狐と蛇の祓い屋〜狐と蛇の花嫁〜
狐と蛇の祓い屋、第三弾です。
物心ついた時から、体が弱かった。
母も同じく体が弱い人だったらしく、彼女を産むとしばらくして、母は亡くなった。
父と二人の家。父が仕事の時には、彼女は一人で布団に寝かされていた。
病院に見せても原因がわからない。
父は頭を抱えていたが、彼女は原因を知っていた。
彼女の側には、黒く蠢くモノ達が溢れていた。
日に日に増えていくそれらは、彼女の中に入ろうとしてくる。
抵抗すると離れていく、だけれどまた、近づいてくる。
きっと、母もこれらのせいで死んだのだと、彼女は思っていた。
父にはこれらが全く見えていないようだったから、自分は母に似たのだと、ぼんやり思った。
そうやって一人布団の中、蠢くモノ達に囲まれていたら、庭にもふもふした茶色い毛玉がいるのに気が付いた。
その毛玉は、黒い瞳でじっと彼女を見ている。近所の犬かな、と彼女は考えた。
どうしてもその犬に触れたくなって、彼女は布団から出た。
衰弱した体は熱くて、重い。
重い体を引き摺って庭に降りる彼女を、茶色い犬はじっと動かず見つめていた。
手を伸ばして、柔らかな毛並みに触れる。撫でている間も、犬はじっと動かない。
彼女はそのまま、抱き締めてみた。
すると、体が軽くなった気がした。
その日から、彼女は毎日茶色い犬と過ごした。
彼は不思議な犬だった。
父に彼は見えない。
だけれど蠢くモノ達とは逆のモノだと彼女にはわかった。
彼には尻尾が九つあった。だから、彼女は彼を"きゅうちゃん"と呼ぶことにした。
彼と一緒にいると、蠢くモノ達は近寄って来ない。
いつしか、体の不調もなくなっていた。
学校へ通えるようになった。
彼と彼女は、学校でもずっと一緒だった。
学校には蠢くモノだけではなく、怖いモノが沢山いたけれど、彼がいれば平気だった。
学校が通えるようになると、彼は彼女を家の側にある神社へ連れてきた。
階段を登った先の、寂れた神社が彼の家のようだ。
そこで、彼は初めて口を聞いた。
「私は、忘れ去られたこの場所で、ずっと一人だった。」
彼女もずっと一人だったから、それが寂しいことだと知っていた。
寂しかったね、と彼女は彼に言った。
「雪乃が花嫁になってくれたら、雪乃をあれらから、ずっと守ってやれる。」
彼の言葉に、彼女は大きくなったら花嫁になると約束した。
彼女も、彼と一緒が良かった。
そうして二人、ずっと一緒にいた。
だけれど、彼女が中学を卒業すると同時に、父の仕事で、彼女はその家を離れなくてはいけなくなった。
彼は、神社から離れられないから一緒にはいけないと言う。
高校を出たら必ず戻ってくると約束をして、二人は別れた。
別れる時、彼は鈴がついた紅白の細布をくれた。
絶対に外してはいけないという彼の言葉に頷いて、彼女はそれを右手首に巻き付けた。
新しい土地では、問題なく時が過ぎた。
彼に会えないのは寂しかったが、少しの我慢だと思って彼女は耐えた。
しばらく経つと、父がおかしくなり始めた。
鈴で彼女に近づけないモノ達が、父を蝕んだ。
きっと、この鈴を渡せば、父は助かる。
約束を破って、彼女は鈴を外した。
父は元気になった。
代わりにまた、彼女の体は重くなっていく。
だけれどあと少し頑張れば、卒業して彼に会いに行ける。
それまでの辛抱だと思った。
重い体を横たえて、黒いモノ達に囲まれながら、眠れぬ夜を過ごす。
彼女の熱を持った体に、ひやりと何かが触れた。
それは冷たいのに安心出来て、彼が来てくれたのだと、彼女は目を開けた。
そこには、白い蛇がいた。
「このままだと死ぬぞ。」
白い蛇は彼女にそう言った。
彼女は、死なないと答える。彼を一人にしてしまうから、死なないと。
「花嫁になるなら助けてやろう。」
白い蛇は言った。
約束があるから花嫁になれないと彼女が言うと、白い蛇は笑う。
「花嫁を放ってそいつはどこにいる?このままだと、お前の存在が周りの者達まで巻き込むぞ。俺の花嫁になれば、お前も周りも救われる。」
彼女は首を横に振った。
「きゅうちゃん…助けて…」
涙を零して、眠りについた。
白い蛇が体に触れているお陰か、彼女は久しぶりに、気絶するように眠った。
目が覚めると、視界の端で茶色い柔らかな毛が揺れているのに気が付いた。
人の姿をしていたけれど、会いたかった彼だと、彼女にはわかった。
「雪乃、私の花嫁。一人にしてすまない。」
優しく頬を撫でられて、とても安心する。
「お前は色々な物を引き寄せる。人の身では力が強過ぎる。」
彼の後ろにいた黒髪の男が、白い蛇の声で話した。
ふと、家の中の雰囲気がおかしいことに気が付いた。
彼らが側にいるお陰か彼女の周りは清らかだが、他は真っ黒に埋めつくされている。
父はどうしたのだろうか。
立ち上がる彼女を、彼らは止めなかった。
チリンーー
音に目を向けると、両手首に彼がくれた物と同じ鈴が巻かれているのに気が付いた。
その鈴のお陰で、彼女は真黒い中を進めた。
進んだ先には、父が、天上からぶら下がって揺れていた。
彼女が父に渡した鈴は、父の手首に巻かれた状態で、黒く変色していた。
そして、彼女は二人の花嫁となった。
のしかかる重みで、女は目を覚ました。
体には二人分の男の手が絡み付いている。
左から伸びる腕は腰に、右から伸びる両手に頭を抱き込まれ、布団の中では左側から足が絡み付いていた。
毎朝の事とはいえ、やはり重い。
「雪乃?」
女が身動ぎすると、右の男が目を覚ました。
朝日に透けた茶色い髪がふわふわ柔らかそうに揺れている。
「きゅうちゃんとびゃくの、花嫁になった時の夢を見た。」
女が柔らかな髪に手を伸ばそうとすると、左側から阻止された。
「なんだ雪乃。朝からそういう気分なのか?俺はすぐにでも出来るぜ?」
「いかがわしい爬虫類が!雪乃から離れろ!」
「狐も期待してんだろう?」
「っ!!!離れろ!雪乃に触れるなっ!」
赤い顔をした茶色い髪の男が、黒髪の男の腕から女を引き剥がした。
「朝餉の仕度をする。」
逃げるように女を連れて、茶色い髪の男は部屋を出て行った。
その様を笑って見送り、黒髪の男は布団から出て白い着物を脱ぎ捨てる。
濃紺の着物に着替え、長い髪を緩く結うと黒髪の男も部屋を後にした。
縁側で、淡い撫子の花が咲いた着物姿の女は、胡座をかいた黒髪の男に抱き込まれるようにして座っていた。
空を眺める二人の後ろでは、濃茶の着物に着替えた茶色い髪の男が朝食の仕度をしている。
「びゃくはまた、酒を呑んでいるのだな。」
女の言葉に黒髪の男は笑い、横に置かれた一升瓶から酒を盃に注ぐ。
「狐の神社を掃き清めたガキの一人、家が酒屋らしい。供物だ。」
一升瓶の中身は、半分以上なくなっている。
「良い酒だ。」
黒髪の男は、満足そうに喉を鳴らして飲み干した。
腕の中で女は笑う。
茶色い髪の男はその後ろで、呆れた顔をしていた。