63.
「――――マイちゃんっ!!」
何度目になるだろう、叫ぶように名前を呼んだけれど、マイの様子に変わりは無かった。
距離を置いて発煙筒を空に打ち上げてすぐ、マイは変わらずノアールに向かってナイフを振るい続けている。攻撃のスピードはマイの方が上ではあったが、男であるノアールの方が持久力も力もある上、マイの攻撃はどれも防げ無くはない速さだったため、ノアールはずっと何とか凌いでいた。
隙を見ては今のように声を掛け続けていたけれど、マイの耳には何も入っていかないようだった。ノアールの声は勿論、そこに居る男の声もおそらく届いていない。
ただただ、目の前の自分に対して敵意を示し、ナイフを振っていて――その姿は痛々しく、ノアールはマイのことを思うと泣きそうになった。
――オレはずっと、マイちゃんが怯えてるのはマイちゃんが居たっていうギルドの存在なんだと思ってた
――所謂強大な組織で、だからその組織的なものを怯えてるんだとずっと思ってた
――でも……違ったんだ
――マイちゃんは、多分、そこに居る男にずっと怯えていた
――追い詰められて、怯えて、だからマイちゃんは……
考える中で、ノアールの左目に向かってナイフが伸びて来たため、それを紙一重で太刀で受け流し、ギャリっという金属と金属が擦れ合う嫌な音がした後、接近したことのよりノアールの耳にマイの声が聞こえた。それにはっとしてノアールがマイに目を向けると、マイはぜえぜえと息を上げる中で、ぼそぼそと自分に言い聞かせるような独り言をずっと呟いていて、ノアールはぐっと息を飲む。
「……邪魔は、消さないと、消せば、早く、わたしを、そうしないと、そうすれば――……」
聞こえた言葉たちに、ノアールは自分の中で立てていた仮説に確信を持ててしまった。それはとても悲しくて、辛くて、ノアールは何度目かの後悔をする。
――ああ、やっぱりマイちゃんは、「そう」しないといけないと思ったんだ
――自分が今、生き延びるためには、そこ居るこいつが邪魔で、
――そんな邪魔なこいつを殺すのに、きっと自分で居ることが邪魔で、
――だからマイちゃんは……自分で、自分を殺したんだ
マイが今、正気を失ってしまっただろう理由はきっとそうであり、そんな事が分かってしまったノアールの目には、じわりと涙が浮かんだ。
――どうして、オレはマイちゃんを一人で行かせてしまったんだろう
――しがみついてでも引き留めれば良かった
――そうすれば今、こんな風になっている筈がないのに
ノアールの目に浮かんだ涙が零れ落ちそうになった時、元凶である男が声を上げた。
「――何をしているんだイレヴン! さっさとそいつを殺さないか!!」
「っ!」
「そいつを殺してしまえばお前は私の元に帰って来るしか無くなるだろう! さあ、早く殺すんだ!!」
「――な、にを……!」
あまりにも身勝手な男の発言に、ノアールは怒りで零れ落ちそうになっていた涙も引っ込んだ。
「お前は私の使い人形だろう! 私の命令通り殺せ!!」
「お、前――、もう黙ってろよっ!!」
男の酷い物言いにノアールの頭には血が上り、それまでマイのナイフを受けるのに使っていた太刀を、ノアールはマイと距離ができた瞬間に鞘ごと男に向かって投げつけたのだった。そんなノアールの予想だにしない行動に、男はその太刀を顔面で受け、「ぐあっ」と呻き声を上げて地面に卒倒した。
外野が静かになったことに、ノアールは幾分すっきりし、すぐにマイへと視線を戻す。マイはノアールが太刀を手放したことにも構わず、当然ナイフを振るって来た。先程までマイのナイフを受けていた太刀を無くしたノアールだったが、単に怒りに任せて、感情に任せて、男に向かって太刀を投げ捨てた訳ではない。
――マイちゃんは今、正気を無くしてる
――なら、きっと、マイちゃんの目に少しでもオレを映すことが出来れば
――オレが、オレだって分かってくれれば
――きっと、マイちゃんは帰って来るよね……?
そうしてノアールが思いついた、自分の姿をマイの目に映す方法には太刀が邪魔だったのだ。それは、策と言うには余りにも無計画で、無茶なものだったけれど、今のノアールにはそれしか浮かばなく、だからそれが最善だと信じてノアールは自分で頷く。
――痛いだろうけど、いいや
――きっと、マイちゃんの方が、ずっと痛かった筈だから
そんなことを思うと、ノアールは自分に向かって真っ直ぐに突き立てようとするマイのナイフに対して、自分の左手の平を差し出した。当然、ナイフはノアールの左手の平に突き刺さり、痛みで一瞬顔を歪めたノアールだったが、その痛みには構わず、自ら一歩前へと踏み出す。ナイフの刃が手の平を貫通し、ぶつりと嫌な音を立てて、自分の手の甲にナイフが生えたのが見えた。
痛かった、けれど、そんな痛みは今のノアールにとって些細なことだった。
無理やり突き進んで、自分の手が柄で止まると、ノアールはそのまま左手でナイフを持つマイの手を掴んで引っ張り、空いていた右手でマイの肩を優しく包むように抱く。またナイフが振るわれないよう、痛みが走ってはいたけれど、ナイフを引き抜いて動こうとするその手をぎゅっと掴んで、力づくでその位置に固定した。自分の腕力が、マイよりも上でよかったなとノアールは密かに思う。
「――マイちゃん、大丈夫だからオレを見て」
耳元でノアールがそう囁くと、マイは少し身体を震わせて、それから呆然とすぐ傍のノアールを見上げた。その目には少しだけ光が戻っているように見え、そのまま見つめ合っていれば、その内にマイの目に自分の姿がちゃんと映ったのに気付き、ノアールはほっと息を吐いて笑った。
「――……ノ、アール……?」
「うん、ノアールだよ。マイちゃん、やっと追いついた」
「ぁ……、わ、たし……、」
何かを言いかけて、マイはふと自分の手がぬるりと何かで滑ったことに、そちらに目を向ける。そうして映ったのは、しっかりと両手でナイフを握り、そのナイフをノアールの手に突き立てている自分の手。赤く染まっている自分の手に、さあっと血の気が引き、マイは顔を青褪めさせた。
「あ、あ……、わ、わたしがやったのか……? わたしが、ノアールを……」
「ううん、違うから。大丈夫」
「でも……っ!」
状況に気付いて、マイの身体はがたがたと震える。ナイフから手を離したいのに、震える手は硬直したように固まってしまい、自分では手離すことができなく、マイの目に涙が浮かんだ。そんなマイの様子にノアールはただ優しく、自分の右手でナイフを持つマイの手に触れる。
「マイちゃんがやったんじゃない。大丈夫だから……、力抜いて?」
「ぅ、あっ……」
そう囁かれて、漸くナイフから手を離せたマイは、そのままぺたんと地面に崩れ落ちた。
地面に崩れたマイに、もう逃げることは無いだろうと思ったノアールは、一先ず刺さったままのナイフを自分で引き抜いて、持っていた回復薬で傷口をばしゃばしゃと洗う。適当な布をポーチから取り出して、それで傷口をぐるぐると巻いて縛ってから、マイに目を向けたノアールはぎょっとした。
――マイは泣いていたのだ、ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、声も上げずに呆然を空虚を見つめてただ涙を流していた。
「ど、どーしたのマイちゃん! どっか怪我した!?」
「し、てなっ……、怪我をしたのはノアールの方だろう……!」
ノアールの言葉に怒って言葉を返してきたマイに、ノアールが肩を震わせ驚いていれば、マイは更に嗚咽を漏らしながら涙を流した。
「わ、たしは! お、前たちを、傷付けたくなかったから、一人になったんだ! な、のに、わたしは、結局っ、自分で……、お、お前の事を……っ!」
そこまで言うと、マイは俯いてノアールに頭を下げるような体勢を取って、「ううぅっ、」と唸り声を上げる。
「――――ご、めん、ノアール……っ! すまない……!」
そのまま号泣するマイを見て、ノアールはマイの正面に膝を着いてその手を取ると、自分の血で汚れていたマイの手を、持っていた水筒の水で洗い流した。それにマイが顔を上げれば、ノアールはマイと目を合わせて、へらりと眉を下げた困ったような笑みを浮かべる。
その笑みはノアールがよくする表情であり、それを見たマイは酷く懐かしさのようなものを感じた。
「……謝んなくてもいーんだよ。だってオレ、マイちゃんには何もされてないもん」
「えっ……?」
「さっきまで俺が対峙してたのは、オレの知らない人だったよ。だからオレは、マイちゃんには何もされてないんだよ」
「何を言ってるんだ……? やったのは、わたしで――……」
「ううん、違うよ。あれはマイちゃんじゃなかった」
「…………」
「それに、これくらい怪我のうちに入らないさ! ハンターだもん、痛くも無い!」
「ノ、アール……」
優しい言葉に、無くなっていた体温が戻って来るようだった。
冷えて、凍って、固まってしまっていた自分を、こうして温かく溶かしてくれたのは今だけじゃない。
「……それに、何よりも痛かったのはさ、マイちゃんの方だよね?」
「わ、たし……?」
「ずっと……怖かったよね。辛かったんだよね……あいつを殺さないとって思うくらい、マイちゃんは追い詰められてたんだよね……?」
「ノ、アール……わたし――、」
「でも、もう大丈夫だよ。オレは、絶対にマイちゃんのこと一人にしないって決めたから!」
ノアールの優しい言葉に、先程とは別の感情の涙を流し、マイが触れているノアールの手を握ろうとした時だった。「うっ……」と呻き声が聞こえ、それまでノアールに太刀をぶつけられたことで卒倒していた男が、むくりと起き上がる。それに反応してマイが肩を跳ねさせたことに気付き、ノアールは急いで男からマイを守るような立ち位置に移動し、マイを男から背中に隠した。
「貴様……、よくも……! そこを退け! それは私の物だ!!」
「退くもんか! マイちゃんは物じゃない!!」
「――それは人殺しだぞ! お前なんかとは住む世界が違う!!」
男の言葉に、マイはノアールに伸ばしかけた手を引っ込め、そうしようとした自分の手を見つめる。
――人を殺すことを仕事としていた……、それが本当のわたしで
――あいつの言う通り、みんなとは絶対的に違う
思うのはそんなことばかりで、だから自分はノアールに手を伸ばす資格もなくて、こうして庇ってもらえる立場じゃないと、マイが俯いた時だった。
「――そんなこと知ってる! 知っててオレはここに居るんだ!! 住む世界が違うとか……、お前が勝手に決めるな! マイちゃんはオレの大切な仲間なんだ! オレの大切な仲間のことを、勝手に悪く言うな!!」
「――……ノアール、」
「この偽善者が!! 口では何とでも言えよう!」
「偽善者でも何でもいい、口だけでも、オレはもう絶対にこの子を一人にしないって決めた……オレは、マイちゃんを追い詰めたお前を絶対に許さない。マイちゃんのことを物扱いするお前に、マイちゃんのことを渡すもんか! ――ていうか、さっきからオレの仲間のことを好き勝手言う、お前こそ何なんだよ……!」
ノアールの言葉にマイは顔を上げて、後ろからノアールの顔を見上げる。それに対して本当に怒り、嘘偽りなく自分を思ってくれているノアールの姿は、マイには光に見えた。
当然男はノアールに苛立ちを見せ、先程ノアールに投げつけられた太刀を手にすると、それを抜こうとする。
「黙って聞いていれば貴様……!」
そうして、男がノアールに向かって一歩踏み出した瞬間だった。
ドンっ!という空砲の音が辺りに響き、ノアールとマイ、男までもが全員驚き、肩を跳ねさせた。響いた空砲の音の余韻が残る中、足音と共に威風堂々と姿を現したのはアルガだった。
「――そこまで。モンスターを狩るための武器を人に向けるのは、違反行為よ」
真上に向かって、対モンスター用のボウガンを掲げていたアルガは、男を睨みつける。そんなアルガの後ろには、ベンとロクが続いていた。そして、アルガとベンの間から姿を見せたロクに、マイの目にはじわりと涙が滲む。
そんなマイと目を合わせると、ロクは静かに真っ直ぐマイの前まで歩いて行き、少し距離を置いてぴたりと止まり、マイに向かってにこりと微笑んだ。
「ロ、ク……」
「待たせてごめんね――――迎えに来たよ、マイちゃん」




