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あるところに、男がいた。
彼は、旅の行商人。品物をあちこちで売りさばき、買い付けるのが彼の仕事。一年の大半を旅の空で過ごすという、典型的な小売業人。
だが、そのような男にも、故郷はある。暖かい暖炉に燃えさかる炎。優しい瞳の妻。健やかに育った二人の息子。
-いや、旅の空にあることの多い彼だからこそ、故郷は美しくあるのかもしれぬ。
だが、鷹が虚空を好むよう、彼も旅の空を好んだ。
優しさと暖かさは翼を休めるにはよい。しかしそれさえも度をすぎれば鎖とかす。優しく、暖かな獄舎にいるより、厳しく、冷たくとも自由である方がよい。そう思い始め、また旅のさなかへと身を置くのである。
そう、これはそんな男の物語。
「なんだって!」
男の声が、ひときわ高く、その場に響いた。反射的に向けられる、無数の瞳。
彼は慌てて声を潜め、低い声でもう一度聞き返した。
「本当に、戦争が起こるのか?」
ここは場末の酒場。
きわどい衣装を身にまとった給仕女。薄くたゆたうなにがしかの煙。退廃的な空気の漂う場所である。
「オレの情報を、うたがうってのかい?」
いつも、とろんと靄の掛かったような瞳が、危険な輝きを帯びる。
「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが・・・」
男はいつもより多めの金をそこに置き、足早に立ち去った。
「なんてことだ・・・。早く、早く帰らなけりゃ」
男は、誰にともなく呟いた。
―戦争が、起こるぞ。
領主が、商人や農民から金を搾り取っている。金がでなけりゃ人。特に・・・南の方がひどいらしい。
きな臭い、どころじゃねえ。
戦争が、起こるぞ―
情報屋の声が、男の頭に何度もこだまする。
いつしか、心は故郷に飛んでいた。そう、もう半年ほど帰っていない彼の家、妻、二人の子供・・・。
それらが今、彼の目に鮮明によみがえってきていた。
「帰ろう・・・。
早く、帰ろう-」
呪文のように繰り返し、繰り返し、彼は空を仰いだ。