59.
「……お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」
「うん。色々とありがとうな」
「もう2、3日ゆっくりして行ってはどうだい? 急ぐ旅ではないんだろう?」
「いえ……お気遣いありがとうございます。けれどわたしは……仲間たちから逃げ続けなければいけないので」
笑ってそんな言葉を言ったマイに、バウは眉を寄せて八の字にし、寂しそうに笑った。
「――……それも、義務ではないだろう」
バウの言葉にマイも同じように寂しそうな笑みを返して来て、自分たちの様子が変わったことに狼狽えたイリスに気付き、マイはすぐイリスの頭を優しく撫でた。
「義務でなくとも、逃げないといけないんです……わたしは」
言って、マイはしゃがみ込み、イリスと目を合わせてイリスに笑いかける。そして、「また会えたらいいな」と言って、もう一度イリスの頭を撫でた。それにイリスが「うん!」と元気一杯に返してきたのに、マイは立ち上がって、くるりと踵を返す。
「本当に……ありがとうございました。こんなによく眠ったのは久しぶりで……感謝します。さようなら」
別れの言葉を聞き、イリスはマイに向かって大きく手を振りながら、「ばいばーい! またねっ!」と言った。それにマイは少しだけ振り向きながら手を振り、すぐに前に向き直り、それから振り返ること無く歩いて行ってしまった。
マイの姿が小さくなりだした頃、イリスはててっとバウに歩み寄り、バウの足元にぎゅっと抱き着く。それにバウが「どうした?」と問いかけながらイリスの頭を撫でると、イリスはバウを見上げた。
「……お姉ちゃん、行っちゃったね」
「……ああ、そうだね」
「ねえ、おとーさん。お姉ちゃん、何から逃げてるの? 鬼ごっこでもしてるの?」
そんな事を聞かれ、バウはつい苦笑を漏らし、イリスを抱き上げて可笑しそうに笑った。
「そうだなあ、鬼ごっこしてるんだろうなあ……」
「ふーん、そうなんだ~」
そう、これはきっと鬼ごっこのようなものなのだろう。
彼女はだから逃げている。捕まったら鬼になるから。鬼の仲間になる。仲間になるのだ。
「お姉ちゃん、早く捕まったらいいのになあ」
――あんなに優しい子が、独りでいるなんて可哀相だから
思って、バウはただ願った。彼女の仲間が、早く早く彼女に追いつきますように、と。
*
それから一週間後のことだった。
コンコン、と玄関を叩かれる音を聞き、一人家で留守番をしていたバウは「はーい」と叩かれた玄関を開けた。そこに立っていたのは自分が騎士団に勤めていた時代、自分がよくお世話になっていた人物――……
「アルガさん!」
「久しぶりね、バウ。急に訪ねてしまって、ごめんなさい」
「いえ、どうしたんですか、こんな辺境の土地に」
アルガの姿を見ると、バウはすぐに扉を全開にして「どうぞ、上がってください」とアルガをリビングへ通した。「お邪魔します」とアルガは外套を脱ぎつつ、バウの家へと上がる。
「あら、奥さんと娘さんは?」
「今隣の町まで買い物に出てます。多分もうすぐ帰ってくるかと思うんですけど……」
「そう。娘さん……イリスちゃんだったかしら? きっと大きくなってるのね」
「ええ、はい。もう六つになって、よく外を元気に走り回っていますよ」
「そう。元気そうでよかったわ……貴方も」
「いえいえ……それがそうでもなくて、騎士団やってた頃よりは筋力が落ちたせいですかね、この間なんて酷い風邪を引いてしまって……あ、お茶入れますんで、アルガさんはそちらに座ってて下さい」
「構わなくったっていいのに、悪いわね」
「世話になった先輩ですから! アルガさんは特別です」
そんな調子のいいバウの言葉に、「よく言うわ」とアルガは促されたリビングの席について「はあっ」と息を吐く。お茶を淹れ終わり、アルガの前にマグカップを置くと、バウも机を挟んでアルガの向かい側の席に着いた。
「こちらには、何か入用で来られたんですか?」
「ええ、少しね……けどとても大事な用でね、近くまで来たもんだから情報収集に寄らせて貰ったのよ」
「そうですか。僕で分かることであれば何なりとお教えしますよ」
「そう、助かるわ」
そうして、アルガは懐から一枚の写真を取り出し、それをバウに向かって差し出した。バウはそれを受け取って目を落とし、何故か大きく目を見開いたのだった。
バウがそんな反応を見せたことに、アルガは気付かず話し始めた。
「私は今、その写真に写っている人物を追っているの。写真がちょっと古くて申し訳ないのだけれど……今は髪をばっさりと切ってるから大分印象が実物とは違うかもしれないわ……それで、その子を見かけたりしていないかしら、バウ」
「……アルガさんが人を追っているなんて珍しいですね。てっきりモンスターの目撃情報でも欲しいのかと」
「えっ? ええ、まあそうね……それもこの子を見つけるまでは休業ね。今はこの子を見つけることが最優先事項なの」
「アルガさんはどうしてこの方を探しているんですか?」
聞かれて、アルガはバウに決意の固い真剣な眼差しを向ける。
「――取り戻したいからよ」
「取り戻したい……?」
「その子、私の……私たちの仲間なの。ハンター仲間。共に四人パーティーを組んでて……けど、それだけの関係じゃ済まないくらいには長い付き合いで、もう家族とかそんな域だと私は思っていたわ。けれど、ある日突然私たちの前から姿を消してしまってね。しかも、まるで追ってきてくれと言わんばかりに色々と残したまま……彼女が追ってきてほしくないようだったら私は追う気はなかったわ。他の二人は知らないけど……でも、追ってきてくれと言わんばかりに去って行ったの。だから私は、私たちは彼女を追っているのよ」
「……追いついて、この方を捕まえたらどうするつもりですか?」
「えっ? そうね……取り合えず私は一発殴らせてもらうわ。思いっきり」
「えっ」
「殴って、それで叱って……私がするのはそこまでかしらねえ。後は他のメンバーに任せるわ。多分、また同じパーティを組むことになるんでしょうけど」
そんな、アルガが言った内容にバウは何故か今にも泣き出しそうな、安堵に満ちた表情で笑ったのだった。そんな顔をされる理由が分からなく、アルガが首を傾げているとバウは手にした写真に額を付けるように項垂れる。
「――――……そう、でしたか……」
「何? どうしたの……?」
「“お嬢さん”の仲間が……アルガさんで安心しました……」
「……? バウ、貴方その子のこと知って――……」
そう言った時だった。「ただいまー!」と元気のいい声が聞こえ、アルガの言葉は途中で掻き消えた。バタバタとした足音の方にアルガが顔を向けると、そこには買い物から帰って来たメルとイリスが居た。
イリスはアルガの姿を見つけて「お客さんだー」と言い、そんな言葉を聞いてイリスより遅れてやってきたメルは、アルガに目を留める。アルガと目が合うと、メルは「あら」と声を漏らした。
「お邪魔しているわ、メル」
「アルガさんじゃないですか! お久しぶりですっ。どうされたんですか? 急に」
「ええ、まあちょっとね」
「アルガ、さん? 初めまして……?」
メルの様子に、不思議そうにメルを見上げながら言うイリスに、メルはふふっと笑いながらイリスの頭を撫でる。
「初めましてじゃないのよ〜? イリスは小っちゃかったから覚えてないか~」
「前会ったのは赤ん坊のときだから無理もないわよ」
言うとアルガは席を立ち、イリスを抱き上げた。
「こんにちは、イリス。私はアルガよ。……大きくなったわね」
「こんにちは! アルガさん!」
高い目線に喜び、イリスが楽しそうにそう言って辺りを見回した時だった。ふとイリスの目に机の上に置いてあった写真が留まり、それを見てイリスは「あっ」と声を上げる。その声にアルガがイリスの視線を追うと、イリスは弾んだ声で言った。
「お姉ちゃんだ!」
笑顔でそう言ったイリスを見て、アルガは驚いて大きく目を見開く。
「……イリス、この人のことを知っているの?」
「うん! お姉ちゃん! イリスのこと助けてくれたんだよ!」
そんな言葉を聞き、アルガがバウに目を向ければ、バウはアルガと目を合わせて優しく微笑み頷いてみせた。
「――この方は、イリスの命の恩人です」
「えっ……?」
「一週間ほど前のことです。彼女はこの家に泊まっていきました」
*
「ここ最近、この集落の近くに無属性の大型飛竜が出るのはご存知ですか?」
「ええ……ここへ来るまでに何人かのハンターとすれ違って話は聞いたわ」
「まあ、それで危険なので外出は控えろってギルドから通達が出ていたんですけど……このバカ娘が危険区域内に飛び出して行ってしまって、運悪くそいつに遭遇してしまったんです」
「バカってなにー! パパそれで病気治ったじゃん!!」
横から割って入ってきたイリスに、バウは頭に軽く拳骨を喰らわせ「それはお姉ちゃんのお陰でイリスのお陰じゃない!!」と叱った。拳骨をされた部分を押さえつつ、口を尖らせるイリスを見てアルガは楽しそうに笑う。
「それで?」
「ああ、はい。そしたらたまたま通りかかったらしいその写真の方に……」
「助けてもらったのっ!」
またイリスは横から割って入り、机に乗る勢いで身を乗り出してアルガにそう言ったのだった。少し驚いてアルガが身を引いているとイリスは続ける。
「すっごくでっかいモンスターに追っかけられて、あたし転んじゃって、うわーもうだめだーって思ってたら急に周りが煙に包まれて、気付いたらあたし草の陰でお姉ちゃんに口塞がれてて……暫くしたらそのでっかいモンスター翼広げてばさっ! て飛んでって……よくわかんなかったけど、多分お姉ちゃんが追っ払って助けてくれたんだって!」
「……そうだったの」
「うん! もうすっごく怖くてね! でもお礼言わなきゃってお姉ちゃんにお礼言おうとしたら怒られちゃって……」
「あら……何て?」
アルガが聞き返すと、どうやらそう聞き返して欲しかったらしく、イリスは嬉しそうに笑った。そして両手の人差し指で自分の両目を吊り上げる。
「お姉ちゃんこーんな怖い顔して“何でこんなとこに子供がいるんだ! ここは危険区域だろう! 死にたいのか!!”って!」
「ふふっ、そうなの」
「うん! でね、あたしもうわけわかんなくなっちゃって怖くて泣いちゃって……泣きながらお姉ちゃんにパパの病気治すのにきのこが要るって言って……」
そんなイリスの言葉を聞き、アルガはバウに目を向けた。
「あなたそんなに性急に薬いるほど重い病気だったの?」
「いえ、ただの重い風邪でした。それをこいつは何を勘違いしたのか早く薬がいるって思ったみたいで……ただ、件のモンスターのせいで物資が届かなくなってはいたので」
「だってパパ、すっごい辛そうだったから!」
「父親想いのいい子ね、バウ」
「お恥ずかしい」
からかってアルガが笑っていると、イリスは「それでね、それでね」と続きを話し始める。
「お姉ちゃん、わたしに“強く怒りすぎたな、ごめんな”ってすっごく優しく笑ってくれて……“わたしが茸を取ってきてやるから待っててくれ”って。ヒーローみたいだったの!」
話を聞き終えてアルガはふっと笑った。それを見て、バウがイリスに「気が済んだらお母さんのとこ行ってなさい。お父さんアルガさんと二人で話があるから」と言うと、イリスは「はあい」と言い席を外し、イリスの姿が見えなくなってからアルガは口を開く。
「……イリス、元気いっぱいね」
「ええ。元気すぎて少し困っていますよ……その方に助けられてから“あたしもハンターになる!”って言って聞かないですし」
「ふふっ、憧れちゃったんなら仕方ないわ……親としては心配でしょうけど」
アルガの言葉に「そうですね」とだけ笑って返すと、バウは少し間を置いた後話し始めた。
「……お聞きいただいて分かったと思いますが、その方は本当に娘の命の恩人なんです」
「ええ、そうでしょうね……あんな小さな子があのモンスターと遭遇して生きている方が奇跡ですもの」
「はい……それで大したお礼にはならないけど、と一宿一飯を振舞ったんです。そうして関わって……その方がそこに置いてある銃槍を目に留めた時、分かり易く表情を変え、そわそわし出したので理由を聞けば“追われている”と言っていて、僕は首を傾げました。身を挺して娘を守り、尚且つ危ないからと家まで送り届けてくれるような“いい人”が、なぜ騎士団に追われているのかと。その理由は今分かりました。彼女は騎士団に追われていたのではなく……騎士団に顔を持つアルガさんを懸念していたんですね」
「……まあ、そういうことになるわね」
「それと、僕は人の顔色を伺うことには長けているお陰で、彼女がもうずっと眠っていないのと、酷く精神的に無理をしているのにも気付いて……すぐには話してくれませんでしたが、何とか警戒心を解いてもらって、色々と聞いたら泣きながら“仲間を裏切った、きっと許されない、優しい彼らは追ってきている、合わせる顔がない、だから逃げないといけない”と……そう、言っていました」
それを聞き、アルガは目を伏せ「……そう」とだけ答える。悲しそうな、怒っているような複雑な表情を浮かべるアルガにバウは困ったように笑った。
「彼女が一体何をしたのか事情はお聞きしません。自分は部外者になりますし。ですが……お願いです、アルガさん。彼女を捕まえてあげて下さい。彼女は、独りで居てはいけない人間だと思うんです」
そんなバウの願いを聞き、アルガはもう冷たくなってしまっていたカップのお茶に口をつけ、一気に飲み干す。
「貴方に言われなくても、私たちは最初からそのつもりよ」
言うとアルガは席を立ち、椅子にかけておいた外套を肩にかけ直した。
「ありがとう、バウ。あの子を泊めてくれたことに私からもお礼を言うわ……きっと、よく眠れたことでしょうね。話が聞けてよかったわ」
踵を返し、行こうとするアルガをバウは思わず呼び止めた。
「アルガさん! 僕らは……彼女から彼女の名前を聞けてないんです。“名乗る名がわたしにはない”と言っていて……だから、」
「――ええ。私たちは必ずあの子を捕まえて、その帰りにでもここに寄らせてもらうわ。そしたら今度はちゃんと、名乗らせるから」
「……はい! 彼女はここから南東の方へ向かいました。お気をつけて、アルガさん」
「ありがとう。では、またね」
バウの家を後にして、アルガは集落内の郵便屋を探し、見つけると郵便屋に伝えた。
「お手紙いいかしら?」
「はーい! ハンターさん、ニャにかご用かニャ?」
「手紙を二通届けて頂きたいのだけれど……割り増しで払うから特急でお願いできるかしら」
「了解ですニャ! なんニャりと!」
アルガはその場でさらりと手紙を二通書き、郵便屋に託す。宛てた人物は勿論ロクとノアールへ。内容はたった一文。
“上記付近にて、マイの目撃情報アリ”
特急で走っていく郵便屋を眺め、姿が見えなくなるとアルガは「さて」と息を吐いた。
「私はマイちゃんを見失わないように追いかけなくっちゃね……」
そんな独り言を呟いて、アルガは泊めてあった移動用のモンスターに跨りその集落を後にした。




