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62.




 気球から飛び降りて数十分、ほぼ全速力で走り続けて、ノアールは上空からマイを見かけた岩壁沿いに辿り着いていた。ノアールがそこに着いた頃にはもう人の気配はなく、きょろきょろと辺りを見回す。


「……さっき、この辺に居たよなあ」


 呟いて、ノアールは身体を屈めて地面を観察した。岩壁沿いは風除けにもなり、日陰でもあったため比較的暑い地方であるここは、良く人が通る場所なのだろう、あまり地面の草は生えていない。その上、土も柔らかめであっため、足跡が幾つも見て取れた。

 その中でも、比較的新し目の足跡を見つけて、ノアールはそれを辿ろうとしたのだが、そんな中で「あれっ?」と首を傾げる。


「……新しい足跡、二つある……?」


 思って、足跡を目で辿りノアールは更に首を傾げた。その新しい足跡は、不思議とどちらもぴたりと同じ方向へと向かっていたのだ。


(マイちゃん誰かと行動してる……? ――んなわけないか。さっき見た時一人だったし)


 じゃあ誰、と考えた時、ノアールが何故かふと思い出したのは、別れる時にマイが言っていた言葉だった。


 ――「ギルドはわたしを追っている。あそこはとても怖いところだ」――


 足跡が同じ方を向いているからと言って、当然それは偶然のことかもしれない。ましてその足跡が、マイのものである確証があるわけでもない。かもしれないだけ。

 けれど、ノアールの中に広がったのは嫌な予感であり、頬に汗が伝う。


(……もしかしたら、アルガちゃんとかの足跡かもしれないとか、ありえる……、のに、何で、オレ……)


 じわじわと嫌な予感が一杯に広がり、ノアールは足跡を辿って駆け出した。

 そうして駆け出してすぐのこと、前方の曲がり角から男の声が聞こえた。叫び声のようなものだった。


「――――やめろ! イレヴンっ!!」


 次いで聞こえた静止の言葉に、ノアールは急いで角を曲がる。そして、目の前に広がった光景にノアールは思わず自分の目を疑った。


 ――マイが、ナイフを片手に見知らぬ男に馬乗りになっていたのだ。


 今にもそのナイフを見知らぬ男の身体に突き立てんとしていたのに、ノアールは慌てて背負っていた太刀を鞘に入れたまま、男とマイを分裂させるため、その間に向かって振った。ノアールの存在にすぐに気付いたマイが、思惑通り飛び退いてくれたため、ノアールはマイから男を守るように背にしてその間に割り込む。


「――~~何やってるんだよ! マイちゃん!!」


 後ろに飛び退いて地面を滑ったマイは、ゆらりと顔を上げた。上げてくれたことで、見えたマイの目にノアールはぎくりとする。


「…………マイ、ちゃん?」


 ――誰だ、これは

 ――オレの知ってるマイちゃんはこんな目をしていない

 ――オレの知ってるマイちゃんはこんな冷たい目をしていない


 その目には、光が無かった。

 まるで全てに絶望でもしてしまったかのように、その目には何も映っていないようで、実際自分の姿もそのマイの目には映っているように感じない。視線が合っている筈なのに、合っていないように思え、ノアールの頬に嫌な汗が伝った。

 大凡、ノアールが知っているマイとは余りにもかけ離れていて、全くの別人にしか感じない。姿形は、全くのマイのそれなのに、自分が知っている”マイちゃん”ではないと感じる。

 すると目の前のマイは、ノアールに対して初めて見る生き物にでも向けるような目を向けて、ゆっくりと首を傾げた。


「……じゃ、ま」


 ぽつりと言われたそんな言葉に、ノアールが「えっ」と思っていれば、マイはノアールに対してナイフを構える。それにも驚いていると、マイは明らかにノアールに向かって敵意を剥き出しにしたのだった。

 こんな風にマイに敵対されるのは初めてのことで、慌ててノアールは「待って!」とマイに手の平を差し出す。


「――オレだよオレ! ノアールだよ! マイちゃん、分からないの!?」

「邪魔は……、消さないと、」


 そんなことを呟いて、すぐにマイはノアールに対して攻撃を仕掛けてきた。当然反撃などできる筈もないノアールは、鞘に納めたままの太刀でそれを受ける。ガツンと鞘にナイフがぶつかり、先程よりも近い位置で見たマイの目からは確かな殺意しか感じなく、顔を歪ませた。


(――マイちゃん、どうしてオレの事が分からないんだ……? 何で、こんな……、)


 明らかに正気を失っている様子のマイに、ノアールの目にふと映ったのは先程マイに襲われていた男。

 あの時マイは、確かな殺意を持って男に向かってナイフを振り下ろそうとしていた。今も、マイからしたらそれを自分が邪魔しているから自分に敵意を向けているだけで、その殺意が向けられているのはそこに居る男である。

 そのことから、どう考えてもノアールにはマイがこうなってしまった原因が、そこに居た男にあるようにしか思えなかった。


 一度ギリっと歯ぎしりすると、ノアールはマイの攻撃を何とか防ぎつつ声を張る。


「――オイあんた!! マイちゃんに一体何をした!!」

「何、だと……? お前には関係ないだろう!」

「関係なくない!! オレはこの子の仲間だ!!」


 そんなノアールの言葉に男は小さく「何……?」と呟いた後、何故か高笑いをしたのだった。


「――そいつはいい! イレヴン! そいつを殺せ!!」

「はっ――……?」


 男の言葉に理解が及ばず、驚愕しながらもノアールは必死に思考を巡らせる。


 ――何を言っているんだ、あいつは

 ――いや、それよりも今あいつ、マイちゃんのこと『イレヴン』って呼んだ……?

 ――ロクちゃんから教えてもらった……マイちゃんは以前『十一番目』って呼ばれてたって


 ――じゃあ、この男はマイちゃんが居たギルドの――……


「さあイレヴン! 殺すんだ!!」


 その可能性を考え付いた時に発せられた男のそんな声に、ノアールははっとしてマイを見た。

 マイは必死にナイフを振っていて、男の命令に従っているわけではないだろうに、一発一発は確実に人体的急所を狙ってきて――ただ、その目にノアールは、やはり自分が映っていないことに気付く。


 ――ああ、マイちゃんは……


 思い至り、ノアールが俯いて一瞬動きを止めれば、それにチャンスと言わんばかりにマイはノアールに飛び掛った。

 直ぐにはっと我に返り、慌ててノアールは太刀の鞘でナイフを受け止める。ガィンっという鈍い金属音が顔の近くで鳴り、ノアールは目を細めた。


 ――ひとまず、みんなに知らせないと……!


 思って、ノアールはマイのナイフを受け止めていた太刀に力を込め、「マイちゃんごめんっ」と心の中で一度謝り、右足を一歩前にそのまま踏み出す。


「――うおおおおおっ! らぁっ!!」


 声と共に力を乗せ、ナイフを受け止めていた太刀を思いっきり上に振り上げた。

 目論見通りマイの身体は宙に浮き、五メートルほど後ろへと飛んで行く。地面をちゃんと滑り、マイが着地したのにノアールはほっと息を吐いてから、距離が取れた隙にすぐさま足のホルダーに納めてあった発煙筒に手を伸ばすと、それを空に向かって打ち上げたのだった。



 同時刻、双眼鏡を覗きながらベンは言った。


「……南西五キロ地点にて、ノアールより合図だ」


 言いながら双眼鏡を懐にしまうと、ベンは振り返る。そこに居たのはロクとアルガだった。

 アルガはいつも通りのハンターの装いだったが、どういう訳かロクはいつものハンターの装いではなく、綺麗なドレスに身を包んでいる。


「そう――よかった、マイちゃん見つかったんだね」

「みたいね。けど、近くであの男の目撃情報もあるから心配だわ」

「だとしても、マイちゃんを見つけたのがノアールなら大丈夫……そうでしょ? アルガちゃん」


 微笑んでそう言ったロクに、アルガは呆れたように息を吐きながら「そうね」と返した。そんな二人を横目に、ベンは近くの木に留めてあった移動用モンスターの手綱を外し、二人に振り返る。


「だが心配なのに変わりないだろう。急いで向かうぞ、ロク、アルガ」


 言われたことにロクとアルガは頷くと、ロクはベンに近付いて、まるでそうするのがいつものことのように、ベンはロクをひょいっと持ち上げそれの背に乗せた。乗せられてから、ロクはベンに向かって手を伸ばし、ベンの頬を撫でる。


「――ベンお兄ちゃん、今日まで本当にありがとう。あたしの我儘に付き合ってくれて」

「……俺の主君はお前なんだ。俺はお前の為に動くと決めているから何も気にしなくていい」

「うん。でも……」

「それに」

「えっ?」

「……それに、まだ終わっていない。最後まで付き合うさ」


 ベンのそんな言葉にロクは泣きそうに笑った。


「うん……、ありがとう。ベンお兄ちゃん」

「礼は要らない――さあ、行くぞ」

「うん、行こう――――マイちゃんを迎えに」


 ロクの言葉を聞くとベンは頷いて、ロクを乗せた移動用モンスターに同じく跨り、ロクに自分にしっかり掴まるよう言う。それを見てアルガも近くに留めてあったそれに跨り、ベンと目で合図をし合い、手綱を操作して駆け出した。

 そんな中、ロクはベンにしがみ付く力をぎゅうっと強め、目を閉じ静かに微笑む。


「――やっと、迎える準備が出来たんだ。あとは、マイちゃん次第だよ――……」


 優しい表情でロクが呟いたのは、そんな言葉だった。

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