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ロンリーウルフ・ファンタジア  作者: 早坂美魚
第一章 無彩色デイズ
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第一話 朝と少女と居眠りと

 ――午前五時。


 ピピピッ。

 淡い朝の陽光に満ちる簡素な和室に、デジタル時計の軽快な電子音が鳴り始める。

 しばらくして、部屋に敷かれていた布団の山がもぞもぞと動き、伸びてきた腕が時計を探り当てて、ようやく音が止まる。

 再びの静寂。

 どこからともなく小鳥の声。


「うー……」


 まだ惰眠を貪りたい葛藤を抑え込んで、狼坂(オイサカ)(ギン)は活動を開始する。




 ◆




 季節は梅雨真っ只中の六月。

 湿って色を濃くしたアスファルトが続く通学路の脇には、色とりどりの紫陽花が涼しげに咲いている。


「今日も雨降るんだよなぁ……」


 灰色の空を見上げて、銀は誰にともなくぼんやりと呟いた。睨んでいるみたいだと言われるのが密かな悩みになっている切れ長気味の黒瞳を、今は眠たげに瞬かせている。

 古い平屋が軒を連ねるここら住宅地一帯は、朝の早い時間とも相まってとにかく静かだ。町の中心部からはかなり離れているし、細道がけっこう入り組んでいるから、学校までは徒歩三十分と、交通の便はあまりよろしくない。それでも自転車より徒歩での通学を信条としているのは、一人自分のペースで散策がてら歩く時間を楽しみたいからだ。断じてジジくさくなんかない。

 紫陽花の葉の上をのそりのそりと進むカタツムリを見つけて、立ち止まる。

 しばらくその姿を愛でていると、不意に背後で軽やかな足音が跳ねて――


「おっはよーう!」


 元気な女の子の声が。

 ……これが和やかな朝のワンシーンだったらどれだけ平和的か。

 実際には「おっはよーう」の「お」で跳躍、「は」で手にした長い物体を振りかぶり、「よーう」で後頭部目がけて振り下ろすという、一般常識の欠片もない行為が成されるわけなのだが。

 とりあえず振り返らぬまま、傘を後ろ手に掲げて受け止める。

 抵抗はしばらく続いたが、相手の方が諦めたように先に力を抜いた。


「むう……わたしの一撃を受け止めるなんてナマイキ」

「一年以上ほぼ毎日同じことされたら誰だって反応できるようになるっての。そして、いい加減に挨拶イコール一撃の概念を直せ」


 振り返ると……まあ、最初からわかっていたことではあるのだけれど……そこには整った顔を不機嫌そうにしかめて、口をへの字に結ぶ制服姿の少女の姿。

 前髪をぴょこんと結んだ黒髪のあちこちに寝癖が立っているから、慌てて支度をしてきたのだろう。そう言えば市販の目覚ましじゃあ強度が足りないとか、前にぼやいていた気がする。

 彼女の名前は春成(ハルセ)汐音(シオン)。銀が現在お世話になっている春成家の長女で、クラスメイト。訳あって学校の資料上ではイトコの関係になっていたりする。


「波木高校女子剣道部副主将代理のわたしの一撃を傘で受け止めるなんて……」

「肩書きが長い」


 黙って座っていたら――そう、黙って座っていてくれさえすれば、本人がいつも自称している、おしとやかで清楚な大和撫子とやらに見えなくもないのだが。


「今失礼なこと考えたわね?」

「イエ、トンデモナイ」

「視線が真横向いてる上に片言なんだけどなー!?」


 きしゃー!と今にも襲いかかってきそうな汐音をなだめながら、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。


「時間、やばいんじゃないのか」

「あ」


 進行形で振り下ろされていた布で包まれた長いもの、いわゆる竹刀がぴたりと静止。一拍遅れて、風圧が銀の前髪を掻き乱す。暑くないのに首筋を汗が伝った。

 わかっていてもやっぱり恐ろしい。副主将代理だかなんだかの肩書きなんて、汐音の本当の実力を知っていたらかわいいものだ。


「いやあああ! 朝練開始まであと五分切ってる!?」


 銀の腕を掴んで時計を確認するや否や、残像を残して全速力で走り出す汐音。相変わらず体力は底なしのようだ。……その有り余るエネルギーを勉強の方にも使ってくれないかなー。


「覚えてなさいよっ!」


 走りながら振り返った汐音がなにやらステキな笑顔で手を振ってきた。軽く手を振り返して、銀はふと考える。何を覚えておけと?

 走り去る少女を苦笑とともに見送って、カタツムリを名残惜しそうに横目で見つつ、銀は再び歩き出す。



 この後、汐音は普通なら徒歩半時間かかる道のりを四分で完走し、朝練に間に合うことができたらしい。




 ◆




「こらあ! 森宮!」

「いそふらぼんっ!?」


 丸めた教科書で後頭部を容赦なく殴打され、珍妙な叫び声とともに至福の居眠りから現実へ引き戻されるクラスメイト(♂)。教室のあちこちから笑い声が上がる。

 現在六時限目、教科は古典。この時間の睡魔は恐ろしい。

「大体お前はだなあ……」と始まる教科担当のお説教を意識の遠くで聞きながら、銀は窓の外へ視線を向ける。教室の一番後ろの窓際の席からは、グラウンドとその向こうに広がる街並みが見渡せるが、空はどんよりした灰色。今にも雨が降り出しそう……と思っていたら、窓ガラスを雨粒が叩き始めた。傘持ってきてよかった。


「って、お前もか、春成っ!」

「いづっ!?」


 ……ん? 春成?

 視線を外から中へ戻してみると……やっぱり汐音さんでした。

 見慣れた光景ではあるのだが、汐音の成績表を拝んだことがある銀としては、もう少し自覚を持ってほしいと思ったり思わなかったり。


「部活動熱心なのはいいが、お前らは学生であって、本業は勉強だ。都大会が近かろうが遠かろうが、授業は授業。よってお前ら二人とも、放課後居残りの刑に処す!」

『えーっ!』


 二人分の絶叫が見事なハーモニーを奏でて、本日最後の授業は終了した。

 そして清掃とHRを終えた放課後。


「いや~、やっぱ持つべきものは友だな、ははっ」

「なんで俺が……」


 お前らの課題を手伝わなきゃだめなんだ、と続けた言葉は当たり前のように無視された。

 教室には銀を含めて三人しかいない。最初に居眠りを発見された森宮和葉と、同罪で処せられた汐音。そして本来なら、というか絶対に関係ないはずの銀は、二人に出されたはずの反省文におまけとしてくっついていた課題にシャーペンを走らせている。

 明らかに構図がおかしくない?

 何度そう自問したことか。けれどわかりきっている答えに銀は頭を振る。こうなることは最初からわかっていたのだ。だからHRの後、速攻で帰ろうとした。誰よりも早くドアに手をかけた。それなのに肩を掴まれた。振り返ったそこに誰の笑顔があったかなんて言わずもがな。


「ほらほら、手が止まってるってば」


 ジュースのストローをくわえて、曰く小休憩を続けている汐音が銀のシャーペンが止まったのを見て指摘する。原稿用紙にまだ名前しか書いていないお前に言われたくない。


「こんなこと、絶対に、二度と、やらないからな!」

「おれがパン、春成がジュースを三日分奢るって言って、了承したのはどちら様?」

「ぐっ……」


 どうせなら五日分にしておけばよかったと今更ながら後悔。提示された昼食三日分奢りの条件に妥協してしまった二時間前の自分が恨めしい。それでも一度引き受けたものは放り出せない性格なので、ちゃんとやる。


「てかさー、『反省文を2キロバイト程度で書け』って、単位おかしいだろ。なにキロバイトって? 作文に使っていい単位なのか?」


 和葉が机に突っ伏して言う。

 ……確か日本語一文字が2バイトだったから、四百字詰め原稿用紙が一枚800バイト。2000÷800で、改行なしで書いて原稿用紙2・5枚分か。わざわざ単位をバイトにしたのは、改行しまくって行数を稼ぐ姑息な手段を封じたかったからだろう。


「別にしたくて居眠りしてるんじゃないわよ。教科書開いたら瞼が閉じるんだから仕方ないわ」

「まったくの同意見」

「反省『文』ってあるんだから、文であればいいのよね?」

「まあ、そうなるわな」

「形式にとらわれるから書けないのよ。ここはもう発想を転換させるしかないわ」

「例えば?」

「詩っぽくするとか。居眠りの意義と熱意を書き綴るの」

「おおー、なるほど」


 再提出の不安しかない。


「……てか、おまえ、ホントに頭良いよな~。春成のイトコとは思えないんだけど」


 口と鼻の間にシャーペンを挟んで頬杖をつく和葉が、見る見るうちに埋まっていくプリントの解答欄を覗き込んで感慨深そうに呟く。その言葉に反応するのはもちろん汐音。


「なにおう! そういう和葉だって夏季補習に優先招待されてるくせに!」

「お、おまえもだろ!」


 低レベルの言い争いを始める二人に頭痛がした。


(はあ……俺って過労死しそう)


 しばらく無視していたけど、今度は自分の点数の張り合いに発展してきたので、派手な音を立てて机を叩く。びくりと動きを止める二人に、銀はとびきりの笑顔を浮かべて。


「真面目にやってくれる?」

『もちろんです銀様!』


 二人が泣き泣き課題を終わらせ提出したのは、最終下校時間の三分前だった。

 こうして銀の『高校生としての時間』はいつもどおり終わりを告げ、そしていつもどおり夜がくる。



 ここからが『彼ら』の活動時間だ。

2014/03/19:加筆修正

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