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第七話:ひまわり

 ――自分以外の朝食を用意したのは一体いつ以来だったか。元々用意するつもりはなかったのだが、何故か成り行き上そうなってしまった。これが一体どのくらい続くか分からないが、まぁそんなに長くは掛からないだろう。何せ魔法生物は一度この世に誕生してしまえば殆ど食事を必要としない、生物としては完成系に近い存在なのだから……と魔術師養成所の売り子は言っていた。


「しかし、さすがにこのままじゃまずいよな……」


 軽い朝食を終えた彼は目を横に流す。そこには五、六歳の幼女にしか見えない件の魔法生物が、何にも考えてないような能天気な笑顔で突っ立っている。全裸で。


 どこの世界に産着を着て母親の腹から出てくる赤ん坊がいるものか。獣型だったら問題無かったのかもしれないが、人型の魔法生物を選んだ際、洋服の必要性を完全に失念していた。思い返して見れば、彼がこれまでに見てきた人型の魔法生物は皆それなりの服を着ていたのだが、人間に近いものが服を着ているのがあまりにも当たり前の光景だったので見落としていたのだ。


 そんなわけで適当な服を見繕わねばならなくなってしまったが、如何せんこの山小屋には彼一人しか住んでおらず、服も自分用の物しか無い。子供用の服を手に入れるためには街へ行かねばならないが、わざわざその為だけに遠出をするのも馬鹿らしい。


「まぁ魔法生物は体力も優れてるっていうし、業務報告で街に行ったら探すっていう手も……」

「ぶぇっきしっ!!」


 彼が今後の方針を検討しつつ、背の低い彼女に目線を合わせるため屈んだ途端、狙ったようにくしゃみの洗礼が彼の顔面を襲った。今朝はまだ顔を洗っていない彼としても、このシャワーはちっとも嬉しくはない。


「何すんだよ!」

「ごめんなさいです、ちょっと寒くて……」


 寒い? そう訝しみながら彼女の頬に手を伸ばすと、確かに少し冷たくなっている。季節的には今は程よい気候だ。ただの人間の彼ですらそうなのだから、魔法生物なら尚更何の問題も無さそうなのだが……

 

 とにかく寒いと言っているのだから、主人として配慮はしてやらねばなるまい。色々考えた結果、手持ちの少し大きめサイズの自分のシャツの一枚を、彼女に被せるように着せてみた。シャツは彼女の膝より少し上程度の高さに収まった、袖に関してはどうしようもないので、適当に捲し上げてピンで留める。思ったよりいい感じだし、本人も満足そうなので当面はこれで良しとする。


「ありがと! マスター!」


 この短い間に何度見ただろうか、これまたニコニコと笑顔でお礼を返してくる彼女を見ていると、卑屈な彼も少しだけ晴れやかな気分になる。魔法生物には個体差があり、性格も千差万別である。命令は聞くが、殆ど目も合わさず喋りもしない物もいるという。確かに能力的にはいまいちなのかもしれないが、自分はひょっとして物凄い当たりを引いたのではないだろうか。


 そう考えると今後の展望も何だか明るく感じられてくる。賭けは今のところ全て順調に行っている。


「いえいえ、どういたしまして」


 彼は少しだけ微笑みながら、彼女に目線を合わせるように再び屈み、頭をなでる。擽ったそうにしている彼女の短い髪は癖っ毛だがふわふわと柔らかく、何だかヒヨコを撫でているみたいだな、などと彼は考えていた。


「さて、それじゃそろそろ本格的に働いてもらおうかな」

「う?」


 きょとんとしている彼女に背を向け、机の上に置いてある書類の束を取り出す。これこそが彼が現在受け持っている補助業務である。彼は基本的に戦闘などの肉体を使う業務が苦手なので、専ら研究やフィールドワークに近い業務を受けている。とりあえず彼女の実力を試す意味も含め、書類の束から数枚だけを抜き出し手渡す。


「それは今俺が請け負ってる依頼の一部なんだが、この山で見つけた薬草やハーブ類の効果を正確に調べなきゃならないんだ。途中までは終わってるんだが、細かい部分が埋まらないんでささっとやってみてくれ」


「いらい?」


 そこから説明しないと駄目なんだろうか。彼の認識では、魔法生物は製作者の知識を継承し、そのまま結晶と化したものと聞いている。性格や個体差といった物はあるが、ベースになる部分は製作者の知識をそのまま受け継いでいる。つまり、依頼と聞けばそれが魔術師養成所やその他魔術的な物である、と認識できるように初期状態からインプットされているはずなのだ。そうでないとしたら、彼女の製作者は補助業務の存在すら知らないトンデモ魔術師ということになるのだが、魔法生物を製作できる時点でそんな前提はありえない。


 その辺りの細かい事情は分からないが、とにかく目の前の課題を片付けるのが先だ。多少普通と違っていても、最終的に要求を満たしてくれれば問題無い。


「その紙に空白があるだろ、そこに足りないものをお前の知識で埋めてくれればいいんだよ」


「たりないもの……わかった!」


 彼女は自信満々と言わんばかりの笑顔で返事をし、気合十分にペンを取り作業を開始する。この分なら大丈夫そうだ。尻を立てながら床に突っ伏して書類に取り組む姿勢は何だか子供がお絵かきをしているようにも見えるが、彼女は外見は幼女でも中身は魔法生物だ。


 彼は小さく安堵の溜め息を付いた。薬草やハーブ類の効果を調べるためには、成分の抽出や実験をしなければならず、補助業務ランクとはいえ少なからず手間や工夫が必要になってくる。その部分を魔法生物に埋めてもらうことで、完成までの時間を短縮させ、なおかつ質を上昇させることができる。


 取り方によっては、先人の知識を横から掠め取っているようにも見えるし、補助業務程度に魔法生物を投入する自分に若干の情けなさを感じはするが、古代の賢人の言葉の一つに「本に書いてあることをいちいち覚えておく必要などあるのか」なんていうものがあったよな、なんてことを思い出し、自分の置かれた環境の中で作業を効率化することは決して悪くないはずだ。ともっともらしい理屈を作る。


 さて、それでは彼女に手渡した分以外の物も下ごしらえをしてしまおう。改めて気合を入れなおし、彼は残りの課題に手を付け始めた。

 

 

 作業再開から一時間ほど経過したが、今までと違い、業務に驚くほど集中でき、その結果、いつもより処理量がかなり多いことに彼は気がついた。まだ魔法生物は後ろで絶賛作業中であり、その恩恵は被っていない。自分のやるべき作業が減り、そして何より後ろを任せられる存在が居ることが彼を安心させた。孤独な作業ではなく、後顧の憂いなく戦えるということはこんなにも士気を上げるものなのか。そんな高揚感が沸いてきたその矢先――


「ぶへっ!?」


 急に後ろから首筋へ謎の衝撃を受けた。完全に不意打ちであったため、あやうく椅子から転げ落ちそうになった。どうやら後ろから襟首を掴まれて引っ張られたらしい。


「な、なんだよ……」

「マスター! できたー!」


 インクで顔と手を汚しながら紙の束を突き出してくる彼女を見て、彼の心に嬉しさがこみ上げる。綺麗に束ねられた書類を見ていると、さっきの首筋への攻撃等どうでも良いことだ。ただやはり、次からはもうちょっと穏便な形で知らせて欲しいものだが。


「おお……結構渡したのにこんなに短時間で終わったのか! 凄いな!」

「へへー」

「じゃあ最終チェックをするから、ちょっと待ってな」

「あい!」


 果たして魔法生物の能力とはどれほどのものか、一枚目の紙に目を通し、彼は硬直した。彼が手渡した段階では、薬草の外見を表すためのスケッチ、文献や過去のレポートから調べた基本的な効能などが書かれていた。そして今、手元に戻ってきた書類は余すところなく空白が埋められていた。


「なぁ……少し聞きたいんだが……」

「あい!」

「……この薬草のスケッチの周りに描いてあるのは何なんだ?」

「ひまわり!!」


 どうだ! と言わんばかりに腰に手を当てながら胸を反らし鼻息荒く答える彼女。彼女が言うとおり、薬草のスケッチの空白部分は余すところなく花マルマークから棒が伸びた謎の物体で埋め尽くされていた。彼女曰くひまわりらしいが、子供の絵などあまり見たことがないのでこれが上手いか下手なのか彼には判断が付きかねた。いや、そんなことはどうでもいい。


「いやだからさ! ひまわりじゃなくて!!」

「……ひまわりきらい?」

「だからぁ! 嫌いとかじゃなくて!」


 彼は思わず怒鳴ってしまった。外見上は幼女でも彼女は立派な魔法生物だ。そして、いくら最低級だろうと、いくらなんでもこれは酷すぎる。ふざけられている余裕は今全く無い。今まで好意的だった態度は、ひょっとして舐められていただけなんじゃないだろうかなんてことすら考えてしまう。


「……ぁぅう……うえぇん……!」


 彼の剣幕に押され、小さな彼女は泣き出してしまった。彼自身も台無しになった課題を見て泣きたくなったが、何とか心を落ち着けて再度彼女に説明をする。


「俺の言い方が悪かったのか? だとしたら申し訳なかったけど、空欄を埋めるってのは絵を描いてくれって意味じゃなくて、お前の持ってる知識を使って、この薬草がどんな効果があるのか、それを書き足して欲しいって事なんだが」

「薬草? 効果?」

「ああ、いくらお前が生まれたてだって、元からあるだろ? そういう知識くらい」


 目を赤く腫らしながらも少し落ち着いたのか、しゃくりあげながら彼女は答える


「……わかんない」

「……はぁ!?」

「紙の空いてるところに足りないものを埋めてくれって言われた。それで、マスターが描いた絵だけだと寂しかったから、沢山頑張ってひまわり描いた」

「だから何度も言うけど……」

「薬草とかわかんない。マスターがマスターだってことは分かる。それだけ」


 一瞬、何を言われたのかが理解出来なかった。いや、彼は理解することを拒否していたのかもしれない。


「魔術師養成所は分かるか?」

「まじゅつしよーせーじょ?」


 彼は自分の心臓の鼓動が徐々に早くなってきているのを感じた、頭がくらくらしてきたし、全身に嫌な汗をかいているのも感じる。そして、彼は恐る恐る絶対に確認しなければならないことを聞かねばならなかった」


「お前……魔術師って知ってるか?」


 神に祈るような気持ちで彼女に質問を投げかけた。


「……まじゅつしって、何?」


 ……何だこれ? 冗談だろう。そう思い込みたかった。しかしこの全身を巡る悪寒は間違いなく今この瞬間が現実であることを彼に無慈悲に伝えてくる。もはや相手の外見が子供に見えようが関係無い。彼は凄まじい剣幕で、小さな彼女の両肩を力いっぱい掴んだ。


「痛っ! 痛いよマスタぁー!」

「なぁ! 冗談だろ!? お前魔法生物なんだろ? 何で魔術のこと知らないの!? 何で!? ねぇ!? 何でだよ!?」

「知らないよぉ! 絵描いたのダメだったの? ごめんなさい! ごめんなさい!」


 すっかり怯えきって泣き出してしまった彼女を見て、彼は慌てて手を離した。しかし、何と声を掛ければいいのか、いや、それすら頭に無く彼は床にだらしなく座っていた。目の前で幼女の姿の魔法生物が大泣きしているが、その光景すら頭の中に入ってこない。


 これじゃまるで、本当にただの子供じゃないか。


 確かに色々と不安はあった、もしかしたら予想よりはあまりいい結果にならないかもしれないが、何かしら得るものはあるはずだ、そう自分を納得させ、彼はこれまでの行動を正当化してきた。しかしこれは何だ? 一体何が起こっている? どうして自分の身に? あまりにも色々な感情が沸きあがり、まるで思考が纏まらない。


 外を見れば太陽はまだ高い位置にあるが、徐々に西の方へ傾いている。窓から差し込む日の光が泣き続ける小さな魔法生物と、放心したまま床に座り続ける一人の男を照らしている。その光景は変わることなく長い間続いた。



 いつまでそうしていただろうか、西日が窓から差し込む頃、顔をくしゃくしゃにして真っ赤な目をした彼女に気を向ける程度に余裕を回復した彼は、怯える彼女に出来る限り優しく話しかけ、手荒なことをしたことを謝った。彼女はどうにか落ち着きを取り戻し、彼の机の上に置いてあった砂糖菓子を一つ手渡すと、はにかんだような笑顔を返してきた。


 泣きつかれてしまったのか、そのまま彼女は眠りに落ちてしまった。魔法生物は魔力で自分を宙に浮かせ、魔法のハンモックのようなものを作り寝ると聞いていたので寝台は用意していなかったのだが、彼女は電池が切れたように床に突っ伏したまま眠っている。今までの調子だとこのまま放置してはまずいことは分かっているのだが、生憎ベッドは自分の小さなものしか無い。


 仕方なく彼は部屋の隅にある椅子を幾つか並べて上に毛布を敷き、そこに彼女を抱えて横たえた。そろそろ夕食の準備をしなければならない時間ではあるのだが、彼はまるで食欲が沸かず、着替えもしないまま倒れこむように粗末なベッドへと体を横たえた。


 今までそれらしい理由をつけて自分で納得してきたが、今日一日ではっきりと分かった。やはりこの魔法生物は異常だ。これまで自分が聞いていた魔法生物とまるで違う存在である。もともと最低級の魔法生物だ、十個の特徴があったとして、三、四個が他と比べて劣っていても仕方が無いとは思うのだが、これはあまりにも異質すぎる。


 可愛らしい部分もあるが、生憎今自分に必要なのは能力を持った存在だ、愛玩動物を愛でる余裕は無い。明日再び街へ行こう。そして事情を説明して返金をしてもらうべきだろう。


 ベッドからちらりと横を見ると、先ほど機嫌取りで上げた砂糖菓子の味でも思い出しているのだろうか、涎を垂らしながら無防備な姿で椅子の上で眠っていた。その姿を見ていると、自分がこれから行おうとしている行為に罪悪感を覚える。だが、元々そういう契約なのだから悪いことをする訳ではない。そう、彼女は人間ではなく魔法生物だ。


 そういえば、彼女を買うときに売り子が何かそんなような事を言っていたような気がしたが、あまりはっきり覚えていない。その辺も明日確認したほうがいいのかな、などと考えつつ、彼は重い体をベッドから引き剥がし、街への出発準備を整えることにした。


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