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第六話:鼓動

 街の繁華街より少し離れた宿屋の通り、そこからさらに奥まった場所にある古ぼけた安宿の一室で彼は目を覚ました。一瞬自分がどこに居るのか分からなかったが、朝に弱い彼の頭が回転して来たのか、ああ自分は宿屋に泊まっているんだな。と自覚できたらしい。虫に食われて居ないか若干心配ではあったが、確認したところ特に異変は無いようだ。


 曇天のため正確な太陽の位置は掴めないが、完全に夜は明けているらしい。荷物を纏めて簡単に寝台を直し部屋を出る。受付には件の話好きのおばさんと、幾人かの他の宿泊客の談笑する姿が見えた。


 おばさんと宿泊客達は何やら世間話で盛り上がっているようだが、宿代自体は昨日払ってあるので、別に会話に混じる気も無く横を素通りする。別に咎められはしなかったが、何となく会話の流れを止めてしまったような気がして気まずいので、軽く挨拶をして宿を出る。


 何で皆は和気藹々と世間話が出来るんだろう。何で自分は和気藹々と世間話が出来ないのだろう。相手が気を利かせてくれても上手く喋ることができない、きっと悪いのは自分なのだろう。朝からあんな場面を見てしまうとそんなことばかり考えてしまう。


「やめやめ、俺にはやることがあるんだ」


 彼は例によって深みに沈む思考を無理矢理振り払い、帰宅の準備を進めることにした。街には何箇所か公共で使える井戸が点在しているため、そこで顔を洗い、空になった水筒へ飲み水を補給する。その足で、保存の効く携帯用干し肉と黒パンを買い露店で購入し、帰路へと就いた。



「行きはよいよい、帰りは怖い……」


 古典で読んだ言葉を呟くくらいに疲弊しながら山道を進んでいく。行きも決して楽では無かったが、何せ帰りは山道を登っていかねばならないので非常にきつい。さらに日頃の運動不足も相まって、実は昨日の山下りの影響でちょっぴり筋肉痛だったりする。


「いや待て、筋肉痛が翌日に来るという事は、俺はまだ若いということだ」

「若いということは、可能性を抱いているってことなんだ。そうだ、俺はやれるんだ」

「……こんな無駄な事思いつく位には余裕があるんだな」


 一人でぶつぶつ下らないことを呟きながら彼は自嘲の笑みを浮かべる。誰も喋る相手が居ないせいか、一人脳内で馬鹿馬鹿しいことを考えてしまう。現実逃避なのか余裕があるのか自分でも良く分からない。


「まぁ可能性を抱いているってのは事実だしな」


 そう一人ごちながら、彼は自分の外套の内ポケットへ目を向ける。そこには例の魔法生物の小瓶が入っていた。小さいながらも可能性の塊である。


「そんじゃ、いっちょ頑張りますか」


 普段なら休憩を入れている頃ではあるが、彼の足取りは軽かった。希望を持つということは素晴らしいなと思いつつ、珍しく自分の体に力が漲るのを感じ山道を登っていった。



 彼の頑張りと曇天による日光の熱さによる足止めが無かったため、昼過ぎには愛すべき……という程でもないが慣れ親しんだ古小屋へと帰宅することが出来た。小屋の裏手にある井戸で喉を潤すと、休憩もそこそこに魔法生物生成の準備を始めた。


「えーと……手順はと……」


 確か魔法生物に関する書類があったはず、と整頓されていない本棚に体を向けようとしたが、小瓶のラベルに手順が書いてあることに気がついた。


「……こんな簡単でいいのか?」


 彼は訝しげな表情を作る。手順は非常に簡単だ。まず、容器に入れた状態で主人の魔力を注入しマーキングする。魔力の注入が終わり着床に成功すると細胞分裂を始めるので、その状態になったら瓶から取り出す。後は三、四時間程経てば人間サイズの魔法生物の出来上がり。という訳だ。


 魔力の注入と聞くと難しいかもしれないが、触媒を用意し、自分の指定した「力ある言葉」を呟くことで魔力を生成するだけだ。魔術師にとっては井戸に桶を落とし水を汲むのと同じくらいの感覚でしか無い。


 そういえば乾燥した土地にすむ魚の一種に、池に水がある間に卵を生み、乾季と共に親は死ぬが卵は仮死状態で生き残る。そして雨季になって再び水が増えると稚魚が孵化する。そんな魚が居た。もしかしたら似たような作りなのかもしれない、などと彼は考えていた。


「とにかくやってみるか……やべ、ちょっと緊張してきた」


 単純な作業ではあるが、万が一にも失敗は許されない。だがどんな変化があるか楽しみでもある。こんな気持ちになったのは子供の頃に新しいおもちゃを買ってもらった時以来かもしれない。彼は杖を掲げ、魔力の注入を開始する。


「***。――。」


 力ある言葉に反応し、杖が青白く光る。直後杖の先から手のひら大の光の玉が空中に生成される。これは「明光【ライティング】」と呼ばれる魔術で、特別な能力は何も無く、文字通り魔力を集めて光を作るだけの術だ。魔術の初歩の初歩であるが、夜道を照らしたりランプ代わりに使えるので、意外と利用価値は高い。


 あくまで主人の魔術を認識させるだけなので、この程度でいいだろう。マニュアルには書いていないが、下手に攻撃的な魔術を使えば恐らく卵は壊れてしまうはず。


 予想通り、まるで池の鯉が餌を与えらたように、空中に浮いていた光の玉が瓶へと吸い込まれていった。光の玉は小瓶の中の丸い卵へと吸収されていく。光が完全に飲み込まれると、まるで心臓が動くように卵の細胞が鼓動を始めた。


 その様子は若干不気味ではあるが、生命の脈動を感じられ不思議と神秘的な感じもする。二、三分程様子を見ていると徐々に大きくなってきているのが感じ取れたため、そのまま取り出し机の上に置いておく。


「直置きでいいんだろうか? 多分大丈夫だよな」


 完全無菌状態が必要な訳でもないだろう。というかもう取り出してしまったので今更どうにもならない。臆病なくせに慎重さが欠けてるんじゃないかとまた自己嫌悪しそうになるが、無理矢理自分を納得させる。


 ラベルの説明書きによれば、完全に人間大のサイズに育つまでは数時間は掛かるらしい。暫く観察したいが、そればかりに時間を取られている訳にも行かない

 そんな訳で、彼はたまに横目で成長状況を確認しつつ、溜まっている洗濯物やら掃除やら雑用を片付けることにした。嫌な事はなるべく後回しにする性格なので、こういった機会がないと中々集中することが出来ない。


 待ち時間で補助業務を少しでも片付けておくことも出来たが、魔法生物の性能を試す意味も含め、敢えて手を付けない事にした。決して問題を先延ばしにしたかった訳ではない、と彼の代わりに一応フォローを入れておくが、本当の所は彼のこれまでの言動から想像して貰いたい。


 

 一時間が経過し、洗濯が終了した。卵は順調に分裂し脈打っている。彼も上機嫌だ。

 二時間が経過し、掃除が終了した。丸の中に胎児のような物が形作られた。

 三時間が経過し、休憩が終了した。心なしか胎児が少し大きくなった……気がする。

 四時間が経過し、食事の準備が終了した。一応順調に育っている……はず。

 五時間が経過し、太陽の業務が終了した。完全な人型にはなったが、未だ成長中のようだ。


――おかしい。完了予定時間をとうにオーバーしている。このままのペースでは人間大の大きさになるのに果たして何日掛かるのか。いや、何日掛かっても成長しきればいい。もし途中で成長が止まったら? 最悪の想像が彼の頭をよぎる。


「待て、落ち着け俺、落ち着くんだ。成長に時間が掛かる種なのかもしれない」


 人間が一人ひとり違うように、魔法生物も同様に、同じタイプでも細かい特徴は異なる。ましてこの魔法生物は最低級なのだ。時間が掛かるのも致し方ない。そう考えて心を落ち着かせる。


「焦りは禁物……そうだ、魔術師たるもの冷静さが大事だ……」


 内心冷や汗で手に汗握る状態なのだが、かといって今はどうすることも出来ない。ひたすら成長を見届けるしか無い。そうして精神的マラソンは延長戦へと突入する。


 六時間目に突入、椅子に座りサッカーボール大の卵をひたすら睨み付ける。

 七時間目に突入、昼の疲れを意識するようになってきた。瞼が重いが気力で粘る。

 八時間目に突入、彼は考えるのを止めた……端的に言えば眠ってしまった。



――どのくらいの時間が経ったのだろうか、顔に当たる眩しい朝日と、何だか良く分からない頬の痛みに彼の意識は引き戻された。


「やべっ! 寝ちまったか!?」


 意識を取り戻すと、目の前にあった卵が跡形も無く消えていた。何が何だか分からず困惑するが、その時、何だか柔らかい物が自分の頬を挟んでいるらしいことに気がつき、軽い痛みを覚えて手で払いのける。


「きゃっ!?」


 小動物を思わせる甲高い声が耳に響き、何事かと思い横を振り向いた。

 

 一人の子供が地べたに座っていた。子供の体には身を隠すものが何も付いておらず、素っ裸の状態で尻餅を付いていた。どうやら先ほど払いのけたのは、この子の手だったらしく、その勢いで地面へ突き倒す形になってしまったようだ。


 なんでこんな所に子供が裸で? と疑問に思ったが、様子を観察しようやく状況が理解できた。くりっとしたまん丸の青い目と、薄茶……というより枯葉のようなと表現すべき色の髪が、おでこを丸出しにして全体的に短く生えている。別に何ということの無い子供なのだが、その尖った長い耳と、そして髪の間から伸びる二本の触覚が、彼女が人間でない存在、魔法生物であることを示していた。


「お尻、いたい……」


 突き飛ばされた際に打ったのか、微妙に非難が混じった声でこちらを見上げてくる。何だか自分が物凄く悪い事をしたような気がしてきた。


「わ、悪い、寝ぼけてて……」


 彼が慌てて椅子から立ち上がり手を差し伸べると、床に座ったままの子供は手を握り返してきた。


 ……小さい。


 まるで紅葉のような小さな手のひらから、柔らかく暖かい感触が伝わってくる。魔法生物なので力を込めても大丈夫だとは思うのだが、何となくそれをするの気になれなかったので、軽く引き起こすと、子供はにっこりと笑顔を返してきた。


「はじめましてマスター。これからよろしくおねがいします」


 子供らしい、たどたどしい敬語で返事を返す。


 改めて誕生した魔法生物を見てみると、本当に小さい。お互い並んで立つとこの魔法生物は彼の腰程度までしか背丈が無い。外見的には五、六歳の子供と大差ない。人間大と聞いていたが想像より遥かに小さい。さらに、子供に男性を表すシンボルが付いていないことから、性別が女性であることに彼はようやく気がついた。


 もし裸の成熟した女性が目の前に立っていたら、耐性の全く無い彼は卒倒したかもしれないが、如何せんこれだけ小さいと何の感情も揺さぶられない。幸運なのか不幸なのか彼には判断が付きかねた。


「……マスター?」


まじまじと無言で様子を見ていたが、不安そうな彼女の声にはっと気がついた。


「あ、ああ、こちらこそ宜しくお願いします」


 何で敬語なんだよ、と自分で自分に突っ込みを入れたくなったが。別に誰も見ていないのであまり気にしないことにした。


 ぼそぼそとした返事ではあったが、お互いに挨拶を済ますと彼女は嬉しそうに笑顔を返してきた。随分と愛想のいい魔法生物だなと思いつつ、とにかく無事に成長してくれたことに安堵の溜め息を付く。


 安心したら急に腹が減ってきた。丁度朝になったので、彼は朝食を摂る事にした。鉄板しか無い簡素な調理台に干し肉を乗せ、魔術で火をつけ軽く火で炙り、先日購入した黒パンと共に簡単な朝食を作る。


 調理を終え、そのまま机兼テーブルと化している場所で食事をしようとすると、後ろから刺すような視線を感じたので、とりあえず振り向く。そこには、涎を垂らしながら食い入るように彼の朝食を見る、素っ裸の魔法生物が立っていた。


「マスター! おなかへった!」


 やたら元気の良い声で気合の入った返事を返すが、彼としては驚きである。確か、魔法生物は食事を殆ど必要としないのではなかったのだろうか。人間における酒やタバコのように、必須ではないが嗜好品として必要だったりするのだろうか。


「おなか……へった」


 無言で彼女を見ていたが、何の反応も無い彼を見て何だかちょっと涙目になっている。よく耳を澄ますと、小さな腹の虫が鳴いていることに気がつく。


 相変わらず困惑していた彼だが、反射的に炙った干し肉と黒パンの乗った皿を彼女の前に突き出すと、輝くような笑顔を見せ、凄まじい勢いで食事に噛り付いた。彼が止める暇も無く食べ物を胃に押し込んでいき、途中でむせたので慌てて水を飲ませる。


「マスター! ありがとう!」


 けぷ、と可愛らしいげっぷをし、ぺこりと頭を下げてくる。結局、彼が自分のために用意した食事は、全て生まれたての魔法生物の体内へと吸収されてしまった。満面の笑みで微笑む幼女を前に、それと対照的に困惑した表情のまま椅子に掛けている彼の姿は、傍目から見るとシュールな光景である。


 そんな中、彼は思考を巡らせる。魔法生物は人間より優れた知性と体力を持っている。食事も殆ど必要としない。あれは誇大広告だったのだろうか。いや、そんなはずは無い。彼は養成所で何度か魔法生物を連れた魔術師を見たことがあるが、どれもその特徴を持っていた。


 ……何事にも準備という物が必要だ。人間の赤ん坊とて、生まれてからすぐは雑菌への耐性を付けるために初乳を飲んだり、体に黄疸が出たりする。きっと魔法生物にもそれなりの初期段階という物が存在するのだろう。そうに違いない。それに自分が買ったものはあくまで最底級の物だ、その段階が若干多くても仕方無いだろう。彼はそう結論付けた。


 主人として認識させることには成功したようだし、ある程度の段階さえ踏んでしまえば、必ずや役立つ存在になる。食事も済ませたし挨拶も済ませた。後は実践あるのみだ。若干の不安を振り払い、主人は従者に食い荒らされた朝食の残骸を見て、溜め息を付きつつ再度調理代へと足を運ぶのだった。

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