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30話

 



 窓の外では、昨晩の雨をたっぷりと貯め込んだ草木が、力強い朝日を浴びて宝石のように輝いていました。


 その瑞々しい光景とは裏腹に、ダイニングルームではどこか浮世離れした、けれど穏やかな時間が流れています。


 食卓に並ぶのは、ジャーマニーの上流階級で親しまれている伝統的な朝食でした。


 焼きたてのパン、薄くスライスされたローストビーフ、チーズの盛り合わせ、スクランブルエッグ、お粥、そして濃いめに淹れたコーヒー。


「貴女を見ていると、どうしてもソシエールを思い出すわ」


 カトリーヌが、琥珀色の紅茶にそっと口をつけながら言いました。


「学院時代の先輩後輩だったのですよね?」


「ええ。あの子は、わたくしが今まで出会った中でも、トップクラスに面白い人だったわ」


「……確かに、母には天然なところがありますからね」


 クロエが深く頷くと、カトリーヌ様は楽しげに目を細めました。


「学院時代も、それは多くの伝説を残していたのよ」


「そうなのですか? 母からはそのような話、一度も聞いたことがございませんが」


「ふふ、例えばそうね……。蝶々を追いかけていたら迷子になって、学校に遅刻したとか」


「えっ?」


「カラスに帽子を盗まれて、その場に座り込んで泣いていたこともあったらしいわ」


「ええと……」


 想像以上に「ふわふわ」した母親の過去に、クロエは困惑を隠せませんでした。


「お昼ご飯は林檎しか食べない、という独自のルールも持っていたわね」


「何ですかそれは……」


「分からないけれど、何かこだわりがあったのでしょうね。今でも林檎は良く食べるの?」


「全くです。言われてみれば、母が林檎を食べているところは、一度も見たことがない気がします」


「あら、食べ過ぎて嫌いになったのかしら」


 カトリーヌ様は、コロコロと鈴を転がすように笑いました。


「……ああ、思い出したわ。他にも『顎と黒板破壊事件』なんてものもあったわね」


「今までの話と、種類が違いますね」


 面白そうな話題に、クロエは思わず身を乗り出しました。


「同級生の男子に、デリカシーの無いのがいてね。ソシエールを見て指をさして笑ったのよ。『鼻の頭にでっかいニキビができてるじゃん!』と……」


「なるほど、それは……怒るでしょうね」


 元男であるクロエから見ても、それはあまりにもデリカシーが無さ過ぎます。


「そうなのよ。しかも、蹴られた男子生徒が飛ばされた勢いで身体がぶつかって、教室の黒板を割ってしまったのよね」


「そんなに強力な一撃を……」


 カトリーヌ様は、当時の光景を思い出したのか、愉快そうに肩を揺らしました。


「それ以来、学校で一番喧嘩が強いのはソシエールだという噂が広まっていました。それを言うと、ご本人は顔を真っ赤にして怒っていたけれど」


「……だいぶ破天荒だったのですね、母は」


「クロエ、貴女も彼女によく似ているわ。きっと何かとんでもないことを引き起こすに違いない……いえ、もう既に引き起こしているのだったわね?」


「あ……」


 その言葉に、クロエはハッと現実に引き戻されました。


(血筋、なのかな……)


 食事が終わる頃には、昨夜あれほど感じていた屋敷への不気味さも、カトリーヌに対する得体の知れない恐怖心も、すっかり消え去っていました。




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