第八話:最悪の可能性
「検査の結果が終了致しましたので、申し上げます」
魔術師養成所、その奥にある魔法生物取扱所。そのランプの明かりのみに照らされた薄暗い石造りの部屋の中、冷淡な女性の声が響く。その声をまるで裁判の結果を待つ被告人のような緊張した面持ちで一人の男が聞いていた。妙に静まり返った部屋の中で、ごくりと唾を飲む音が男の頭の中に響く。
「あなたの言うとおり、この子には魔力がほぼ無いようです」
男はこの子と呼ばれた存在、目の前で冷酷な事実を告げる彼女の横、年齢的には五歳程に見える少女へと目を向けた。その尖った耳を下げ、ひどく不安そうな表情を浮かべている。
「魔法生物なのに魔力がないって……それじゃただのガキじゃないか!」
男は少し興奮気味に目の前の女性へと詰め寄る、その剣幕に怯えた少女は、思わず女性の後ろに隠れるが、女性の眼鏡の奥の眼光は全く怯んではいない。
「少し落ちついて下さい。第一、それが人に物を頼む態度ですか? いきなり押しかけてきて、自分の魔法生物はおかしい。検査してくれなどと無理矢理割り込んできたのですよ」
「…………」
「お陰で私はしなくてもいい残業をしてまで付き合ってあげてるんです。別に今日は突っぱねて明日また来てもらうことも出来るのですが」
相変わらずいけ好かない態度だ、と彼は内心怒りを覚えたが、既に日も暮れており、業務終了直前になって面倒な仕事を頼まれれば誰でも不機嫌になるだろう。そう考え直し、怒りと焦りを腹の底へと押し込める。
「いや、確かに悪かったですよ。検査ありがとうございます」
「どう致しまして……と言いたい所ですが、貴方のためではありませんから」
そう言うと、彼女は後ろに隠れていた少女の髪を優しく撫でる。
「貴方のこの子への扱いがあまりにもひどいので、このままでは私も枕を高くして眠ることが出来ませんからね」
皮肉っぽい口調でそう言い放つ彼女は、どうやら単純に仕事が増えて怒っているだけではなく、彼の魔法生物の扱い方にかなり不満を持っているようだ。
そう言われて改めて少女、件の魔法生物を見てみると、柔らかいが癖っ毛の髪には寝癖がついたままで、服は男物のシャツ一枚しか羽織っておらず、山道を歩いてきたため全身は薄汚れており、靴も履いていないので足は泥だらけである。確かにお世辞にもいい扱いを受けているようには見えない。
「これでもそれなりに気は使ったんだけど……」
もごもごと言い訳をするように彼は呟く。今朝、放っておくと何時までも眠っていそうな少女をたたき起こし、日の出と共に街へと向かったのだ。魔法生物は自分の魔力を利用して少しだけ宙に浮いて移動するという芸当も出来るので、靴の準備などせず出発したのだが、山小屋からほんの少し進んだ所で電池切れを起こしたように墜落し、その後暫く動けなかった。
彼女が出来損ないであることは彼も既に理解していたが、まさか基本的な移動能力すらここまで低いと思っていなかったので、その後は仕方なく徒歩で街を目指していたのだ。腐っても魔法生物ではあるので、五歳程度の幼女の外見の割に思ったよりは体力はあり、山道を下るのにそれほど支障は無かったのだが、それでもそれなりに休憩は必要で、休み休み進んでいたら街に着く頃にはすっかり日は暮れてしまっていた。
どうせ元々廃棄する予定できたのだ。その気になれば首に縄でも付けて引き摺って来ても結果は変わらない。でもいくら廃棄するといっても、外見的に幼女な魔法生物を虐待しているような気分は味わいたくなかった。むしろ途中で休憩させたり配慮した事を褒めて欲しいが、あまり気にしないことにする。
「じゃあ検査は終了しましたし、これで用事は終了ですね。ではお疲れ様でした」
彼がぶつぶつ呟いていた言い訳を聞いていたのか居ないのか、その間ずっと後ろの魔法生物の寝癖を直していた彼女は、一通りの作業を終えたと言わんばかりに少女を彼の前へ連れて来た。
「……え?」
「要件は済ませましたよね。それでは……」
「ちょ……! ちょっと待ってください!」
「他に何か?」
本当に他に何があるのか分からない。と言わんばかりの態度で眼鏡の奥から視線を返してくる彼女を見ると、先ほどまで押し込めていた感情が再び噴出してしまう。
「だから! 検査して魔力がほぼ無いってことが分かったんですよね!?」
「……貴方もしつこい人ですね」
「魔法生物なのに魔力が無いって、そんなの欠陥品じゃないですか!」
「…………」
興奮する彼に対し、相対する彼女はどんどん無表情になっていく。
「前言ったじゃないですか。生まれた魔法生物が役立たずの欠陥品だった場合、そいつを廃棄してもらって半額は返金してくれるって……」
廃棄、という言葉に彼の隣に居た魔法生物の少女はびくりと肩を震わせ、今にも泣きそうな顔をしているが、その姿に彼は気付かない。ただ、目の前の眼鏡の女性の、その纏わりつかせる空気が冷淡を超えて、冷気すら感じられるようになったことに彼はようやく気がついた。
「……欠陥品とはどういう意味でしょう」
「へ?」
どういう意味かと聞かれても、その意味自体が彼には理解できなかった、しかしそんな事はお構い無しに彼女は言葉を続ける。
「私が想定していた欠陥品、つまり全く使い物にならないという状況は、魔法生物が意識を持たず完全に暴走していたり、死産した状況のことです。そしてその状況は今ここには存在しません」
「あの、っていうことはまさか……」
「返金はしませんし。する必要も無い、ということです」
そんな馬鹿な話があるか。事実、魔法生物としては全く使い物になって居ないではないか。さすがに我慢の限界である。彼は目の前の女性に掴みかかろうという衝動に駆られたが、その瞬間、自分の服の裾が引っ張られるような感覚に気付いた。そちらに気を向けると、そこには今にも泣きそうな表情で自分を見上げてくる少女、彼のパートナーである魔法生物の顔があった。
「マスター……わたし悪いことしたの?」
「マスターのいらいにひまわり描いちゃったから? ここに来る時に途中で歩いちゃったから? マスターのお役に立ててないから?」
捨てられた子犬のような目で、いや、事実今まさに捨てられる瀬戸際にあるのだから当然といえば当然なのだが、縋るような表情でそう言われてしまうと、目の前のいけ好かない眼鏡の女への怒りより、困惑の方が強くなり自分でもよく分からない感情に支配されてしまう。そんな彼の意識を引き戻すように、再び横から声が聞こえてきた。
「先日お伝えしたことを覚えていますか?」
「先日?」
「魔法生物にもきちんと感情や心がある、ということです」
そう言われるまですっかり忘れていたが、そういえばそんなことを言われた気がするな、と彼は頭の片隅に置いてあった記憶を引きずり出す。
「その子は確かに魔法生物としてはとても脆弱な存在です。ですが、その子はその子なりに貴方の役に立とうと思っています。その気持ちを考えてあげてくれませんか」
先ほどまでの冷淡な怒りではなく、どこか懇願するような口調でそう言われてしまうと、心の中で振り上げた怒りの握り拳をどこへ振り下ろせばいいのか分からなくなってしまう。
「どうしても……というなら貴方の条件を飲みましょう。ただ、貴方は本当にそれで納得できるのですか?」
目の前で話す彼女の口調は相変わらず淡々としているが、その眼鏡の奥の瞳から何かを訴えかける感情が込められていることを感じ、そして彼の裾を掴んだままの少女の視線も感じる。前門の虎後門の狼という状況はこういうことなのだろうか、などと少し現実逃避をしていたが、何時までもこのままでいる訳にも行かない。
ここは無理にでも押し通すべきだ。確かに罪悪感は凄まじいし、半額返金されたとしても失った物は大きいが、勉強代だと割り切るしかない。少なくとも余計な荷物を降ろすことは出来る。様々な感情がない交ぜになった思考の中、彼は結論を出した。
「……悪くない」
「え?」
目の前と下の方からハモった声が聞こえてきた。彼は盛大に溜め息を付きつつ、彼の腰近くにある小さな頭へ軽く手を置き、やけくそ気味にこう続けた。
「お前は悪くなんかないし、廃棄もしない」
彼の顔を見上げている少女は、一瞬何を言われたのか理解出来なかったようだが、思考が追いついてくると不安そうな表情はいっぺんに吹き飛び、百八十度変わった笑顔を見せた。
「ほんとに!?」
「……あぁ、本当だ」
非常に投げやりな口調ではあったが、もはやそれを聞いてるのか分からないくらい少女ははしゃぎ、暗い部屋の中でバンザイなどしつつ飛び跳ねている。何だかこうして凹んでいる自分が馬鹿らしくなるほどの変わり身の早さに彼は苦笑した。
「……それでよろしいのですね?」
喜んでいる少女とは裏腹に、最終確認をしてくる横の女性の口調は相変わらずだが驚きは隠せていない。
「構いませんよ。むしろ俺にはお似合いなのかもしれません」
構わないと返したものの、彼としても納得は出来ていない。所詮自分は最底辺の人間なのだ、最底辺の魔術師の下に最底辺の魔法生物がつく。実にお似合いではないか。やはり神様はその人間に相応しい立ち位置を与えてくださるのだ、魔法生物を持てば最低な自分でも浮き上がることが出来る、そんな短い夢を見れただけでも幸せなのだ。自虐と自棄がない交ぜになり、もう考えるのも面倒くさくなったという方が正解に近い。そんな彼の気持ちなど分かっていないような、上機嫌な少女を引き連れて部屋を出て行こうとする。
「生物である以上、今このままの状態が一生続くという訳ではないのですよ」
部屋を出る直前、そんな言葉が後ろから聞こえてきた。彼は一瞬だけ足を止めたが、声の方には振り向かずそのまま部屋を出て行った。同情、もしくは慰めの言葉だったのだろうが、そんな言葉を聞いて一体何になるのか。このままの状態が続かなくても、それが良くなるなどという想像は現状まるで出来ない。
重い足取りで中央棟の外に出た彼と、その少し後をついて来る少女は、西棟と呼ばれる建物へと伸びた道を歩いていく。そこには魔術師養成所に在籍する者が安価で使える簡易宿泊施設があり、同期と顔を合わせたくない彼としてはなるべく近づきたくない場所ではあったが、全ての目論見が打ち砕かれた今となっては少しでも出費を抑えるために贅沢は言っていられない。
先頭を歩く彼が背を丸め肩を落とし、足を引き摺るように歩いているのに対し、後ろに続く少女にとっては見るもの全てが新鮮で、大人しく付いてきてはいるものの、右へ左へと視線を移し、興味津々と言った感じで辺りを見回している。
建物の外には既に人影は殆ど無く、養成所の各施設から漏れ出す明かりと、月明かりのみが支配する静寂な空間と化していた。その穏やかだが少し寂しげな明かりに照らされた道を二つの影が歩いていく。
無言で歩みを進める間、彼は自分の頭の中を整理していた。何故自分はあんな見栄を切ってしまったのだろうか、何もかも考えるのが面倒になってしまったからだろうか、今からでも大急ぎで戻るべきだろうか。様々な思考が頭の中をぐるぐると巡っていたが、暫くして彼は自分の感情に気がついた。
先ほどのやり取りの中で感じたもの、それは嫌悪感であった。例の受付嬢や後ろを歩く脆弱な魔法生物に対してではない、自分自身に対しての物である。弱いもの、使えないもの、世間のルールに合わないものはこの世界に必要なく、必要ないものは駆除されるべきだ。それをされてきた結果、今の自分という物がここにいる。
悪いのはこの世界の必要条件をクリア出来ない自分。そう考えて今まで諦観と共に生きてきた。だが、本当にそうなのだろうか、もっと何か別な道があるのではないか、そういう気持ちも捨て切れずに生きてもきた。そう考えていた本人が、自分よりさらに弱いものを「使えない」と切り捨てようとした。それは彼自身が体験し、最も忌み嫌う物では無かったのか。
あの時はそこまで深く考えては居なかったが、恐らく自分は無意識にその考えに拒否反応を示したのだ。その結果、不良債権を抱え込んだまま終わってしまった。魔術師であるのに感情を優先し、理性的な対応がまるで出来ない。本当に自分は馬鹿だ。そんなマイナスの感情ばかりが浮かび上がってくるが、現実は待ってはくれない。
気がつけば既に西棟の入り口前へと到着していた、簡易宿泊施設に併設された食堂から、夕餉の匂いが漂ってくるのをいち早く察知した後ろの少女は、今までの疲れや悲しみ等、思考の彼方へ置き去りにし、ついでに彼女の主人も置き去りにして美味しそうな匂いのする方向へすっ飛んで行った。
その様子を入り口に突っ立ったまま見ていた彼は、「いまが最悪の状態と言える間は、まだ最悪の状態ではない」なんて台詞があったな、などと考えていた。自分は今、最悪の状態なのだろうか、さらにひどい状況になるのだろうか、これからあの子供そのものの魔法生物とどう付き合っていけばいいのか、そして、自分はどう生きていけばいいのか、考えてもまるで思いつかない。
しかし、自分はこの道を選んでしまったのだ、誰に言われた訳でもない。ならば、その結果を受け入れるしか無いではないか、諦観と覚悟がない交ぜになった中途半端な溜め息を一つ付き、暴走する彼女を止めるため彼は建物へと入っていくのだった。