2話
司祭の声が、凍てつく聖堂の空気をさらに引き締めました。祭壇から降りる足音が、石の床にコツン、コツンと硬く響きます。
司祭の手には、神聖な力を宿す「銀の枝」が握られています。それは複雑に細工され、気高く光っていました。
司祭は、二列に並んだ子供たちの先頭に立ちました。その一歩後ろで待機している青年は、聖水がなみなみと注がれた銀のボウルを持っています。
――ピチャリ。
銀の枝を聖水に浸す、かすかな音が響きました。司祭は濡れた枝を、最初の子の額へと恭しく当てがえました。
「ゼカリアの加護があらんことを」
冷たい雫が少年の額を濡らしました。少年は「感謝いたします」と言い、深々と頭を下げました。
司祭は再びボウルへと枝を浸し、次の一人の頭へと向かいます。浸しては授け、浸しては授ける。そうして司祭は一歩ずつ前進していきました。
神聖さと緊張感に満ち、思わず美しさすら感じてしまう空間です。しかし極めて残念なことに、その美しさを感じ取ることのできない愚か者も、いくらか存在するのが事実でした。
(……えー、一回ごとに、あの枝をボウルに戻すのかよ。効率悪すぎだろ。いちいち立ち止まらないで早歩きで「ぴゃっぴゃっぴゃっ」ってやってくれればいいのにさ……)
始まって数分後には、クロエはすでに現実逃避を始めていました。脳裏に浮かぶのは、実家のキッチンで湯気を立てる、あの一杯です。
(カルトッフェルスッペ……。あのお母様のポテトスープがあれば、今すぐこの場で生き返れるのに。裏ごししたジャガイモのドロっとした濃厚なやつ。中には輪切りのソーセージがゴロゴロ入ってて、少し焦がしたベーコンの香りがするんだ。……あぁ、想像しただけで腹が鳴る)
グゥ、と胃袋が抗議の声を上げた気がして、クロエは慌てて腹を押さえました。
(帰ったら母様に頼んでみよう。……あ、でも材料あったかな。ベーコンは昨日使い切った気が……いや、予備があるはず……あ!)
妄想に浸っていたクロエの目の前に、司祭の顔がありました。
その表情が「この悪ガキか!」と言っているような気がしましたが、もちろんそれはクロエの思い過ごしです。ホームランによって聖堂のステンドグラスを割ったことはありますが、それもかなり昔の話でした。
ひとつ咳払いをした司祭が、銀の枝をゆっくりと振り上げます。
(頼むから首筋とかに水を落とさないでくれよ)
冷たい感触が額に触れ、思ったよりも冷たくないな、と感じたその瞬間でした。
「ばっはーーー!!」
聖堂の静寂を、司祭の魂の絶叫が引き裂きました。
「え?」
クロエが呆気に取られて顔を上げると、そこには目を剥き、口を金魚のようにパクパクさせている司祭の姿がありました。
司祭だけではありません。ハンナも、モニカも、周囲の聖職者たちも、全員が言葉を失い、クロエの「頭上」を見上げています。
(……ま、まさか黒い煙!?)
とっさに頭上を見上げたクロエは、そのまま固まりました。
自分の頭上に、信じられないほどまばゆく、そして……どこか既視感のある「何か」が、もくもくと湧き立っていたからです。
それは、七色に輝く光を纏い、高く積み上げられた「虹色のソフトクリーム」のような形をした雲でした。
「せ、せ、せ……聖女じゃーーー!! 聖女様がお現れになったぞーーー!!」
司祭の裏返った声が、こだまとなって聖堂中に響き渡ります。遅れて、聖職者たちの歓声が波のようにクロエに押し寄せました。
「俺が聖女のわけないじゃん!?」
静謐な聖堂に、あまりにも乱暴な声が響き渡りました。
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