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39話

 パリストンの高級住宅街の一角に、ひときわ重厚な邸宅があります。


 初めてこの邸宅を目にした時、クロエは「吸血鬼の館みたいだ」と戦慄したものですが、今は天気が良い夕方なので、それほど不気味には見えません。


 その二階、最も静謐で落ち着く場所に、この屋敷の主であるカトリーヌの私室があります。


 妖艶な香りが漂い、豪奢な調度品に囲まれたその部屋で、カトリーヌはゆったりとソファに腰を下ろし、対面に座るクロエに余裕の笑みを向けています。


「さて……改まって相談したいこととは、いったい何かしら? もしかして、以前約束した件について?」


 クロエは真面目な顔で深く頷きました。


「はい。小説家であるカトリーヌさんの『創作の刺激』になる何かを為す――という約束。それについて今、私なりに取り組んでいることがあります」


「あら、面白そう。聞かせてくれる?」


 カトリーヌは楽しげに目を細めました。しかし、クロエは少し申し訳なさそうに視線を落とします。


「まだ途中なのですが、よろしいでしょうか?」


「もちろんよ。約束をしてから、まだ一週間も経っていないのだもの。さすがの私も、そこまでの無茶は言わないわ」


「……安心しました」


 クロエはほっと安堵の息を吐くと、足元の鞄から一本のボトルを取り出し、大理石のテーブルの上に置きました。


「なにこれ。ラベルが付いていないじゃない」


 カトリーヌが眉をひそめます。クロエは事も無げに答えました。


「私が作りました」


「え?」


 余裕の笑みを浮かべていたカトリーヌの表情が、一瞬で硬直しました。しかし、クロエは主人の異変に気づく様子もなく、言葉を続けます。


「カトリーヌさんならお話ししても大丈夫だと思ったので、正直に言いますが……実はこれ、私が魔法で作ったワインなんです。普通のワインではなく、デザートワインなのですが」


「……ちょっと、あなた。何を言っているの?」


 カトリーヌは、引き攣ったような笑顔を浮かべました。


「水の構成を改変して別の液体を作り出すなんて……そんなの、聖典の中にある奇跡のお話でしかありえないわよ?」


 笑おうとしたカトリーヌでしたが、クロエの表情には嘘や冗談の気配など微塵もありません。


「そんなに大げさなものじゃありません」と、クロエはまるでお茶を淹れるような気軽さで言いました。


「私の特殊魔法は水に関するものなので、そういうことが普通にできてしまうんです」


「ふ、普通って……」


「魔法で作ったワインを販売したら面白いんじゃないかと思い、いま友人と試行錯誤しているところなのですが、これがいわゆる『ムーンシャイン』……密造酒にあたるのだと知りました」


 そこまで一気に語ると、クロエは少し困ったように眉を下げました。


「私はこのワインで大儲けがしたいわけではないんです。ただ、これに『密造酒』なんていう後ろ暗い肩書きが付くのが嫌なだけなんです。最悪は売れなくてもいい。ただ正式なワインとして認めてあげたい……。ですが私には、一体何をすればいいのかが分からない。カトリーヌさんなら、素晴らしい答えを持っているはずだと思い、相談に来ました」


 友人と心血を注いだワインを救いたい――。そんな純粋な熱意を込めて語るクロエは、まだ気が付いていません。


 優雅な貴婦人が、酸素を求める魚のように、口をただパクパクと開閉させていることに。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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