真綿
真綿
ボタンの掛け違いをしたことは、誰しも一度や二度はあるだろう。
一つ目の掛け違いに気付かないまま、最後までボタンを留めてしまった時のやり切れなさは何とも辛いものだ。
思えば、あれもボタンの掛け違いだったのかも知れない。
月並みな話になるが、高校生になった時、私は恋をした。
相手は同じ一年生の吹奏楽部の子で、嬉しい事に私と付き合ってもいいと、色よい返事をくれた。
私は足元から冷える真冬にふわふわの真綿のマフラーを巻いてもらったような嬉しさで、胸の奥から暖かさを感じたものだ。
それから三年間。
思えば、よく続いた。
友人に話した所「普通なら、別れてるぜ」と言われたこともあった。
私はいわゆる帰宅部で家庭の事情もあり、ほとんど毎日バイトが入っており、彼女もまた吹奏楽部の練習で一緒に帰れることがほとんどなかったのだ。
休日も彼女は練習、私はバイトがあったりと、会えるのは学校での文字通り顔を合わせるぐらいの時間しかなかった。
それでも私は良かったのである。
どこか通じ合っていると、思っていた。
その証拠に彼女からも、ゆっくり会えない不満を三年間、一度も聞いたことはなかった。
大学受験が近付いた頃、私は学校の廊下の隅で、彼女にどこに行くつもりなのかを聞いた。
すると彼女はためらうことなく、音楽大学の受験を口にした。
私は地方の大学に行くつもりと、すでに彼女には伝えてあった。
「離れちゃうね」
私は言った。
彼女は悲しむ様子もなく、頷いた。
その時、私はあの真綿のマフラーがきゅっと締まったような感覚を覚えた。
私は彼女が好きだった。
だが、彼女は私のことが好きだったのだろうか。
嫌いではなかったはずだ。
では、どうして離れることがさみしく、悲しくないのだろう。
私は、考えた。
だが、答えは彼女しか知らない。
私はその答えを聞くのが、恐かった。
それでも何とか遠回しに聞いてはみた。
「これから、どうしよう」
「音大、行っちゃうんだ」
離れたくない、と言う代わりだった。
しかし彼女は、今まで通り何も変えなくていい、今のままでダメなの?と聞き返してきた。
私はようやくにして、はめているボタンにわずかな違和感を感じた。
真綿のマフラーは気の付かないほどゆっくりと、引っ張られていた。
私はわずかな違和感を気のせいにした。
そして、彼女の問いに
『大学生にもなれば時間だって出来るはずだし、離れたって連絡を取る手はいくらでもある。車を買えばそっちに会いに行くことだって』
と思ったが、口には出来なかった。
彼女の薄い笑顔が、それを言わせてはくれなかったのだ。
口に出来なかったことが、さらに私自身を締めつけた。
真綿の両端を持って引っ張るとギュゥッと伸びて、ヘタなハサミでは切れなくなるほど固くなる。
そうなったら、元に戻す事は出来ない。
私のマフラーは、そうなってしまっていた。
暖かさは消え、柔らかさは失われ、強固な縄となって切ることも出来なくなっていた。
そしてほどこうと引っ張れば引っ張るほどに首を締められ、私は息苦しさにあえいでいた。
卒業後は、すぐに引っ越しだった。
私は最後に彼女に会って聞いた。
「もう、会えないの?」
「どこかで会えるよ。でもお互いに一人で頑張っていこうね」
その声は強い力で、私のマフラーを引っ張った。
留めていたボタンが最後に一つだけ余った。
ボタンホールは、もうなかった。
掛け違いだった。
彼女にとって私は、彼女に合わせてくれる、都合のいい男でしかなかったのだ。
なのに私は
「そうだね」
と答え、彼女の声とともに自身のマフラー、いや首にかかった縄を引っ張った。
硬い縄は首にしっかりと巻き付いている。
首が締まっていく。
手が、だらんと垂れ下がった。
そして、わたしの、いきが たえた。