51話 ~LAST~
雪の結晶がガス灯の光に踊るパリストンの中心部です。馬車の扉が開くと、冷たくも華やかな冬の空気がクロエとあずさを迎え入れました。
「やっぱり絵画みたいな街だよな………」
大きな羽根をあしらった帽子を優雅に被り、裾の長い派手なドレスを翻して歩く貴婦人たちです。ここは美食のみならず、世界屈指のファッションの街でもありました。
「クロエも一つくらい、ああいう立派な帽子を持っておいた方がいいんじゃない?」
隣で歩くあずさの言葉に、クロエは思わず吹き出しました。
「何言ってるの。私があんなの被るわけないじゃん」
「『郷に入っては郷に従え』って言うじゃない。まだしばらくこの街にいることになりそうなんだし、少しはパリストン流に合わせたら?」
あずさが真剣な顔で諭しますが、クロエの決意は固いようです。
二人が今日ここへやってきた目的は、他でもありません。手に入れた一千万ゴールドという大金の一部を使って、服を新調することでした。
クロエが現在所持している服は、ジャーマニーから持ち込んだ実用性と機能性に優れたものです。特段不便はありませんが、パリストンの基準で考えればとても地味なものです。
この世界では、着ているものがそのままその人の「価値」と直結します。
粗末な服を着ていれば軽んじられ、上質な服を纏っていればそれなりの敬意を払われます。服は単なる装飾ではなく、社会を生き抜くための「武装」なのだと、クロエはこの世界で学びました。
「今日は機能的で動きやすくて、汚れが目立たない服を買うつもりだよ。そりゃ、少しはこの街の雰囲気に寄せるつもりだけど……可愛すぎる服は、どうしても趣味じゃないんだ」
「いくら前世で男だったからって、そろそろ慣れてきてもいい頃じゃない?」
「……それは一生無理だと思う」
「残念。可愛いのを着たクロエが見てみたかったのに………」
「いつか、あずさ用の服を作ってもらうつもりだよ。リボンとフリルが沢山ついた可愛らしい服をね」
「何言ってるのよ、私に服なんて必要ないんだから。この立派な被毛があれば十分なのさ」
「遠慮しなくていいよ」
「遠慮じゃないってば!」
談笑しながら通りを進んでいた二人の耳に、声が聞こえてきました。
「なんだろう?」
「子供たちの声だね」
歩を進めるにつれ、その声の主がはっきりと見えてきます。
それは、お洒落なブティックが並ぶ一角にはおよそ不釣り合いな、上等とは言えない服を着た六人ほどの子供たちと、一人のシスターでした。
「子供たちに、温かいクリスマスを……。美味しいチキンを食べさせてあげられるよう、皆様からの温かいご支援をお願いいたします」
シスターの声はあまりに細く、行き交う華やかな人々の足を止めることは出来ていません。
*
近づいてみると、子供たちは赤くなった鼻をすすっていました。小さな手には手作りらしい毛糸のニット帽と手袋がはめられていましたが、冷たい風を凌ぐにはあまりに心許ない様子です。
子供たちの中で最も体の小さい女の子が持つ青い皿の上には、小銭が数枚だけ乗っていました。
立ち止まったクロエに対し、シスターが震える声を絞り出します。
「子供たちに、温かいクリスマスを……。美味しいチキンを食べさせてあげられるよう、寄付をお願いします……」
それは寒さのせいか、あるいは人前に立つ緊張からか。きっと両方だろうとクロエは思いました。すると、子供たちの一人があずさに気づいて声を上げます。
「あ、猫だ!」
「かわいいー! 見て、この子、尻尾だけが銀色だよ」
子供たちの無邪気な瞳が、ほんの一瞬だけ寒さを忘れたように輝きました。クロエは足元のあずさと視線を交わし、短く頷き合います。
そして、懐から一千万ゴールドの詰まった革袋を取り出すと、子供が持つ青い皿の上へ、その重みを預けるようにして乗せました。
袋の口から覗く黄金の輝きは、ほんの僅かな隙間から漏れただけでしたが、曇り空の下で圧倒的な存在感を放っていました。
「え……?」
子供たちの喋りが止まり、シスターの戸惑いの声だけが冬の空気に溶けました。
「良いクリスマスを……」
クロエは微笑みを浮かべた後、すぐに歩き出しました。すると背中から、弾けるような声が追いかけてきます。
「ありがとうございました!」
「ありがとう、お姉ちゃん! ありがとうございました!」
クロエは前を向いたまま、隣を歩くあずさに語りかけました。
「……服を買うのは、また今度にしようか。私にはジャーマニー国の、機能的で堅実な服があるからね」
その時、背後から急ぎ足の音が響きました。振り返ると、そこには息を切らしたそばかす顔のシスターが立っていました。
「あ、ありがとうございます……! あの、これ、もしよろしければ受け取ってください」
彼女が震える手で差し出したのは、一輪の白い薔薇でした。
「今日、初めて街へ出て寄付を募ろうと決意して……今朝、お庭を見たらこの薔薇が一輪だけ咲いているのを見つけたんです。きっと神様が私を勇気づけるために咲かせてくれたのだと思って……。私に差し出せるのは、この奇跡のような白薔薇くらいしかありませんが……」
「いいんですか?」
クロエが問いかけると、シスターは晴れやかな笑みを浮かべました。
「ええ……あなたに、さらなる幸福が訪れますように」
「……ありがとうございます」
白薔薇の一輪はとても軽く、けれどその小さな重さはとても嬉しいものでした。しばらくの沈黙の後、あずさがふと口を開きました。
「……青志君のそういうところが、私は好きなの」
それは、青志にとっての初恋のお姉さんの声でした。
「ありがとう」
「そうじゃないでしょ?」
あずさが立ち止まり、琥珀色の目でクロエを見上げます。クロエは周囲に誰もいないことを確認してから、顔を真っ赤にして、消え入りそうな声で答えました。
「……俺も、優香お姉ちゃんのことが好きだよ」
「そうそう、それそれ!」
「なんだよそれ。恥ずかしいなぁ………」
二人はお互いに照れくさそうな顔を隠しながら、雪のパリストンを歩きます。
「そうだ、この薔薇を生けるための花瓶を買おうか。今の手持ちでも花瓶くらいなら買えるよね」
「それは凄くいいアイディア!」
「……お姉ちゃんに選んでもらおうかな」
「私でいいの?」
「お姉ちゃんの方がセンスが良いからね」
「任せて! 最高の花瓶を選んで見せるわ!」
空から舞い落ちる雪は、先ほどよりも小さくなってきました。どうやら、今夜は一段と冷え込みそうです。けれど二人にとっては、あまり問題なさそうでした。
聖女が貧しい者たちを癒す存在だとするならば、今この瞬間のクロエは、聖女だったのかもしれません。
完
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