5
炎が、揺れていた。
パチパチと、小枝のはぜる音がする。
「・・・。
どういう話だ、これは」
しばしの沈黙のあと、旅の男はいった。
「聞いたとおりの、話じゃがのう」
答えていないような答えは、男をいらだたせた。
「おまえ・・・」
彼の瞳に、物騒な光が走る。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。
気に入らなかったのかえ、おまえさま」
老人は懐を探り、炎に何かを振りかけた。
ふっと炎が揺らぎ、パチパチと音が響く。
「何・・・を!」
男はばっと手を顔の前にかざした。老人の行動に驚いて、というよりは炎に対して、なのだろうか。
「夜の炎。それは人の身体を、心を暖める物。
そして、人を導く光でもある。
おまえさま、どうなされたのじゃ。どうして・・・迷うておられるのか」
老人、ラリアが淡々といった。
「オマエ・・・。何者ダ?」
男が、しわがれ、押しつぶしたような耳障りする声を出した。
「わし、か?
ワシは物語売りの、ラリア。
この森を彷徨う、ただの・・・ただの老人にすぎんよ」
「ナニヲ・・・知ッテイル?
他人ガ、知ルコトノナイコトマデモ・・・」
「この森は、移ろいの森。
すべての、目的を失ったモノたちが、引き寄せられる森。
―捨てられた夢、消えた記憶、壊れた心。そして・・・人でないモノ。
この森には、なぜかそのようなモノが引き寄せられ、迷うておる。
ワシは、その中の一つの物語を語ったにすぎぬのじゃよ」
ぽつり、ぽつりと、子供を諭すように老人は呟く。
「ナゼ・・・知ッテイル。ナゼ、ダ?」
「おまえさまは、ワシがすべてを知っている、そうお思いなさったのか?
ワシは・・・知らんよ。なにも、知っとりゃあせん。
ただ、物語がワシを訪れ、語らせる。物語が、ここから出せと、叫ぶのが見える。ワシはただ、目の前に現れたそれを、その通りに追っているにすぎんよ。
さて・・・と。
おまえさまは、いまだに何を迷っておられるのじゃ。
目的は、果たされたのじゃろう?」
「目的・・・。ソンナモノハナカッタ・・・。
オレハ・・・間ニ合ワナカッタ。スベテ・・・終ワッテシマッタ。
オマエニ・・・ワカルモノカ。
何ガワカルトイウンダ・・・ッ!」
―グンッ
闇が、逆巻いた。
それは、瘴気と呼ぶべきモノ。人には操り得ぬ陰の気の凝りしモノ。男の操る闇は、すべてを吸い込む虚空の暗さというよりは、血の紅を凝縮してできる、ある種のぎらりとした滑りを帯びており・・・。
血の叫びを、宿していた。
「おまえさまの家族は、ただの肉塊となり果てたわ。今では、すでに塵と化しておるじゃろう。
違うておるか?!」
「でぃおら」ハ・・・くりすハ・・・タダノ肉塊デハナイ・・。
なでぃるハ、タシカニ・・・生キテイタ・・・。
タシカニ・・・生キテイタンダ・・・!」
男の身体が、ふっと揺らいだ。瘴気が吸い込まれ、彼の身体に変化が起きる。
―ミシッ
骨が、軋んだ。
男の、そのしっかりとした重量を伴った身体は、針金のように細くなり、闇に、深紅の闇に染まる。落ちくぼんだ眼窩からは、赤い・・・紅玉のような目がぎょろりと覗く。
「そうじゃよ。その通りじゃ。
だが、おまえさまが堕ちてどうなさる。
おまえさまは、知ってなさるのではないかえ。その身体では何も出来ないということを。
悲しみを生み出すしか出来ぬということを。
なのになぜ、その身を堕とされた?!
おまえさまには聞こえぬか、死者の嘆きの声が。
おまえさまには分からぬか、死者の苦しみの理由が。
ただ・・・悲しんでおるのじゃ。おまえさまのその姿を。その姿にしてしまった自分を。ただただ、悲しんでおるんじゃ。
死者には憎しみなど無い。すべてをありのままにうけいれる。しかし、深い悲しみはその身を縛る鎖となり、天上に昇るのを妨げるのじゃ。
だから・・・死んでしまった者のためにも、もう、自分を許してやりなされ」
「ユルサレル・・・ハズモナイ」
のろのろと顔を上げ、男はいった。
「おまえさま・・・。いや、ガライ。
おまえは、すでに赦されている。
だから、自分を赦してやりなされ」
魔と化した男、ガライの赤い・・・血を懲り固めたような瞳から、ぽとり、と落ちるものがあった。その透明な輝きは、彼の魔の部分をゆっくりと、だが確実に浄化していく。「ディオラ・・・ナディル・・・クリス・・!」
ガライの口から言葉がこぼれた。その様子を、老人は不可思議な笑みとともに眺め、いう。
「こちらに、おいでなされ。」
そこの炎をわたり、そのまま・・・まっすぐに」
炎の向こう側、ガライの身体が揺らいだ。そっと前へ、焚き火の方へと足を進め・・・立ち止まる。
「こちらに、おいでなされ。
おまえさまが行くと決めなされた道じゃ。まっすぐに、おいでなされ」
老人は、すっと手を伸ばした。その手は炎の中を通り、彼を招く。
ガライは、大きく息を吸い込んだ。
そして、その一歩を踏み出す・・・。
「魂が・・・昇っていく」
老人は、宙を仰ぎつつ、呟く。
「悲しい色、じゃのう。だが、美しいことには変わりない。
もう、大丈夫じゃな」
ラリアは薄く笑みを浮かべた。目の前にある焚き火を消し、ゆっくりと立ち上がる。
そして前へと歩き出し・・・。
いつしか、その姿は森の闇に紛れ、消えていった。




