなければならなかったのだ
お前の罪はそれだけではない
よいか若者よ
お前は腸人間から無言の委任を受け
己の人体を自分としてきた
お前の人体の主である腸人間も
それを咎めたりはして来なかったであろう
だが自殺を企てようとするならば
その行為は委任の外である
自傷、自殺は無権である
もし自分の命が朽ち果てようとする時に
それを傍観していたならば
それは事務管理懈怠である
これ皆、不法行為にして
損害を賠償するべき事案である
お前の債務は直ちに遅滞となっているのだ
にもかかわらず
お前の人体の主である腸人間を甲として
脳人間であるお前を乙とすれば
乙は甲に対して無権代理の行為によって
甲に損害を与えたばかりではなく
乙は甲の賠償請求権をないがしろにして
債務を踏み倒して来たのだ
これはまっとうな職業人の行為ではない
これはまっとうな人の行いではない
腸人間の基本的権利を侵害する事
是をこれ悪と呼ぶのである」
これを聞いた若者は何かを思ったようで
すごすごと帰って行った
了