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 炎が、揺れていた。

 パチパチと、小枝のはぜる音がする。

「・・・。

 どういう話だ、これは」

 しばしの沈黙のあと、旅の男はいった。

「聞いたとおりの、話じゃがのう」

 答えていないような答えは、男をいらだたせた。

「おまえ・・・」

 彼の瞳に、物騒な光が走る。

「ふおっ、ふおっ、ふおっ。

 気に入らなかったのかえ、おまえさま」

 老人は懐を探り、炎に何かを振りかけた。

 ふっと炎が揺らぎ、パチパチと音が響く。

「何・・・を!」

 男はばっと手を顔の前にかざした。老人の行動に驚いて、というよりは炎に対して、なのだろうか。

「夜の炎。それは人の身体を、心を暖める物。

 そして、人を導く光でもある。

 おまえさま、どうなされたのじゃ。どうして・・・迷うておられるのか」

 老人、ラリアが淡々といった。

「オマエ・・・。何者ダ?」

 男が、しわがれ、押しつぶしたような耳障りする声を出した。

「わし、か?

 ワシは物語売りの、ラリア。

 この森を彷徨う、ただの・・・ただの老人にすぎんよ」

「ナニヲ・・・知ッテイル?

 他人ガ、知ルコトノナイコトマデモ・・・」

「この森は、移ろいの森。

 すべての、目的を失ったモノたちが、引き寄せられる森。

 ―捨てられた夢、消えた記憶、壊れた心。そして・・・人でないモノ。

 この森には、なぜかそのようなモノが引き寄せられ、迷うておる。

 ワシは、その中の一つの物語を語ったにすぎぬのじゃよ」

 ぽつり、ぽつりと、子供を諭すように老人は呟く。

「ナゼ・・・知ッテイル。ナゼ、ダ?」

「おまえさまは、ワシがすべてを知っている、そうお思いなさったのか?

 ワシは・・・知らんよ。なにも、知っとりゃあせん。

 ただ、物語がワシを訪れ、語らせる。物語が、ここから出せと、叫ぶのが見える。ワシはただ、目の前に現れたそれを、その通りに追っているにすぎんよ。

 さて・・・と。

 おまえさまは、いまだに何を迷っておられるのじゃ。

 目的は、果たされたのじゃろう?」

「目的・・・。ソンナモノハナカッタ・・・。

 オレハ・・・間ニ合ワナカッタ。スベテ・・・終ワッテシマッタ。

 オマエニ・・・ワカルモノカ。

 何ガワカルトイウンダ・・・ッ!」

―グンッ

 闇が、逆巻いた。

 それは、瘴気と呼ぶべきモノ。人には操り得ぬ陰の気の凝りしモノ。男の操る闇は、すべてを吸い込む虚空の暗さというよりは、血の紅を凝縮してできる、ある種のぎらりとした滑りを帯びており・・・。

 血の叫びを、宿していた。

「おまえさまの家族は、ただの肉塊となり果てたわ。今では、すでに塵と化しておるじゃろう。

 違うておるか?!」

「でぃおら」ハ・・・くりすハ・・・タダノ肉塊デハナイ・・。

 なでぃるハ、タシカニ・・・生キテイタ・・・。

 タシカニ・・・生キテイタンダ・・・!」

 男の身体が、ふっと揺らいだ。瘴気が吸い込まれ、彼の身体に変化が起きる。

―ミシッ

 骨が、軋んだ。

 男の、そのしっかりとした重量を伴った身体は、針金のように細くなり、闇に、深紅の闇に染まる。落ちくぼんだ眼窩からは、赤い・・・紅玉のような目がぎょろりと覗く。

「そうじゃよ。その通りじゃ。

 だが、おまえさまが堕ちてどうなさる。

 おまえさまは、知ってなさるのではないかえ。その身体では何も出来ないということを。

 悲しみを生み出すしか出来ぬということを。

 なのになぜ、その身を堕とされた?!

 おまえさまには聞こえぬか、死者の嘆きの声が。

 おまえさまには分からぬか、死者の苦しみの理由が。

 ただ・・・悲しんでおるのじゃ。おまえさまのその姿を。その姿にしてしまった自分を。ただただ、悲しんでおるんじゃ。

 死者には憎しみなど無い。すべてをありのままにうけいれる。しかし、深い悲しみはその身を縛る鎖となり、天上に昇るのを妨げるのじゃ。

 だから・・・死んでしまった者のためにも、もう、自分を許してやりなされ」

「ユルサレル・・・ハズモナイ」

 のろのろと顔を上げ、男はいった。

「おまえさま・・・。いや、ガライ。

 おまえは、すでに赦されている。

 だから、自分を赦してやりなされ」

 魔と化した男、ガライの赤い・・・血を懲り固めたような瞳から、ぽとり、と落ちるものがあった。その透明な輝きは、彼の魔の部分をゆっくりと、だが確実に浄化していく。「ディオラ・・・ナディル・・・クリス・・!」

 ガライの口から言葉がこぼれた。その様子を、老人は不可思議な笑みとともに眺め、いう。

「こちらに、おいでなされ。」

 そこの炎をわたり、そのまま・・・まっすぐに」

 炎の向こう側、ガライの身体が揺らいだ。そっと前へ、焚き火の方へと足を進め・・・立ち止まる。

「こちらに、おいでなされ。

 おまえさまが行くと決めなされた道じゃ。まっすぐに、おいでなされ」

 老人は、すっと手を伸ばした。その手は炎の中を通り、彼を招く。

 ガライは、大きく息を吸い込んだ。

 そして、その一歩を踏み出す・・・。



「魂が・・・昇っていく」

 老人は、宙を仰ぎつつ、呟く。

「悲しい色、じゃのう。だが、美しいことには変わりない。

 もう、大丈夫じゃな」

 ラリアは薄く笑みを浮かべた。目の前にある焚き火を消し、ゆっくりと立ち上がる。

 そして前へと歩き出し・・・。



 いつしか、その姿は森の闇に紛れ、消えていった。



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