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8話

 



 夜が明ける前の深い暗闇に世界が凍てています。


 静寂を破るように、一台の漆黒のバイクが白い排気ガスを勢いよく吐き出しています。


 ライダースジャケットを着たクロエは、家族一人ひとりと深くハグを交わしていました。


 温かな母の腕の中で、「母上お姉さま、行ってきます」と、ぎこちない新しい呼び名で感謝を伝えます。


 父ボルゾイの大きな胸に抱かれれば、「パパ、そんな寂しそうな顔しないで。一生の別れってわけじゃないんだから」と別れの言葉を囁きました。


 祖父ロットワイラーには「じいじ、ボケた振りはほどほどにね。結構、微妙な空気になる時があるから」。


 祖母コリーには「お婆ちゃん、俳句頑張ってね。私も向こうで何か思いついたらメモしておくから」。


 祖母ガルーアには「あまり長時間お風呂に入ってのぼせたりしないでね?」。


 祖父ブルームには「いつもお小遣いありがとう。たまには喋ってね」と、それぞれに合わせた言葉をかけます。


 別れを告げるクロエの表情は、どこか寂しそうで、これから始まる旅への緊張感が滲み出ていました。


 しかしそれ以上に、強さがあります。己に対する自信と、家族を守るという決意の光が、瞳の奥で力強く燃えています。


 別れのハグを終え、クロエはバイクへと歩み寄りました。春の始まりを示すかのような、まだ冷たい風が彼女の髪を揺らします。


 大地を揺るがすような低い咆哮が、さらに力強さを増して闇夜に響き渡ります。クロエがアクセルを吹かせた、まさにその瞬間でした。


「えいや!」


 どこからともなく現れた一匹の黒猫が、俊敏な動きでバイクの座席へと飛び乗ってきました。クロエは驚きながらも、ヘルメットのシールドをクイッと上げ、その猫の顔を覗き込みます。


「あずさ!? 今までどこに行ってたのさ。お別れの挨拶をしようと思ったのに、姿が見当たらないんだもん」


 驚く少女の顔を見て、猫はにやりと笑いました。


「お別れの挨拶なんて必要ないの。私も一緒に付いていくから」


「………でも、これは家族が今まで通り平穏な暮らしができるようにするための逃避行なんだよ?」


「逃避行と呼ぶか旅行と呼ぶかは私次第。フレンチ国のパリストンは芸術と音楽と美食の街。私にぴったりの国だと、前々から思っていたの。クロエはまだまだお子様だから、私みたいなお姉さんが一緒じゃないと不安だしね」


 いつものお姉さん気取りに、クロエは微笑みました。そして、猫の背中を優しく撫でます。


「どうしたの?」


「ありがとう、って思って」


「感謝されるほどのことじゃないわ。私がそうしたいから、してるだけなんだから」


「うん……」


 目を合わせたクロエとあずさには、前世から続く絆があります。


「それじゃあ皆! 行ってきます!」


 大きく手を振った後、魔導バイクは今まで以上の白煙を上げながら、勢いよく走り出しました。


 あずさの登場によって、気分は少しだけ明るくなりましたが、それでも寂しさはぬぐえません。


「いっちゃった……」


「私達の子だ。どこに行こうと、うまくやるさ」


「そうですね……」


 声も届かないほど遠くへ行ってしまった娘の後ろ姿を見つめながら、夫婦は静かに肩を寄せ合いました。






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