第二話 目的は世界平和、けれど知られざるお仕事
この世界には、常に二つの面がある。
例えば、食物連鎖でいう捕食者と被食者。鬼ごっこでいう追う者と逃げる者。スポーツでいう攻撃と守備。経済でいう生産者と消費者……
そういう関係を保ち、時に移り変わりながら、世界は成り立っている。
そして、それは『異能者』たちにも当てはまる。
異能者――と言われて思い浮かべるのは、おとぎ話なんかによく登場する魔法使いあたりなのではないだろうか。魔法という未知なる力を行使し、起こりうるはずのない『奇蹟』を起こす者たちの総称。空を飛んだり、ないものを生み出したり、死者を生き返らせたり。
しかし、おとぎ話はおとぎ話。魔法使いなんていうのは架空の存在だ。
――――と、何も知らない人ならそう言うだろう。
けれど、現実において、異能者、もとい非現実的な存在というのは、確実に存在している。魔術師しかり、錬金術師しかり、死霊術師しかり、精霊しかり、その他もろもろ。日本では陰陽師が代表的だ。
そして、世界の絶対法則がそう定めるように、彼ら異能者の『面』と対極に位置する『面』というのも、また存在する。人類の敵という『面』で。
表舞台の人間たちに決して認識されることのない『異能者』が、よもや世界の平和を守っているだなんて、誰が信じるだろう?
◆
轟!
日付が変わった波木高校のグラウンドに、突如として爆音とともに閃光の花が咲いた。
濛々と立ち込める砂埃から飛び出し、爆発で抉られ削られた地面に轍を刻みながら急停止。周囲を見渡して、巫女装束を戦闘用に改良したような黒の儀礼衣に身を包んだ汐音が「大丈夫」とサインを送ってくるのを確認する。
昼間はおろしている髪をツインテールにした汐音。その両手には、部活で使う竹刀ではなく、鈍色に輝く短刀。
「毎度のことながら、野球部に申し訳ない気がするな」
砂埃が晴れて、めちゃくちゃになったグラウンドを見、狩衣を模した儀礼衣姿の銀が呟く。数十分前まで丁寧に地ならしされていた面影はどこにもない。
確かに、周囲に結界を張っているおかげで光も音も衝撃波も外には漏れないし、屈折操作も施されているので一般人に認識されるということもない……が、それでも申し訳なさは拭えないわけで。
「こっちも仕事なんだから仕方ないって~。それに戦闘後はちゃんと元通りに修復するんだから文句はないでしょ」
あっけらかんと言う汐音。
(仕事と言っても、一般人には到底理解してもらえないだろう類の仕事なんだけどな……)
ひっそりと嘆息するが、次の瞬間には気を引き締めて腰を落とした構えをとる。汐音もすでに双刀を握り直し、いつでも飛び出せる体勢。
緩んでいた空気が一転、張り詰めたものに。
「鬼型幻獣〈餓鬼〉、レベルⅡ」
グラウンドの中央、もっとも陥没した地点に、そいつはいた。
人間に近い形状をしているものの、体長は優に二メートルはある。丸太のような二本の腕、鍛え抜かれた戦士のように屈強な肉体。頭部から伸びる二つの突起は、昔話に登場する「鬼」のそれ。
闇に紛れるような黒の体色の中で、鮮血色の目が爛々と輝いている。
幻獣という名の異形。
人間を忌み嫌い喰らう、夜の闇。
ひっそりと、だが確かに存在する幻獣の脅威を、世間は知らない。いや、知る必要はない。
そいつらを異能によって討伐することこそが、対幻獣殲滅世界組織『異能連合イスタリオン』――その一加盟国たる日本が有する『ムラクモ』に所属する者たちの、使命なのだから。
「――ふっ」
鋭く息を吐き出す汐音。
ツインテールの残像を置き去りにして、彼女は動いた。
ムラクモに名を連ねる陰陽道の大家は十二。その一角を担う春成家の長女もまた、陰陽師なのであって。
しかしさすがはレベルⅡというべきか、単調な攻撃しかできないレベルⅠとは違ってある程度の知能は発達しているようで、鬼もすぐさま反撃を開始。
鬼の周囲にぽっと灯る青白い光源。それは徐々に数を増していき、そして鬼が腕を振りかぶったのを合図に、駆ける汐音へと殺到する。
幻獣の固有能力は様々で、初戦ではその見極めが生死を分かつ。
目の前の鬼の固有能力は、鬼火を生み出しそれを操作して爆発させるもの。先程の爆発もこれが原因だ。
「気をつけろ!」
思わず注意を飛ばすが、そんなものは必要ないことを銀の冷静な部分は承知していた。
迫りくる鬼火の群れに怯むことなく、汐音は真っ向から突っ込んでいく。
鬼火が一際強く発光し、汐音の目の前で爆発――――否、爆発は少女の背後で巻き起こった。
武術の補助として呪術を扱う前衛陰陽師の強化された脚力が可能とする高速移動に、鬼が明らかな動揺を見せる。もちろん、その隙を見逃す汐音ではない。勉強の成績はあれでも、こと戦闘に関しては天性の才を持っている。
一瞬で鬼に肉薄。攻撃範囲内に捕捉。両手の刃が振るわれる。
双刀使いの陰陽師――それが春成汐音だ。
鬼の左腕が肩口から切り離されて、赤黒い液体を撒き散らしながら宙高く跳ね飛ぶ。
獣の咆哮がびりびりと鼓膜を震わせる。
「銀っ!」
「応ッ!」
鬼の背後に回り込んでいた銀が腕を腰の後ろに引く。拳を覆うのは黒い籠手だ。黒曜石のように艶のある黒い光沢を帯びている以外には、これといった特徴のないシンプルなデザインだが――そこに収束される呪力は大きい。
銀の接近に気づいた鬼も、無事な右の豪腕を振り下ろしていた。直撃すれば人間の頭蓋骨など木っ端微塵に粉砕してしまえる威力。
万物が宿す自然エネルギーである霊気を呪力として扱うのが異能者なのだから、少し腕の立つ異能者であれば、拳や脚など任意の箇所に呪力を収束させることなど呼吸をするのと同じくらい容易い。けれど、生身の人間を一撃封殺してしまえる人外のパワーを発揮する幻獣を看破できるほどの威力を持たせることとは、別問題である。
けれど銀は、ただ愚直に、呪力を纏っただけの拳を突き出す。
狼坂銀は、春成汐音のように幼い頃から専門の訓練を積んできたわけでもなければ、呪術や武術など何かしらの分野に特化しているわけでもない。それどころか、二年前までは幻獣の存在など知らず平凡な日常を生きていた一般人だった。
つまり、狼坂銀は元々異能者ではない。
拳が真っ向からぶつかり合う。
両者の拳を中心に吹き荒れる衝撃波。
異能者ではない生身の人間の拳やただの兵器では、呪力の塊である幻獣に傷をつけることはできない。
できるのは同じように呪力を異能として扱う者のみ。
幻獣を狩ることができるのは異能者のみ。
――――だと当たり前のように思われていたのも、二年前までの話。
その日、『イスタリオン』の長い歴史上、たったひとりの例外が現れたのだ。
「らぁああああああああああああっ!」
狼坂銀――人間と幻獣の間に生まれた、半獣。
ヒトにしてヒトにあらざる者。
拮抗は一瞬。
鬼の拳、腕、肩を砕いてなお勢いを残す銀の拳が振り抜かれ、鬼の頭部が消失。幻獣の存在を維持する核晶を破壊。
首から上を失くした鬼の巨躯がよろめいて倒れ、そして黒い粒子となって散っていった。
◆
「【再封印】」
汐音の手が添えられた背中に一瞬、熱が生まれる。
衣服の下の皮膚には特殊な術式が刻まれていて、それが半獣である銀の驚異的な身体能力を制限してくれている。
どんな仕組みなのか詳しいことはわからないが、この封印を施して、半獣として覚醒してそのまま完全な幻獣と化してしまっていたかもしれないところを救ってくれた人物曰く、銀の幻獣としての部分を何重もの鎖で雁字搦めにして封じ込めているのだという。その鎖にはいくつかの錠がついていて、こうした幻獣との戦闘時においてのみ、錠を開くことができる鍵、すなわち封印の管理権の一部を持つ汐音の独断によって解放できる。
再封印された途端、今まで軽かった身体が嘘のように重くなる。それだけ身体能力が向上していたということだ。これで解放されているのが全体の一割にも満たないというのだから、自分が半獣であるということをよく思っていない銀は複雑な気持ちになる。
「……やっぱりこの感覚には慣れないな」
「はいはい、文句言わない」
汐音は銀の背中をぽんぽんと叩いて、それから思いきり身体を伸ばす。
「〈掃除屋〉に連絡は?」
「もう済ませてあるわ。そろそろ来るんじゃない」
戦闘員が幻獣討伐を行った痕跡を消し、元通りの状態にするのが掃除屋だ。担当するのはムラクモの職員ではなく、主にムラクモと提携している民間の異能者である。壊すプロもいれば直すプロもいるということだ。
校庭の外に黒塗りの車が停車して、中から専用の道具を抱えた業者が出てくる。そのうちの一人が銀と汐音の姿を見つけ、近づいてきた。
「よう、今日も派手にやったなぁ。お前らの後処理をするたびに思うんだが……もっとこう、綺麗にさくっと片付けられないのか?」
「綺麗にさくっと片付けたら、そっちの報酬が減るけどいいの?」
「そりゃそうだけどよ……」
肩を竦めて作業に取りかかる掃除屋。
したり顔を見せる汐音だが、綺麗にさくっと片付けられないのはただ単に彼女が緻密な呪力コントロールを苦手としていて、一撃でも周囲に少なくなからず被害をもたらしてしまうことが多いからだ。
「うーん、巡回任務も終わったし、やっと寝られるぅ!」
意気揚々と撤収しようとする汐音を追いかけながら、銀がぼそりと呟く。
「後回しにした数学の小テストの勉強は?」
「うぐ……な、なんとかなるわ」
汐音のツインテールが力なく萎れた。
2014/03/19:加筆修正