第九話:井の中の夜鷹
「マスター? おいしい?」
緊張した面持ちで目の前に座る少女、そして目の前には黄色と白色がマーブル模様になって、少し焦げた平べったい物体が皿の上に乗っかっている。それは、世間一般では「目玉焼き」と呼ばれる物―になるはずの物だった。
「不味い……」
率直な感想を彼は返す。捨てるには勿体無いし、食べられないほどではない。その反応をみた少女は明らかにしょんぼりとしていたが、次の瞬間には今度はもっと上手く作るぞと気合を入れなおしていた。
「それはそれとして、お前にはやらなきゃいけないことがある」
「お掃除? お洗濯?」
「……勉強だ」
その言葉を聞いた途端、折角入れなおした彼女の気合も穴の開いた風船の如くしぼんでいくのが感じ取れたが、彼としてもここは絶対に譲れない所なのでそのまま続ける。
「俺は別に、お前に家事手伝いをして貰いたくて作ったわけじゃない」
「うん……」
「だからお前は可能な限り早く能力をつけろ。そのための知識を得るための勉強だ。これは命令だ」
「ぁい……」
魔法生物として未熟なこの少女を正式に使役する事を決めてから早三週間が経過し、その間に彼女の特性を可能な限り模索したが、結局は何をやらせても現状役立つことは無い、という結論に達してしまった。唯一救いだったのは、彼女が明るく素直であったこと、そして主人である自分に役立ちたいという気持ちを持っている事ぐらいである。
今更考えても仕方の無いことだが、何故こんなことになってしまったのだろう。後ろを任せられる存在を得られれば自分を変えられると思っていたのに、蓋を開けてみれば後ろを任せる所か常に後ろを気にせねばならないような状況になり、泥沼のさらに底にいるような心境になっている。それを忘れるため、彼は今取り掛かっている補助業務の追い込みに掛かっていた。とりあえず目の前に何かやるべき事があれば、それ以外のことは考えないで済む。迫りくる現実を現実逃避に使う、ということに彼は思わず苦笑する。
「えいやっ!」
「ぶへっ!?」
そんな現実逃避も、後ろから迫ってきた別の現実に襟首を掴まれ、文字通り現実へと引き戻されてしまった。
「だからぁ……いきなり後ろから引っ張らないで声掛けろって言っただろ!」
「声かけたけど振り向かないんだもん!」
「……で? 何の用だ?」
「マスター! ご本読んで!」
もはや慣れてしまったのか、彼の不機嫌さなどまるで無視して、少女は笑顔で一冊の古ぼけた本を彼に突きつけてくる。その本の表紙には「世界むかしばなし」などと大きな字で書かれていた。これは彼が勉強課題として渡していたもので、最初は魔術のいろはを書いた本を渡したのだが、ちらっと見せただけで卒倒してしまったので、彼が趣味で所持していた、子供でも読めそうな古典の本をそのまま渡すことにしたのだ。
「俺が読んだら勉強にならないだろ」
「意味わかんないんだもん……」
「……わかったよ、ほら貸せ」
幸か不幸かかなり集中して作業をしていたため、補助業務はほぼ完了している。気分転換にあまり考えなくて済む本を読むのも悪くは無い。
「んで、どれを読めばいい?」
「えーと……じゃあこれ!」
覚束ない手つきで少女の手には少し分厚い本のページを捲りながら、目当てのページを見開き彼へと突きつける。そこには、夜空に向かって空を飛ぶ一羽の鳥の絵が描かれていた。
「よだかの星か……」
「わかった!鳥さんが星になってスターになるお話なんだね!」
「……間違ってないが間違ってる」
目を輝かせて話を待つ少女を見ていると、少しばかり悪戯したい気持ちが沸いて来た彼は、一気に捲し立てて喋りたてた。
「昔ある所に夜鷹っていう弱くてキモくて皆から馬鹿にされてる鳥が居た。で、特に強くてカッコいい本物の鷹から殺すぞって脅された。夜鷹はヘタレだから何にも反抗できなくて、生きるのも嫌になって自殺しちまおうと考えるわけだ、せめて綺麗な星になって死のうとするんだけど……痛てっ!」
思いっきり手のひらを抓られた。不意打ちだったので地味に痛い。
「ちゃんと読んで!」
「分かった、分かったよ」
少女の怒りの一撃に反省した彼は、改めて椅子に座り直す。少女も少し苦労しながら対面の椅子に座り、身を乗り出し真剣な表情をしている。何だか彼の方まで緊張してくるが、咳払いを一つし、朗読を開始した。
「よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合でした――」
人里離れた山小屋の中、窓からは午後の柔らかな日差しが注がれる。目の前に座る少女は一字一句も聞き漏らさないと無言で耳を傾け、声へと聞き耳を立てている。その光景だけを切りとってみれば、まるで父親が子供に絵本を読み聞かせているような、そんな穏やかな一幕に見える。静寂の中、彼の朗読は続いていく。
「――お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けて死んでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい――ん?」
朗読の方に集中していたので気がつかなかったが、何気なく少女の方に目をやると、鼻から目から色んな汁を出していてえらいことになっていた。これには彼もぎょっとして思わず立ち上がる。
「ど、どうしたんだよ?」
「うっ……えっ……よだがざんがわいぞう……!」
彼としては、お前の顔の方が可哀想な事になっているぞと思わず突っ込みたくなったが、そのまま放置して服で鼻をかまれたりすると大変なことになるので、慌てて手近な布を渡して顔を拭わせようとする。その後、本格的に泣き出してしまったのでもはや勉強兼朗読などと言っていられる状況ではなく、落ち着くまで待つことにした。
「……ねぇマスター」
「……なんだよ」
「よだかはどうして皆からいじめられるの? 何にも悪いことしてないのに?」
「…………」
少し考えた後、彼は口を開いた。
「見た目もキモい。気も弱い。能力も無い。内面だって優れてる訳じゃない……つまり、カスだからだよ」
「……よだかなのにカラス?」
「カラスじゃなくてカ・ス! 使い物にならない役立たずってことだ」
そう言われた少女としてはいまいち理解できていないようで、きょとんとした顔をしている。
「カスだといじめられるの?」
「そうだ」
「使い物にならない役立たずは居ちゃいけないの?」
「……そうだ」
そう肯定しつつも、彼としてはこれ以上この話題を続けたくなかったので、さっさとこの話の朗読を続けて終わりにしようと椅子に掛け直したが、反対に目の前の少女は椅子から立ち上がり、彼の顔に息が感じられるほど自分の顔を近づけて睨み付けてくる。
「わかんないよ!」
少女はあらん限りの力を込めて叫ぶ。至近距離で叫ばれたものだから、彼としてはたまった物ではない。耳にキンキン響く声がまだ残っているが、少女はさらに感情をぶつけてくる。
「なんで!? なんで!? ねーなんで!? よだかは悪いことしてないよ!? よだかは皆に気を配れるいい子だよ!? 何でカスなの!? 何でいらないの!?」
普段はいつも笑顔で、叱られたり悪いことをすると怯えたり泣いたりはしたものの、少女が面と向かって怒りをぶつけるという行為をすることはこれが初めてだった。その態度に困惑していた彼ではあったが、段々と良くわからない怒りがこみ上げてきて、それをそのまま少女へとぶつける。
「だったら教えてやる! いいか! 鳥の世界にも格って物があるんだよ! 青空をどこまでも強く飛べて、力強さで他の存在を圧倒する。そんな奴が支配するのがその世界なんだよ! 仮によだかが百羽で何とかやれることを、他の鳥なら十羽、鷹なら一羽で出来ちまう!」
目の前にいる小柄な少女に対し、何と大人気ない対応なんだろうと心がブレーキをかけるが、暴走した感情はそのまま彼の口から飛び出していく。
「それでもよだかが土に潜ったりとか、他の鳥に出来ないことが出来たらまだ良かった……だがそんな物は何も無い! 悪い事をしてないとか、気を配れるいい子だとか、そんなのはその世界じゃ通用しないし必要ないんだよ!」
普段あまり喋らないのに一気に大声を出したせいか、最後の方は少しむせってしまい息も上がっている。少女は彼の剣幕に少し怯みはしたが、視線は合わせたままだ。その姿に今更ながら後悔を感じたが、彼は心の中で「魔術師も魔法生物もな……」と小さく呟いた。
お互いの感情をぶつけ合い、視線を話せないままお互い無言で居たが、最初に静寂を破ったのは少女の方であった。少女は怒っているような、泣きそうなような、何とも言えない表情を作り、涙を溜めて上目遣いに彼を見上げてこう言った。
「マスターは自分が強いからそんなこと言えるんだよ……」
「……は?」
「確かにマスターは凄いよ! 色んな事を知ってるし、ご飯だって私より上手に作れるし! 他にもいっぱいいっぱいあるけど、でもだからってひどい!」
「は、はぁ!?」
自分が強い? 凄い? 彼には全く意味が理解できない。自分のどこにその要素があるのか……少し言葉を整理して考えてみたところ、色んな事を知っていて、ご飯が上手に作れるその他諸々強いということらしい……意味が分からない。
……ああ、そうか。彼はその言葉の奥に込められた意味をようやく理解できた。欠陥品として生まれてしまった少女には、世界に対する知識が殆ど無い。つまり少女にとって、彼とその周りの小さな世界こそが全てであり、それを支配している(と思われている)主人こそが強者なのだ。
「井の中の蛙か……」
本当に、この魔法生物の少女には、歳相応の見た目に毛の生えた程度の能力しか無いのだなと落胆しつつ苦笑する。何だか怒ることすら馬鹿馬鹿しい。そう思いながら手を振り上げると、殴られると思ったのか、少女は目を瞑り体を縮こませ、来るべき衝撃に備えようとした。
「へ?」
予期していた感触と違うことに驚き、少女が目を開ける。彼の大きな掌は少女を殴りつけたりはせず、ただぽんぽんと軽く頭を撫でていた。
「その、何だ、怒鳴って悪かったな」
「……怒らないの?」
「微妙なところだが、まぁ怒っていない……と思う」
「よくわかんない」
「……俺も良く分からん」
彼自身も自分でも何とも言えない気持ちのまま、気がついたら少女の頭を撫でていた。落胆や怒りの気持ちもあるのかもしれないが、それ以上に胸を占める感情があり、それが何なのかが良く分からない。ただ、決して不快なものでは無いことだけは理解できた。
「じゃあわかんない同士でおあいこだね!」
先ほどまで怒りながら泣いていたのに、一瞬でにぱっと輝くような笑顔を見せる。彼としてはこの変わり身の早さが正直羨ましいところであった。
「でも、いくらマスターが凄いからって、何でも出来ると思うのはゴーマンだと思う!」
「はは……肝に銘じておく」
「なら良し!」
許してやろうと言った感じで笑顔を見せる少女、こんな風に人とぶつかったのはいつ以来だっただろうか、そんなことを考えていたが、すぐに頭を切り替える。いつまでもぬるま湯に浸かっては居られない。
「さて、補助業務は完了したし、養成所の方に報告に行かんとな……」
彼はそう一人ごちつつ資料の束を纏めながら、先ほど少女に対し井の中の蛙という言葉を使ったことを考えていた。少女は魔術師養成所内では全く異質かつ場違いな存在、井の中の蛙というより、【井の中のよだか】と言う方が合っているのかもしれない。
井の中の蛙はむしろ自分だ。今は魔術師養成所という狭い井戸の中、蛙が少し泳げる分だけよだか相手に威張っているが、近いうち否が応でも両者とも広い世界へと放り出されるのだ。その先に何が待っているのか……先の見えない不安に駆られてはいたが、ひとまず補助業務が完了したことに安堵した彼だが、もう一つの不安要素を思い出してしまった。
魔法生物を所持している魔術師は、業務報告日には養成所に必ず連れてこなければならない。そして、報告をする人間は当然彼だけではない。今までは所持して居なかった為、今回は少女を所持している、こうなると話は別だ。
井の中のよだかとも言うべき異質な存在が、他の魔法生物と遭う。そこで何が起こるかが全く想像できない。杞憂だとは思うのだが、これまで最悪の目を大量に出してきた彼である、今回も何が起こるか分からない。
業務を終えた安堵感、報酬を貰える幸福感、そしてそれ以上の少女に対する不安を抱いたまま、彼はまた眠れぬ夜を過ごすことになりそうだった。
【引用】
宮沢賢治「よだかの星」
青空文庫
http://reception.aozora.gr.jp/aozora/cards/000081/files/473.html




