第一話:愚者なる賢者
「はぁ~……」
狭苦しく薄暗い部屋の中、机にだらしなく顔を突っ伏しながら、男は今日何度目か分からない溜め息をついた。
歳はまだ二十代半ばであろうが、ぎしぎしと音を立てながら古ぼけた椅子に座り、あまり手入れされていない赤茶色の髪を掻き毟り、ぶつぶつと独り言を呟いている姿は若者というより、何だか得体の知れない怪しい男としか言いようが無い。
彼が溜め息製造機と化している理由は、机の上に散らばっている提出期限が迫った真っ白な提出レポートではあるのだが、最大の原因は、その悩ましい提出レポートすら出せなくなる瀬戸際にあるということであった。
「俺、このままじゃ本当に魔術師を続けられなくなっちまう……」
魔術師。数多の魔法を使いこなし、時にはその強大な力で冒険者として活躍し、時にはその深遠なる知識で迷える子羊を導く。人々が敬愛する賢者。それが魔術師である。彼もまたそんな人間のうちの一人である。
彼の実力は如何程か。見た目からは優秀そうには見えないが、外見で人を判断することは最も愚かしい行為の一つである。
「あああ~……本当にどうすりゃいいんだよぉ~っ!」
誰も居ない部屋の中、両手で髪をわしわしとかき混ぜつつ半泣きで彼は叫ぶ。
……振る舞いも何だか微妙ではあるが、才ある者が全て人格者とは限らない。そう、彼は自分が魔術師を続けられない事を悩んでいる。とてつもない力を持った人間を持て余した養成所が彼を追放するために、この世界の存在理由を解き明かせ等と言った、過去の哲人すら頭を抱える無理難題を押し付けられているのかもしれない。
相変わらず机の上で悶絶している彼の横、開け放たれていた机の横の小窓から風が吹き込み、提出レポートの一枚がひらりと埃っぽい床の上に舞い降りた。その紙の右上にはこう記されている。
『補助業務(初心者用)』
他にも数枚が風で床へと飛ばされたが、彼にはそれに気付く余裕も無いらしく、ただひたすら頭を抱えて机に突っ伏している。
ここまで状況が揃ってしまえば、誰もがこういった結論に至るのではないだろうか。
――魔術師であり人々が敬愛する賢者の一人であるはずの彼は、愚者ではないかと。